9.鳴き声(めちゃくちゃ)
最弱と呼ばれる小型魔獣の最も厄介な点は二つ。
数の多さと素早さだ。
こちらを包囲しているのは犬か狼に似た猛獣の群れ。その総数はざっと十体前後。前世は『番犬』と『駿馬』が半々で、カウンターや追撃など手数の多さが怖い組み合わせだ。数体を強引に倒して囲みを突破するのも厳しいくらいの戦力差があった。
そして普通に逃げただけでは追い付かれる。
消耗した俺とレナは背後から一撃でも攻撃されればそこから一気に崩され、そのまま死亡するだろう。
「全員、とりあえず家の中に退避!」
即座に反応したアネットがまず牽制の一射を放ちながら走り出す。
俺はまだのろのろと動けないままのレナに突進し、そのまま盾を前に構えて突き出した。戦士のスキル『シールドバッシュ』には突き飛ばし効果があり、対象を強制的に移動させることができる。
俺とレナのステータス差が大きいことが幸いし、レナへのダメージは軽微で済んだ。吹き飛ばされたレナが入口に押し込まれ、続いて俺が中へと雪崩れ込む。
がちん、と獣の顎が虚空を噛み砕く音がした。
背中を掠める死の気配。
俺の頭部の真横を矢が掠め、きゃんきゃんという犬の鳴き声が遠ざかる。
「アネット、助かった!」
「レイにいドア閉めて! わたしは窓を監視するから!」
まだ安心できる状況ではない。
二人で即座に態勢を立て直しながら、家屋の外壁がどのくらい持ちこたえてくれるかを考える。煉瓦の家は木造家屋よりも強靭だから小型魔獣の攻撃をそこそこ防いでくれるはずだ。しかし十体もの魔獣が絶え間なく攻めてきたらそう長くはもたないだろう。家の耐久値が尽きる前に作戦を練り上げ、実行しなければならない。
こういうとき、頼りになるのはなんだかんだでレナだ。
ところがレナは、床にぺたんと座ったままなにやら思案していた。
「おかしいよ、レイくん。群れに一体だけ赤黒い個体いたでしょ? 中ボスの取り巻きのエリート級だよ。あれは遺跡に二体しかいない固定の敵のはず。外に出てきてるってことは、オープンワールド化してる? ゲームがひとつの世界、モブも独立した知性を持つなら、全部のイベントがリアルタイムで進行してるって考えるべき?」
「考察は後だ! 椅子とか箪笥とか動かして扉塞ぐぞ! バリケード作れ!」
強引にレナの手を引くとめちゃくちゃな抵抗感。重すぎる。
インベントリを整理させるべく小物入れに手を突っ込み、中にある重いアイテムを引っ張り出した。途端、次々に出てくる長方形の箱状オブジェクト。
棺だった。おそらく、中にはご遺体が入っているのだろう。
まあまあ罰当たりな気がするが、ちょうどいいので扉の前に積み上げて入り口を封鎖。割れ窓から魔獣が飛び込んで来ようとするのをアネットが撃退。
俺も防衛に参加すべく、インベントリから適切な装備を引っ張り出した。
俺たちは長柄武器の『ピッチフォーク』と『大鎌』を所持している。それぞれ戦士と死霊術士の得意武器で、民家から盗んだ農具だった。
槍に分類される農具で窓から侵入しようとする魔獣を突っついて牽制していく。さすがに大鎌を振るうのは無理だが、こういうときに長物は便利だ。
ひとまず防衛態勢が整った。これまた盗品の薬でレナと俺の体力を回復させることでようやく一息。とはいえまだ予断を許さない状況だ。ここから戦況を好転させることができなければ俺たちはまとめて魔獣の餌になってしまう。
「とりあえず家主の、ハンスさんだっけ、起こしてやんないと」
「あ、ごめん。念のために眠り薬を飲ませてるからしばらく起きないと思う。攻撃すればいいんだけど、睡眠状態って被ダメ上昇しちゃうから事故るかも」
「レナ、お前ほんとさあ」
道理でこの状況でもぐっすりだと思ったよ。
もうアホがアホなのは仕方ないとして、さっきこのアホはアホなりに気になる話をしていた。魔獣の群れに、一体だけ赤黒い特別な個体がいるという部分だ。
「レナ、群れにアルファは一体だけか?」
「うん。オスメスどっちかわかんないけど、奥の方にいた。どっちにしろアルファを仕留めないと『遠吠え』で増援を呼ばれちゃうよ」
小型魔獣は基本的に無尽蔵の数で攻めてくるのが特徴だ。
群れのリーダーであるアルファを倒さない限り、幾らでもザコ敵が再湧出してしまう。戦闘で得られる経験値やスキル使用で蓄積される熟練度は増援を倒しても獲得できないため、レベル上げにも使えない。
