file3 再会ーーかつての約束
殿下が開いた晩餐会に招待され、過分なもてなしを受けた後のこと。酔いを醒ますために歩いていると、いつの間にか王城の中庭へと辿り着いていた。
気持ちのいい風が吹き抜ける。
王都の夜風は、東部のそれよりも幾分か柔らかい。
「……ケインさん」
聞き覚えのある声に、足が止まる。
振り返れば、そこには月明かりに照らされた月の女神……ではなく、ルーナが立っていた。
月光を溶かしたような金髪が、窓から差し込む灯りを受けて淡く揺れている。
先刻も少し会ったがやっぱり、記憶の中の彼女より、ずっと綺麗になっていた。
「……あー、その、久しぶりだな、ルーナ」
「はい。お久しぶりですね。ケインさん」
丁寧な口調だが、その声色の奥には、昔と変わらない柔らかさがあった。
……なんというか、落ち着かない。
東部戦線で敵陣に突っ込む時より、よほど居心地が悪い。
彼女、ルーナ=アルテミスは、俺の元婚約者だ。
紆余曲折があったとはいえ、俺の家の事情に振り回されて、別れ方も綺麗とは言えなかった。
気まずくない訳がない。少し、視線を逸らしながら言葉を探す。
「……あー、何だ。その……」
言葉を探していると、ルーナが小さく笑った。
「ふふっ。そんなに困った顔をなさらなくても大丈夫ですよ?」
「してるか?」
「しています。ケインさんは昔から、誤魔化そうとすると目が泳ぎますから」
「……よく覚えているな」
「もちろんです」
即答だった。
その声音が妙に昔のままで、胸が少し痛む。
沈黙が落ちる。
だが、不思議と嫌な沈黙ではなかった。
むしろ――懐かしい。
かつて、何度も並んで歩いた時の空気に似ていた。
「……ケイン」
ふと、ルーナの口調が変わった。
敬語が消える。
「なんだよ」
気付けば、俺も昔の口調に戻っていた。
ルーナは少し嬉しそうに微笑む。
「少し、時間ある?」
「ああ。まあ、今は特に用事も無い」
「よかった!」
並んで歩く。廊下を抜け、中庭へと。
静かな夜だった。噴水の水音だけが、小さく響いている。
「東部戦線、凄かったみたいね」
「新聞か?」
「うん。何度も読んだわ」
何度も。
その言葉に、少しだけ胸が熱くなる。
「……大したもんじゃないさ」
「嘘ね。ケインは昔からそうやって誤魔化すんだから」
「事実だよ。周りが持ち上げてくれただけだ」
「もう、またそんな風に自分を軽く扱って……レグルス公にも、お伝えしてないの?」
ルーナが、気遣うように俺を見つめる。
痛いところを突かれてしまった。彼女の前では、虚勢も容易く見破られる。
「……俺がしたことは将校として当然のことだから、お祖父様にお伝えするまでもない」
「そんなことないわ。貴方は立派なことを成し遂げたのよ」
「……いや、お祖父様は俺のことなど、気にもしていないよ」
ルーナが励ましの言葉をかけてくれても、こればかりは簡単に一歩を踏み出せない。
……俺は、お祖父様が怖いのだ。
俺のお祖父様、クルガン=レグルスはかつての大戦で活躍した大将軍であり、レグルス公爵家の現当主である。
まだ父が存命だった頃は、厳しくも優しいお祖父様だったが、俺がまだ15歳の頃に父が亡くなってからは、周囲からも人が変わったと言われるほど、苛烈になってしまった。
父が亡くなり、再び当主となったお祖父様がまず最初にしたことは、俺を廃嫡にすることだった。
何が琴線に触れたのかは分からない。
だが、お祖父様は『お前に、この家を継がせない』とだけ言って、以降は同じ屋敷にいても言葉を交わすことはなかった。
……それからは2年ほど、お祖父様の顔色を伺い続ける生活が続いた。
結局、俺が何故お祖父様に、廃嫡を決断させるほど失望させてしまったのか、その理由はわからなかった。
そして、俺が18歳になったタイミングで、屋敷から飛び出して陸軍士官学校に入学してからというもの、5年は会っていない。
唯一、家を飛び出した時に残した書き置きと、士官学校を卒業した旨を伝える手紙は送ったが、返答も無かったし、それ以外は特にやりとりもしていない。
きっと、お祖父様は本当に、俺に興味がないのだろう。
