第36話 ホワイトデー
三月十四日。
朝からよく晴れていた。
出かける準備を終えたひよりは、バッグを持ってリビングへ向かった。
律も少しして駅へ向かうことになっている。
「結局どこ行くの、律?」
「まだ分からない」
「え?」
「綾乃が行きたいところに行くってことしか聞いてないから」
「そうなんだ」
「そういうお前こそ、どこ行くんだよ」
「私も分かんない。相沢さんと相談して決めるから」
「ふーん」
その時、ひよりのスマホが鳴った。
「あ、相沢さんの車、家の前に着いたみたい」
ひよりはバッグを持つ。
「じゃあ律、行ってくるね」
「うん」
「あ、今日は勉強って言ったら駄目だからね」
「まだ何も言ってないだろ」
「念のため」
「じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
ひよりは玄関を出た。
◇
家の前には晴真の車が停まっていた。
「おはようございます」
「おはよう、ひよりちゃん」
ひよりは助手席に乗り込み、シートベルトを締めた。
「ひよりちゃん、今日はどこ行きたい?」
「うーん……相沢さんと一緒なら、どこでもいいです」
「また何でもいい?」
「だって本当にどこでもいいんですもん」
晴真は少し考える。
「じゃあ今日晴れてるし、遊園地に行く?」
「えっ、ほんとですか?」
ひよりの表情が一気に明るくなる。
「やったあ! 遊園地行きたかったんです!」
「それなら最初から言ってくれたらいいのに」
「だって相沢さんが行きたいところもあるかなって」
「僕はひよりちゃんが楽しめるところでいいよ」
「じゃあ遊園地!」
「決まりだね」
晴真は車を走らせる。
「どこの遊園地にする? 車だから遠いところでも行けるよ」
「うーん……今日は近くの遊園地でいいかな」
「近くでいいの?」
「はい。また今度、遠くの遊園地連れて行ってください」
「分かった」
「約束ですよ?」
「うん。じゃあ今日は近くのところにしようか」
「はい!」
◇
少し遅れて、律も家を出た。
駅へ着くと、綾乃はすでに待っていた。
「もう、律遅い」
「ごめんごめん」
「待ったんだからね」
「悪かったって」
律は綾乃の隣に並ぶ。
「一ノ瀬は今日どこ行きたいの?」
「昨日から決めてたの」
「どこ?」
「雨だったら水族館。晴れたら遊園地」
「今日は晴れてるな」
「だから近くの遊園地に行こう」
「分かった」
二人は改札へ向かう。
少しして、律が思い出したように言った。
「そういえば、ひよりのやつも今日相沢さんと出かけるとか言ってたな」
「そうなの?」
「うん。相沢さんの車が家まで迎えに来てた」
「へえ」
「あいつ、どこ行くんだろ」
綾乃は律を見る。
「またひよりちゃんの話?」
「え?」
「今日、私とデートなんだから、ひよりちゃんの話はナシ」
「ああ、ごめん」
「ちゃんと私のこと見てよね」
「分かってるって」
「ほんとかなあ」
綾乃は少し笑って、律の隣を歩いた。
◇
ひよりたちは、一足先に遊園地へ着いていた。
入口を抜けると、ひよりはすぐに大きなジェットコースターを見上げた。
「相沢さん、最初あれ行きましょう!」
「いきなりジェットコースター?」
「人気だから、先に乗った方がいいですよ。あとから混んだら嫌だし」
「分かった」
「行きましょう!」
一回目。
降りてすぐ、ひよりが言う。
「もう一回乗りたいです!」
「もう?」
「次は後ろの方!」
「元気だね」
二回目。
三回目。
四回目。
晴真はさすがに疲れてきたが、ひよりはまだ楽しそうだった。
「相沢さん、もう一回乗りたいです!」
「まだ乗るの?」
「はい! 次で五回目です」
「五回目?」
「今度は一番後ろ乗りたいです」
「ほんとに好きなんだね」
「大好きです。もう一回だけ!」
「いいよ」
二人が再び列へ向かおうとした時だった。
「あれ?」
ひよりが足を止める。
「……律?」
少し先に、綾乃と一緒にジェットコースターから降りてきた律がいた。
「ひより?」
「えー! 律たちもここだったの?」
綾乃も驚いたように言う。
「ひよりも?」
「うん。私たちも遊園地」
晴真も二人を見る。
「律君たちもここだったんだ」
「はい。偶然ですね」
律はそう答えてから、ひよりを見る。
「お前、何回乗ったの?」
「今四回。次で五回目」
「五回?」
「うん」
「お前、何回も乗ったら相沢さんが迷惑だろ」
「何で律が言うの?」
「他の乗り物も乗れよ。せっかく遊園地来てるんだから」
ひよりは律の顔を見る。
「あー」
「何?」
