32.最後の謎
多分、時間の猶予はあまり残っていない。
それでも勝算がないまま拙速に事を進めるのはあまりにも無謀だった。
今のレナは自暴自棄になっている。
六王としての力をどれだけ振るえるのかは未知数だが、最悪の場合はゲーム終盤のボスと同等の力を持っていることすら考えられた。
そうなったらもう、どうしようもない。
力に訴えるにせよ、説得を試みるにせよ、何らかの作戦が必要だ。
「みんな、悪いけどちょっと集まってくれないか」
俺とアネットは自宅から教会に移動して、まず最初に仲間たちを探した。
野戦病院さながらの様子になっていたその場所に、かつて感じた神聖で静謐な雰囲気はもはやない。ただ、神に捧げられる祈りは平時よりも遥かに切実だった。
「レイ、カマスがまだ目覚めてないんだが、寝かせといていいか?」
「ああ、きついの喰らってたからな。休ませといてくれ」
ニックと話しながら、必死に治療を行う人々の邪魔にならないように外に出る。
建物に収容しきれない人々がござや敷布の上で呻いているのを横目に見ながら、少し離れた場所へと移動する。
「このへんなら誰かに聞かれる心配もないか」
俺たちが足を止めたのは共同墓地で、レナのせいで今はそこらじゅうが空っぽだった。まだ運搬や安置まで手が回っていないが、じきにこの場所もまた遺体で一杯になるのだろう。本来、自警団はこういう時にも協力する必要がある。
だが今は仲間たちに頼みたいことがあった。
「というわけで、色々あってレナが六王として目覚めそうだ。阻止しないと世界が滅ぶかもしれない。手伝ってくれ」
目指すは山奥の遺跡。
おそらくレナとカイはそこに封じられた『冥府の門』の向こうにいるはずだ。
俺は必要最低限の説明に絞って、ニックたちに協力を要請した。
「あの世からレナを連れ戻す。めちゃめちゃ危険だと思うけど、俺はどうしてもレナを諦めたくない。頼む、ニックたちの力を貸して欲しい」
「任せろ」
あまりにもあっさりとした二つ返事だった。
悩む様子もなく了解してくれたニックたちの態度にやや面食らう。
「頼んでおいてあれだけど、無理はするなよ。熊よりヤバいからな」
「ここでビビる俺らじゃねえって。死ぬことを恐れてダチや村の仲間を見捨てるような奴は戦士じゃない。そうだろ?」
そう言ったムーダの表情に恐れはない。
六王の力の片鱗を間近で感じて吐いていたというのに、大した精神力だった。
俺はこの世界における戦士たちの矜持を甘く見ていたのかもしれない。
「みんな。本当にいいのか?」
「細かい事情とかお前らの前世の因縁とかは知らねえけどよ。今のお前はすっきりした顔してるから、まあ大丈夫だろ。単に好きな女を迎えに行くだけだ」
ニックが歯を見せて笑った。
こういう気持ちのいい所が本当に尊敬できる。
熊との死闘で生き残ってくれたニックが、無事に村に帰れるようにしなければならないと心から思う。彼が守った少女と共に、必ず幸せになってほしい。
「ありがとう。お前がいてくれてよかったよ」
「気にすんなって。それよりさ、あの貴族っぽい野郎と知り合いだったのか? あいつレナお嬢様の婚約者とか言ってたし、今は一緒にいるんだよな? つまりあれか。ついにやるのか、決闘ってやつを。恋人をかけて戦うんだよな?!」
ぐい、と巨体を近づけて興味津々といった様子で問い掛けてくるニック。
筋肉が暑苦しい。なんなんだそのキラキラおめめは。
「多分そうなるけど、なんで楽しそうなんだよ」
肯定した途端、ニックは拳を握って熱く語り出した。
「盛り上がるに決まってるだろ! 男と男が女を巡って戦うんだぜ! っしゃあお前ら、気合入れて俺たちのレイを応援すんぞ! 邪魔が入らねえように、こいつを万全の状態で遺跡まで送り届けてやろうぜ!」
「うおおお!! 決闘! 決闘! 俺らのレイは絶対最強!」
「貴族野郎に負けんなよー!」
仲間たちのノリがなんかすごい。
そういえばレイと愉快な仲間たちはこういう感じだった。
