32 制御、不能
今のは、────何だ?
「ユリアス君?どうかしたのかい?」
一瞬動きを止めていた僕は、アレクシスの言葉で我に返った。
足を止め僕を振り返る支配人の表情には、僕を気遣う以外のものは窺えない。
僕は咄嗟に笑みを浮かべ、「何でもないよ」と誤魔化し、再び支配人について歩き出した。
──さっきの、アレはいったい何だった?
この店で僕を『ユリアス坊っちゃん』なんて呼ぶのは支配人だけだ。彼の言葉としか思えない。
だけど──。
最初は、いつものように殿下の魔力が言葉を拾ってきたのだと思った。
でも、あのとき支配人は声を出していない。
もし言葉を口にしたのなら、この距離だ。直接僕の耳に、そしてアレクシスの耳にも届かない筈がなかった。
それに何よりも、こんな至近距離であんな言葉を不用意に口にするとは思えない。
じゃあ、アレは?
言葉ではなかったとでも?
それって、いったいどういうことになる?
殿下の魔力は、誰かが口にした言葉をただ拾ってくるだけだと思っていた。
もしそうじゃないとしたら?
それともさっきのは、ただの空耳だったのかな?
僕の中の殿下の魔力は、昨日からずっと不自然にざわめき続けている。
釈然としないまま案内された個室へ入り注文を告げると、支配人は「ごゆっくりお過ごし下さい」とにこやかに一礼し、ドアを閉めた。
間もなく給仕が食前酒とアミューズから始まるコース料理を次々と運んでくる。普段来るときよりも格段にペースが速いのは、さっき支配人に「久しぶりの友人で、積もる話があるから」と人払いを頼んだからだ。
ここに運ばれてくる料理の数々は、本来なら厨房からの距離を計算した温度で供されている。そんな一流の料理店でするようなお願いではないのだけど、同じような事を頼む人は意外に多いらしい。
支配人は動じずに対応してくれた。
「そういえばずいぶん前だけど、ユリアス君に僕の足のことで心配をかけたことがあったろう?──ほら、よく躓いたりするから神経の何処かが悪いんじゃないかって言ってくれたよね?」
スープを運んだ給仕が下がるや否やアレクシスは待ちかねたように口を開いた。
いきなり何の話かと目を瞬くと彼は慌てて補足のように付け足し、それで漸く思い出す。
僕が作った空気の塊で何度か転ばせたりしたあと、そんなふうにからかったんだった。あのあと学校で、アレクシスが医者や回復系の魔法使いを訪ね歩いているって噂を聞いたような気もする。
すっかり忘れてたなと思いつつ、僕は心配を装って言った。
「僕もそれ、ずっと気になってたんだ。それで、原因は分かったの?」
そもそもの原因が僕なんだから、何もないのは分かっている。
だけどそんなことは知らないアレクシスは、嬉しそうに言った。
「見立てが上手いと評判の医者や魔法使いにも診てもらったけど、特に異常はなかったんだ。あれ以来おかしな転びかたをすることもないし、しばらく様子をみようと言われてもう何年も過ぎているから、きっと治ったんじゃないかな?」
「身体が資本の仕事だものね。異常がなくてよかったよ」
むしろ、これで異常が発見されてたらそっちの方がびっくりだ。
他にも近衛騎士団で騎士見習いをしているジュリの事とか、当たり障りのない近況の話をしながら魚料理の後のソルベを終えた頃、最後の紅茶と焼き菓子が運ばれてきた。
テーブルには既に肉料理とサラダ、アントルメ、フルーツがずらりと並んでいる。
給仕は紅茶と焼き菓子をテーブルに移し、空いた皿をワゴンに乗せて出ていった。
これでもう僕らが呼ばない限り、誰もここに近づかないだろう。
さあ、どうやって彼から欲しい情報を引き出そうか。
アレクシスは機嫌よく食事を続けながら、自分の上司である第5騎士隊の隊長と副隊長がいかに無能であるかを滔々と語っている。そういうところは学生時代と全く変わっていなかった。
「そんな人が上司だと、下の者は大変だよね」
「そうなんだよ!隊長はまだマシだけど、副隊長の方が特に酷くてね。今は副隊長だけど資格でいえば隊長と同格だし、とにかく偉そうなんだ。何かといえばふん反り返って、『なんでこんなことが出来ないんだ』って怒鳴る。お前なら出来るのか!って言い返したくなるね」