「律、ジェットコースター怖かったんだ」
「は?」
「一回しか乗ってないじゃん」
「怖くない」
「ほんとかなー」
「ほんとだよ」
「じゃあもう一回乗れば?」
「何でお前と張り合わなきゃいけないんだよ」
「やっぱり怖いんじゃん」
「違うって!」
ひよりは楽しそうに笑った。
律は呆れたように息をつく。
「もういい。俺たちは違う乗り物行くから」
「うん。綾乃ちゃん楽しんできてね」
「ひよりもね」
「じゃあな」
「またね」
律と綾乃はその場を離れていった。
ひよりはすぐに晴真を見る。
「相沢さん、じゃあ五回目行きましょう!」
「まだ行くんだ」
「もちろんです!」
晴真は笑いながら、ひよりと一緒に再び列へ向かった。
◇
そのあと、ひよりと晴真はコーヒーカップに乗った。
急流を下るアトラクションでは、水しぶきを浴びて二人で笑った。
空中ブランコ、サイクリングモノレール、メリーゴーランド。
飛行機の形をした乗り物にも乗り、園内を一周する機関車にも乗った。
「相沢さん、次あれ!」
「まだ乗るの?」
「せっかく来たんだから、いっぱい乗りたいです」
「朝からずっと元気だね」
「相沢さんも楽しいでしょ?」
「うん。楽しいよ」
「じゃあ次行きましょう!」
ひよりは一日中楽しそうだった。
◇
夕方。
空が夕焼けに染まり始めた頃、晴真が観覧車を指さした。
「最後、あれ乗る?」
「乗りたいです」
「じゃあ行こうか」
二人で観覧車へ向かう。
ところが、列の近くまで来たところで、また見覚えのある二人がいた。
「……また律」
ひよりが言う。
律も気づく。
「またお前ら?」
綾乃が笑った。
「今日はほんとによく会うね」
「最後まで一緒になるとは思わなかった」
ひよりも笑う。
しばらく四人で列に並んでいたが、ひよりが律を見る。
「でも一緒には乗りたくないからね」
「こっちもだよ」
「せっかくの観覧車なんだから」
「それはこっちも同じ」
「じゃあ別々ね」
「最初からそのつもりだよ」
言い合いながらも、ひよりは律と綾乃の方を気にしていた。
観覧車の中で、二人はどうするんだろう。
もしかしてキスしたりするのだろうか。
律も晴真とひよりの方をちらりと見る。
観覧車で二人きりになったら、ひよりたちはどうするのだろう。
「律?」
綾乃に呼ばれ、律はそちらを見る。
「何?」
「次、私たちだよ」
「ああ」
二組はそれぞれ別のゴンドラへ乗り込んだ。
◇
ゆっくりと観覧車が上がっていく。
窓の外には、夕暮れの街が広がっていた。
「綺麗……」
ひよりが外を見る。
「ほんとだね」
しばらく二人で景色を眺める。
「今日は楽しかった?」
「はい。すごく!」
「ジェットコースター五回はさすがに疲れたけど」
「でも全部付き合ってくれたじゃないですか」
「ひよりちゃんが楽しそうだったからね」
「ありがとうございます」
ひよりは晴真を見る。
観覧車の中には二人しかいない。
晴真もひよりを見る。
少しずつ、二人の距離が近づく。
ひよりは何も言わなかった。
晴真の顔が近づいてくる。
けれど、あと少しというところで止まった。
「……ごめん」
「え?」
晴真は少し離れた。
「やっぱり今日はやめとく」
「……そうですか」
「また今度にしよう」
「はい」
ひよりは晴真を見る。
少し残念だった。
「あ、そうだ」
晴真が思い出したように言う。
「何ですか?」
「これ渡すの忘れてた」
晴真は小さな箱を取り出した。
「ホワイトデーのお返し」
「え、プレゼント?」
「うん。ひよりちゃんに似合うと思って買った」
「開けていいですか?」
「もちろん」
ひよりが箱を開ける。
「わあ……」
中には華奢なネックレスが入っていた。
「素敵……」
「気に入った?」
「はい! すごく可愛いです」
「よかった」
「相沢さんが選んでくれたんですか?」
「うん」
ひよりは嬉しそうにネックレスを見る。
「ありがとうございます。大事にします」
「そうしてくれたら嬉しいな」
◇
一方、別のゴンドラ。
綾乃も窓の外を見ていた。
「綺麗だね」
「うん」
「遊園地にしてよかった?」
「よかったよ」
「ほんと?」
「うん。楽しかった」
綾乃は律を見る。
「私も。律と来られてよかった」
「そっか」
観覧車の中には二人しかいない。
綾乃は律を見る。
今日こそ、もう少し近づきたい。
キスできたら――。
「律」
「ん?」
けれど、昼間のひよりと律のやり取りが頭に浮かんだ。
この前、律の家で見た二人の姿も思い出す。
綾乃は少し迷ってから、窓の外へ視線を戻した。
「……何でもない」
「何だよ」