「それに、もういいんだ。それこそ最初は、認められたいって思ってたけど、今は誰に見て貰えなくても、俺は俺でやれることを『私は!』……っ」
ルーナが俺の言葉を遮った。
「私は知っているわ」
青い瞳が、真っ直ぐこちらを見る。
「ケインが、誰より前に立つ人だって、誰かを守るためなら、自分が傷付くことを恐れない人だって」
参る。そんな風に言われると、調子が狂う。
「それにね」
ルーナは少しだけ視線を伏せ、柔らかく笑った。
「嬉しかったの」
「何がだ?」
「また、ケインと並び立てること」
その言葉に、俺は目を瞬かせた。
「黒鷲隊として?」
「うん」
ルーナは頷く。
「王都を守るために戦う。人を守るために剣を取り、弓を取る……それを、ケインと一緒に出来るのが嬉しい」
昔から、そうだった。
ルーナは誰かを救いたいと思う人だった。
だから、聖女なんて呼ばれているし、その行動が、生き方が、誰かの支えになっている。
俺なんかより余程、讃えられるに相応しい人だ。
「……そうか」
口から出たのは、それだけだった。
もっと何か言えた気がするが、上手く言葉にならない。
ルーナはそんな俺を見て、小さく笑った。
「ふふっ。ケインはやっぱり変わってないわね」
「ルーナもな」
「それ、褒めてる?」
「多分」
「なにそれ」
二人で笑う。
ほんの少しだけ。昔に戻れた気がした。
「……じゃあ、今日はこの辺で」
「ああ」
「お互い、頑張らなきゃね」
「当然だ」
ルーナは満足そうに頷き――そして、背を向けた。
そのまま去るのかと思った瞬間。
月明かりの下、彼女が振り返った。
茶目っ気のある笑みを浮かべながら。
「……あ、そうだ。お父様、婚約破棄の件、まだ受理してないから」
「…………は?」
「それだけは覚えておいてね?」
固まる俺を見て、ルーナはくすりと笑う。
そして今度こそ、軽やかに去って行った。
……いや待て、待ってくれ。
えっ……本当に?
◇
――はぁぁぁぁぁ……
私は廊下の角を曲がった瞬間、その場にしゃがみ込みそうになるのを必死に堪えた。
「ルーナ様」
後ろから、穏やかな声がした。
振り返れば、そこにはミレイユが立っていた。
銀灰色の髪を揺らしながら、いつもの落ち着いた笑みを浮かべている。
「頑張りましたね」
「うぅ……」
顔が熱い。
絶対に真っ赤だ。
「よく最後まで倒れませんでした」
「倒れる訳ないでしょ……!」
「でも、途中から耳まで真っ赤でしたよ?」
「ミレイユ!?」
この人、本当に容赦が無い。普段は従者として私を支えてくれているけど、この手の話になると昔からすぐに首を突っ込んでくる。
ミレイユは楽しそうに微笑む。
「仕方ありませんよ。ルーナ様、ケイン様のことになると昔から分かりやすいですし」
「そ、そんなこと……」
「新聞も、毎回切り抜いて保管していましたものね」
「なっ――!?」
「東部戦線の英雄、赤色外套、若き将校、記事が出るたびに食い入るように読んでおられました」
「やめてぇぇぇ……!」
穴があったら入りたい。
ミレイユは口元を隠しながら笑っている。
絶対楽しんでる……!
「ですが、最後の一言は特に良かったですよ」
「……最後?」
「“婚約破棄、まだ受理してませんから”です」
「うぅ……勢いで言っちゃったの……」
「男心はかなり掴めたと思います」
「ほんとに……?」
「ええ。あれは効きます」
断言された。ミレイユはどこでそんな知識を仕入れてくるのだろう。
「ルーナ様がご主人様を必死に説得された甲斐がありましたね」
「なっ! あの件はお父様だって、既にお考えになっていたことだから!」
「はて、そうでしたか?」
「まったく……」
私は額を押さえる。昔からそうだ。
ミレイユは私の従者なのに、時々姉みたいになる。
しかも妙な方向で世話焼きだ。
「でも」
ミレイユは少しだけ優しい声になる。
「本当に、良かったですね」
「……」
「また、隣に立てて」
その言葉に、私はそっと胸元を押さえた。
……うん。本当に嬉しかった。
前よりも少し自信を無くしてはいたけれど、あの人が、ちゃんと前を向いていてくれて。
また同じ場所で戦えることが。
何より……
「……頑張らなきゃね」
小さく呟く。
するとミレイユは、どこか満足そうに頷いたのだった。




