第11話 お母さんも一緒に
数日前、律の父から「今度はお母さんも一緒に」と誘われたひより。
土曜日の夕方、ひよりは母と陽太と三人で篠宮家を訪れます。
土曜日の夕方。
ひよりは母と陽太と三人で、篠宮家の前に立っていた。
母は目の前の家を見上げる。
「篠宮君のお家、立派ね。お庭も広いし」
「うん」
ひよりは数日前に初めてこの家へ来た時のことを思い出した。
今日は、母と一緒に作ったポテトサラダときんぴらごぼうも持ってきている。
ひよりが呼び出しボタンを押すと、しばらくして玄関の扉が開いた。
律の父と小春が出てくる。
「こんばんは。今日はお忙しい中、来ていただいてありがとうございます」
律の父が笑顔で迎えた。
「こちらこそ、お招きいただいてありがとうございます」
母も頭を下げる。
「これ、ひよりと一緒に作ってきたんです。よかったら皆さんで食べてください」
母が保存容器の入った袋を差し出した。
「ありがとうございます。わざわざすみません」
その横では、小春が陽太のところへ駆け寄っていた。
「陽太君、早く入って! 一緒にゲームしよう!」
「うん!」
陽太は嬉しそうに小春について家の中へ入っていく。
ひよりと母も案内されてリビングへ向かった。
家の中には、揚げ物のいい匂いが広がっていた。
律はキッチンの近くにいた。
三人が入ってくると、母を見る。
「こんにちは」
「こんにちは。いつもひよりがお世話になってます」
「いえ」
それだけ答えると、律はまた準備へ戻った。
相変わらず愛想はない。
でも、篠宮君らしいな。
ひよりはそう思いながら、母と一緒にリビングへ入った。
テーブルには大皿がいくつも並べられていた。
唐揚げ、エビフライ、フライドポテト。
キャベツの千切りにレタス、きゅうり、プチトマトも添えられている。
「すごい。たくさんありますね」
母が言う。
「今日は人数も多いですから。せっかくなので、少し多めに作りました」
律の父が答えた。
そこへ、ひよりたちが持ってきたポテトサラダときんぴらごぼうも並べられる。
ご飯と味噌汁も用意され、六人で食卓を囲んだ。
「いただきます!」
小春と陽太の声が重なる。
陽太はさっそく唐揚げを取った。
「おいしい!」
「エビフライもあるよ」
小春が教える。
二人は楽しそうに好きなものを皿へ取っていく。
「こうしてみんなで食べると、やっぱりにぎやかでいいですね」
律の父が言った。
母も笑った。
「本当ですね。うちは普段、私が帰るのが遅いことが多いので、三人そろって食べられない日も多くて」
「お仕事、お忙しいんですか?」
「ええ。いくつか掛け持ちしてるんです」
食事をしながら、大人二人は少しずつ話を始めた。
やがて律の父が冷蔵庫からビールを取り出す。
「よかったら飲みますか?」
「いただいてもいいんですか?」
「もちろん。明日は日曜日ですし」
「じゃあ、少しだけ」
二人はビールを飲みながら話を続けた。
しばらくして、母がリビングを見回す。
「それにしても、本当に立派なお家ですね」
律の父は少し笑った。
「家だけは立派なんですけどね」
「家だけ?」
「この家を買った頃は、今よりずっと収入が良かったんです。会社の業績も良くて、残業も多かったし、給料もボーナスも今よりありました」
ビールを一口飲んでから続ける。
「その頃は妻もフルタイムで働いていました。私の給料から住宅ローンや固定費を出して、妻の給料を生活費に回すような感じで。それでも十分やっていけたんです」
「そうだったんですね」
「私の両親も一緒に住んでいました。妻と律と小春、それに両親。最初は六人で暮らしてたんです」
