14.悪と善の交換レート
なんだろうか、この妙な時間は。
時折、鳥の鳴き声が聞こえるほかは川の水音だけが響く。
山麓の村外れから川に沿ってしばらく歩いてきたから、俺たち以外に人の気配はない。何かを喋ったほうがいい気がするのだが、その時機が掴めずにいた。
「水遊びですかな、お嬢様。レイにアネットまで連れて、こんな場所まで珍しい」
沈黙を破ったのは向こうの方からだった。
村民にとってレナは敬い慈しむべき対象だが、それでも魔獣騒ぎの直後に水着で川遊びなどしていたら奇異の目で見られるのは当たり前だ。どうでもいいけどこういうゲームの浮かれポンチ衣装ってシリアスシーンだと浮くよな。普通は反応の差分にわざわざリソース割かないからラスボス戦に水着と浮き輪とスイカを持ち込めるけど、これってゲームが現実になった状況でも同じようにスルーしてくれるんだろうか。レナに頼んでこのまま最後まで水着でいてもらえばわかるか?
絵面がアレすぎて現実逃避してしまった。落ち着け俺。
なんと言い訳するのかと思えば、レナはばか正直に目的を口にする。
「いえ、ここへは釣りをしにきました。この服装は濡れてもいいように、じゃなくてその、レイくんに喜んで貰いたくて」
なぜわざわざ言い直した。後半は言わなくてもいいだろべつに。
妙な言い訳を聞いたハンスさんは微笑ましいものを見るような目を俺たちに向けてからこう言った。
「それはいい。そうした時間は貴重なものです。多少の向こう見ずは若者の特権。レナお嬢様と自警団の二人であれば、魔獣と遭遇しても大丈夫でしょうからな」
思わず、どういう意図の発言だろうと勘ぐってしまう。
あのとき、この老人はレナの睡眠薬によって意識を奪われていたはず。
だがこのゲームの睡眠状態というのは攻撃を一度でも受ければすぐに解除される程度の浅いものだ。何かの拍子に目覚めて昨晩の光景を見てしまった可能性もある。
「それにしても、あの小さかったレナお嬢様とレイが。そうかそうか、それはようございました」
今の所、普通の反応に見えるのだが。
なんとなく愛想笑いする俺たち。その後、意外にも『もし良ければ』とあちらからのお誘いがあった。なんでも、もう少し上流に良く釣れる場所があるから案内してくれるとのこと。
「実は前から釣りをしにこの辺りに通い詰めておりまして。川釣りには少しばかり詳しいつもりです」
「お好きなんですね、釣り。素敵な趣味だと思います」
レナがにこやかに言うと、ハンスさんはいいえ、と柔らかく否定する。
答えは意外なものだった。
「いいえ。単に復讐のためです」
絶句する。
意味が分からなかったからではない。
理解できたからこそだ。
アネットの言葉を思い出す。このハンスという老人もまた、魔獣によって苦しめられた一人なのだという事実を。
本来はこれから『レイ』が殺されるように、アネットが両親を失ったように、この老人は息子夫婦を失ったのだという。
復讐とはその件についてだろう。
俺たちにとって共通の仇、村人から『山のヌシ』と呼ばれている魔獣は川魚を好んで喰らう。特に良質な魚ならば目の色を変えてかぶりつき、大きな隙を見せる。
凶悪な魔獣を倒すためには好機が必要だ。
この老人は、その瞬間を作り出すためにこんな場所で釣りをしているというのか。
「どうやらレナお嬢様もご存じのようだ。アネットから聞きましたかな? ローレンとは何度も魚を用いた罠の仕掛けについて話し合いました。かつて一度だけ、その手を使って奴を撃退することができた。私がいま死に損なっているのは、ローレンの機転のおかげです。おかげでおめおめと生き延びてしまいましたがね」
歩き続ける老人の少し曲がった背は、本来の体格よりも小さく見えた。
ステータスを見ると、その職業は『戦士』で前世は『修道士』。屈強なフィジカルを長所とする構成だが、衰えた細い身体には若い頃の面影はない。
仮にこの老人が山のヌシの好物を釣り上げたとして、作り出した隙を活かして致命傷を与えることができるだろうか。
不可能だ。あの中ボスは昨夜戦ったような小型魔獣とはレベルが違う。