レナはこういう『不味い』敵が大嫌いだった。露骨に機嫌が悪そうだ。
「厳密には『召喚』スキル扱いだから無から湧いてるんだよね。私がスケルトンとか使役できれば楽に対処できるんだけど、どうしようか。発生したての魂をリソースにするから、墓から手に入れた遺体だけだとまだ使役できなくて困るなあ」
レナがちらりと寝台で眠り続ける家主に視線を送ったのを察知したのか、アネットは振り向かないまま冷え冷えとした声で釘を刺した。
「また人殺しとか遺体泥棒とかの正当化? もっかいびいびい泣く?」
「は? この間合いなら私の剣の方が速いけど?」
「慢心して完敗した人がなんかいっしょうけんめい強がってる。レイにい、泣きそうなコがいるからよしよししてあげて」
「かっちーん。レイくん、ちょっとそいつわからせるから邪魔しないでね。あとよしよしとかいらないから。そういうの必要なお子様は体型的にそっちじゃんね」
「むかっ。口で擬音とか幼児性ヤバ。レイにい、やっぱよしよしはなし。甘やかすより叱るべき。ほら、ぺんぺんするからそのおっきなお尻出して?」
「うにゃー!」
「がるるるる!」
なにこいつら、めちゃめちゃ険悪じゃん。
ただ同じ空間にいるだけなのに凄い勢いで喧嘩を始めてしまった。
現在の優先目標は魔獣の群れのリーダーであるアルファを倒すこと。
そのために、アルファを守る複数体の雑魚敵を排除する必要がある。
「お~い、喧嘩してる場合じゃないぞ~。外から魔獣が押し寄せてきてるんだぞ~。夜だからかもしんないけど、衛兵が来てくれる気配もゼロだぞ~危機感もて~」
「ふしゃー!」
「わんわん!」
ダメだ。もう人語すら発していない。いやこれは俺のイメージ音声であり、実際にはもっと陰険で聞くに堪えない罵声と嫌味の応酬が繰り広げられているのだが、ちょっとコワすぎるので可愛くしてみた。
わんにゃんファイトだと思えば気が休まらないか?
休まらないな。
俺、疲れてきてるのかも。
しかしどうしたものか。今は絶体絶命のピンチ。力を合わせて乗り越えるべきなんだが、これでは満足に作戦も立てられない。
レナと周囲の関係性が悪化したり評判が悪くなるのも望ましくない。ただでさえ死者の陣営との関係が深く、疑いを持たれやすいネクロマンサーの資質持ち。
(別の村で魔女狩りイベントとかあったしなあ。有力者の娘とはいえ、村人とはやっぱ仲良くしとくべきなんだよな。なんとかアネットの信頼度上げられないかな)
その上、襲撃してきている魔獣の群れの標的はおそらくレナだ。
どうやって察知したのかは不明だが、レナが本来のシナリオより早く死霊術を習得しようとしているのを阻止しにきたのだろう。
死者の陣営と創造の陣営は別勢力だが、それぞれに別の理由でレナをつけ狙っている。そして創造の陣営に属する魔獣たちの狙いはシンプル。
すなわちレナの排除。
おそらくネクロマンサーに覚醒する前に仕留めようとするはずだ。
この襲撃に死者の陣営が関与していないなら、密かにレナだけを守って精神的に追い込みつつ覚醒を促す、という配慮の行き届いた演出はしてくれないだろう。
既にゲームとは違う流れになっている。
最悪の場合、レナでさえ生き残れない可能性があった。
「よし、俺が窓で追い払い係やるから、二人ともちょっと向かい合え」
|可愛いわんにゃんファイト《聞くに堪えない罵詈雑言》に割って入り、有無を言わさず命令する。
レナとアネットは噛み合わない。
本来の俺がレナと噛み合わないように。
なので無理矢理にでも噛み合ってもらう。
「プレゼント交換だ。今から手持ちのアイテム贈り合ってめちゃめちゃお互いの信頼度を上げろ。精神的な反発はそれである程度は収まる」
理屈としてはこれで上手くいくはずだった。
何故なら俺が身をもってそれを証明している。
いくら俺とレナが切っても切れない腐れ縁とはいっても、決してその関係性が良好であり続けたわけではない。喧嘩もしたし疎遠になった時期もあったし顔も見たくないほど憎んだこともあった。顔を見ると吐きそうになるから会いたくないあまりに学校サボったり話しかけられても無視したりなんてこともお互いさまだ。
さっきまでの『プレイスタイルの断絶』はそれに匹敵するほどの亀裂を俺たちの間に作り出したと思う。
それなのに、俺はレナから離れられないままだ。
