表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

file5 赤き外套

 採用試験を終えた練兵場には、五十人ほどの志願者が残っていた。

 最初に集まっていた人数からすれば、半分以下だが、それでも俺が想定していたよりも大分残ったな。

 荒くれ者、傭兵崩れ、腕自慢、食い詰め者。

 揃いも揃って、軍の規律とは縁遠い顔をしている。

 だが、こいつらは逃げなかった。

 殴られ、転がされ、血反吐を吐かされ、それでも最後まで残った。

 ならば、ここから先は俺の責任だ。


「お前たちは今日から、自由気ままな身分ではなくなる。黒鷲隊第三隊の正式な隊員だ」


 ざわり、と空気が動いた。


「肝に銘じておけ。俺たちは喧嘩屋ではない。暴れたいだけの連中でもない。王都を守るために、集められた部隊だ」


 俺は一人一人の顔を見た。


「王都には、兵士だけがいるわけじゃない。商人がいる。職人がいる。老人がいる。子供がいる。戦えない者たちがいる。俺たちが守るのは、そういう者たちだ」


 訳が分からなそうな顔をする者もいる。

 だが、目を逸らす者はいなかった。


「強さとは、好き勝手に振るうものじゃない。守るために抑えるものだ。ここに残った以上、お前たちにはそれを覚えてもらう」


 その時だった。練兵場の入口に、黒い影が差した。

 全員の視線がそちらへ向かう。

 そこに立っていたのは、アリージャ公爵だった。

 ただし、いつもの貴族然とした装いではない。

 黒を基調とした軍服に似た装い。

 肩には金糸で鷲の翼を模した刺繍。胸元にも銀色の飾緒が走り、腰には細身の剣。長い外套はアリージャ公を象徴する灰色に染められている。

 派手ではない。

 だが、威圧感があった。


「黒鷲隊総隊長、アリージャ=グレイローズだ」


 その声だけで、元傭兵たちの背筋がわずかに伸びた。


「諸君らの経歴は問わない。過去に何をしてきたかも、今この場では問わない」


 アリージャ公爵は静かに告げる。


「だが、これから先、王都の民に手を出す者は許さない。味方を侮る者も、命令を軽んじる者も、私の隊には不要だ」


 冷たい声だった。誰かの息を呑む音が聞こえる。


「同時に、諸君らは今日から同志だ。王都を守るという、同じ使命を持つ者たちだ。出自も身分も関係ない。役目を果たす限り、私は諸君らを黒鷲隊の一員として扱う」


 ざわめきは起きなかった。

 誰もが黙っていた。

 だからこそ、その言葉が届いたのだと分かった。

 やがてアリージャ公爵は俺の隣まで歩いてきた。


「余計なお世話だったか?」

「いえ。助かりました」


 俺は素直に頭を下げた。


「大貴族であるアリージャ様の言葉は、ただの軍人に過ぎない俺の言葉より、彼らには響きます」

「ただの軍人、か」


 アリージャ公爵は少しだけ目を細めた。


「君がそう言うなら、そういうことにしておこう」


 去り際、アリージャ公爵は俺に包みを手渡した。


「隊長用の制服だ。隊員用の分も用意してある。それと、隊の色を決めておけ」

「隊の色、ですか?」

「外套の色だ。隊ごとに変える。君の第三隊は、何色にする?」


 答えは決まっていた。


「赤でお願いします」


 アリージャ公爵は、やはりな、という顔で頷いた。


「……だろうな」


 翌日。

 俺の元には、赤い外套が届いていた。

 驚くほど早い。

 黒の軍服に袖を通し、銀の留め具を締める。そして最後に、赤い外套を肩へ掛けた。

 鏡に映った自分を見る。

 赤色外套。

 東部戦線で、俺が率いた部隊。泥と血と雨の中で、それでも赤だけは戦場に映えた。


「……あいつらには、まだ着せられないな」


 その日の訓練は、散々だった。

 号令に遅れる。隊列は乱れる。集中力は続かない。

 腕に覚えがある者ほど、基礎を馬鹿にする。

 路上や酒場での喧嘩は強いかもしれない。

 だが、兵士としては未熟すぎる。

 ならず者を規律正しい警備兵にする。

 言葉にすれば簡単だが、現実はそう甘くない。


「まぁ……地道に、やっていくしかないよな」


 訓練終わり。

 気晴らしと巡察を兼ねて、制服のまま王都へ出ようとした時だった。


「隊長! 自分も同行していいっすか?」

「ああ、いいぞ。ちょうどいい」


 訓練も物足りない様子だったロゼが、同行を申し出てきた。


「君にも渡しておく」


 俺は予備の赤い外套を差し出す。

 ロゼはそれを受け取ると、まじまじと見つめた。


「これが噂の……赤色外套っすか」

「第三隊用だ」

「結構派手っすね」

