7.倫理観バグフィックス
このゲームには路上演奏によっておひねりを貰う金策がある。
基本操作はちょっとしたミニゲーム形式。
成功すれば演奏スキルが上達し、戦闘や幾つかのイベントを有利に進められるという特典まで付いてくる。
いや、こんな序盤で路上演奏できるなんて知らなかったけど。
普通、音楽家のNPCに関連するイベントを経由するもんじゃないのか?
「盗んだ楽器で稼ぐとかどうなんだ」
「そ~ゆ~のい~から、レイくんもおいでおいで」
セットで付いてきた椅子に腰かけながら、レナがくいくいと手招きする。
巨大楽器の前に立つと、ぱっと見の印象とは細部が異なることがわかる。
というかこのオブジェクト、実際にはパイプオルガンっぽい見た目の電子ピアノなのである。確かにゲーム内のミニゲームで本格派のパイプオルガン演奏を要求されても困るのでこれでいいのだが。
ゲームと現実が重なり合う。レナが鍵盤を叩いて音を出す一方、鍵盤の上に浮かぶ煌びやかなビジョンに触れることでも音楽を奏でることが可能だった。
リズムやメロディと同期したカラフルなアイコン《ノーツ》にタイミングよく触れたり長押しして話したり左右にフリックしたりする、音ゲー特有の操作方法。
「レイくん、まだピアノの弾き方おぼえてる? 自信なかったら上でぽちぽちしててもいいよ? あ、でもリズムゲーム苦手だっけ?」
「どうだろうな。あんまり記憶ない」
小さい頃のピアノ教室を思い出す。水泳と並んで、ふたり揃ってあまり続かなかった習い事のひとつだ。
それでも楽しい思い出ではあった。
あるいは、隣のレナが楽しそうにしているからそう思うだけだろうか。
かつてのように並んで鍵盤を叩こうとしても、指が自然と動き出す、なんてことはまるでなかった。せいぜいがレナにフォローされながら『きらきら星』と『ねこふんじゃった』をどうにかやり遂げるのが精いっぱいだ。
連弾というよりゲーセンで二人して音ゲーを遊ぶような感覚。
今も昔も、俺にとっては不得意分野だ。さんざん笑われた記憶が蘇る。
転生してからも俺のリズム感のなさは似たようなものだった。
ひとしきり俺の醜態を眺めてにこにこしていたレナはマニュアル演奏に飽きたのかモードを切り替えて、プリセットされた音源リストを指でなぞっていく。
「あ、私はこれ弾けるよ。レイくんは先にやめちゃったから知らないでしょ」
たまに、ゲーム音楽としてクラシックの名曲が採用されることがある。
レナが弾き始めたのはパッヘルベルの『カノン』。
複雑さのない、ゆったりとした曲調が静かな村の中に響いていく。
綺麗だな、くらいしか感想が浮かばない俺には音楽的な素養がなかったのだと思う。淀みなく動く幼馴染の指先に、俺の知らない時間が詰まっている。すぐそばの彼女が遠ざかっていくような寂しさを感じて、下らないことを口にした。
「上手いじゃん。続ければよかったのに」
「ん~」
結局、俺たちはどちらも音楽から遠ざかった。
親から与えられた愛情、文化素養、教育の機会。
そうした優しさの全てを厭わしく思うようになったことを、反抗期とか思春期とかいった言葉で括れていたらどれだけ幸せだっただろう。
優しい音からは、幸福な夢の響きが伝わってくる。
「なんか、寂しくなっちゃったから」
そう言って曖昧に笑うレナの声は、どこか弱々しい。
もしもの可能性を思い描く。
二人並んで音楽を続けていた、幸福な時代の延長線上にある未来。
楽しかった小学生時代を回顧したって、何も戻りはしないのに。
そこそこのおひねりを集めた後、俺たちはパイプオルガンを放置して堂々とその場を去っていった。俺もいい加減、感覚が麻痺しつつあるかもしれない。
「レナ、帰る前に教会に寄付してカルマ値の調整するぞ。マイナスになってるだろ」
「ねえ、移動の邪魔になりそうな家を燃やして住人を『物乞い』化させた後、私の家の前にまとめて住まわせちゃダメかな? まとめて施しすれば効率いいんだけど」
「俺が反対するってわかってて言ってるよな? つーか最悪過ぎてそんなテクがあること自体はじめて知ったよ」
発想が怖すぎるんだよこいつ。
いや最初に考案したのは名も知らぬ攻略勢なのかもしれないが、モラルに反したプレイングが容易にできること自体がまあまあ嫌だ。
そういったことに無頓着なレナはしばらく思案してから応える。
「ま、善行はまだいいや。下げ過ぎるとデメリットもあるけど、ある程度は低い方が強いスキルとかもあるし」
「そうだっけ? いや、盗賊はそうだけど、司祭は逆だろ?」
「ちょっと盗んだ本で習得したい悪系統のスキルが幾つかあるから。習得条件満たすために悪くなっておきたかったんだよね~」
そんなやりとりをして、反倫理的なデートを終わらせたのが夕方のこと。
激動の転生初日をやっと終わらせることができた。
そんなふうに一息つければどれだけ良かっただろう。
夜半。俺はレナの表情や言動に引っ掛かりを感じて外出していた。
まず向かったのは教会の近くにある共同墓地。
結果はもぬけの殻。文字通り『何もなかった』ことで状況を把握。
慌てて走り出し、村中を巡ってレナを探す。
嫌な疑念がどうしても拭えない。
(スリデートが、村の中を詳細に知るための『下見』だったとしたら?)