冷却期間も置かずに『スリデート』だの『矢から身を挺してかばう』だの、俺の行動としてはあまりにもらしくない。
俺はそこまでレナのことが好きじゃないはずだ。
幼馴染同士の絆とか愛情とか友情とかそんなものに幻想を抱いて崇めるのはどっかのアホだけで、俺は違う。そんなものは虚構の中にしかない。
つまり俺のこの感情と衝動は全てゲーム由来の『信頼度』に洗脳された結果でしかない。これを利用すれば、不仲はシステム的に解決可能。
これこそがゲーム的に正しい攻略法だ。
「にゃあにゃあ!」
「わんわん!」
「あーあーうるせえお前らの言葉は雑音にしか聞こえねえ。オラッ、さっさと持ってるもん出して贈り合え! ほーら仲良し仲良し、こら引っ掻くな! レナ、お前がアネットにあ~んするんだよ! アネットも『レナおじょうさま』を『おねえさま』に変えろ! DLC衣装のメイド服を適用して文脈を付与してやる!」
我ながらよくこれだけのマルチタスクを処理できたものだと感心する。
迫り来る魔獣を捌き、抵抗する女子ふたりを強引にくっつけ、ついでに聞きたくないノイズを脳内で動物ボイスに変換する。脳が忙し過ぎてハイになってきた。
だがこのくらいでちょうどいい。
ゲームと現実とか、善とか悪とか、メリットとデメリットとか、ごちゃごちゃした問題を丁寧に解決できるような繊細さも賢明さも俺にはないのだから。
正しさに縋るのは無能だから。
勢いとごまかし、身を削ることでしか何かを為すことができないから、せめてマイナスを生まないように正しくないことを避けているだけ。
正しさや善良さは普段なら何の価値も生まない。
利害を均し、ゼロへと近づけるための指針でしかないからだ。
それに対して悪とは利益を独占し、他者の被害を顧みない独善だ。
「二人とも、落ち着いたら話を聞け。お前らの意見と姿勢はわかった。その上で、いまは非常時で余裕がないってのを踏まえた提案がしたい」
レナが俺に求めているのは共に『悪いこと』をして、そんな彼女の在り方を許容することなんだと思う。レナにとって俺が無価値なら、そんなものを近くに置いておく意味はない。しょせんは役を演じるための駒だ。失点を恐れて彼女の役に立てなかった俺が信頼されなかったのは当たり前で、だからこそ俺は人を殺すという重大な決断の際にも置き去りにされた。
だがいま、アネットと対立するレナのために必要なのは正しさだ。
レナが目指すレイ生存ルートというのは村が全滅しないルートであり、最善の結果なら村の仲間たちも汎用ユニットとして仲間にすることができる。
本当なら村人から奪うのではなく、共に協力し合う道が理想のはずだ。
それが叶わないとしても、孤立無援で戦い続けるのは無謀だ。
アネットをはじめとする仲間がレナには必要だった。
複数人の利害を調整して可能な限り幸福量を最大化するために、レナには妥協して一定のリスクを容認してもらう必要がある。
俺にとっては『レナレイ』のロールプレイよりも、レナの命の方が大事だから。
嫌いで噛み合わない女でも、放置して死なれるのは面倒だ。
「俺はやっぱりネクロマンサーのスキルが必要だと思う。簡単なスケルトン召喚だけでも囮になる。敵の数が多いこの状況だと、こっちにも頭数が必要だ。死体の利用とか発生した魂をリソースにすることが戦力向上に繋がるならやるべきだ」
「レイにい、そんなのって」
アネットの批難がましいまなざしを無視して、俺はレナを見た。
こちらを向いた視線が、どうしてか怯えているような気がした。
構わない。やることは変わらない。
「レナ、俺を殺せ」
「やだ」
「言うと思った。じゃあ代案出すから納得しろ。あれもこれも嫌じゃ通らない」
感情論では問題は解決しない。
俺も同じ過ちを犯していた。レナを正しさで否定するだけでは意味がない。
正しさは必要だが、レナを救えない正しさなんてクソだ。
ならどこかでバランスをとってやる必要がある。俺は帳尻を合わせればいい。
「俺が殺すよ。必要なんだろ。なら死霊術は俺が習得する。本を使うのはレナである必要はない。死霊術士のスキル威力ってHPで効果拡大するタイプのが多いから魔力はあんまり関係ない。戦士の俺でも火力が出せるはずだ」
空気が凍り付く。それだけのことを言った自覚はあった。
アネットから敵視されるのは覚悟の上。
だが、この狭い家屋の中でなら問題ない。
既に俺は部屋の端まで届く槍を装備しているからだ。