正直、悲壮感に溢れた雰囲気よりはずっと気が楽だ。
俺は俺で、カイの奴をぶちのめしてやりたい気持ちもある。
というか何なんだあいつは。わけがわからない。
「任せとけ。お前らの気持ちは受け取った! 貴族がなんだ、婚約者がどうした! レナは俺の幼馴染だ。ぽっと出の顔と筋肉だけの野郎に負けるか!」
周囲の熱に当てられたのか、不思議と台詞がするっと出てくる。
演じているわけでもなく、俺はレイとして自然にそう振る舞っていた。
それから俺たちは雑貨店などに押しかけ、強引に拝み倒して値引きやツケ払いなどをゴリ押ししつつ、手あたり次第にアイテムを買い漁ったり壊れた装備を買い替えたりと準備を整えていった。
その途中、気を利かせてニックが『お前は休んでおけ』と教会に押し込めてくれたので今はじっとして体力の回復に努めているところだ。
俺がいるのはカマスをはじめとした自警団員が割り当てられた小部屋で、寝台が六つほど並んでいる。顔が破壊されていた団長も包帯でぐるぐる巻きにされた状態で眠っており、驚くべきことに片目を失明したものの生きてはいるらしい。
「カマスはすやすや寝てるな。このまま起きなかったらどうしよう」
「う~ん、揺すっても起きないし、置いてく?」
そう言ったのはなぜか俺から離れようとしないアネットだ。
どうもあの告白から、やたらと距離が近い。俺の袖を掴んでどこに行くにもぴったりとついてくる。
いや、あの、いちおう気持ちは伝えたし、アネットはしっかりしてるから大丈夫だとは思うんだけど。なんだろうな、この距離感。ちょっとビビるが?
「えっと、そうだ。水ぶっかけたらどうだ?」
「だめかも。軽度の睡眠状態じゃなくて、魂に作用する状態異常っぽい。『深い眠り』状態ってやつ。精神に作用する魔法が必要だけど、闇の魔法使いじゃないと使えないんだ」
やたらと詳しいアネットの言葉にやや違和感を覚えたが、それと同時にひとつのアイデアが浮かんできたのでまずそちらについて質問する。
「そういやさっき、アネットなんかテレパシーぽいことしてなかったか? その、気持ちを伝えてくれたとき。まずおでこがぶつかって、その後に魂に直接こう、温かい感じの、熱? みたいな気持ちが伝わってきたっていうか」
あれはなんだったのだろう。
はっきりと説明できないが、確かに何かがそこにあった。
これまでに感じたことのないような、超常現象のような心の伝播。
あれが俺だけの思い込みだったら恥ずかしいが、アネットの方にも同じ感覚があったらしく、こくこくと頷いてくれた。
「うん、簡単なやつならできるよ。コツがいるけど」
「え、なにそれ。特技? なんかのスキル?」
「わかんない。でも気が付いたらできた。心をふわってさせてぽーんってするかんじ。そうするとね、普段より感覚がすーってして、色々と良く見えるようになるの。世界とか、魂とか、隠れているものとか、流山令とか」
前に言っていた、目がいいとか『おじいちゃんのセックス見ちゃった』みたいなやつだろうか。俺とレナのスリデートが見つかったのもそのせいかもしれない。
不可思議なアネットの才能に、急に興味が湧いてきた。
なぜか、そうする必要があると誰かに助言されたような気がしたからだ。
「もうちょいコツを詳しく説明して」
「胸の辺りから息を飛ばして、自分の感覚を引っ張らせるんだよ」
「んん~? よくわからないけど」
「難しかったら、わたしが背中をトントンしてあげよっか」
首をかしげていると、アネットは俺の背後に回った。
ぺちぺち。強さを確認しながら位置を調整しているようだ。
びしびし。やや強めになってきた。ちょっと面白い。
バンバン。驚いて咳き込んでしまった。いくら何でも強すぎると言おうとした次の瞬間、それは起きた。
「どっかんどっかん。ぅわんっ!」
まさにどっかんだった。ていうかそれはトントンじゃなくて全体重を乗せたドロップキックだろ、感触が両足だったぞ!
