第35話 綾乃がやって来た
ホワイトデーを前に、律とのデート先を迷っている綾乃。
そんな中、予備校の授業が休校になったことをきっかけに、初めて篠宮家へ遊びに行くことになります。
学校では見えなかった、ひよりと律の普段の姿を目にした綾乃は――。
ある日の休み時間。
ひよりは綾乃の席の近くで、ホワイトデーの話をしていた。
「そういえば綾乃ちゃん、ホワイトデーのデートどこに行くことになったの?」
「まだ決めてないの」
「そうなの?」
「水族館か映画か遊園地で迷ってて」
「いいじゃん。どれもデートっぽい」
「ひよりだったらどこがいい?」
「私?」
ひよりは少し考える。
「私は相沢さんと遊園地行きたいなあ」
「遊園地?」
「うん。絶叫系とか一緒に乗りたい」
「楽しそう」
「でも律って遊園地って感じしないよね」
「え?」
「ジェットコースター乗っても、普通の顔して降りてきそう」
綾乃が笑う。
「ちょっと分かるかも」
「でしょ?」
ひよりも笑った。
そのまま話しているうちに、ひよりが思い出したように言う。
「そういえばこの前、相沢さんがうちに遊びに来たんだけど」
「え、相沢さん家に来たの?」
「うん」
「どうだった?」
「最悪だった」
「最悪?」
「うちの家、かなりわちゃわちゃしてるから。お母さんも小春も陽太も余計なこと言うし、律までいらないこと言うし」
「そんなに?」
「相沢さんに家の中見られたの、めちゃくちゃ恥ずかしかった」
「でも、なんか楽しそう」
「どこが?」
「私もちょっと見てみたいな」
「え?」
「ひよりたちが家でどんな感じなのか」
「綾乃ちゃん、多分びっくりするよ」
「でも行ってみたい」
「私はいいけど……」
ひよりは少し考えてから言った。
「律に聞いてみたら?」
「うん。聞いてみる」
◇
昼休み。
綾乃は律のところへやって来た。
「律」
「何?」
「今日、予備校の授業が休校になったんだけど」
「うん」
「学校帰りに律の家、遊びに行ってもいい?」
「……今日?」
律は少し迷った。
この前、晴真が家へ来た時のことを思い出す。
小春と陽太は余計なことを言い、美咲は途中から酒まで飲み始め、ひよりの洗濯物や風呂場での出来事まで全部話してしまった。
「うち?」
「うん」
「……やめといた方がいいと思うけど」
「何で?」
「この前、相沢さん来た時かなりひどかったから」
「ひよりから聞いた」
「もう聞いたの?」
「だから余計に見てみたい」
「何でだよ……」
「だめ?」
「まあ……来たいならいいけど」
「ほんと?」
「ただし、うちの家族が何言っても気にするなよ」
「そんなに?」
「来たら分かる」
綾乃は少し楽しそうに笑った。
「じゃあ私、駅前のデパート寄ってから行くね」
「何で?」
「初めてお邪魔するんだから、手土産買うの」
「別にそんなのいらないって」
「そういうわけにはいかないでしょ」
「真面目だな」
「普通だよ」
「じゃあ先帰ってる」
「うん。あとから行くね」
◇
放課後。
綾乃は学校から駅前のデパートへ向かった。
菓子売り場を見て回り、篠宮家の人数を考えながら、少し高級な個包装のお菓子が入った箱を選ぶ。
そのあと律から送られてきた住所を確認し、篠宮家へ向かった。
インターホンを押すと、少しして律が玄関を開ける。
「来た」
「お邪魔します」
「どうぞ」
綾乃が玄関へ入ると、奥から小春と陽太がやって来た。
「あ!」
小春が嬉しそうに言う。
「律お兄ちゃんの彼女来た!」
「え?」
「小春!」
律がすぐに止める。
「彼女じゃないから」
「でもデートするんでしょ?」
「何で知ってるんだよ」
「ひよりお姉ちゃんが言ってた」
「ひより……」
陽太も綾乃を見る。
「この前は、ひよりお姉ちゃんの彼氏も来たよ」
「彼氏?」
綾乃が律を見る。
「相沢さんのこと」
そこへひよりがやって来た。
「違うから! 相沢さんは彼氏じゃないって!」
「でもひよりお姉ちゃん、相沢さんのこと好きなんでしょ?」