有力者の娘であり転生したばかりで記憶に混乱のあるレナにとって、情報収集が必要だったのだとしたら。その情報は何に使うためのものなのだろう。
日中のレナは単身者、特に社会的に孤立しがちな独居老人の家が狙い目だなどと邪悪なことを口にしていた。
価値観と倫理観の乖離、そして立場の断絶を彼女に感じたのは、何もこの世界に転生してからではない。
『そ~いえばさぁ、レイくんって私より先に選挙に行けるようになるんだよね。なんかふしぎ~』
くだらない話なら幾らでもしてきたが、真面目ぶった話をすることもたまにはあった。特に学校の先生からそういう話題を振られた時、何らかの議題に上がった時、あるいはニュースなどで小耳にはさんだ時など、レナはこういう話を振ってくる。
詳しい流れはもう忘れた。だが、致命的に食い違った部分ははっきり覚えている。
『リソースは有限じゃん。だったら必要なところにお金を回すしかなくない? 半端なやり方で割を食うのってけっきょく私たちだし、そうするしかないなら優先順位を決めて切り捨てないと何もできなくなるよね』
俺が縋りつく正しさや優しさ、善良さや誠実さなどに価値はなく、それだけでは何のプラスも生み出さないゴミだという認識はずっと変わらない。
だが、あの時のレナは俺に対して明らかにゼロではなくマイナスを見出していたように思う。俺は俺であることを譲らなかった結果、彼女に失望され続けてきた。
俺とレナの支持政党は異なる。
思想信条や政治的な立ち位置など年代や社会的階層、地位、性別や家族構成でいかようにでも変わる。内心以前の問題として、単純な利害対立でもあるからだ。
共に暮らす家族や親しい友人同士で立場が違うのは当たり前。
それを前提に回っているのが社会というものだ。
だがそれをはっきりと突きつけられた時、俺は何か形容しがたい居心地の悪さを感じた。そしてその事実が明らかになった以上、それは相手にとっても同じなのだ。
『レナの言うことも正しいとは思うけど』
『けど、何? てゆ~かこれ、平行線だし話しても意味なくない?』
見切りをつけられた、と理解した俺は二の句を継げなくなった。
それ以来、レナは明らかに俺に『話さなくてもいい話題』を振らなくなった。
自分のことについて何でも詳らかに明かす仲ではない。
黙ったまま行動を起こすことくらい、当たり前だ。
今回もきっと、俺に何も言わずにレナは決断するのだろう。
急げ、間に合えと念じながらしばらく探し、衛兵がいる東西南北の出入口から離れた辺りだろうと推測。教会と共同墓地から近く、それでいて孤立した家屋がないかをチェックしていく。運よく、俺はギリギリでその現場に踏み込むことができた。
「何やってんだ、レナ」
「え~、レイくん、これにも反対しちゃう感じ?」
「何やってんだって聞いてんだよ!」
さすがにこれは看過できないし、なあなあで済ませることはできなかった。
本物の怒りが湧き上がってくる。
レナは俺とは違う人格だ。価値観や倫理観が合わないことはもう仕方がない。
それでも、嫌なものは嫌だ。
俺はレナに人を殺してほしくない。
独居老人の家に不法侵入し、その命を奪おうとする幼馴染を見る。
絶対に止める。止めなければならない。