アレクシスが欲しがりそうな相づちを打ちつつ、少しずつ話を誘導する。
「仕事のできない奴ほどエラそう、って本当なんだね。でもそんなに無能な人が、隊長と同格なの?隊長もよく黙ってるよね」
そう言ったら、アレクシスは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あいつ、下には大きく出るんだけど上に媚びるのがやたらうまいんだ。隊長になる試験は、隊長たちのうち最低4人からの推薦と、団長もしくは副団長の許可がなければ受けられないからね。尢も、それで試験に受かって隊長になる資格を得ても、実際は12人しか隊長になれないから、副隊長の地位で隊長のポストが空くのをジリジリ待ってる人が、うちの副隊長も含めて今5人もいるんだ」
「うわ……、そんなに?後がつかえてて大変じゃないか。でも近衛騎士団長ともあろう人が、どうしてそんな無能な人に試験を受けさせたんだろう?ポストが空いてる訳でもないのにね」
「やっぱりそう思うかい?ダナトス殿が騎士団長だった頃はそんなことなかったんだけどな。勿論、当時から隊長資格を持つ副隊長はいたけど精々1人か2人がいいとこだし、こんな平和な時代に殉職者や引退レベルの重傷者なんてそうそう出やしない。ダナトス殿のように、高齢が理由の退任ならきちんと前もって申請を出すから、それから選出して試験を行ったって充分間に合うんだ。だったら、万一のスペアなんてそんなに必要ない筈だろう?ところで、このサラダ美味しいな。ドレッシングがなんだか香ばしい」
ダナトス殿っていうのは、どうやら前任の近衛騎士団長の名前らしい。
僕らがまだ学生だった頃、毎年のように卒業式に参列していたあの人物のことだと思う。
「これは、この店のオリジナルだそうだよ。隠し味にナッツが入ってるんだって。それじゃあ、新しい騎士団長に代わってからそういう方針になったってこと?」
「ああ、言われてみればナッツだ!騎士団長がどういうつもりかなんて知らないけどね」
アレクシスはフンと鼻を鳴らした。どうやら騎士団長にも言いたいことがあるらしい。
望むところだ、と僕は内心ほくそ笑んだ。言いたいことは全て吐きだせばいい。
アレクシスの話は相変わらず自分の事ばかりで学生時代はうんざりしたものだけど、今に限って言えばとても都合がよかった。
そんことを考えていたからだろうか。彼の言葉に奇妙なものが混じり始めたのは……。
「そもそもの問題は、ダナトス殿が退任されるとき、後継者に第1騎士隊の隊長を指名をしたことなんだ」
アレクシスの話によると、近衛騎士団でも王立騎士団でも、騎士団長が退任するときには次期騎士団長を指名するのが慣例なのだそうだ。
大概の場合はそれまでの副騎士団長が指名され、そのまま繰り上がりで騎士団長に就任する。
ところがダナトス殿は何故か副騎士団長ではなく第1騎士隊長を指名し、そのまま退任を敢行してしまった。
これは今までにはあり得ない事態だったのだそうだ。
過去、副騎士団長を指名しなかった騎士団長もいないではないけれど、それは単に誰も指名しなかった、というだけのことだから。
そして近衛騎士団は割れた。
副騎士団長派と第1騎士隊長派に。
それは、僕が師匠のところに弟子入りしたばかりの頃の話だった。
そんな大騒ぎなら世間の噂にならない筈がない。でもあの頃の僕は師匠に合わせてアパートと研究所を往復するだけだったから、世間の噂話なんて欠片も耳に入ってきていなかった。
「前騎士団長が第1騎士隊長を指名したのなら、その人が騎士団長になるんじゃないの?」
僕の質問にアレクシスは首を振る。
「そんなに簡単な話でもないんだ。いっそ誰も指名されなければ、12人の隊長たちの話し合いで副騎士団長の名が上がったろうし、陛下と宰相閣下の承認さえ得られれば、そのまま問題なく騎士団長に就任された筈だった。だけど実際に指名されたのは第1騎士隊長だからね」
アレクシスは大きく息を吐いた。
