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第40話 近すぎる距離

挿絵(By みてみん)


相沢さんと話したことで、ようやく元気を取り戻したひより。


しかし、相沢さんと綾乃から言われた「律とひよりは距離が近い」という言葉が、二人の中に残っていました。


 相沢と話を終えたひよりが家へ帰ると、律はリビングにいた。


「ただいまー」


「おかえり」


 昨日までとは違い、ひよりの声はすっかり元に戻っている。


 律はそんなひよりを見てから、少し言いにくそうに口を開いた。


「ひより」


「何?」


「昨日は悪かった」


「え?」


「元カノとお前を比べたり、子供っぽいから相手にされないとか言ったこと」


 律は少し間を置いた。


「ごめん」


「ああ……」


 ひよりは少しだけ黙ったあと、笑った。


「もういいよ」


「ほんとか?」


「うん。相沢さんともちゃんと話せたし」


「そっか」


「聞いてよ。相沢さんね、私が嫌だったから観覧車で止めたんじゃないんだって」


「うん」


「元カノのことがまだ完全に忘れられてなくて、中途半端な気持ちのままキスするのは違うと思ったんだって」


「それで?」


「今すぐ恋人になるのは難しいけど、まずは友達としてもっと仲良くなって、その先でいつか恋人になれたらって」


 ひよりは嬉しそうに続ける。


「それに今度、また二人で出かけるの!」


「よかったな」


「何その薄い反応」


「ちゃんと聞いてるよ」


「もっと『よかったじゃん』とかないの?」


「よかったじゃん」


「言わされてる感すごいんだけど」


 すっかりいつものひよりに戻っている。


 律は少し安心したあと、ふと思い出したように言った。


「それでさ。俺も相沢さんと一ノ瀬と話してて、気づいたことがあるんだ」


「何?」


「俺たち、ちょっと距離近すぎるんじゃないか?」


「……またその話?」


「最近ずっと一緒にいるから全然気にしてなかったけど、相沢さんと一ノ瀬の二人に言われて、改めて考えたら確かに近いと思った」


「そうかなあ」


「そうだろ」


 律はひよりを見る。


「お互いのためにも、ちょっと直した方がいいんじゃないか?」


「お互いのため?」


「変な誤解されないため。お前、相沢さんとうまくいきたいんだろ?」


「もちろん」


「だったら普段から行動を意識しないと、またボロが出るぞ」


「ボロって何よ」


「例えば今日から、俺が口つけたジュースを勝手に飲むのやめろ」


「えー、そこ?」


「世間で言う間接キスだろ」


 ひよりは少し考えた。


「……そんなの今まで一回も気にしたことなかった」


「俺も」


「じゃあいいじゃん」


「よくないから話してるんだろ」


「めんどくさいなあ」


「あとポテチも、一つの袋から一緒に食べるんじゃなくて、ちゃんと皿に分けよう」


「それも?」


「それも」


「いちいち皿出すの面倒なんだけど」


「洗えばいいだろ」


「律が洗ってよ」


「そういうところもだよ」


「何が?」


「すぐ俺にやらせるところ」


「いいじゃん、それくらい」


「よくない」


「急に細かいなあ」


 律はさらに続ける。


「あと、もうお前の髪も結ばない」


「えー」


「美咲さんに頼め」


「お母さん忙しい時あるじゃん」


「自分で結べ」


「この前はやってくれたのに」


「そのこと綾乃に話したら、距離近いって思われてただろ」


「あー……」


 ひよりも少し納得したようだった。


「あと部屋もちゃんと片づけろ」


「それは距離と関係ないでしょ」


「ある。俺が普通にお前の部屋入って物探したりしてるのも、考えたら変だろ」


「だって律、場所知ってるじゃん」


「だからそれがおかしいって言ってんの」


「面倒くさ……」


「洗濯物も出しっぱなしにするなよ。下着とかその辺に置くな」


「ちょっと! そこまで言わなくていいでしょ!」


「今まで気にしてなかったけど、普通は気にするだろ」


「家なんだからいいじゃん」


「あと、お前さ。家で気抜きすぎ」


「何が?」


「今まで俺も全然気にしてなかったけど、もう少し男が家にいると思った格好しろよ」


「男って律?」


「そうだよ。あと風呂上がりにバスタオルのままウロウロするのもやめろ」


「自分の部屋まで行くだけじゃん」


「そういう問題じゃない」


「急にうるさくなったね」


「俺も今まで気にしてなかったんだよ。でも……これからはちょっと気をつけようって話だろ」


 ひよりは律をじっと見た。


「律が男ねえ……」


「何だその反応」


「だって今までそんなふうに思ったことなかったし」


「俺だって、お前を女として意識してなかったよ」


「じゃあいいじゃん」


「だからこれからは少し意識しようって言ってるんだろ!」


「分かった分かった」


 ひよりは面倒そうに答えた。


「じゃあ今日から気をつければいいんでしょ」


「俺も気をつけるから、お互いにな」


「はいはい」


 それから数日。


 二人の生活は少しだけ変わった。


 冷蔵庫からジュースを取り出したひよりが、いつもの癖で律の飲みかけに手を伸ばす。


「あ……」


「何?」


「これ飲んじゃダメなんだった」


「自分の取れよ」


「前まで普通に飲んでたのに」


「もうやめるって決めただろ」


「はーい」


 お菓子を食べる時も、律が二枚の皿を用意する。


「はい、お前の分」


「……何か変な感じ」


「俺も思う」


「今までずっと袋から一緒に食べてたもんね」


「そうだな」