俺の意思を確認したレナは、抜き身の剣を手にしたまま眠り続ける老人に背を向けた。入口に立つ俺を見る目はひどく冷ややかだ。
「残しとく優先度の低いモブで育成してるだけだよ。死体と魂がドロップするでしょ? 私は星上げしないから。自力で死霊術のスキルを上げておこうと思って。メイン職業じゃないからコアスキルも排他的スキルも使えないけど、星五のときの劣化版くらいの性能は出せるんだよ。本をいっぱい集めればだけど」
盗賊以外でもスリを試みることができるように、鍵盤を正確に叩けば音楽を奏でることができるように、本職ではなくとも真似事はできる。更に『本』さえ使用すれば別の職業のスキルを習得することだって可能なのがこのゲームの世界だ。それは、レナの『死霊術士』も同じこと。
「せめて墓荒らしで満足しとけよ。いやそれもダメだけど」
「数が欲しいのと、そもそも『殺害』って行為が重要なの。ネクロマンサーの職業実績を解放するとボーナスあるから。本職じゃなくてもそこそこ火力出せるよ」
言いながらレナが取り出したのは教会から盗み出した写本の一冊。
確か、『死人の森の断章・写本Ⅰ』というアイテムで、『輪廻の陣営』と敵対する『死者の陣営』の聖典のひとつ。死霊術の秘密が記された禁書の写しだ。
「いいよね~この世界。書籍が丸ごと、フルサイズで最後まで読めるんだもん。ゲームだと長くても数ページ抜粋とかだったでしょ? でもこれはちゃんと実在する本なんだ。まだ途中だけど、続きの巻もあると思うと読むのが楽しみ」
本というアイテムは素質を持つキャラクターに本職以外の職業技能を習得させる効果を持っている。たとえレプリカでも死霊術の力を授ける効用は健在のようだ。
教会の地下禁書庫に封印されていた敵対陣営の聖典をこんな序盤で盗み出せるようにしないで欲しい。いや、実際には相当に高難度のはずなのだが、なんかあいつ解錠のために必要な知育パズルみたいなミニゲームと謎解きめっちゃ得意なんだよな。
「本来なら村が襲撃されてめちゃくちゃになった後、廃墟になった教会から手に入れるんだけどね。イベントシーンで共鳴して一気に覚醒って流れだと気付きにくいんだけど、しっかりアイテムとして教会に存在してるの、別ルートの演出としてけっこうしっかりしてると思わない?」
二人が生存するルートでも早い段階からレナに死霊術を習得させるなら、確かにこれは効率的で合理的な行動なのだろう。
緊急避難としてのスリを受け入れてしまった俺に、こんなことを言う資格があるとも思えない。それでも、ここで退いたらずっと後悔することだけは確かだ。
「もう一度言うぞ、レナ。理屈はいい。やめてくれ」
「理屈は大事だよ。感情だって理屈で納得させられるもん。それにレイくんだってさ、次の周回に入る前にNPCを一通り殺して回ったでしょ?」
「は? 何を言ってるんだよ、お前。冗談だろ?」
「いやこっちがびっくりなんだけど。引き継げるアイテム回収してから次の周回に入らない? 強制バッドエンド系はともかくさ、ハッピーエンドで平和なら自由行動できるから全世界巡って生き残り皆殺しにできるじゃん? え、みんなやるでしょ。死亡するときの台詞だって回収したいわけだし。心痛むけどごめ~んって」
ぞっとするような言葉だった。
せっかくハッピーエンドで終わったのに、その世界をめちゃくちゃにする?
