第26話 張り切るお母さん
二月に入り、ひよりはアルバイトを辞め、美咲も朝と夜の仕事を辞めて昼の仕事一本になりました。
新しい生活に余裕ができた美咲は、朝から家事に張り切ります。
二月に入った最初の平日。
ひよりが朝、リビングへ下りると、キッチンからいい匂いがしていた。
「おはよう」
「おはよう、お母さん」
美咲はニコニコしながら弁当箱を並べている。
「今日から朝の仕事がなくなったから、今日はお弁当作ったわよ」
「え、ほんと?」
「今日から昼の仕事一本になったし、仕事と家事も両立できそうだから」
テーブルには四つの弁当箱が並んでいた。
「四つ?」
「健一と私と、律君とひよりの分」
「小春と陽太は?」
「二人は給食でしょ」
「あ、そっか」
ちょうど律もリビングへ入ってきた。
「おはようございます」
「律君、おはよう。今日からお弁当あるからね」
「ありがとうございます」
美咲は洗濯機の方を見る。
「洗濯も回してるから、仕事行く前に私が干すから大丈夫よ」
「お母さん、朝から張り切ってるね」
「だって、今までなかなかできなかったんだもの。今日は仕事も早く終わると思うから、小春ちゃんと陽太のお迎えにも行くわ」
「いきなり全部やって大丈夫?」
「大丈夫よ」
美咲は楽しそうだった。
朝食を終え、健一が仕事へ行く準備をして玄関へ向かう。
「じゃあ行ってくる」
「健一、今日も頑張ってね」
「美咲、ありがとう。朝から弁当まで作ってくれて」
「これくらい平気よ」
美咲は健一を玄関まで送り、ネクタイを軽く直した。
そのまま二人は顔を寄せ、キスをする。
後ろを通りかかったひよりと律の足が止まった。
「あ……」
「……」
美咲が振り返る。
「何?」
「朝から仲いいね」
「いいでしょ」
健一は少し困ったように笑って靴を履いた。
「じゃあ行ってくるな」
「いってらっしゃい、健一」
美咲は笑顔で手を振った。
◇
昼休み。
ひよりと律は隣同士の席で、それぞれ美咲が作った弁当箱を机の上に置いた。
「お母さんのお弁当、久しぶりだな」
ひよりが蓋を開ける。
「……あ」
ご飯の上には、桜でんぶで作られた大きなピンク色のハート。
その周りには錦糸卵が飾られていた。
おかずには、から揚げ、赤いたこさんウインナー、ブロッコリー、プチトマトがきれいに詰められている。
近くにいた女子がすぐに気づいた。
「ひより、何そのお弁当」
「見ないで」
「ハートじゃん。かわいい」
「めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……」
その隣で律も弁当箱を開けた。
「……」
「あれ?」
別の子が律の弁当を覗き込む。
「律も同じじゃん!」
「え?」
ひよりも横を見る。
律の弁当にも、まったく同じピンク色のハートが乗っていた。
「お揃い?」
「違う」
「もしかして、ひよりが作ったの?」
「作ってない!」
「じゃあ何で二人とも同じなの?」
「うちのお母さんが作ったの!」
「二人、付き合ってるの?」
「違うって!」
「違う!」
ひよりと律の声が重なった。
「ほら、息ぴったり」
「もう!」
ひよりは弁当箱を自分の方へ寄せた。
律も何とも言えない顔でハートのご飯を見ている。
少し離れた席では、綾乃がその様子を見ていた。
隣同士に座るひよりと律。
二人の前には、まったく同じ弁当が並んでいる。
綾乃はしばらく二人を見たあと、自分の弁当に視線を戻した。
◇
放課後。
ひよりが帰る準備をしていると、律が声をかけてきた。
「ひより、今日からアルバイトないんだろ?」
「うん」
「じゃあ今日は勉強みっちりやるぞ」
「えー」
「こないだ遊びに行った分な」
「きびしー」
「学年末で八十位以内目指すんだろ」
「分かってるけどさあ」
「帰ったらやるぞ」
「はいはい」
ひよりは鞄を持ち上げた。
◇
家へ帰ると、美咲が先に帰っていた。
「おかえり」
「ただいま」
ひよりは鞄を置くなり、美咲を見る。
「お母さん、今日のお弁当めっちゃ恥ずかしかったんだけど」
「あ、あれね」
「あ、あれね、じゃないよ。何でご飯にでっかいハート作るの?」
「健一に作るついでに、同じデザインにしちゃったの」
「ついでだったの?」
「四つ別々に作るの面倒でしょ?」
