28.心からの叫び
咆哮によって新たに出現した四体の熊。
この増援は本体がいる限り無尽蔵に追加され続ける。
長期戦になれば勝ち目はない。一気に勝負を決める必要があった。
迷う時間はないとレナが雷撃を放ち、眠っていた本体に直撃させる。
「だめっ、足りないよっ! どうしようレイくんっ」
敵の体力を削り切れない。眠れる中型魔獣が目覚め、新たに出現した熊たちがめいめい好き勝手な方向へと移動を開始。獰猛な唸りがあちこちで聞こえる。生き残りの小型魔獣たちまでもがこちらに集まってきていた。
村は凄惨な破壊と蹂躙、圧倒的な混乱に見舞われた。
衝撃と悲鳴。
腕や背中に走った激痛と必死の撤退。
レナと川で釣った自前の魚を放って時間を稼ぎ、回復薬を傷にぶっかけながら仲間たちに向かって叫んだ。
「こっちだ! 全員バラバラに走れ! まとめて相手をするな、熊を分散させろ!」
叫びながらレナを連れて闇雲に走る。
防御と逃走で精一杯だった。
仲間たちは散り散りになり、暴れまわる熊から逃走することしかできない。避難が遅れたのか、建物の中に隠れていた村人たちが悲鳴を上げながら逃げ惑い、抵抗する自警団員が顔を粉砕され、手足を引き千切られていく。
重傷、昏倒、即死、欠損、その他ありとあらゆる惨たらしい結末が村人を襲った。
俺は軽いパニック状態になったレナを連れて必死に逃げた。
山のヌシ本体を削り切る手段がないまま反撃を受け、自分がもう安全地帯にいないことを理解したレナはすっかり怯えており、俺と並走するアネットに叱咤されても縮こまったままだ。アネットは祖父に肩を貸しながら走っているが、中央広場から離れてもまだ悲鳴が響き続けている。
「レナおじょうさま。たぶん、もう死体がいっぱい増えてる。いったん落ちつこ。広場に戻ればまた骸骨の兵士をいっぱい作れる。そしたら山のヌシの本体を見つけて、今度こそとどめ。これしかないよ」
アネットの言葉はどこまでも冷静だ。彼女だって大切な祖父が傷ついて焦っているはず。それでも気丈に現状を打開するための提案をしてくれていた。
「レナ、きついかもしれないけど、頑張れないか? 攻撃は絶対に俺が防ぐ。このままじゃ本当に村が壊滅する。レナの力が必要なんだ」
「む、無理だよぉ。こわい、こわいの」
これまで冷静にゲーム世界の攻略を行っていたレナの精神はここにきて限界を迎えていた。あるいは、『ゲームプレイヤー』としての自己認識が彼女の心を守っていたのかもしれない。ゲームが逃避だ、なんてステレオタイプを口にすることじたいが古臭い言動だが、彼女が趣味や虚構に救われていたことは事実だ。
ゲームの残酷表現に、生々しい痛みは伴わない。
ホラーゲームで悲鳴を上げる時と、熊に襲われて怯える時の恐怖は同じではない。
痛みと恐怖に耐え続けることができるほど、レナの精神は強靭ではない。彼女はつらいときに頼れる相手に縋り付き、逃避場所を求めるタイプだ。
かつての恋人たちや、俺の部屋がそうであったように。
現実のつらさ、どうしようもない困難に、レナは立ち向かえない。
あたりまえだ。熊なんてどうしようもない暴力に歯向かったところで、彼女は理不尽に傷つけられるだけなのだから。
(ふざけるなよ)
湧き上がってくる激情には覚えがある。
レナにこんな怯えた顔をさせるもの全てに腹が立ってしょうがない。
俺はずっと、彼女を脅かすものたちが嫌いでならなかった。
彼女を守ると言っていたくせに、彼女を傷つけている男には憎悪さえ抱いた。
レナを連れて、二人で遠い場所に行けたらとできもしない想像を繰り返していた。
今がそうじゃないのか?