憤慨しながら俺は倒れていく肉体を俯瞰して、満足気に額の汗を拭う犯人を睨んだ。こちらを見たアネットがぐっと拳を握る。
「やったね。口から出てるよ、レイにい」
「え?」
俺は俺を見た。ふわりと見下ろすとそこには倒れた俺の体。痛みに呻きながら見上げると、何か浮かんでいる。
発光する白い靄のような輪郭。
どこかから、声が聞こえた気がした。
『なんだこりゃ、まずそうだな/映画とかに出てくる蛍みたいだな』
二重になった感想が俺の中で響き、頭に、胸に、目の前の白いのに伝わる。
白いのは口から伸びた細い糸と繋がっているようだ。おそらく頭と胸のあたりから意識と接続された、魂とかそういう精神的なものだ。
「いやびっくりだよ」
魂って口から出るんだ。
『ある』のは知っていた。この世界は魂が敵からドロップしてアイテムとして所持することさえ可能な世界だ。なんなら素材にもできるし、敵から盗んだりもできる。
でも背中を叩くと出るのは驚愕の真実すぎる。
しかし、その後に色々と試したところ、成功率はいまいちだった。
というか、俺とアネットはできるのだが他の人たちに試すと失敗するのだ。
『起きろ~、カマスよ~目覚めろ~』
それはそれとして、俺の魂をカマスに触れさせることで思念を伝えることはできた。彼に聞いたところ、俺たちの魂による精神感応は明確な言葉を伝えることができていたらしい。これはレナの説得に使えるかもしれない。朗報だ。
それはそれとして飛び起きたカマスの様子はそれなりに面白かった。
「でも、なんだこれ。どういう条件だ?」
レイは本編時空では霊魂として存在しているのが正しいわけだから、こうやって魂が幽体離脱状態になる資質があるのかもしれない。あるいは、俺が異世界転生者で異質な魂が混ざっていることが原因ということも考えられる。
ただ、どちらの場合でもアネットが謎だ。
「アネットってもしかして、輪廻の神からお告げを授かったりしてない? 夢の中で名前を決めたり、占いっぽいことしたり、性別を選んだりとか」
「なにそれ? してないよ」
どうやらアネットの正体はプレイヤーが操作する主人公キャラだった、というパターンではないっぽい。ではこの不思議な少女はいったい。
才能に溢れた一般人、というだけなんだろうか。
うんうんと答えの出ない問いをこねくり回しながら、司祭から念のためにもう一度だけ回復してもらっているカマスを観察する。
「この世界の回復の祈りってけっこう性能ヤバいよな」
「うん? 流山令の前世にはなかったの?」
隣に座り込み、ちょこんと膝を抱えているアネットが小首を傾げていた。
「なかったけど、急いで病院に運び込んで手術すればなんとか。でも、時間が経過していたり出血が多すぎると死ぬかな。この世界、輸血も祈りでなんとかなるのは便利すぎると思う」
なんとなく、俺は腹の臓器をやられたか大量出血で死んでいるような気がした。
アネットに言い寄る茶番のあと、俺はレナに刺された。
あの時に死ななかったのは、この世界に奇跡のような回復手段があったからだ。
もし、前世で同じ結末を辿っていたのだとすれば、きっと俺は助からなかった。
「でも、きっと冥府で死んだらそれで終わりだ。俺も、アネットも、ニックたちも。レナはやり直すとか言ってたけど、命ってそんなに軽くないよな」
何の保証もない未来のことを思う。
怖いと思った。
死が恐ろしくてたまらない。大切な今を失うことが嫌だ。
レナは違うのだろうか。
人間である以上、死が怖くないはずがない。
なら、どうして彼女はこんなにも無謀なことを?
死より怖いことから、レナは逃げようとしているのか?