「派手でいいんだよ」


 俺が歩き出すと、ロゼも横に並んだ。


「隊長は、なんで赤にこだわるんすか?」


 ロゼからそんな疑問が飛んでくる。

 『原点だから』と答えようとして、辞めた。

 俺の生まれた家の色。俺がただのケインではなく、戦場で部下を率つ者になった始まり。

 あの赤を纏っていたから、一歩を踏み出せた日がある。

 だが、それを口にするのは少し照れくさかった。


「好きな色だからだ。それに、赤は戦場で映える」

「目立つのは危なくないっすか?」

「普通はな」


 俺は外套の端を握った。


「だが、本当に強い者たちなら違う。その色が見えただけで、敵は恐れ、味方の士気は上がる」


 ロゼの表情が少し変わる。


「赤は覚悟の色だ。情けない姿は見せられない。逃げる背中も晒せない。だから纏う者は、強くなければならない」

「……なるほど」


 ロゼは外套を見下ろし、小さく息を吐いた。


「気が引き締まるっすね」

「だからこそ、あいつらにはまだ早い」


 俺はため息をついた。


「力も足りない。規律も足りない。何より、背負うものを分かっていない」

「へぇ……隊長ほどの人が悩むのは意外っす」

「俺をなんだと思ってるんだ……俺だって悩むさ。戦場で敵を斬るより、部下を育てる方が難しい」

「……少し分かるっす。自分も、人に教えるのは苦手なんで」

「君はまず、口調を直すところからだな」

「そこっすか!?」


 そんな会話をしながら、俺たちは夕暮れの市場へ向かった。



 王都の市場は賑わっていた。

 夕食の買い出しに来た者たちや、荷車を押す商人が行き交い、串焼きの煙や、焼きたてのパンの匂いが食欲をくすぐる。

 だが、その賑わいの中に、どこか荒れた空気が混じっていた。

 戦線が広がった影響で、難民が増えている。

 商業届を出していない露店も目立つようになった。

 王都は平和に見えて、少しずつ軋み始めている。

 その時だった。


「どけ!」


 怒号と悲鳴が響き、人混みを割って、一人の男が走り出した。

 手には商人のものらしき革袋を持っている。


「強盗だ! 誰か捕まえてくれぇ!」

「私が追いかけるっす!」

「おい待てっ! 単独行動は控えろ!」

「犯人が逃げちゃうっすよ! 私なら追いつけるっす!」


 ロゼが地を蹴る。身軽な動きだった。

 露店の屋根に飛び乗り、布張りの天幕を蹴り、看板を足場にして男を追う。

 俺もすぐに後を追った。

 だが、人混みが邪魔だ。


「道を開けてくれ!」


 叫びながら進む。

 赤い外套が夕暮れに翻った。



 私は男を追い詰めた。

 人気のない路地裏。

 市場の喧騒は遠く、夕焼けの光も建物に遮られて薄暗い。


「くそがっ……!」

「そこまでっす」


 行き止まりで、男に声をかける。

 だが、男は振り返らなかった。

 肩で息をしている。

 革袋を握ったまま、背中を丸めている。

 ……様子がおかしい。


「……聞こえてるっすか?」


 次の瞬間。


「っウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 男が咆哮した。

 人の声ではなかった。

 背中が膨れ上がる。骨が軋む音がする。服が裂け、腕が太くなり、爪が伸びる。口元が前へ突き出し、牙が剥き出しになる。

 人狼ライカンスロープ


「マジっすかっ……!」


 驚きこそしたが、迷いはなかった。

 私は即座に短剣を抜き、男に迫った。

 先手を取る。化け切る前に仕留める。

 地を蹴り、一気に懐へ潜り込む。

 短剣を逆手に握り、腹へ突き刺した。


「よしっ……!」


 確かな手応えがあった。

 だが。


「浅かった……!?」


 人狼は少しよろけただけだった。

 倒れない。筋肉が刃を噛んでいる。短剣が抜けない。

 しくじった……っ!

 人狼の巨腕が振り上げられる。

 鋭い爪が、夕闇の中で鈍く光った。

 避けられない。


 死ぬ。


 そう思った瞬間。

 甲高い金属音が、路地裏に響いた。

 振り下ろされた爪を、片刃の長剣が受け止めていた。

 赤い外套が、視界を覆う。


「隊長……!」


 ケイン隊長が、そこにいた。


「ロゼ、単独行動は、褒められたことじゃない」


 隊長は人狼の腕を押し返しながら、静かに言った。


「だが、よくぞ犯人をこの場に押し留めた」


 隊長は片刃の長剣を構え直す。

 赤い外套が、夕闇に燃えるように揺れた。


「後は任せておけ」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