「副騎士団長なら業務の引き継ぎも必要ないけど、第1騎士隊長が騎士団長になるなら最低限の引き継ぎは必要だ。でもダナトス殿はもう退任されている。じゃあ、争っている当の相手の副騎士団長から教わるのか?それも微妙だろう?それに少なくともこの百年、副騎士団長以外の者が騎士団長の座に就いたことはないんだよ。だから大揉めに揉めたんだ。副騎士団長派は、『指名なんて関係無くこれまでの習慣通り副騎士団長が騎士団長に就任すべきだ』という意見。第1騎士隊長派は、『何のための指名だ。騎士団長が何故副騎士団長を指名しなかったのか考えろ』という意見でね」
僕は僅かに身を乗り出した。
「本当だ。副騎士団長が指名されなかったのはどうしてなの?それで、どうなったの?」
「どうしてかは僕にもわからないよ。けど、前騎士団長の指名は絶対って訳じゃないんだ。近年はたまたま揉め事にならなかったっていうだけでね。宰相閣下が、見るに見かねて過去の古い文献を調べて下さった」
(この話にはやけに喰いつくんだな。いつもなら、僕の話になんかたいして興味なさそうなのに)
「え……!?」
僕が思わず声を洩らすと、アレクシスは眉を下げた。
「そりゃあお忙しい宰相閣下のお手を煩わせてしまったのは騎士団の一員として忸怩たる思いがあるけど、近衛騎士団内部はもうバラバラで自分たちではどうしようもなくてね。正直、隊長クラスがもっとしっかりしていてくれれば、と思ったものだよ」
────そんなことはどうでもいい!今のは間違いなくアレクシスだった。いったい何がどうなっている!?
呆然としつつ、辛うじて「トップ二人が争えばそうなって当たり前だよ」と返すと、アレクシスはホッとしたように頷いた。
「これも平和の弊害の1つなのかもしれないね。戦時中ならそんなふうに揉める余裕があるわけもないし。そう思えば騎士団長の言う事も一理あるのかな?」
(わかったような顔をして。所詮学校を卒業した、ってだけで現場も知らないくせに)
──どういう……ことだ?殿下の魔力なのは間違いない。
でもこれじゃ……、これじゃあまるで、殿下の魔力がアレクシスの心を読み取っているみたいじゃないか?
「騎士団長の言う事って、何?今の騎士団長は確か、以前の副騎士団長だった人だよね?」
余裕を失った僕の質問に、アレクシスは面食らい瞬きした。
「……ああ、そう。結局、今の騎士団長は、元の副騎士団長だよ」
(もう済んだ話の何がそんなに気になるっていうんだ?もう何年も碌に顔も合わせてない僕をわざわざ呼び出したのは、この話のためか?)
「……つまり、騎士団長は今のこの平和な時代を憂いているというか……。あり体に言えば、平和ボケしていると考え(都合のいいときばかり、いったい何様のつもりだ?)ているようなんだ。僕たちも戦闘職種だから気持ちは分からないでもないけどね。騎士の人数(考えてみたらこいつは魔法使いなんだ)は戦時中(それもトップレベル)に比べれば半分以下になっているし、業務内容(今までこいつの周りで起きた不可思議も魔法だったなら)もどんどん変わって(簡単に)いる。多分、騎士(説明がつくんじゃないか?)団長の考える(僕の足の不調も)騎士というのは戦争がなければ(こいつなら簡単に)成り立たない職業(簡単に簡単に簡単に)なんじゃないかな。これは僕の推測(魔法で)だけど、恐らくダナトス殿はそういう考え方に(嫌がらせの)賛同できな──、どうしたんだいっ!?ユリアス君!顔色がっ」
────どうしよう。
アレクシスが何を言っているのか、もうわからない。
ここまで読んで下さってありがとうございました!
ところで、『ユリアスの事情』において、殿下ことレヴィンの年齢計算を間違えていたことに気付き、訂正致しました。
このまま進めていくと、15歳の記念式典の時に16歳になっているという冷や汗ものの間違いです。
年齢表記のあるところ殆どを訂正しましたので、あれ?と思われてた方もいらっしゃるかと思います。
ややこしい事をして申し訳ありませんでした。
このお詫びは本当は前々回の30話で書く筈だったのですが、うっかり忘れたまま投稿してしまい、重ねて新年一発目でも再び忘れて投稿してしまったという……。
あり得ないボケボケが続いたため、今回は執筆途中の仮タイトルに『殿下の年齢』と書き込んでいたので、忘れずに漸く書けました(^_^;)
更新も滞りがちですが、また読んでいただけたら嬉しいです。