母は黙って話を聞いていた。
「でも、妻には私の両親との同居がかなり負担だったみたいで……結局、離婚して家を出ていきました」
律の父は淡々と話を続ける。
「その後、父が亡くなって、母も老人ホームに入りました。それと同じ頃から会社の業績まで悪くなって、給料もボーナスも減ってしまって」
「大変だったんですね」
「今となっては、大きな家と住宅ローンだけが残ったようなものです」
母はもう一度、広いリビングを見回した。
「外から見ただけじゃ分からないものですね」
「そうですね」
少し間を置いて、今度は母が自分のことを話し始めた。
「私も短大を出てから、しばらく大きな会社で事務をしてたんです」
「そうなんですか」
「正社員だったんですけど、結婚した時に辞めちゃって。離婚してからまた正社員で働こうと思ったんですけど、子どもが二人いると条件の合うところがなかなか見つからなくて」
母はビールのグラスを置いた。
「今は朝早くにビルの清掃をして、昼間は派遣で事務の仕事をしてます。夕方から夜は接客の仕事もしていて」
「三つも掛け持ちしてるんですか?」
「そうしないと、なかなか生活が回らなくて」
律の父は少し黙った。
「それは大変ですね」
「でも、子どもがいるから働くしかないですしね」
母はそう言って笑った。
「本当は、ひよりにももっと勉強させてあげたいんです。塾にも通わせてあげたいし」
母の声が少し小さくなる。
「でも、そこまでお金に余裕がなくて。ひよりには家事も手伝ってもらって、陽太のことも見てもらって……高校生なのに、悪いなって思ってるんです」
律の父はすぐに答えた。
「分かります。うちも同じですよ」
母が顔を上げる。
「律にも塾へ行かせてやりたいんですけど、住宅ローンもありますし、今の収入ではそこまで余裕がなくて。それなのに小春のことも頼んでるし、夕飯まで作ってもらうことがある」
律の父はビールを一口飲んだ。
「あいつは何も言いませんけど、私も頼りすぎてると思ってます」
「篠宮君、しっかりしてますよね」
「ひよりさんだってそうでしょう」
「そうなんですけど……」
母は少し笑った。
「しっかりしてるから、つい頼ってしまうんですよね」
「そうなんですよ」
二人は顔を見合わせて笑った。
「子どもにはできるだけ苦労させたくないんですけどね」
「親が思ってるようには、なかなかいかないですよね」
初対面だったが、不思議と話は途切れなかった。
普段はなかなか人に話せないことも、同じように一人で子どもを育ててきた相手には話しやすかった。
*
食事を終えると、小春と陽太はリビングでゲームを始めた。
ひよりと律は二人を少し見ていたが、やがて律が言った。
「小日向、勉強する?」
「今日も?」
「明日休みなんだから、時間あるだろ」
「篠宮君、本当に勉強ばっかりだね」
そう言いながらも、ひよりは学校の課題を持って律の部屋へ向かった。
律の部屋は、机と本棚が置かれたシンプルな部屋だった。
参考書や問題集がきれいに並べられている。
律が机の横にもう一脚椅子を置いた。
二人は並んで課題を始めた。
しばらくすると、律がふと思い出したように言う。
「小日向のお母さん、若いな」
「そう?」
「うん。綺麗な人だね」
ひよりの手が止まった。
「……お母さんには綺麗って言うんだ」
「何?」
「私にはそんなこと言ったことないのに」
「言う必要ある?」
「何それ」
律は少しだけひよりの顔を見る。
「でも、小日向も少しだけお母さんに似てるな」
「え?」
「顔」
「……そうかな」
ひよりは再び課題へ視線を戻した。
それって、少しは私も綺麗ってこと?