ここは遠い場所だ。もう彼女を苦しめるものはどこにもない。
なのにどうして、俺はレナにこんな顔をさせている?
「レナ。お前ができないなら、俺がやる。本まだあるよな。死体爆破だけでも覚えて、いや死霊として再生させたっていいんだ。瀕死の奴にとどめを刺したって構わない。何でも使ってこの場を切り抜ける。もう手段は選ばない」
「え」
言葉は自然に出てきた。決断は先に済ませてある。
レナが罪を犯すことは許せない。
だから、それしかないなら俺がやる。
最初からそうしていればよかった。
半端に正しさにこだわって、俺は結局のところ勇気がなかっただけだ。
「レイにい、違うよ、それは」
「レイくん、またなの?」
二人の少女が俺の決意を否定しようとする。
きっとそれぞれにまっとうな理由があるのだろう。
それでも、今はそんなことを考えている余裕はない。
俺はカイじゃない。なら、つまらない自分の正義感なんて捨ててレナを守るための最善を選び続けなければならない。
きっとそうだ。それで、正しいはずだ。
合理性という言い訳で自分を無理やり納得させて、俺は踵を返す。
広場のほうへと向かおうとしたその時だった。
路地を曲がった横手あたりから悲鳴が聞こえてきた。
(無視だ。ここは様子を見ろ。敵に見つかるな)
非情な判断を下そうとしたが、ちらりと見えた中型魔獣の姿を見て考えを変える。
盛り上がった背中から狼のような頭部が突き出ている。
あれは本体だ。こんなところにまで移動してきていた。
熊どもは考えなしに暴れまわっているせいで、本体が突出している。
「レナ、アネット、ゆっくり音を消して移動するぞ。チャンスだ。ここで奴に奇襲をかける。アネットは俺が背後から一撃を入れたら矢で足を狙え。レナは襲われてる奴が死んだら死体爆破。それで削り切れなかったらそのまま一気に畳みかける。ここで勝負をかけるべきだ」
俺の作戦は村人を見捨てることを前提としている。
だが、怯えたままのレナが熊への接近を忌避している現状、敵の注意が別の標的に向いていることが確定していない状況では動けなかった。
レナと見知らぬ誰かなら、俺はレナを選ぶ。
「いやあっ、誰かっ、誰か助けてぇっ」
女性の甲高い悲鳴が響く。そこらじゅうで同じような叫び声が上がっており、誰も助けに来る余裕などない。助けに入ることが可能な俺は、既に彼女を見捨てていた。
『レイ』は間違いなく、こんなことはしないだろう。
アネットの避難がましい視線を無視しながら『忍び足』で熊に近づいていく。
俺の攻撃は熊が女性を襲って無防備になった隙に行うべきだ。
魚の件でわかったように、この中型魔獣は食事中には無防備になるという特性がある。ゲーム的な弱点が今はありがたい。
「来ないで、お願い、誰かっ、パーシー、お父さん、お母さんっ」
耳に入れるな、感情を殺せ。
己に言い聞かせながらじりじりと移動する。
ふと記憶をかすめる情報。パーシーというのは自警団の先輩だ。
彼を頼りにするということは、きっと恋人か何かのはず。
そういえば、ニックが何かを。
『まだ誰にも言うなよ。天気占い師見習いのサンドラだよ』
『あれからパーシー先輩とも気まずくなって別れちまった』
『俺はサンドラの力に、いや、できれば夫婦になりてえんだ。子供がいるくらいなんてことないさ。まとめて世話してやるのが男気ってもんだろ?』
記憶が蘇ったのと同時に、熊の爪が振り下ろされる。
硬質な衝撃音。
鋭利な刃が、盾によって受け止められた音だ。
「ギリギリで、間に合ったな」
ぼろぼろになった半裸の巨漢ニックが、へたりこむサンドラをかばって熊の前に立ちはだかっていた。