本来なら『プレイヤーが操作する主人公キャラ』抜きで戦って勝てるような相手ではないのだ。ハンスさんの行動は自殺の準備か、さもなくば復讐を夢想することによって心の安寧を得るための行為でしかない。
とはいえ、それを指摘して何になるだろう。
穏当な落としどころとしては、『俺たちに任せて欲しい』という流れに持って行くしかないのだろうが、無理を言ってついてきてしまった場合どうしたものか。
悩んでいるうちに、目的地に到着する。
深い緑色がどこまでも広がり、岸や川中には大小の石が転がっている。
用意していた竿や餌、バケツやランディングネットなどを物入れから取り出して、さっそく俺たちは釣りを開始した。
この世界における釣りはミニゲームだ。
内容としては、水面下に見える影や釣り竿の動きに合わせて動くカーソルが中心のガイドサークルの中に収まった瞬間にタイミングよくボタンを押したり、魚が餌に喰いついたら連打したりといった比較的シンプルな作業ではある。
釣り竿や餌の種類を吟味したり、釣りを開始する場所の選定といった要素も影響するとはいえ、ミニゲームなので理不尽に難しかったりはしない。
『レアな魚』『伝説の大物』『川のヌシ』なんかを初心者のはずのプレイヤーが釣りあげてしまい、ベテランの釣り人を驚かせる、みたいな『よくあるお約束』も押さえている。俺は軽く触った程度だが、レナにとっては慣れた作業だったらしく、次々と多種多様な魚を釣り上げていく。
「おお、なんとも大漁ですな。私もあやかりたいものです」
ハンスさんはレナを見て笑顔を見せた。
釣り上げた魚は料理素材、換金アイテム、信頼度アイテムになるほか、釣り上げた魚のサイズが計測されて記録となる。釣りポイントごとに設定された記録を更新することで報酬が獲得できるため、今日はそこまでが目標になる。
「あっ、ハンスさん、かかってるみたいです」
レナが思わずといった感じで声を上げた。
言葉通り老人の釣り竿が手ごたえを感じるように振動している。
でかい。水面に浮かぶ魚影はかなりの大物だ。あるいは、山のヌシを惹きつけるほどの魚かもしれない。ハンスさんは細腕に力を込めていたが、やがて堪えきれずに態勢を崩し、餌を奪われてしまう。
咄嗟に俺たちで体を支えたが、老人は見るからに意気消沈していた。
「ハンスじいじ、無理しないで」
「アネット、すまないね、気を遣わせて」
弱々しい姿に思わず俺の気持ちも沈んでいく。
ハンスさんは礼を述べてからひとりで立ち上がると、しばらく釣りを再開することなく何事かを考え続けている様子だった。
ややあってから、決然とした表情でレナを見据える。
「レナお嬢様。見てわかる通り、私は老いさらばえて戦士としては使い物にならぬありさまです。これでは憎い仇に槍を突き立てることはおろか、おびき寄せるための餌を釣り上げることすらできませぬ」
俺は『ああ、託されるのかな』と展開を予想した。
老いたり傷ついたりして戦えないため、仇を討ってくれるようにプレイヤーに頼むNPCは多い。RPGでは定番の流れだ。これでちょっとしたアイテムなんかを貰えればこっちは助かるし、頑張って敵を倒してやろうという気持ちになるわけだ。
レナも恐らくそう考えただろうし、ここは自然に請け負う流れだろう。
予想は半分くらい当たっていた。
「ですからどうか、この老骨の頼みを聞いて下さいませんか」
「はい。私にできることであれば。困っている村の皆さんの願いを聞くことは、私たちのような貴族にとっての責務でもあります。どうかなんでもお申し付け下さい」
「過分なお言葉、痛み入ります。それでは」
ハンスさんは、短く息を吸った。
さっきまで好々爺然とした微笑みを湛えていた表情が、硬く強張っている。
ちらりとアネットを見て、わずかにためらい、それから迷いを振り払って続く言葉を口にした。それだけの時間が彼には必要だったのだ。
たったそれだけの時間で、彼は決断した。
「レナお嬢様。私を殺して、あなた様のしもべにしていただけませんか」
それはレナを赦し、正当化する言葉。
ひどく都合のいい、善なるネクロマンサーにとって気持ちの良い展開だった。




