file5 赤き外套
採用試験を終えた練兵場には、五十人ほどの志願者が残っていた。
最初に集まっていた人数からすれば、半分以下だが、それでも俺が想定していたよりも大分残ったな。
荒くれ者、傭兵崩れ、腕自慢、食い詰め者。
揃いも揃って、軍の規律とは縁遠い顔をしている。
だが、こいつらは逃げなかった。
殴られ、転がされ、血反吐を吐かされ、それでも最後まで残った。
ならば、ここから先は俺の責任だ。
「お前たちは今日から、自由気ままな身分ではなくなる。黒鷲隊第三隊の正式な隊員だ」
ざわり、と空気が動いた。
「肝に銘じておけ。俺たちは喧嘩屋ではない。暴れたいだけの連中でもない。王都を守るために、集められた部隊だ」
俺は一人一人の顔を見た。
「王都には、兵士だけがいるわけじゃない。商人がいる。職人がいる。老人がいる。子供がいる。戦えない者たちがいる。俺たちが守るのは、そういう者たちだ」
訳が分からなそうな顔をする者もいる。
だが、目を逸らす者はいなかった。
「強さとは、好き勝手に振るうものじゃない。守るために抑えるものだ。ここに残った以上、お前たちにはそれを覚えてもらう」
その時だった。練兵場の入口に、黒い影が差した。
全員の視線がそちらへ向かう。
そこに立っていたのは、アリージャ公爵だった。
ただし、いつもの貴族然とした装いではない。
黒を基調とした軍服に似た装い。
肩には金糸で鷲の翼を模した刺繍。胸元にも銀色の飾緒が走り、腰には細身の剣。長い外套はアリージャ公を象徴する灰色に染められている。
派手ではない。
だが、威圧感があった。
「黒鷲隊総隊長、アリージャ=グレイローズだ」
その声だけで、元傭兵たちの背筋がわずかに伸びた。
「諸君らの経歴は問わない。過去に何をしてきたかも、今この場では問わない」
アリージャ公爵は静かに告げる。
「だが、これから先、王都の民に手を出す者は許さない。味方を侮る者も、命令を軽んじる者も、私の隊には不要だ」
冷たい声だった。誰かの息を呑む音が聞こえる。
「同時に、諸君らは今日から同志だ。王都を守るという、同じ使命を持つ者たちだ。出自も身分も関係ない。役目を果たす限り、私は諸君らを黒鷲隊の一員として扱う」
ざわめきは起きなかった。
誰もが黙っていた。
だからこそ、その言葉が届いたのだと分かった。
やがてアリージャ公爵は俺の隣まで歩いてきた。
「余計なお世話だったか?」
「いえ。助かりました」
俺は素直に頭を下げた。
「大貴族であるアリージャ様の言葉は、ただの軍人に過ぎない俺の言葉より、彼らには響きます」
「ただの軍人、か」
アリージャ公爵は少しだけ目を細めた。
「君がそう言うなら、そういうことにしておこう」
去り際、アリージャ公爵は俺に包みを手渡した。
「隊長用の制服だ。隊員用の分も用意してある。それと、隊の色を決めておけ」
「隊の色、ですか?」
「外套の色だ。隊ごとに変える。君の第三隊は、何色にする?」
答えは決まっていた。
「赤でお願いします」
アリージャ公爵は、やはりな、という顔で頷いた。
「……だろうな」
翌日。
俺の元には、赤い外套が届いていた。
驚くほど早い。
黒の軍服に袖を通し、銀の留め具を締める。そして最後に、赤い外套を肩へ掛けた。
鏡に映った自分を見る。
赤色外套。
東部戦線で、俺が率いた部隊。泥と血と雨の中で、それでも赤だけは戦場に映えた。
「……あいつらには、まだ着せられないな」
その日の訓練は、散々だった。
号令に遅れる。隊列は乱れる。集中力は続かない。
腕に覚えがある者ほど、基礎を馬鹿にする。
路上や酒場での喧嘩は強いかもしれない。
だが、兵士としては未熟すぎる。
ならず者を規律正しい警備兵にする。
言葉にすれば簡単だが、現実はそう甘くない。
「まぁ……地道に、やっていくしかないよな」
訓練終わり。
気晴らしと巡察を兼ねて、制服のまま王都へ出ようとした時だった。
「隊長! 自分も同行していいっすか?」
「ああ、いいぞ。ちょうどいい」
訓練も物足りない様子だったロゼが、同行を申し出てきた。
「君にも渡しておく」
俺は予備の赤い外套を差し出す。
ロゼはそれを受け取ると、まじまじと見つめた。
「これが噂の……赤色外套っすか」
「第三隊用だ」
