27.熊の素人丸出しテレフォンパンチをダッキングでかわして前に出る
熊の魔獣が牙を剥き、こちらへとにじり寄ろうとしたその時だった。
俺たちの真横から助けを求める声が響いた。
「たっ、たすけてっ」
魔獣の恐ろしさに錯乱しているのか、特徴に乏しい男性が俺たちの中心にいたカイに向かって飛び掛かろうとする。カイは慌てずに相手に向き直り、無造作に剣を振り抜いた。首が落ちて霞のように消え去る。幻影だ。
「ヘボい演技だな」
「不確定要素は排除したかったのですが、残念です」
「こっちの台詞だ。てめえから潰す」
村人を装って接近してきたネクロマンサー・ロールシャッハの不意打ちを防いだカイはロザリーを連れて俺たちから離れる。村人だったものは黒い煙になって近くの家屋の屋根に凝集し、ふたたび人型のシルエットを形成。子供の落書きのような顔と燕尾服という先ほどと同じ姿の周囲に、次々と青白い炎が灯っていく。
ただでさえ厄介な熊の魔獣という脅威に相対する中で、ロールシャッハの明確な殺意に対抗する者が必要だった。
「レイ、レナ。あいつは俺がやる。ここは任せたからなんとかしとけ」
「助っ人キャラが強敵との戦いで離脱して自分たちだけでボスと戦わなきゃならないやつ! 次の村でもある展開だ!」
「レナおまえ意外と余裕あるな」
軽口を叩いてはいるが、顔色は青い。確実に虚勢。熊が苦手な弱点を克服できたわけではないようだ。騎士は近接戦闘ができる職業だが、いまのレナは後方支援に徹してもらうしかないだろう。
「よ、余裕だよ? レイくんこそまたおしっこ漏らしてない?」
「記憶を捏造するな!」
ごちゃごちゃとやり取りをしている間に魔獣がぐっと前傾姿勢をとってこちらに狙いを定めている。俺が盾を構え、カイが魔法による爆発を利用して飛び出す。
同時に先端が開かれたと思った瞬間、凄まじい衝撃が俺の腕を弾き飛ばした。
唸り、振り下ろされる手、仲間たちの叫び、熊の頭部に命中したが弾かれる矢、スローモーションで世界が動いて、 無防備な俺の前に半裸の男が立ちはだかる。
動きが予想以上に俊敏かつ強靭だ。
レナの雷撃とハンスの炎が横合いから中型魔獣を襲い、ようやく巨体がよろめく。
その隙に俺とニックがよろめきながら後退し、アネットの援護射撃を受けながらカマスとムーダが前に出て盾を構える。側面に回ったヨハンが攪乱を試みるが攻撃はまるで歯が立っていなかった。
「ふっ、ここは研鑽を重ねてきたこのカマス・エイヌの出番のようですね」
眼鏡をくいっと持ち上げながら不敵に笑うのは戦士カマス。
盾を捨て、攻撃用の本さえも放り投げる。
学者肌のこの男には秘策があるようだ。
「まずは熊の素人丸出しのテレフォンパンチをダッキングでかわして前に出ます」
レナが「あっ」と何か言いたげだったが、俺には意図が読めない。
その直後、カマスの言葉通りに中型魔獣が猛然と襲い掛かった。
素人丸出しとは言うが、猛獣の腕力から繰り出される攻撃の速度は計り知れない。
常人なら反応すら間に合わず頭蓋を破壊されているところだが、学者の魂を持つカマスは『みやぶる』スキルによってかろうじて回避に成功。そのまま回り込んで背後をとり、抱き着いて相手の手が届かない位置をキープ。そのままバックチョークに移行して喉を締め上げる。
「いかに体力があろうと、脳への血流が遮断されれば倒れるしかありません! 失神するがいいでしょう! 山のヌシ、敗れたり!」
カマスの作戦と身のこなしは見事と言うしかなかったのだが、相当に鍛えているはずの自警団員の腕力をもってしても巨大な熊の首を締め上げて失神させることは不可能だった。カマスは抱き着いて離れようとしなかったが、前傾姿勢になって身を捩り、激しく動き回る熊の動きにとうとう腕が緩む。
「そ、そんなぁっ」
放り出され、近くの家屋の外壁を粉砕しながら中へと叩き込まれるカマス。
死んではいないだろうがおそらく戦闘不能だろう。
追撃しないようにアネットたちと協力して熊の注意を惹きつけて防戦に回る。
これで生半可な攻撃は通用しないことがよくわかった。
「なら今度こそこの俺、ムーダ・ジーニスが奴の弱点を」
「やめとけ、とにかく時間稼ぎに徹しろ。ひたすら盾構えて防御だ」
駄目だ。やはり、ここにいる俺たちは基本的には山のヌシには勝てない運命なのだと実感する。ここにプレイヤーはいない。事前に予想できていたことだが、俺たちの手持ちの手段でこの山のヌシを倒すには、幾つかの条件を満たさねばならない。
