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第25話 最後の日

以前暮らしていたアパートの引き渡しの日を迎えたひよりたち。


そしてこの日は、ひよりにとってアルバイト最後の日でもありました。

 土曜日の朝。


 ひよりは美咲と健一と一緒に、以前暮らしていたアパートへ来ていた。


 先週、冷蔵庫や洗濯機、食器棚、古い布団などの大きな物は回収してもらっている。


 今日は残っていた細かな物を処分し、部屋を掃除して引き渡すだけだった。


「こっち終わったよ」


 ひよりが雑巾を洗いながら言う。


「ありがとう。洗面所も終わったわ」


 美咲は棚や収納をもう一度確認した。


「忘れ物ない?」


「大丈夫。押し入れも見た」


「キッチンも何も残ってないぞ」


 健一も確認を終えて戻ってきた。


 家具も家電もなくなった部屋は、以前よりずっと広く見える。


 しばらくして、管理会社の担当者がやって来た。


 部屋の中を一通り確認してもらい、美咲が鍵を渡す。


「ありがとうございました」


 玄関を出る前に、ひよりは一度だけ部屋を振り返った。


「少し前までここに住んでたんだよね」


「そうね」


「なんか変な感じ」


「そろそろ行くか」


「うん」


 三人は部屋を出た。


 美咲が最後に扉を確認し、そのまま階段を下りていった。



 午後。


 ひよりはアルバイト先へ向かった。


 今日が最後の出勤だった。


 いつも通り仕事をして、休憩に入ると晴真が声をかけてきた。


「今日で最後か」


「はい」


「もうここで会わなくなると思うと、ちょっと寂しいな」


「私もまだあんまり実感ないです」


「これからは勉強?」


「その予定です」


「ちゃんとやるの?」


「やりますよ」


 晴真が笑った。


「分からないところあったら連絡してよ。前にも言ったけど、俺、家庭教師やってるし」


「ありがとうございます」


「今度うちにおいでよ。勉強教えるから」


「相沢さんの家ですか?」


「うん。家庭教師で使ってる教材もあるし」


「じゃあ、分からないところいっぱい持っていきます」


「そんなにあるの?」


「ありますよ」


「それは教えがいがありそうだな」


 ひよりも笑った。


 休憩が終わり、最後の勤務もいつも通り過ぎていった。


 仕事を終えると、店の人たちに挨拶をして外へ出る。


 晴真も一緒に店を出た。


「今日も送っていくよ」


「ありがとうございます」


 ひよりが助手席に乗ると、晴真は車を走らせた。


 しばらくして、晴真が言った。


「今日は最後だから、少し遠出しようか」


「今からですか?」


「うん。今まで行ったところとは違う夜景、見に行かない?」


「行きたいです」


「じゃあ決まり」


 晴真はいつもの帰り道から外れた。


 ひよりは美咲へ、少し帰りが遅くなるとメッセージを送った。



 車は街を離れ、山道を上っていった。


 着いたのは、山の中腹にある展望台だった。


 車を降りると、眼下いっぱいに街の灯りが広がっている。


「わあ……すごい」


 ひよりは手すりの近くまで歩いた。


「ここ、少し遠いけど綺麗だろ?」


「はい。今まで連れてきてもらったところと全然違います」


「最後の日だから、たまには遠くてもいいかなと思って」


「ありがとうございます」


 二人は並んで夜景を眺めた。


「バイト辞めたあとも、またどこか行こう」


「はい」


「今度はもっと遠くでもいいかもな」


「楽しそう」


「勉強ばっかりじゃ疲れるから。息抜きも必要だよ」


「それ、律にも言ってほしいです」


「あ、同居の子?」


「いつも勉強、勉強ってうるさいんですよ」


「真面目なんだな」


「真面目すぎるんです」


 ひよりは笑った。



 その頃、篠宮家のリビングでは、美咲と健一が晩酌をしていた。


 テーブルにはつまみと二人分のグラスが置かれている。


 階段を下りる音がして、律がリビングへ入ってきた。


 冷蔵庫を開け、水を取り出す。


 美咲がグラスを持ったまま律を見る。


「律君、また来たの?」


「またって何ですか」


「さっきも水飲みに来たじゃない」


「今日は部屋の暖房が効きすぎて、喉が渇くんですよ」


「そうなの?」


「そうです」


 律は水を飲む。


「いつもなら部屋にこもって勉強してるのにね」


「だから喉渇くんですって」


「ふーん」


