第10話 篠宮君の家
数日前、律と小春を自宅へ招いたひより。
今度はひよりと陽太が、律の家へ遊びに行くことになります。
放課後。
ひよりと律は、学校を出るとスーパーへ向かった。
数日前は、律と小春がひよりのアパートへ晩ご飯を食べに来た。
今日はその反対で、ひよりと陽太が律の家へ行くことになっている。
スーパーに入ると、律が買い物かごを手に取った。
「今日はカレーにしようかな」
「カレー?」
「ああ。簡単だし、小春も好きだから。陽太君はカレー好き?」
「うん。大好きだよ」
「じゃあ決まりだな」
律は野菜売り場へ向かい、じゃがいも、玉ねぎ、人参を順番にかごへ入れていった。
肉売り場では鶏むね肉を選ぶ。
「安いし、脂も少ないから、うちはだいたいこれ」
そのあとカレールーの棚へ行くと、迷わず一箱を取った。
「これ、いつも使ってるやつ」
「甘口?」
「ああ。小春が甘口だから」
「陽太も甘口だよ」
律はカレールーをかごへ入れた。
必要なものを買い終え、二人はスーパーを出る。
その姿を、少し離れたところから見ている人物がいた。
一ノ瀬綾乃だった。
また、二人でスーパーに来ている。
少し前にも、同じようなところを見た。
綾乃は声をかけることなく、律とひよりが並んで歩いていく姿を見送った。
その後、綾乃は予備校へ向かった。
自習室で問題集を開いたものの、なかなか集中できない。
何度文章を読み返しても、内容が頭に入ってこなかった。
近くで勉強していた高橋蓮が、綾乃を見る。
「一ノ瀬、今日どうした?」
「何が?」
「さっきから全然進んでないだろ」
「別に。何でもないわ」
綾乃は問題集へ視線を戻した。
「早く次の問題やりましょう」
平気なふりをしてページをめくる。
けれど頭に浮かんでくるのは、スーパーから一緒に出てきた律とひよりの姿だった。
*
スーパーを出た律とひよりは、そのまま学童へ向かった。
小春と陽太を迎え、四人で篠宮家へ歩いていく。
しばらくして、律が一軒の戸建て住宅の前で足を止めた。
「ここ、俺んち」
ひよりは家を見上げた。
「篠宮君の家、立派だね」
庭も、自分のアパートでは考えられないほど広い。
「お庭も広いね」
陽太も嬉しそうに家を見ていた。
「小春ちゃんの家、大きい!」
「お庭もあるよ!」
小春が答える。
「ここ、かくれんぼできそう!」
「できるよ!」
二人は楽しそうに話し始めた。
ひよりは、もう一度家を見上げる。
数日前、自分は律と小春を古くて狭いアパートへ招いた。
今さらながら、少し恥ずかしくなった。
四人は家の中へ入り、リビングへ向かった。
律が買ってきたものをキッチンへ運ぶ。
「さっきの話の続きだけど、この家を買った頃は今とは事情が違ったんだ」
律が話し始めた。
「父さんの会社も景気が良くて、残業も多かったし、給料もボーナスも今よりずっと良かった。母さんもフルタイムで働いてた」
ひよりは黙って聞いていた。
「その頃は、じいちゃんとばあちゃんも一緒に住んでた。父さんと母さんの二人分の収入もあったから、住宅ローンを返すのも今ほど大変じゃなかったみたい」
律は続ける。
「でも母さんが、じいちゃんとばあちゃんとの同居がしんどくなって、父さんと離婚して家を出た」
少し間を置く。
「そのあと、じいちゃんが亡くなって、ばあちゃんも老人ホームに入った。それと同じ頃から父さんの会社の業績も悪くなって、給料もボーナスも減った」
律はキッチンに置いた買い物袋へ目を向けた。
「今は父さん一人で住宅ローンを返してる。だから塾とか家庭教師にまでお金をかける余裕はないんだ」
ひよりは初めて聞く律の家庭の話を静かに聞いていた。
外から家を見ただけでは、そんな事情があるとは分からなかった。
「そうだったんだ」
ひよりはそれだけ答えた。
律がカレーの準備を始めようとする。
「何か手伝うことある?」
ひよりが聞いた。
「じゃあ、小春と陽太君の宿題見てて」
「分かった」
ひよりは二人のいるリビングへ向かった。
「小春ちゃん、陽太。宿題やろう」
「えー」
陽太が声を上げる。
「遊ぶ前に終わらせるよ」
二人はランドセルから宿題を取り出した。
ひよりは小春と陽太の宿題を見ながら、自分も学校の課題を広げる。
その間、律はキッチンで米を研ぎ、炊飯器のスイッチを入れた。
続いて野菜を切り、鶏むね肉を切る。
鍋で肉と野菜を炒め、水を加えて煮込んでいった。
慣れた手つきだった。
煮込んでいる間も、律は暗記用の教材を開いていた。
「篠宮君、本当に時間無駄にしないね」
「小日向も俺みたいに隙間時間に勉強しろよ」
「えー。私そんなことしたら、料理してること忘れて焦がしちゃいそうだもん」
「ああ。小日向ならありそう」
「何それ」
ひよりはそう言いながら、また自分の課題へ戻った。
しばらくして、鍋の中の具材が柔らかくなった。
律は火を止め、カレールーを入れる。
ゆっくり混ぜて溶かし、再び弱火にかけた。
「あと五分くらいかな」