「どうしたら、レナは安心してくれるんだろう」
ぽつりと、不安が口から零れ出た。
心を伝える手段を得た。
心強い仲間の応援がある。
アネットから、かけがえのない真心をもらった。
それなのに、心細さはずっと俺の胸から消えてくれない。
「正直、無駄なんじゃないかって思いはまだあるんだ。レナに気持ちを伝えても、嫌われてたら意味なんてないから」
「そんなことない。ぜったいに両想い。なんでそう思うのか意味不明」
アネットは心底から不思議そうだ。
俺の周囲の人々はよく同じようなことを言ってくれる。
だが、俺にはわからない。
「俺さ、前に一度かなりでかい失恋してて。もうレナには振られてるんだ」
記憶の中にある、致命的な失敗体験。
まだ幼く、考えなしで、努力すれば運命に抗えるのではないかと希望を抱いていた頃の話。まだレナの家庭が決定的に破綻していたわけではなく、両親の間で不穏な喧嘩が増えたことでレナの非行が増えたくらいの段階だった。
俺はレナとの関係について疑惑を抱いていたが、確信までは得ていなかった。
そんな中一の秋。それまで俺は、ずっと愚かしい努力でもしもの事態に備えていた。仮に『そう』であっても、レナと一緒にいたかったから。
「それ誤解とかじゃなくて? レナおじょうさまがレイにいを振るとは思えない。それとも、やっぱり生まれのことが凄く気になってたとか?」
「中一の秋だったからなあ。その時はまだ確定してなかったけど、そうかも」
「ん、んん? う~ん?」
納得いってない表情で唸るアネット。
しかし、俺が振られたのは確かな事実だ。
思えば俺が弱気になったのはあの失恋が最初のきっかけだった気がする。
アネットは何かを思い出そうとするように顎に指をあててしばらく考えていたが、ややあってこんなことを言い出した。
「わたし、前にちょっとレナおじょうさまともおはなしした。そのときに聞いたの。その、『ちゅーいち』の時にレイにいに振られたって」
なんだそれは。
全く知らない。というか、そんなはずがない。
「は? 俺そんなことした覚えないけど」
アネットはジト目になって俺を睨みつける。
かなり呆れの色が強い。思わずたじろいでしまう。
「ねえ、なんかやっぱりすれ違ってない? ちゃんとお話しした? なんて言って告白したの?」
「いや告白っていうか。話の流れで探りを入れてみたって感じで」
言葉にするとちょっと情けない。でも勘弁してほしい、なにしろ中一だったので。
しかしアネットは呆れ果てた様子で深々と溜息を吐いた。
「はいもう既に雲行きあやしい。で、なんて?」
「その、海外旅行についてどう思うかとか。海外に移住するのはレナ的にアリかナシかみたいな話を。ちょうど、テレビで海外に移住した人の話をやってて、その流れでみたいな感じで」
「う、うん? つまり違う国に住むみたいな? レイにいはそうしたかったの?」
「まあうん。それでレナが旅行はいいけど移住は無理って」
「???? えっと? だからなんなの??」
「それで、振られたなって思って、諦めた」
沈黙。司祭や修道女が祈りを捧げる声がBGMとなってよく響いた。
アネットは、天を仰ぎ、両目を手で覆い、それから気を取り直してこちらを睨みつけた。なんというか、ガラの悪い視線だ。ガン飛ばし、という雰囲気である。
「ちょっと意味がわかんない。ちゃんと説明して。レイにいの頭の中で完結しないで。それ相手に伝わってないと思う。わたしにも伝わってない」
確かに俺も悪い。
だが説明するのが恥ずかしかった。
中学生の浅はかな頭で考えつくような思い付きで、しかも途中で失敗して諦めているような見当はずれの夢なのだから、もう忘れたいというのが正直なところだ。
とはいえここで逃げることはできそうもない。
一気にまくし立てた。
「だって調べたら異母兄妹で結婚できそうな国がスウェーデンくらいしかないっぽくて、じゃあ正しい手段で結ばれようとするならそれしかないし、でも拒否られたらそれで終わりじゃん、だからこの話はここで終わりなんだよ」