 美咲は楽しそうにグラスへ口をつけた。


 律が時計を見る。


「ひより、まだ帰ってこないんですか?」


「少し遅くなるって連絡来てるわよ」


「帰り遅くなるって、またあの大学生と寄り道?」


「そうみたい。今日は最後のアルバイトだから、少し遠くまで行ってくるって」


「……またですか」


 美咲が律を見る。


「そんなにひよりの帰りが気になる?」


「別に。遅いから聞いただけです」


「律君、ひよりのこと好きなの?」


「は!?」


 律が振り返った。


「だったら私、応援するわよ」


「美咲」


 健一が横から声をかける。


「からかうなって」


「いいじゃない。ちょっと聞いただけよ」


「酔ってるだろ」


「そんなに飲んでないもん」


「十分飲んでる」


「健一、怒らないでよー」


 美咲は笑いながら健一の腕に寄りかかった。


「怒ってない」


「じゃあいいでしょ」


「よくない」


 美咲はまた律を見る。


「律君、頑張ってね」


「だから違いますって」


 律は水を持って二階へ戻っていった。


 美咲はその背中を見送って笑う。


「分かりやすいのにね」


「放っておいてやれよ」


「だって、さっきから何回も降りてくるんだもん」


「美咲」


「はいはい。もう言わない」


 そう言いながら、美咲は健一の肩に寄りかかった。


 それからしばらくして。


 また階段を下りる音がした。


 律がリビングへ入ってくる。


 美咲が顔を上げた。


「また喉渇いたの?」


「……休憩です」


「はいはい」


 美咲は笑いながらグラスに口をつけた。



 晴真の車が篠宮家の前に停まった。


「今日はありがとうございました」


「こっちこそ。最後のバイト、お疲れさま」


「ありがとうございます」


「また連絡するよ」


「はい」


「勉強の方もな」


「いっぱい持っていきます」


「覚悟しとく」


 ひよりは笑って車を降りた。


 晴真に手を振り、車が走り去るのを見送ってから玄関を開ける。


「ただいまー」


「おかえり」


 美咲の声が返ってきた。


 ひよりがリビングへ入ると、美咲と健一がまだ飲んでいて、律もソファに座っていた。


「律、休憩?」


「……遅いぞ」


「え?」


「一緒に勉強しようと思ってたのに」


「アルバイトがある日ぐらいゆっくりさせてよ。今日、最後のアルバイトだったんだし」


「今日で最後だな。こんな遅くなるの」


「え? 最後じゃないかも」


 律がひよりを見る。


「何が?」


「アルバイト辞めても相沢さんと会う約束したから」


「……は?」


「今度、相沢さんの家で勉強教えてもらうの」


「家?」


「うん」


「相沢さんの家に?」


「そうだけど」


「勉強なら俺だって教えられるし、いつも一緒だろ?」


「いいじゃん。たまには息抜きも必要だよ」


「息抜き?」


「相沢さん、息抜きにって車でいろいろ連れていってくれるし」


「……」


「だって律、いつも勉強、勉強だもん」


「受験生なんだから当たり前だろ」


「律って勉強以外にないの?」


「あるよ」


「何?」


「……」


「ないじゃん」


「あるって」


 美咲が隣で笑い出した。


「何笑ってるの、お母さん」


「別にー」


 美咲は健一の腕に寄りかかりながら、二人を見る。


「健一、若いっていいねー」


「美咲、またからかうなよ」


「だって二人とも素直になればいいのに」


「何が?」


 ひよりは首を傾げた。


「何でもないわよ」


「美咲さん、余計なこと言わないでください」


「あら、律君は分かってるじゃない」


「美咲」


「健一、怒らないでよー」


 美咲が健一に寄りかかる。


「怒ってないって」


「じゃあいいでしょ」


「飲みすぎるなって言ってるんだよ」


「はーい」


 ひよりは二人を見てから、律に向き直った。


「で、勉強するの?」


「今日はもういい」


「何それ」


「なんか機嫌悪くない?」


「普通」


「変なの」


 ひよりはそう言って、自分の部屋へ向かった。

以前暮らしていたアパートを引き渡し、アルバイトも最後の日を迎えたひより。


アルバイトを辞めても晴真との交流は続くことになり、今度は晴真の家で勉強を教えてもらう約束まで。


その話を聞いた律は、どうにも面白くないようです。

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