「レナ、こっちの回復はアイテムでやる。雷撃も温存だ。もう手遅れな人だけ選んで即席スケルトンを召喚しよう。囮用に少し使ったら起爆って流れで行く。死体爆破なら通るはずだ!」
「わ、わかった! やってみるけど、ちょっと数少なめかも」
重傷者はかなり多いが、まだ致命傷まで行っていない者も多い。
そこで飛び交う援護射撃の矢が多いことに気付いた。
周囲の物陰から矢が放たれているのだ。
ここにいる狩人はアネットだけではない。彼女の祖父のローレンをはじめとした狩人衆が身を隠しながら熊の魔獣に攻撃を続けていた。
更に既に死亡していた数名が起き上がり、レナによって骸骨兵士として蘇る。
色々と露見してまずいことになるだろうが、今はもうそんなことを言っていられる余裕がない。個々の力は弱くとも、標的が散らばることで中型魔獣からのダメージも抑えることができていた。
「ここだ。レナ、爆破っ」
合図と共に爆発が発生。
交戦中だった骸骨たちが衝撃波を放ちながら爆散したことで熊がよろめく。すかさず背後に回った俺がピッチフォークで魔獣の背を突き刺し、毒状態を付与。アネットによって付与された標的状態と減速状態により、状態異常特効の追い打ち効果を持った狩人たちの矢が次々と熊に痛打を与えていく。
「行ける、このまま押し切るぞ!」
矢による一斉攻撃が途切れたタイミングを見計らって、俺は続けざまにアイテムインベントリから取り出した巨大パイプオルガンで畳み掛けた。
大質量によって圧し潰し、移動を封じるのが狙いだった。
大振りな打撃は、しかし不発に終わる。
巨大なオブジェクトが地面にめり込む。
俺の動きが停止して、隙だらけの状態を晒していた。
「レイくんっ」
レナの叫び。
咄嗟にメニュー画面を呼び出して世界をスローに。
パイプオルガンを回避して側面から回り込んできた熊が、俺に襲い掛かろうとしていた。減速状態にしては動きが速すぎる。
なぜ、と問うより先に原因が判明した。
減速を付与する矢だけを狙って熊が防御行動をとっている。
カマスが落としていた盾を拾って、アネットの矢を的確に防いでいたのだ。
(嘘だろ)
最も厄介な状態異常だけを回避するようなAIは元のゲームには搭載されていなかったはずだ。これもこの世界が現実であるからこその変化。
致命的な失敗。
レナから防御の指示が連打されている。自分の近くまで移動する指示と、あちらからは回復のコマンド連打。わかっているが、たぶん最初の一撃しか耐えられない。
覚悟を決めて防御。重すぎる衝撃を受け止めることができずに大きく態勢が崩れ、隙だらけの身体を晒してしまう。
(あ、だめだこれ)
死ぬ。どれだけメニュー画面で時間を遅くしても回避が間に合わない。ガードを崩された直後の硬直を突かれれば、耐久力のある戦士も大ダメージを受ける。
団長の無惨な姿を思い返し、レナに及ぶかもしれない危険を想像し、どうにかして足掻こうと必死に身体を逸らそうと試みるが何もかもが遅い。
「こっちを見ろ、魔獣!」
その時だった。
べちゃりと水っぽい音がしたあと、熊の動きがぴたりと止まる。
獰猛な唸りが停止して、口からは涎が垂れて地面の一点をじっと見つめている。
地面に転がっているのは、ぴちぴちと跳ねている『最上級の川魚』だった。
鮭である。熊の目はもう釘付けだった。
何らかの魔法で鮮度を保っていたのか、釣ってきたばかりのように見える。
熊は俺をそっちのけで鮭に食らいつき、夢中で好物を味わっている。
「そういやあったな、ゲームでもこの弱点」
魚を投げつけたのは、川で出合った『ハンスじいじ』だ。
彼が続けて投擲した薬瓶が熊に命中し、ピンク色の煙を立ち上らせる。
睡眠の状態異常を付与する薬だ。
「ローレン! まだ足りん! もっと睡眠毒を打ち込め!」
呼びかけに応じて狩人が矢を打ち込む。大量の麻酔を叩き込まれた熊がよろめくが、その巨体が即座に眠ることはなかった。
ふらつきながら麻酔を塗った矢を撃ち続けるローレンに接近し、爪による一撃。
咄嗟の回避によって胸を掠めただけで済んだが、倒れてしまう。アネットの叫びに我に返った俺は『かばう』を発動して防いだが、老人と一緒になって倒れ伏した。
そこでようやく熊が睡眠状態に陥る。
魔獣が行動不能になった隙に俺は負傷したローレンを担いでその場を離脱。涙を浮かべてやってきたアネットの回復薬で治療しつつ、眠っている熊を確認した。
「レナ、できれば睡眠中に一番でかい攻撃で仕留めたい。死体爆破できるか?」