「かってに終わらせるな。ちゃんと会ってそれについて話せ、とにかく話せ」
ぽかぽかと頭を叩かれる。だんだん苛ついてきたのか、打撃が強くなり、激しい打擲に変わり、最終的に口から魂が出た。なんか癖になってきてないかこれ。
「てゆーか! たぶんだけど! レイにいがいきなりそんなこと言い出したら不安になる! 置いていかれるかもって思うよ!」
「え、一緒に行く前提だったんだけど」
魂になってそう言うと、アネットは小さな俺をわしづかみにしてぐわんぐわんと揺さぶった。やめてやめて、思考と感情がシェイクされる。
しかし感情がめちゃめちゃになっているのはアネットの方もらしい。
「結婚したいなら結婚してって言えー!」
「そんなん言えるわけねーだろ中一だぞ! 恥ずかしくて死ぬ!」
「死んでも言え! ばか! わんわん!」
しばらくぎゃーぎゃーと言い争っていると、教会の皆さんに凄い剣幕で叱られてしまった。俺たちはしょんぼりしながら教会から出て移動する。特にあてはないのでなんとなく広場の方面へと向かった。
「ていうか、レナの方が振られたってのは何なんだよ。俺そんなことしてない」
破壊された街並みを歩きながらアネットにそう言うと、狩人の少女は記憶を探るように上の方を見ながら言葉を探す。
「ん~、レナおじょうさまは拒否されたって言ってた。一緒に悪いことしてくれなかったとかなんとか。きらわれた~っていじけてたみたい」
「はあ? なんだよそれ、俺は常にそうだろ。最初に万引きに誘われた時もやめろって言ったし、それからだって」
「それじゃない?」
「え?」
何を指摘されているのか、一瞬だけわからなかった。
悪事の否定と恋愛感情の否定が結びつかなかったからだ。
しかし、普通そこは切り分けて考えるものだ。
俺はレナの行動を非難するが、レナを嫌いだから悪事を止めろと言っているわけではない。押しつけがましいと言われようが、レナのためを思って言っているのだ。
それがわからないとは思えないのだが。
「レナおじょうさま、レイにいと一緒にふざけたデートしてる時はとっても楽しそうだった。こいつマジかって思ったけど、ほんとにレイにいが大好きで幸せいっぱいって感じだったよ。ずっと一緒に悪いことがしたかったんじゃない? ぜんぜん意味わかんないけど」
「そんなことで? それだけで振られたなんて認識になるか? 俺はずっとあいつのことを思って」
途中で言葉を止める。
レナの表情と言葉を思い出す。
そうだ。レナは俺と一緒に『悪いこと』をしたがっていた。
中学生の頃の非行はきっとレナにとっての悲鳴だった。
それなのに俺は、彼女の苦しみに寄り添ってやれなかった。
やり直す機会はあったはずなのに。
「レナおじょうさま、ばかだし。倫理観がアレだし。そういうの伝わらなかったんじゃないかな。レイにいだって変な思い込みしてるしお互い様」
レナとは本当に何もかも噛み合わない。
正しいことと悪いこと。
俺は罪を恐れて、レナは罪を望んだ。
もしかすると、なんて希望を抱く。
レナがしたかった悪いことは、万引きだけじゃなくて。
(やめろ、予断だ。自分に都合のいい妄想をするな)
はあ、と何度目かの深い溜息を吐くアネット。
「こいつらダメダメ。わたしがしっかりしないと」
実際、アネットはかなりしっかりしている。
身体を休めながら遺跡にどう突入してレナのところまでたどり着くか、その後の段取り、不測の事態が起きた際の対応などを細かく詰めてくれていた。
言語によるコミュニケーションではない。
俺たちは、既にそういうことが魂を介してやりとりできるようになっていたのだ。
普通に日常的な行動をしながら魂の一部を少しだけ『伸ばす』。
精神を触れ合わせながら、心だけで会話を行うテレパシー。
『じゃ略称確認だけど、お願いするときは?』
『pls.かんたんでいいね』
『攻めるときはPushで、後退のときはBackね』
『この親指は?』
『いいよって意味。いや連打はやめろ』
『sry』
『np』
なんということだろう。