 二人とも、今まで何とも思っていなかったことを、一つずつ意識するようになっていた。


 そんな二人の変化に、美咲もすぐ気づいた。


「あらあら。最近二人とも何だかよそよそしいわね。どうしたの?」


「別に」


 律が答える。


「前はあんなに喧嘩して仲良かったのに」


「喧嘩して仲良かったって何よ」


 ひよりが言い返した。


「相沢さんと綾乃ちゃんに、私たち距離が近いって言われたの」


「あら、そうなの?」


「それで、ちょっと気をつけるようにしたんです」


 律も続ける。


「飲み物とかお菓子とか、今まで普通に一緒にしてたんですけど」


「家族なんだから、近くてもいいんじゃないの?」


「お母さん、そういうわけにいかないの」


「どうして?」


「相沢さんがめっちゃ気にしてるから」


「あらあら」


「私は相沢さんとうまくいきたいんだから、変に誤解されたくないの」


「律君も?」


「俺も綾乃に変に思われたくないです」


 美咲は二人を見比べる。


「二人とも、それぞれ好きな人ができたのね」


 楽しそうに笑った。


「恋っていいわねえ」


「うん、そうでしょ?」


 ひよりはすぐに頷く。


「私は相沢さんとうまくいきたいもん」


「俺はそんなんじゃない」


 律が否定した。


「綾乃とは友達だから」


「またそんなこと言って。綾乃ちゃん、律のこと好きなのに」


「それと俺の気持ちは別だろ」


「だからもっと綾乃ちゃんを女の子として見なきゃだめなの!」


「何でお前にそこまで言われなきゃいけないんだよ」


「綾乃ちゃんのため!」


「余計なお世話だよ」


「ほら、またそういうこと言う!」


 二人が言い合い始める。


 美咲はそんな二人を見て笑った。


「距離を取ってても、喧嘩はいつも通りなのね」


「これは関係ないの!」


「そうそう」


 そこだけは二人とも同意した。


 その日の夜。


 律の部屋で、二人はいつものように勉強していた。


 ただし、今日はいつもと少し違う。


 ひよりと律の間には、今までより少し広めの隙間が空いていた。


「……なあ」


「何?」


「勉強する時まで、こんな離れる必要あるか?」


「律が距離取ろうって言ったんじゃん」


「言ったけどさ」


 律はひよりの問題集を見ようとする。


「ちょっとそっち寄せて」


「はい」


「……見えない」


「え?」


「俺、目悪いし。こんな離れてたら問題見えにくい」


「じゃあ近くに来ればいいじゃん」


「近づいたら距離取ってる意味ないだろ」


「じゃあどうやって教えるのよ」


「……分かんねえ」


「めんどくさ!」


 二人は少し黙った。


 ひよりがふと思い出す。


「そういえば今まで、勉強するときもっと近かったよね」


「うん」


「普通に肩とか腕くっついてた」


「……そうだな」


「ソファに座ってる時も、結構くっついてた気がする」


「確かに」


「全然気にしてなかったね」


「俺も」


 二人は顔を見合わせた。


「顔も近かったよな」


「……うん」


 同じ問題集をのぞき込んでいた時は、気づけばお互いの顔がすぐ近くにあることも珍しくなかった。


 けれど、今まで一度も気にしたことはなかった。


「何で今まで平気だったんだろ」


「ずっと一緒にいるからじゃない?」


「まあ……そうなんだろうけど」


 律はもう一度問題集を見る。


「でも、このままじゃ教えられないしな」


「じゃあ勉強の時だけいいんじゃない?」


「仕方ないか」


 律が椅子を少し寄せた。


「ここ。さっき間違えてたところ」


「どこ?」


「この式」


「だから、それが分かんないんだって」


「まずここを――」


 律が問題集を指差す。


 ひよりも同じ場所をのぞき込んだ。


 気づけば二人の顔は、今までと同じくらい近くなっていた。


「……律」


「何?」


「顔、近い」


「……あ」


 律も気づき、少しだけ離れた。


「今までこんな近かったっけ?」


「近かったよ……たぶん」


「全然気にしてなかった」


「私も」


 また少し沈黙する。


 つい数日前までなら、何とも思わなかった距離だった。


 けれど今は、なぜか妙に気になる。


「……まあ、勉強の時くらい仕方ないか」


「うん」


 二人はそう言いながら、どこかぎこちないまま問題集へ視線を戻した。


 しばらくして。


 隣の部屋から、聞き慣れたいつもの声が聞こえてきた。


「……」


「……」


 ひよりと律は同時に黙った。


 今までなら、またかと思うだけだった。


 けれど今日は、さっきまでお互いの顔の近さを意識していたばかりだ。


 何となく気まずい。


「……律」


「何?」


「私、自分の部屋戻るわ」


「え?」


「今日はもう自分の部屋で勉強する」


「ああ……うん」


 ひよりは問題集とノートをまとめた。


「じゃあ」


「うん」


 ひよりはそのまま律の部屋を出ていく。


 一人になった律は、閉まった扉をしばらく見ていた。


 今までなら、何とも思わなかった。


 ひよりも同じだったはずだ。


 それなのに一度距離を意識しただけで、今まで当たり前だったことまで、少しずつ違って見え始めていた。


相沢さんと綾乃の言葉をきっかけに、少し距離を取ることにしたひよりと律。


ところが離れてみたことで、今までどれだけ自然に近くにいたのかを改めて知ることになります。


これまで何とも思っていなかった二人は、少しずつお互いを異性として意識し始めたようです。

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