「陽太!」
綾乃は思わず笑った。
「来てすぐすごいね」
「だから言っただろ」
律が言う。
「うち、こんな感じだから」
「ほんとににぎやかだね」
「笑ってる場合じゃないよ、綾乃ちゃん」
ひよりが困ったように言う。
「毎日こんな感じなんだから」
綾乃は持っていた紙袋を差し出した。
「これ、みんなで食べて」
「え、わざわざ買ってきたの?」
「初めてお邪魔するんだから、このくらい普通でしょ」
「ありがとう」
ひよりが受け取った瞬間、小春と陽太が近づいてくる。
「お菓子?」
「何入ってるの?」
「まだ綾乃ちゃん来たばっかりだから!」
「食べていい?」
「あとでね!」
ひよりが二人を止める。
綾乃は笑いながら、その様子を見ていた。
自分の家なら、お客さんからもらった物をすぐ開けようとすることはまずない。
けれど小春も陽太も、悪気などまったくなさそうだった。
「そんなに気になるなら、あとでみんなで食べよう」
綾乃が言うと、
「わーい!」
二人が揃って喜んだ。
綾乃は少し戸惑いながらも、つられて笑った。
◇
リビングへ入ると、美咲が迎えてくれた。
「綾乃ちゃん、いらっしゃい」
「お邪魔します」
「いつも律君とひよりがお世話になってます」
「いえ、こちらこそ」
「綾乃ちゃん、すごくしっかりしてるのね」
「そんなことないです」
「手土産まで持ってきてくれたのよ」
ひよりが紙袋を見せる。
「まあ、ありがとう。そんな気を使わなくてよかったのに」
「初めてなので」
「綾乃ちゃん、しっかりしてるのね。ひよりにも見習ってほしいわ」
「お母さん!」
「ひより、相沢さんの家に初めて行った時、手土産持って行った?」
「え?」
ひよりは少し考える。
「あ……持って行ってない」
「ほらね」
「もう、その話しなくていいでしょ!」
綾乃が思わず笑った。
しばらくして、美咲がお茶と綾乃が持ってきたお菓子をテーブルへ出した。
小春と陽太は待っていましたとばかりに箱を覗き込む。
「これ食べる!」
「僕これ!」
「一個ずつね」
美咲が言う。
「わーい!」
綾乃は二人の勢いに少し驚きながらも、自分も一つ取った。
「おいしい?」
小春が聞く。
「うん。おいしいよ」
「これ高そう」
陽太が言う。
「陽太、そういうこと言わないの」
「だっておいしいもん」
「まあ、気に入ってくれたならよかった」
綾乃は笑った。
◇
話をしているうちに、最初は少し遠慮していた美咲も、だんだんいつもの調子になっていった。
「綾乃ちゃん、学校では律君とひよりってどんな感じなの?」
「席が隣だから、よく話してますけど」
「家でもずっとあんな感じよ」
「お母さん、余計なこと言わなくていいから」
ひよりがすぐに止める。
「だって本当じゃない」
小春も楽しそうに言った。
「ひよりお姉ちゃん、律お兄ちゃんが食べてるポテチ勝手に取るよ」
「またその話するの?」
「ジュースも飲むよ」
陽太まで続ける。
「勝手に飲んでるだけだからな」
律が言う。
「ちょっとくらいいいじゃん」
「自分のあるだろ」
「律の飲んでるやつの方が飲みたくなる時あるじゃん」
「知らないよ」
綾乃は二人を見る。
学校では、ここまで遠慮なく言い合っているところはあまり見たことがない。
美咲がさらに続ける。
「この前なんて、私が気づかなくて洗濯物が紛れ込んじゃったことで二人で喧嘩してたし、お風呂もひよりが鍵かけ忘れて喧嘩になったり……もう大変なのよ」
「お母さん!」
ひよりが声を上げる。
「綾乃ちゃんにまで言わなくていいから!」
「でも本当でしょ?」
「本当でも言わなくていいの!」
「俺はどっちも悪くないけど」
律が口を挟む。
「律も黙って!」
「洗濯物は俺のせいじゃないし、風呂だって鍵かかってなかったんだから仕方ないだろ」
「だからって開けないでよ!」
「中にいると思わないだろ」
「もうその話やめて!」
綾乃は笑ってしまう。
「ひより、本当に家だと全然違うね」