腹部を庇うようにしている女性は目を見開いてニックの背を凝視している。
それと見てわかるような差異ではないが、おそらく身籠っていることもあり、逃げ遅れたのだとわかった。
助けるためには、ここであの熊を倒さなければならない。
熊の猛攻がニックを打ち据える。屈強な肉体を持つ大男とはいえ、中型魔獣の膂力を前にしてはひとたまりもない。盾が軋み、腕が悲鳴を上げる。
それでもニックは、大切な人のために一歩も退こうとはしなかった。
このままいけば、最初に死ぬのはニックだ。
『俺たち』の安全だけを重視するなら、ニックが死ぬのを待ってレナでその死体を操ればいい。もう一度だけ囮になってもらい、その隙に俺とアネットで攻撃。それから死体爆破を叩き込めばかなりのダメージを与えることができるだろう。
(友達が、死ぬ)
果たして、それは誰の思考だったのだろう。
俺か。それとも『レイ』か。
愛する人のために身を投げ出すその姿に、どうしようもなく胸が詰まる。
不意に胸の中で形にならない記憶が像を結ぼうとして、すぐに消えた。
(俺が、できなかったことを)
咄嗟の判断は、時に感情や理性を超越することがある。
やるべきことをやれ。
魂が命じるままに身体が動く。
レナの雷撃が熊の腕を焼き、割って入った俺の盾がニックから攻撃を逸らす。
アネットの矢が熊の眼球に命中。絶叫と同時に仰け反った熊が四方八方に両手を振り回す。俺とニックが必死に盾で攻撃を捌くが、強引な体当たりを二人がかりでも止められずに吹っ飛ばされる。背後にはへたり込んだサンドラ。
その時、目を疑う光景を見た。
危険地帯に果敢に踏み込み、座り込んでいた妊婦を抱えて離脱していく者がいた。
「レナっ」
恐怖に怯えていた、そして『モブごとき』と俺とは違う価値観を口にしていた幼馴染の意外な行動が哀れな女性を救っていた。
熊が立ち上がり、見上げるような巨躯を震わせて咆哮する。
背中の狼も共鳴するように口を開いていた。
このままではまずい、と思ったのと同時に状況が一気に動く。
熊の背中、盛り上がった肉腫とそこから生えた首に刃が突き刺さったのだ。
腰だめに槍を構えて突っ込んだのは老人。
死兵のまなざしで仇を見据えたハンスさんが細い喉を震わせて叫ぶ。
「迷うな! やれっ!!」
槍がへし折られる。熊が両手を広げて襲い掛かる。
ローレンとアネットの矢が魔獣の脚に突き刺さるが巨体は止まらない。
構えた盾ごと腕がへし折られ、細い老体が致命傷を負う。
だが倒れない。仇への執念、若き日に重ねた研鑽、あるいは戦士としての矜持がそれを可能とした。戦士ハンスは死にかけの身体でそのまま踏み込み、熊の巨体に全身で体当たりを喰らわせる。
同時だった。
俺の槍が老人の背中を貫く。
『やれ』という彼の言葉の意味を、間違えたりはしない。
『槍バクスタ』による貫通攻撃。
向こう側の熊に正面から叩き込んだ背後致命が熊に甚大なダメージを負わせる。胸から入って背後の肉腫までを貫通したピッチフォークの穂先が援軍を呼ぶための首にとどめを刺した。アネットの減速とニックのシールドバッシュが熊の行動を制限し、俺は倒れた老人の身体を支えようとして気付く。
既に絶命している。
その全身を青白いオーラが包み込み、新たな存在へと変質させようとしていた。
「立ち上がって。『死霊再生』!」
レナによる死霊兵化。屍が立ち上がり、青白い光の中から出現した骨製の長い槍を構えて突撃する。死霊系汎用ユニットの奥義である『怨念の一撃』は生前に受けたダメージに比例した威力となる。
「魂の輝きをここに! 『ソウルリベレイション』!」
駄目押しのように追加されたのはレナの奥義。