「景色、綺麗だなって」
「そうだな」
あと少し近づけばいいだけなのに。
綾乃は踏み出せなかった。
その時、律が思い出したように言った。
「あ、そうだ」
「何?」
「これ」
律が袋を差し出す。
「バレンタインのお返し」
「え? デートがお返しじゃなかったの?」
「俺もそう思ってたんだけど、デートだけじゃなくて物も返した方がいいってひよりが言うから」
「……そうなんだ」
「開けていいよ」
「うん」
綾乃は袋から小さな箱を取り出した。
箱を開ける。
「わあ、可愛い!」
ラインストーンや小さなパールがついた三本のヘアピンが並んでいた。
「私、こういうの欲しかった」
「使えそう?」
「うん!」
綾乃は嬉しそうに律を見る。
「ありがとう。律、センスあるじゃん」
「あー、それな」
「うん?」
「ひよりが選んだ」
「……ひよりが?」
「俺、女の子が何もらったら嬉しいか分からなかったから、一緒に選んでもらったんだよ」
「そう……なんだ」
「あと、そのマカロンも。味はほとんどひよりが選んだ」
綾乃の表情が一瞬曇った。
けれど、すぐに笑った。
「……ありがとう。嬉しいよ」
「ならよかった」
綾乃はもう一度ヘアピンを見る。
可愛い。
本当に欲しかったようなデザインだった。
でも、それを選んだのは律ではなく、ひよりだった。
◇
観覧車を降りると、少し先に律と綾乃の姿があった。
「あ……また律たち」
ひよりが言う。
「今日はほんとによく会うね」
晴真は笑った。
四人で出口へ向かって歩いていると、晴真が律に聞いた。
「律君たちは電車で帰るの?」
「はい」
「よかったら、律君と彼女も僕の車で送って帰ろうか?」
「あ、彼女じゃないですけど」
律が答える。
「あ、そうなんだ。ごめん」
「でも助かります。今日結構疲れたんで」
「じゃあ乗ってく?」
「はい。お願いします」
「え?」
ひよりが思わず律を見る。
「何?」
「いや……別に」
ひよりは晴真の横顔を見る。
せっかくこのあとも晴真と二人で帰れると思っていた。
車の中で今日のことを話したり、どこかで夜景を見たり。
もう少し二人きりでロマンティックに過ごしたかったのに。
よりによって、律たちまで一緒に帰ることになるなんて。
「綾乃もいいだろ?」
律が聞く。
「……うん。もちろん」
綾乃も笑った。
電車で帰るのは確かに面倒だった。
けれど、本当は律と二人きりで帰りたかった。
今日のデートのことを話しながら駅まで歩いて、電車でも隣に座って。
そんな帰り道を楽しみにしていた。
「じゃあ決まりだね」
晴真は何も気づかず笑った。
◇
晴真の車で送ってもらい、律とひよりは家へ帰った。
玄関へ入るなり、ひよりが律を振り返る。
「律!」
「何?」
「何で一緒に乗って帰るのよ!」
「え?」
「せっかく相沢さんと二人きりで帰れると思ってたのに!」
「別にいいじゃん。乗せてくれるって言うんだしさ」
「よくない!」
「交通費もかからないし、電車よりこっちの方が楽じゃん」
「そういう問題じゃないの!」
「じゃあ何なんだよ」
「私、相沢さんと二人で帰りながら、また夜景とか見てロマンティックに過ごしたかったの!」
「知らないよ、そんなの」
「律が乗ってこなかったらできたかもしれないじゃん!」
「俺に言われても」
「もう、だから律は!」
「何だよ」
「ジェットコースター一回で疲れるとかあり得ない! 絶対こんな男、彼氏なんかにしたくない!」
「は?」
律もすぐに言い返した。
「俺の方こそ、お前みたいな女、彼女にしたくない」
「何よ!」
「ジェットコースター五回も乗るし、人のジュース勝手に飲むし、何でも俺に頼むし」
「それ今関係ないでしょ!」
「お前が彼氏にしたくないとか言い出したんだろ!」
「だって本当だもん!」
「こっちだって本当だよ!」
「律なんか大嫌い!」
「そのくらいこっちも同じだよ!」
「何よ!」
二人の声がリビングまで響く。
小春と陽太は顔を見合わせると、美咲のところへ行った。
「お母さん」
「何?」
「またお兄ちゃんとお姉ちゃん喧嘩してるよ」
「今日デートだったのにね」
陽太も不思議そうに言う。
美咲は玄関の方から聞こえてくる二人の声を聞いて、笑った。
「ほんと、帰ってきたらいつも通りね」
ホワイトデーの一日は、結局いつもの喧嘩で終わった。
それぞれ別の相手と過ごしたホワイトデー。
偶然同じ遊園地を選んだ二組は、何度も鉢合わせすることになりました。
ロマンティックになりそうで、どこかうまくいかない。
そして家へ帰れば、ひよりと律は結局いつも通りでした。