「レナが殺人の罪を犯す必要なんてない。本をよこせ。俺がやってやるよ。アネット、終わったら俺を衛兵に突き出せ。望むなら仇として殺せ」
それでこの窮地を脱することができる。
その後のことはその時に考えてもらえばいい。レナなら上手くやるだろうし、本編の正規ルート寄りの流れに合流できれば最高レアのネクロマンサーになれる。死霊と化した俺を活用して生き延びることもできるはずだ。
妙案だと思ったのだが、なぜかレナは猛反発しはじめた。
「だめっ! そんなの絶対にやだ! やだやだやだっ! 本は私が使うよ! レイくんはそんなことしなくていいの! 悪いやつは私だけなんだから。レイくんはずっといい子でいないとだめだよ!」
もう『レナレイ』とかロールプレイとかに拘っていられる状況じゃないってまだわかってないのかこのアホは。
レナが求めるレイ生存ルートも、俺が求める倫理的な正しさも、余裕があるからこそ口にできる理想でしかない。現実がどうしようもないなら、次善策を考えて実行するしかないとなぜわからないのだろう。
「一緒に犯罪やってほしいのかやってほしくないのかわかんないやつだな。スリデートは喜んでただろ。ほら盗品の本よこせ」
「人を殺すのは別だよぅ! スリデートはだって、やり直しっていうか、あのときにレイくんが一緒にやってくれなかったのが悪いんじゃん! だめっあげない!」
支離滅裂だ。
本を奪わせまいと必死になるレナに近づこうとすると、呆れたような視線を感じた。アネットがジト目で俺を睨んでいる。
「レイにい、なんかレナおじょうさまとは別の方向性で相手のためならなんでもしちゃうんだね。外向きか内向きかの違いみたいな。似たもの同士?」
「レナなんかのためになんでもするわけないしぜんぜん似てない。それより邪魔すんなよアネット。お前には悪いけど、やっぱ味方してやれない。俺は殺して死んでもいいがレナに殺して欲しくないし死んで欲しくない」
「やば、レイにいが人語を喋ってない。謎の珍獣の鳴き声だこれ」
わんわん女が何か支離滅裂なことを言ってるな。
他人に理解されようとは思わなかった。
やるべきことなんてどうせ最初から決まっているんだから。
俺が妄言を吐き散らしているわけではないと理解したのか、アネットは深々と溜息を吐いた。もう迷っている時間はあまりない。あらゆる方向からの攻撃で、建物が軋んでいるのがわかった。
「わたしの考えは変わらないよ。ハンスじいじを守る。でも、ネクロマンサーの力が必要っていうのは同意する。墓荒らしまでなら条件付きで許してあげる」
「折り合えるのはそこまでか。じゃあ二人でレナを拘束して、お前が俺を殺して本でネクロマンサーのスキルを習得ってのはどうだ? 譲歩できるか?」
「その自己犠牲で気持ちよくなってる感じ、きもい。ピントのずれた役に立つアピールとかいちばんいらないと思う。どっちもすごいばか。放置しておくと二人で暴走して勝手に自滅しそう。めいわく。これ、わたしが見張らなきゃだめ?」
うんざりしたような表情で俺たちを交互に見ていたアネットは、腰に手を当てて小さな子供を叱りつけるような口調になった。こいつは年下に見えるのだが。
「いちばんいい方法を教えてあげる。わたしは狩人だから、命を奪うなら狩りの中と決めているの。殺すのは獲物だけ。そして獲物だって、山の中ではひとしく尊く懸命に生きている魂なんだよ」
「何の話だよそれ?」
「弓とか槍でここから魔獣を殺せば?」
「あっ」
まだレベルが低いのと魔獣が強敵だという前提が意識に刷り込まれていたので、知らないうちに『寝ている一般人の殺害』という安易な方向に流されていたことに気付いた。考えてもみれば、ゲームでは倒した敵の魂を利用するのがむしろ王道のネクロマンサーという職業のイメージだ。
「それからもうひとつ。なんで本を奪い合ってるの? 二人で読めば?」
「いやでも、消耗品なんだし」
スキル習得アイテムとしての当たり前の性質について説明したつもりだったのだが、アネットは意味不明な冗談を聞かされたような顔でこう返してきた。
「なんで本が消耗するの? 読んだら紙がすり減るの? インクが消えるの? 何度でも、誰でも読めて知識を共有できるのが本じゃないの?」
思わずレナと顔を見合わせてしまった。
「何だって?」
まさか、この世界の本って。
本だったのか?!