精神力《MP》の消費が激しく瞬間的なダメージ効率は死体爆破や雷撃術に劣り、再使用時間も非常に長いためここぞという場面しか使えない。
最高レアバージョンで使用した場合に発生するダメージや弱体、回復など各種追加効果も現時点では存在しない。
だが、それを補ってあまりある強力な支援効果がこの奥義にはあった。
「全員、突っ込んでひたすら攻撃! 俺たちは不死身だ! 防御なんて考えずにひたすらあの熊を削り切れ!」
一定時間の不死身。
俺たちの魂に対する絶対的な保護と強化。
それがレナの奥義の力だった。
俺とニックは死霊と化したハンスさんと共にひたすら熊に攻撃を与え続けた。
援護の矢が熊に突き刺さる。反撃がこちらに来るがかまわずに攻撃。
怒涛の連続攻撃に耐えかねた熊が大きく身じろぎし、遂にゆっくりとよろめく。
とどめとばかりに突出した死霊の戦士が熊の喉元にくらいついた。
その青白いオーラが、徐々に消えていくのがわかる。
レナの奥義は普通に使っただけでは燃費の悪いバフでしかない。
その真価である不死身効果には、ある代償が必要となる。
死霊の魂。
死せる戦士として蘇った者の全存在を燃焼させることがその条件だ。
「ハンス、さん」
呼びかけが聞こえたのかはわからない。
振り返ったその顔は、笑顔だったように思う。
渾身の一撃が中型魔獣の喉を貫き、今度こそ完全に絶命させていた。
全員が荒く息を吐き、しばらく何も言えなかった。
勝った。その実感が遅れてやってくる。
被害も、犠牲も、決して軽くはない。
それでも俺たちは勝った。
定められていた『レイたちの死』という大前提を、覆したのだ。
「レナっ」
思わず振り向いてから、彼女が助け出していた女性の身体を労わって回復薬を手渡していることに気付いた。身重のサンドラはどうやら母子ともに無事だ。ニックが涙を流しながら彼女に駆け寄っていく。
アネットは負傷しているローレンを介抱しているようだ。呼び出された援軍は一時的な召喚扱いだったのか、それとも復活した衛兵が奮戦したのか、周囲で戦っている気配はない。あと心配なのはカイたちだが、と考えたところで近づいてきていたレナの存在に気付く。じっとこちらを見る目は暗い。
「レナ、無事でよかっ」
「なんであんなこと言うの。なんでひとりで全部やろうとするの」
目の前にいる相手のことが、まるで理解できなかった。
どうして、恐怖は去ったのに。苦痛は取り除いたのに。
彼女を苦しめるものを、この手で遠ざけることができたのに。
どうして彼女は、こんなにつらそうなんだろう。
「ちがうよ。私、レイくんに全部押し付けたいわけじゃないよ」
泣きそうな声で、レナは俺を責めた。
俺には許せないものがある。
だが『もしかして』と思う。
俺が許すべきではないもの。それはひょっとして。
「レイくんはいつもそう。私の言うことなんて聞いてくれない。『悪いこと』を一緒にはやってくれないんだ」
レナを苦しめているのは、俺の存在なのだろうか。
運命を覆した。二人で生き残るという目的を達成した。
それなのに、幸福な結末に至る道が未だに見えない。
この世界に来てからずっと、俺たちの間に横たわる溝は深かった。
けれどいま見えてしまった亀裂は、俺たちの前にある道さえ引き裂いてしまいそうで、ひどく不安をかきたてる。
もう後戻りはできない。
『レナレイ』の生存ルートは確定した。
だが俺たちの目の前にあるのは、本来なら想定されていないおまけのようなルートではない。正史よりも簡素な描写で仲睦まじく過ごす恋人たちの冒険ではない。
俺とレナの、剥き出しの人生がここから始まる。