その時、炊飯器からご飯が炊き上がった音がした。
律は冷蔵庫を開ける。
「レタスあるな。ちぎって、プチトマトでも添えておこうかな」
レタスを洗ってちぎり、皿へ盛りつける。
プチトマトも添え、簡単なサラダを作った。
「もうすぐご飯だよ」
律がリビングへ声をかける。
やがてカレーも完成した。
律は炊き上がったご飯を皿によそい、カレーをかけ、福神漬けを添えていく。
「小春、これダイニングテーブルに持っていって」
「はーい」
小春は当たり前のように皿を受け取り、テーブルへ運んだ。
ひよりも立ち上がる。
「じゃあ、私たちも手伝おうか」
「うん!」
陽太も一緒に立ち上がった。
ひよりと陽太もサラダなどをテーブルへ運ぶ。
小春は食器棚からコップを出して並べ、冷蔵庫から麦茶も持ってきた。
「お兄ちゃん、お箸とスプーン、五人分だよね?」
「ああ」
「分かった」
小春はすぐに人数分を用意する。
「小春ちゃん、気が利くね」
ひよりが言うと、小春は答えた。
「いつもやってるから」
「そっか。小春ちゃん、偉いね」
ひよりは陽太を見る。
「陽太も、小春ちゃん見習わないとだね」
「えー」
「えーじゃないの」
準備が整い、四人はダイニングテーブルについた。
律が時計を見る。
「父さん、いつ帰ってくるか分からないから、先に食べよう」
四人で手を合わせた。
「いただきます」
陽太はカレーを一口食べる。
「おいしい!」
小春も嬉しそうに食べていた。
ひよりもカレーを口にする。
鶏むね肉と野菜が入った、家で食べるような優しい味だった。
そんなふうに四人で食べていると、玄関の扉が開いた。
「ただいま」
律が顔を上げる。
「父さん、おかえり」
仕事から帰ってきた父親がリビングへ入り、食卓にいるひよりと陽太を見た。
「お客さん?」
「学校の友達」
父親はひよりを見る。
「律の彼女が来てたのか?」
「彼女じゃない」
律がすぐに否定した。
ひよりも立ち上がる。
「小日向ひよりです。篠宮君と同じ学校です」
「ああ、小日向さん」
父親は思い出したように言った。
「この前、ハンバーグ作ってくれた子だよね?」
「はい」
「あれ、美味しかったよ。ごちそうさま」
「本当ですか? よかったです」
父親は陽太にも視線を向ける。
「弟さん?」
「小日向陽太です」
「こんばんは!」
「こんばんは」
律が父親に聞いた。
「父さんも食べる?」
「ああ。いただこうかな」
父親も着替えを済ませ、食卓へ加わった。
五人でカレーを囲む。
小春と陽太が学校や学童であったことを楽しそうに話している。
父親は二人の話を聞きながら食事をしていた。
しばらくすると、食卓を見回して懐かしそうに笑った。
「こんなに食卓がにぎやかなの、久しぶりだなあ」
律が父親を見る。
「昔はじいちゃんもばあちゃんもいたから、毎日のようにこんな感じだったんだけどな」
「今は三人だからね」
小春が言った。
「今日は陽太君もいるし、ひよりお姉ちゃんもいるよ!」
「そうだな」
父親はひよりを見る。
「ひよりさんのお母さんは、今日は仕事?」
「はい。今日も帰りは遅いと思います」
「いつも遅いの?」
「仕事を掛け持ちしているので」
「そうか。毎日大変だな」
父親は少し考えてから言った。
「ひよりさん、今度お母さんも連れてきたらどうかな?」
「母ですか?」
「ああ。予定が合う時に、みんなで一緒にご飯でも食べたらいい。人数が多い方がにぎやかで楽しいしな」
小春がすぐに喜んだ。
「いいね! みんなで食べようよ!」
陽太もひよりを見る。
「お母さんも連れてこようよ!」
「お母さん、仕事休めるかなあ」
「予定が合う時でいいよ」
父親はそう言って、またカレーを食べ始めた。
食事を終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。
ひよりと陽太が帰る準備をすると、父親が時計を見る。
「もうこんな時間か」
「今日はありがとうございました」
ひよりが頭を下げる。
「律」
「何?」
「ひよりさんと陽太君を送っていきなさい。もう暗いから」
「分かった」
「でも、大丈夫ですよ」
「陽太君も一緒だし、送ってもらった方がいいよ」
「じゃあ……お願いします」
律も一緒に家を出ることになった。
玄関では小春が手を振る。
「ひよりお姉ちゃん、陽太君、また来てね!」
「うん!」
陽太も手を振り返した。
律に送ってもらい、ひよりと陽太は夜道を歩いた。
帰り道の話題も、相変わらず勉強のことばかりだった。
やがて、ひよりのアパートが見えてくる。
「じゃあ、小日向。また明日」
「うん。送ってくれてありがとう」
陽太も律へ手を振った。
「律お兄ちゃん、またね!」
「またな」
律が来た道を戻っていく。
ひよりと陽太は、その姿を見送った。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、ひよりが初めて律の家を訪れるお話でした。