「さっきのでゼロになっちゃった。増えないとむり、だけど」
ちら、と老人のハンスさんを見てすぐに目を逸らす。
睡眠中に攻撃を受ければすぐに熊は目を覚ます。
しかし睡眠時の無防備状態ならダメージにボーナスが付く上に、状態異常なので追い打ちや背後致命などで更に一撃を重くすることが可能だ。
可能な限り大ダメージを与えて一気に倒したいところだが、問題はその手段だ。
俺が使っていたパイプオルガンも悪くないが、実のところあれは動きを止めたかっただけでダメージを狙ったものではない。この魔獣には打撃攻撃が非常に効きづらいためだ。槍や弓による刺突か、魔法攻撃が最適なのだが。
「雷撃で足りるか? それか料理人の炎付与なら」
「ちょっと火力足りないかも。熊の魔獣なら死体爆破がいちばん有効かな。あとは死霊再生でアンデッドにしたキャラに奥義撃たせて私の奥義でバフるとか」
このゲームのキャラには奥義とか必殺技とか呼ばれているスキルが備わっており、あまり使い勝手がよくないしこの局面では使用できないのだが、俺にも戦士の汎用奥義が設定されている。それは高レアキャラのレナも同じで、彼女の場合はより強力な固有の奥義を持つ。
現在の星四つの段階でのそれは任意のキャラに対する強化支援であり、星五つのネクロマンサーになっていない段階でも隠し効果として死霊に対しての強化ボーナスが存在していた。仮にレナが俺に対して奥義でバフをかけても火力は五割増し程度だが、死霊として蘇ったキャラにバフをかけると火力は倍化した上で固定値が加算される。序盤のこの段階だと、この固定値が非常に大きい。
「話は聞かせていただきました。レナお嬢様。この機会を逃してはなりません。いま一度、あの時の提案をご一考くださいませんか」
迷っていた俺たちに、『ハンスじいじ』が呼びかける。
自分を殺してレナの使役する死霊にしてほしいという川での提案。
あの時は断ったが、この緊迫した状況下では嫌な現実味があった。
確かにそれをすれば有効かもしれない。
だが、レナはいちど『それはしない』と決めた。
なにより、なるべくなら彼女にそんなことはして欲しくなかった。
「ハンスさんは俺を助けてくれました。それだけで十分に助かっているし、あなたの気持ちはきちんと受け取りました。ここは任せて、下がっていてくれませんか。あとは俺たちでなんとかしますから」
「ですが、私はどうしても奴に一撃を喰らわせてやりたいのです」
どこにぶつければいいのかわからない無念を抱えて、老人が震えながら息を吐いた。彼は杖にすがるようにして長い槍を持ってきていた。衰えた身体で突き出した穂先が熊に通用するかは怪しいものだ。
大切な家族を奪われた老人の願いを聞いてやりたい気持ちはあるが、俺を救ってくれた恩人を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
もういちど下がるように説得しようとしたその時、アネットが警戒を促すようにこちらに呼びかけた。傷を癒して様子を窺っていた仲間たちが集まってくる。
そして、俺たちは異常なものを目にした。
「は?」
眠っているはずの熊の背が盛り上がり、肉腫から獣の頭部がにょきりと生える。
ハウンド級。狼や野犬に似た小型魔獣の頭部が口を開き、高らかに吠える。
赤黒い個体だった。その咆哮は、援軍を際限なく呼び出すことが可能だ。
混ざっている。魔獣と魔獣が、一つの肉体に融け合っているのだ。
それを可能とする技術はある。あの遺跡にもそのための設備や道具があった。
だが、本来ならそんな展開はゲームに存在していない。
「錬金術の、合成? 魔獣側が?」
レナの呆然とした呟き。
全くの予想外だった。
それはプレイヤーの特権だと思っていた。
もちろん、創造の陣営に属する錬金術師なら可能な芸当だ。
しかし、あの遺跡には魔獣しかいなかったはず。暗躍していたネクロマンサーにも錬金術の道具は使えない。そういうルールだ。
ならば、この魔獣たちが自力で考えて実行したのか?
こちらの困惑を無視して事態は進行する。致命的な方向へと。
獣が吠える。仲間を呼び寄せるためのスキルは、『同種の魔獣を召喚する』という内容だった。それを中型魔獣と混ざった小型魔獣が実行した場合、どちらが召喚されるのか。俺たちは最悪の可能性を予期して祈ったが、悪い予感は的中した。
そして現れた増援は、複数体。
くま。クマ。熊。ベアー。
本体に加えて、四体の熊が新たに出現していた。