そんなことを考えてしまった自分が、少し恥ずかしかった。
*
その頃、リビングでは律の父とひよりの母がまだ話を続けていた。
仕事や家のこと。
子どものこと。
離婚してから大変だったこと。
普段はなかなか人に言えない悩みまで本音で話し、それを聞いてもらえたことが嬉しかったのか。
それとも、毎日の仕事でたまっていた疲れやストレスのせいなのか。
母はいつもよりビールが進んでいた。
話しているうちに時間はどんどん過ぎていった。
小春と遊んでいた陽太も、いつの間にかリビングのソファで眠ってしまっていた。
ひよりと律が一度リビングへ戻った頃には、かなり遅い時間になっている。
「お母さん、そろそろ帰らないと」
ひよりが声をかける。
「そうねえ……」
母は返事をしたものの、いつもよりかなり酔っていた。
ひよりはソファで眠っている陽太を見る。
「陽太、起きて。帰るよ」
その時、律の父が言った。
「陽太君、気持ちよさそうに寝てるし、起こすのもかわいそうですよ」
「でも、もう遅いですし」
「お母さんもだいぶ酔ってるでしょう。ひよりさん一人で二人連れて帰るの、大変じゃないですか?」
ひよりは母と陽太を交互に見る。
確かに、この状態で二人を連れて帰るのは大変だった。
「明日は日曜日ですし、よかったら泊まっていきませんか?」
「え?」
「リビングの横に客間の和室があります。布団もありますし、三人で使ってください」
母が申し訳なさそうに言う。
「でも、そこまで甘えてしまっていいんでしょうか」
「部屋も余ってますから、気にしないでください」
小春が嬉しそうに声を上げる。
「ひよりお姉ちゃんたち、お泊まりするの?」
「そうなるみたい」
「やった!」
結局、その日は篠宮家に泊めてもらうことになった。
リビング横の和室に、三人分の布団を用意してもらう。
眠っている陽太は、そのまま和室へ運ばれた。
母も布団に座ると、少し眠そうにしている。
「お母さん、飲みすぎだよ」
「たまにはいいでしょ」
「もう……」
ひよりが呆れていると、後ろから律の声がした。
「小日向」
「何?」
「今日泊まるんだったら、もう少し勉強できるよな?」
ひよりは振り返った。
「えー、まだ勉強するの?」
「明日休みだろ」
「だからって、こんな時間まで?」
「帰る時間気にしなくていいんだから、ちょうどいいじゃん」
「篠宮君、本当に勉強好きだね……」
「好きっていうか、やれる時にやっといた方がいいだろ」
「はいはい。分かったよ」
ひよりは再び課題を持ち、律の部屋へ向かった。
二人で机に向かう。
夜も遅くなり、家の中はさっきまでよりずっと静かになっていた。
しばらくして、ひよりの消しゴムが机から床へ落ちた。
「あ」
ひよりが手を伸ばす。
同じタイミングで、律も拾おうとした。
消しゴムの上で、二人の指先が重なった。
二人は同時に顔を上げる。
すぐ近くで目が合った。
「……」
「……」
一瞬だけ、二人の間に緊張が走る。
律が先に手を引いた。
「……ごめん」
「う、ううん」
ひよりは消しゴムを拾い、元の姿勢に戻った。
けれど、さっきまで普通に解いていた問題が急に頭へ入ってこなくなる。
心臓が、少しだけドキドキしていた。
今まで、篠宮君のことを男の子として意識したことなんてなかったのに。
なんで今、こんなに気になるんだろう。
これって……?
ひよりは自分でも分からないまま、もう一度問題集へ視線を落とした。
律も黙って参考書を見ていた。
小日向の成績を上げる。
最初は、それが目的だったはずなのに。
最近、何かが少し違う。
律はそう思いながら、隣にいるひよりを意識していた。
二人は何事もなかったように勉強を続けた。
けれど、部屋の空気は、さっきまでとは少しだけ違っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、ひよりの母も一緒に篠宮家を訪れるお話でした。
家族同士で過ごす土曜日の夜。
ひよりと律の間にも、これまでとは少し違う感情が生まれ始めます。