レナとは戦闘中のメニュー画面を共有することができていたが、チャットそのものはできなかった。しかし、その不便さが意外なタイミングで解消されていた。
ゲームの現実化ってことは、事実上この世界はマルチプレイ状態になっているわけだ。
この状況でチャットがないのが不満だったのだが、これでかなり快適になる。
正直、今のアネットの活躍は凄まじいものがあった。
「はてな? のマーク? クエスチョン? ヘルプ? のとこ見たらだいたいわかったよ。ここ最近のわたしはとっても賢くなってる」
「素晴らしい。本当に素晴らしいよアネットくん」
「レイにい、口調がきもちわるい」
辛辣だが、本当に凄いので心から賞賛させてほしい。
そしてアネットの有能ぶりはそれだけに留まらなかった。
「ふふん。このわたしに秘策あり。さっきレイにいのアイテムインベントリを覗いてみて思いついたの。これならレナおじょうさまにも対抗できるよ」
得意満面の表情で胸を張るアネット。
もはやアネットは救世主、いやそれ以上の存在なのかもしれない。
アネットさんがいなかったら全部終わっていた。
これからはアネット様と呼ばせていただこう。
「秘策とはなんでしょうか、アネット様?」
「名付けて『わんわんわん! 一緒になってがるる作戦』だよ」
「ちっちゃなアネットお嬢ちゃん、これからは何かの名付けに関わるのやめような」
「レイにい、このセンスがわからないとは可哀想なやつ。心と身体を繋げてわんわんわんで一緒になるという、一発で意味が伝わるすぐれた作戦名なのに」
「伝わんないって」
言葉とはなんて不完全なんだろう。
つくづく聡明さと幼さがアンバランスに同居している人物である。
いいやつなのは間違いないが、どこか掴みどころがない。
それでも、今の俺にとって最も信頼が置ける仲間はいつの間にかアネットになっていた。それほどに彼女の存在は俺の中で大きくなっている。
いや、もちろんそういうのじゃないけど。
調子に乗っているのか、アネットはスキップするように弾んだ足取りで前に進み、くるりと振り返ってこちらを見た。その視線に、まだ俺への慕わしさを感じる。
失恋は、イコールで愛の喪失ではない。
その後も人生は続く。だからこそ、俺たちは選択することができる。
アネットは、自分が納得できる道を進もうとしている。
「おバカな二人をくっつけて、ついでに世界も救ってあげる」
なにやら大物の風格である。
もしかすると、アネットは英雄や偉人の器なのかもしれないと俺は思った。
「この子は将来、大人物になる。末は博士か大臣か、みたいな」
「それ、どういう目線?」
「え~と、親?」
適当に答えると、アネットは不思議と嬉しそうに頬を緩ませた。
安心しきったようなその顔を見ていると、俺の心も朗らかになっていく。
本当に、よくわからない感情だった。
レナに対するものとは違う。
だが、俺がアネットに感じているこの感情は。
「じゃあこんどからレイパパって呼ぼうかな。レナおじょうさまはレナママって呼んでやろっと。ぜったい嫌がるだろうし、どんなすごい顔するか今から楽しみ」
楽しそうにほくそ笑むアネットを見て思うことがある。
俺は、アネットに対して愛情を抱きはじめている気がするのだ。
といっても、これは恋愛感情ではない。レナに抱く気持ちとは全く違っていた。
だが、この暖かな未知の衝動に名前を付けるならそう呼ぶのが正しい気がする。
アネットに対する謎がまた増えた。
そして、ふとよぎる疑問。
レナはどうなんだろう。
初対面で戦いになり、わんにゃんと口喧嘩をしていた二人。
相性がいいとは思えない。
仲は確実に悪いだろう。
だが。
(どうして、あそこまで仲が悪いんだろう)
出会い方のせい。相性が悪いから。性格の不一致。
そんなことに理由を求めても仕方がない。
普通ならそう考えるべきだが、何かがひっかかる。
この問いを放置すべきではない。
何故か、予感がしていた。
この最後の謎こそが、俺たちにとっての希望に繋がるのだと。