「今日はみんな余計なことばっかり言ってるだけ!」
「でも楽しそう」
「綾乃ちゃんまで……」
◇
しばらくすると、ひよりがテーブルの上を見て言った。
「律、それ取って」
「何?」
「そこのティッシュ」
「自分で取れよ」
「律の方が近いじゃん」
「はい」
「ありがと」
律は文句を言いながら、普通にひよりへ渡した。
少しして今度は、
「律、ジュースちょうだい」
「自分のあるだろ」
「そっちちょっと飲みたい」
「一口だけな」
「分かってるって」
ひよりは律のジュースを少し飲むと、そのまま返した。
「ありがと」
「ほんと遠慮ないな」
「今さらでしょ」
綾乃はそのやり取りを黙って見ていた。
学校でも二人はよく話している。
けれど家では、それ以上だった。
頼むことも、文句を言うことも、物を共有することも、二人にとってはあまりにも普通のことらしい。
「綾乃ちゃん」
ひよりに呼ばれ、綾乃は顔を上げた。
「何?」
「ホワイトデー、どこ行くか決めた?」
「まだ迷ってる」
「遊園地にしたら?」
「ひより、遊園地推すね」
「だって楽しそうじゃん」
ひよりは律を見る。
「律、ちゃんと綾乃ちゃん楽しませてあげなよ」
「分かってるよ」
「遊園地行ったらジェットコースター乗りなよ」
「俺、別に苦手じゃないけど」
「やっぱり真顔で乗りそう」
「何だよそれ」
綾乃は二人のやり取りを見ながら笑った。
ひよりは、本当に自分と律のデートを楽しみにしてくれている。
相沢の話をする時も、ひよりはいつも嬉しそうだ。
だから、ひよりが律を好きだとは思えない。
それなのに。
目の前の二人は、自分と律よりずっと自然に近く見えた。
◇
夕方。
「そろそろ帰るね」
綾乃が立ち上がる。
「もう帰るの?」
小春が残念そうに言う。
「また来てね」
陽太も続ける。
「うん。また来るね」
「綾乃ちゃん、今日はありがとう」
美咲が言った。
「こちらこそ。すごく楽しかったです」
「ほんと?」
ひよりが聞く。
「うん。思ってたよりずっとにぎやかだったけど」
「でしょ?」
「でも楽しかった」
「また来てもいいよ」
「ほんと?」
「もちろん」
綾乃は少し笑った。
「じゃあまた来ようかな」
玄関まで律とひよりが見送る。
「気をつけてね」
「うん」
「じゃあな」
「また明日」
綾乃は二人に手を振り、篠宮家をあとにした。
◇
駅へ向かう道を一人で歩きながら、綾乃はさっきまでのことを思い返していた。
小春も陽太も可愛かった。
美咲も明るくて、たくさん話してくれた。
にぎやかで、温かくて、本当に楽しかった。
それなのに、何度も頭に浮かぶのは律とひよりの姿だった。
『律、それ取って』
『自分で取れよ』
『律の方が近いじゃん』
『はい』
そんなやり取りを、二人は何度も当たり前のようにしていた。
ジュースもお菓子も、何の遠慮もなく共有する。
律は文句を言いながらも、結局ひよりの頼みを聞いていた。
ひよりは自分と律のデートを応援してくれている。
相沢と遊園地に行きたいと楽しそうに話していた。
だから、ひよりが律を好きだとは思えない。
「……なのに」
綾乃は少しだけ歩く速度を落とした。
学年末テストで順位が落ちた時。
心配してくれたのは高橋だった。
律は何も言わなかった。
その律は、ひよりが七十二位に入ったことをずっと気にしていた。
今日だって、ひよりが何か頼むたびに、文句を言いながら自然に応えていた。
「恋愛対象じゃないって、二人とも言ってたよね……」
楽しかった。
また遊びに行きたいとも思う。
けれど胸の奥には、言葉にしにくい小さな引っかかりが残っていた。
綾乃はその気持ちを抱えたまま、駅へ向かって歩いていった。
初めて篠宮家を訪れた綾乃。
にぎやかな家族との時間を楽しみながらも、学校では見えなかったひよりと律の自然な距離の近さを知ることになりました。
楽しかったはずの帰り道、綾乃の胸には少しだけ複雑な気持ちが残ります。