「結構派手っすね」
「派手でいいんだよ」
俺が歩き出すと、ロゼも横に並んだ。
「隊長は、なんで赤にこだわるんすか?」
ロゼからそんな疑問が飛んでくる。
『原点だから』と答えようとして、辞めた。
俺の生まれた家の色。俺がただのケインではなく、戦場で部下を率つ者になった始まり。
あの赤を纏っていたから、一歩を踏み出せた日がある。
だが、それを口にするのは少し照れくさかった。
「好きな色だからだ。それに、赤は戦場で映える」
「目立つのは危なくないっすか?」
「普通はな」
俺は外套の端を握った。
「だが、本当に強い者たちなら違う。その色が見えただけで、敵は恐れ、味方の士気は上がる」
ロゼの表情が少し変わる。
「赤は覚悟の色だ。情けない姿は見せられない。逃げる背中も晒せない。だから纏う者は、強くなければならない」
「……なるほど」
ロゼは外套を見下ろし、小さく息を吐いた。
「気が引き締まるっすね」
「だからこそ、あいつらにはまだ早い」
俺はため息をついた。
「力も足りない。規律も足りない。何より、背負うものを分かっていない」
「へぇ……隊長ほどの人が悩むのは意外っす」
「俺をなんだと思ってるんだ……俺だって悩むさ。戦場で敵を斬るより、部下を育てる方が難しい」
「……少し分かるっす。自分も、人に教えるのは苦手なんで」
「君はまず、口調を直すところからだな」
「そこっすか!?」
そんな会話をしながら、俺たちは夕暮れの市場へ向かった。
◇
王都の市場は賑わっていた。
夕食の買い出しに来た者たちや、荷車を押す商人が行き交い、串焼きの煙や、焼きたてのパンの匂いが食欲をくすぐる。
だが、その賑わいの中に、どこか荒れた空気が混じっていた。
戦線が広がった影響で、難民が増えている。
商業届を出していない露店も目立つようになった。
王都は平和に見えて、少しずつ軋み始めている。
その時だった。
「どけ!」
怒号と悲鳴が響き、人混みを割って、一人の男が走り出した。
手には商人のものらしき革袋を持っている。
「強盗だ! 誰か捕まえてくれぇ!」
「私が追いかけるっす!」
「おい待てっ! 単独行動は控えろ!」
「犯人が逃げちゃうっすよ! 私なら追いつけるっす!」
ロゼが地を蹴る。身軽な動きだった。
露店の屋根に飛び乗り、布張りの天幕を蹴り、看板を足場にして男を追う。
俺もすぐに後を追った。
だが、人混みが邪魔だ。
「道を開けてくれ!」
叫びながら進む。
赤い外套が夕暮れに翻った。
◆
私は男を追い詰めた。
人気のない路地裏。
市場の喧騒は遠く、夕焼けの光も建物に遮られて薄暗い。
「くそがっ……!」
「そこまでっす」
行き止まりで、男に声をかける。
だが、男は振り返らなかった。
肩で息をしている。
革袋を握ったまま、背中を丸めている。
……様子がおかしい。
「……聞こえてるっすか?」
次の瞬間。
「っウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
男が咆哮した。
人の声ではなかった。
背中が膨れ上がる。骨が軋む音がする。服が裂け、腕が太くなり、爪が伸びる。口元が前へ突き出し、牙が剥き出しになる。
人狼。
「マジっすかっ……!」
驚きこそしたが、迷いはなかった。
私は即座に短剣を抜き、男に迫った。
先手を取る。化け切る前に仕留める。
地を蹴り、一気に懐へ潜り込む。
短剣を逆手に握り、腹へ突き刺した。
「よしっ……!」
確かな手応えがあった。
だが。
「浅かった……!?」
人狼は少しよろけただけだった。
倒れない。筋肉が刃を噛んでいる。短剣が抜けない。
しくじった……っ!
人狼の巨腕が振り上げられる。
鋭い爪が、夕闇の中で鈍く光った。
避けられない。
死ぬ。
そう思った瞬間。
甲高い金属音が、路地裏に響いた。
振り下ろされた爪を、片刃の長剣が受け止めていた。
赤い外套が、視界を覆う。
「隊長……!」
ケイン隊長が、そこにいた。
「ロゼ、単独行動は、褒められたことじゃない」
隊長は人狼の腕を押し返しながら、静かに言った。
「だが、よくぞ犯人をこの場に押し留めた」
隊長は片刃の長剣を構え直す。
赤い外套が、夕闇に燃えるように揺れた。
「後は任せておけ」