律も靴を脱ぎながら言う。
「学校で俺まで付き合ってるって言われたんですけど」
「ひよりと?」
「そうです」
「いいじゃない」
「よくないです」
「何でよ。かわいいお弁当だったでしょ?」
「そういう問題じゃないから」
ひよりが言うと、美咲は笑った。
「明日は普通にするわよ」
「絶対だからね」
◇
ひよりは自分の部屋へ行き、律も制服から着替えるために部屋へ戻った。
律は洗濯されていたジーンズを手に取る。
履こうとしたところで、中に何かが入っていることに気づいた。
「ん?」
ジーンズを振ると、中から衣類が落ちた。
「……何これ」
律はそれを見て固まる。
ひよりの下着だった。
「何で俺のジーンズの中に入ってるんだよ……」
洗濯した時に紛れ込んだらしい。
律は少し迷ってから手に取った。
「どうしよう……こっそり返しとくか」
ひよりの部屋へ向かおうとすると、ちょうど扉が開いた。
「律、何して――」
ひよりの目が律の手元に止まる。
「きゃー! 変態! 何持ってるのよ!」
「違うって!」
「下着泥棒!」
「俺のジーンズ履こうとしたら、中に入ってたんだよ!」
「え?」
「洗濯した時に紛れ込んだんだろ。俺だって困ってるんだよ」
「……そっか。じゃあ返して」
ひよりは律の手から受け取った。
「最初から返そうとしてたんだよ」
「分かったって」
「あーあ。同居めんどくせー」
「何それ。私のせいじゃないでしょ」
「俺のせいでもない」
二人はそれぞれ自分の部屋へ戻った。
◇
その日の夜。
夕食を終えたあと、美咲が律に声をかけた。
「律君、お風呂先に早く入っちゃって」
「今からですか?」
「うん。私、あとで健一とゆっくり二人で入りたいから」
「……分かりました」
律は着替えを持って脱衣所へ向かった。
扉の前まで来る。
鍵はかかっていなかった。
美咲に先に入るよう言われたばかりだったので、律はそのまま扉を開けた。
中にはひよりがいた。
ちょうどトレーナーを脱ごうとしているところだった。
律は瞬時に扉を閉めた。
「ちょっと! 律!」
「ごめん!」
「もう、見ないでよね!」
「見てない! 鍵閉めろ!」
「忘れてたの!」
律はそのままリビングへ戻った。
「美咲さん」
「どうしたの?」
「お風呂入ろうと思ったら、ひよりがいたんですけど」
「あら?」
「ちゃんと確認してから声かけてくださいよ。鍵かかってなかったから、そのまま開けちゃったじゃないですか」
「あ、ごめんごめん。もう出たと思ってた」
少しして、ひよりもリビングへやって来た。
「お母さんのせいだからね!」
「ごめんなさいって」
「今日だけで何回恥ずかしい目に遭わせるのよ」
「二人とも喧嘩ばっかりねー」
「誰のせいだと思ってるの!」
美咲はニコニコしながら二人を見ていた。
◇
そのあと、ひよりと律は部屋で勉強を始めた。
「もう無理」
ひよりが机に突っ伏す。
「まだそんなにやってないだろ」
「やったよ」
「休憩したら続きな」
「まだやるの?」
「みっちりやるって言っただろ」
「きびしー」
二人は休憩するため、リビングへ下りた。
ひよりはポテトチップスの袋を開け、ソファに座る。
律も隣に座り、テーブルに置かれていたジュースを手に取った。
一口飲む。
ひよりが律を見る。
「ちょっと、それ私の」
「え?」
「もう律、なんで私のジュース飲むのよ。律はこっちでしょ」
ひよりはもう一つのジュースを指差した。
「あ、間違えた」
「ちゃんと見てよ」
「同じようなところに置くからだろ」
「私のせいにしないで」
ひよりはポテトチップスを何枚か続けて食べる。
「ちょっと、ひより」
「何?」
「一人でポテチ独り占めするなよ」
「律が私のジュース飲んだから」
「それとこれは別だろ」
「同じです」
「どこがだよ」
律が袋へ手を伸ばす。
「ちょっと、勝手に取らないでよ」
「二人で食べるために持ってきたんだろ?」
「今は私の」
「意味分かんない」
二人はそのまま、ポテトチップスを取り合いながらテレビを見ていた。
朝と夜の仕事を辞め、家事に張り切る美咲。
ところが、愛情たっぷりのお弁当から洗濯物、お風呂まで、ひよりと律は一日中振り回されることになりました。
アルバイトのなくなったひよりには、律との勉強時間も増えていきそうです。