そんなことができてしまう神経が、俺には理解できなかった。
レナは俺よりもずっとこのゲームの世界とキャラクターたちを愛しているのだとばかり思っていた。俺よりも大きな情熱を傾けているのだと。
なのに、いったいどうしてこんなひどい事を。
「みんながやるから俺もやる、とはならない。俺はやりたくないことはやらない」
「なんか私がおかしいみたいな顔してるけど、これに関してはレイくんのプレイスタイルの方がまあまあ珍しいからね? こだわりが強すぎだよ」
幼馴染の受け入れがたい一面に、強い嫌悪感を覚える。
胸がきりきりと痛む。悲しみと怒りが振り切れると、呼吸すら当たり前にできなくなることに気付いた。彼女の一部を嫌いだと思うことそれ自体が嫌だ。
自分がこんな性格をしていなければ良かったとすら思う。
苦しい。正しくないことへの嫌悪感なんて、最初から無ければよかったのに。
「レナ、頼むから」
腰の剣に手をかける。レナの目が細められた。
薄く張り付いたような笑顔から、凍てつくような声が響く。
「レイくん? 今なら許してあげる。喧嘩なんてしたくないよ、私」
「俺も同じ気持ちだよ」
決裂した。白刃が夜闇の中で輝く。
光源は窓と背後から降り注ぐ月光のみ。
照らされた二振りの刃だけが互いに意思を主張していた。
「どうしてもやるなら、俺を殺してからにしろ」
「や、やだっ! そんなことするわけないでしょ! まだお互いHP低いんだよっ、加減できないかもなんだから、お願いだからやめようよっ!」
緊迫した空気は一秒くらいで終わった。
レアリティとステータスの差がありすぎて俺に勝ち目なんてない。
だから可能性があるとすれば、レナの目的と性格に付け込むこと。
案の定、強気で押したらすぐにボロが出た。
やや情けないが、このまま近づいて制圧する。
そう考えて、一気に間合いを詰めようと踏み出したその時だった。
「え?」
俺とレナの胸元に突如として十字のマークが出現する。
痛みや異常は感じない。それなのに身の毛がよだつ感覚がした。銃を突きつけられているかのような緊張感。錯覚ではない。
まるで照準器を覗いた時のようなこの模様を、俺たちは知っている。
『標的』状態。
遠距離攻撃に対する回避率が低下する状態異常で、どんな状態異常耐性を有するボス相手でも必中という特性を持つ優れた『バステ数稼ぎ』のひとつ。狩人をはじめとする遠距離職業が序盤から習得可能なスキルの名でもある。
「動かないで」
仔犬のか細い鳴き声のような宣言だった。
それでも、静かな夜にあってその宣告は遠吠えのように響く。
ぎこちなく、少しずつ頭だけを動かして振り向いた。攻撃や移動を行わなければ反応しないという知識はあっても、かなりの精神力をすり減らす行為だった。
家屋に踏み込んだ俺の背後。
月光を背に、射手が矢を番えている。
「動いたら、射貫く」
やや離れた位置からこちらに狙いをつけている少女を俺は知っている。
昼間に雑貨店で出会った自警団の仲間たちのひとり、アネット。
職業は『狩人』で前世の魂は『番犬』。汎用立ち絵の黒髪ポニーテールを揺らしながら、無表情にこちらを睨み据えている。
ただ見ているだけではない。
番犬のスキル『監視』とその派生強化である『監視反撃』が発動していた。
近くの敵の行動に反応して先手を打つ優秀なカウンター技だが、その真価は遠距離射撃職と組み合わせた時に発揮される。
弓などを扱う職業と組み合わせることで広範囲にカウンターが可能になるのだ。
『番犬狩人』は序盤を安定化させる上で重要な、低ランクキャラでも戦力化させやすい鉄板構成と言われていた。実際、二周目以降にこの村を守り切ろうとするなら『番犬狩人』を運用するのが最も安定しやすい。
俺もレナもお世話になった頼もしい弓矢の狙いは、いまこちらに向けられている。
「レイにいと、レナおじょうさま。こんなところで悪だくみ?」
ゲーム内で聞いたことのない呼称。
俺たちがプレイしたことのない、この世界の現実を感じさせる距離の近さ。
アネットという少女が、『レイとレナの幼馴染』であることを俺は実感した。
遅れてやってくる同期したはずの記憶の追体験。
アネットという妹分の質感を、ようやく肌で理解する。
そして、アネットもまた決定的なギャップを認識しているようだった。
「ううん、違う。魂の、色。漢字の、名前」
この世界の住人は日本語や英語をはじめとした俺たちの世界の言語を読むことができる。魂に伝わる思念が言語を心に伝えているのだという。
だからアネットは身近な誰かの前世が戦国武将や科学史の偉人でも問題なく意思疎通ができるし、そういうものとして把握できる。
だが、それを受け入れられるかどうかは別の問題だ。
異質なものは反発しあう。
当たり前にあるもの。隣り合っていただけのもの。それらは決して同一ではない。
幼馴染であることは、無条件の許容を意味しない。
「流山令と、三島礼奈。あなたたち、誰?」




