7 アッシュの卒業と退屈な遊び
結局アッシュが王立騎士団を志望した理由はわからなかった。
そして僕があれほど苛々した理由については、冷静になったらストンと落ちてきた。
お兄ちゃんを取られて嫉妬……とか、考えたくないな。
むしろ、遊び飽きたおもちゃを放り出していたら誰かに取られて、そしたら無性に惜しくなった……って方が近いかも。
どっちにしてもろくでもない。
アッシュとはもっと距離を置く事にしよう。
そう思ったのに……。
「おい、ユーリ……。また来てるぞ」
呆れの混じったアーチの声に指摘されるまでもなく、僕も気づいている。
「……もういちいち言わなくていいよ」
僕はぐったり返した。
特に部活をしていない僕とアーチは、授業が終わったら図書室で自主勉強をしている。というか、正確にはアーチの勉強を見ている。
僕らの学年はAクラスからEクラスまであって、座学の成績上位の者がAクラス。後は順番に下がっていって、Eクラスは正直危ない成績の者ばかり集まっている感じだ。
一年生の時は入学前に受けた試験の成績でクラス分けされ、以降一年間の成績で次の学年のクラスが決定する。
だから学年が変わってもAクラスとEクラスだけは、よっぽどでない限り大概同じ顔が並ぶ事になる。
僕は初年度からずっとAクラスで、アーチは当初Bクラスだった。
ところが彼は4年生でCクラスに落ちてしまい、慌てて巻き返しを計っているところだ。
アーチは計算やなんかは速いんだけど、記憶力が必要な科目は苦手らしい。
そこへもってきて、三年生から新たに法律の勉強が加わったのが原因だった。
だけどどちらの騎士団に入るにしても犯罪者の取り締まりは業務に含まれるし、王立騎士団なら治安維持がメインの仕事になる以上、最低限の法律の知識は必要になる。
正直、記憶するだけの作業だから、僕にできる事なんてないんだけど、アーチに言わせれば監視の目があるとないでは、やる気が全然違うんだそうだ。
僕としても、彼がちゃんと覚えてるかチェックする過程で復習になるからね。
そんな事情で、僕たちが放課後図書室に居座るようになって何ヶ月も立つんだけど、最近になってアッシュが僕をめがけて突撃してくるようになった。
それは先日アッシュの部屋でやりあった次の日からで、それも2日とあけず頻繁に。
今期が始まってからは主にアッシュが忙しそうにしてて、僕らはほぼ接点が無い状況だったけど、元々彼は僕に関しては度を越した構いたがりだ。
それがこの前の件で再燃してしまったらしかった。
「よう!ユーリ、アーチ」
「……」
「こんにちは、先輩!」
そっぽを向く僕とは裏腹に、ニコニコと応対するアーチ。実家が客商売だとかで、こういうところはソツがない。
アッシュの用件はいつもと同じだ。
今期の後半、つまり彼の卒業までの期間だけでいいから自治会に入れ。でなければ、『戦略戦術研究会』に入れ、という勧誘だった。
戦略戦術研究会っていうのは、アッシュが4年生の時に立ち上げたクラブの事。
大きくて詳細な地図を広げ、ラナリス王国側と仮想敵国側に分かれて、敵軍がこの地点にこんな規模で現れたら、どのように撃退するか、或いはどういう風に攻めるか、なんて話を延々やってる。つまり戦争のシミュレーションをするためのクラブだ。
戦略・戦術の組立をするには地形や気候の把握が絶対で、高度な知識が必要になる場面も多く、先生方の評価も高いらしい。
当初は同好会として立ち上げられたそこには、告知した途端入会希望者が殺到し、顧問の先生もついて、今は正式なクラブとして認可されている。
僕は戦争に興味ないから、そんなクラブには入る気もしないけど。
「お前が入ってくれたら、どっちの連中も喜んで効率が上がるんだがなぁ」
アッシュはそう言うけど。
うん、ますます入る気がしないね。
いつもと同じやり取りを繰り返し、ようやくアッシュを追い返してため息をついた。
「ここしばらく落ち着いてたのに、見事に去年までの状態に戻ってんなー。つか前よりひどくなってんじゃね?」
と、苦笑するアーチ。
僕は呻いた。
「そもそもお前が素っ気ないから、向こうも過熱すんじゃねーの?俺、次男だけどさ。俺の兄ちゃんも大概だぞ。あいつ普段は弟なんか召し使いだとしか思ってねーくせに、こっちが本気で怒って無視したら、慌ててご機嫌取ってくるかんな。そんで、まーいいや、って折れてやったら、安心するんか又暴君に戻る」
どっちもウザイ事この上なし、とアーチもため息をついた。
「兄弟ってそんなもの?」
僕には弟が三人いるけど、彼らが自分の所有物って感覚はない。懐いてくるなら相手もするけど、そうでなければ放っておくだけの事だ。
「性格によりけりだろーな。うちはそう、ってだけ。
でもアッシュ先輩の場合は、お前が懐いていったら際限なく甘やかしてきそうだよな」
ものすごーく想像できてしまって、ますますぐったりした。
アッシュは僕の所へ来るときは後輩を連れて来なかったので、あれきり彼と話す機会はなかった。
時おりすれ違う事はあり、ジッと見られてる気はしたけど無視した。
そして半期なんてあっという間に過ぎていく。
アッシュは卒業して王立騎士団へ入団し、僕にとっての五回目のシーズンが始まり、同時に僕らの4年生も修了した。
シーズンが始まっての長期休暇。
僕のところには例によって大量の招待状が届き、あまり気が向かないまま惰性で幾つかに出席の返事を出した。
弟はまだ社交界に興味はなさそうで、そのすぐ下の弟ーーレイモンドも、僕が初めて王宮に連れて行かれた時と同じ歳になっていたけど、やっぱり行きたがる様子はなかった。
父上、母上は昨年の僕の行状を憂いているらしく、弟たちに関しては、行きたがらないものを無理に連れていく必要はない、と思っているようだった。
だから今年も僕は一人で、あちらこちらの夜会や舞踏会に顔を出す。
去年は手当たり次第に色んな女の子と踊ったけど、今年は決まった数人の女の子たちとだけ踊る事が多くなっていた。
今夜のリンデン侯爵家の舞踏会ではそんな女の子の一人、タチアナと踊った。
タチアナは僕より二つ歳上のモルテ伯爵家のご令嬢で、プックリした唇が艶めかしい。
一曲踊ったあと僕らは庭に出て、少し歩いた。
「ふふ。約束通りコルセット、緩めて来たの?」
「ん……、侍女に、言いましたの。この前の時、コルセットが苦しくて…倒れそうになったって。は…、そうしたら、今日は緩めに……」
月明かりと邸の広間の灯りが仄かに届くだけの薄暗がりの中、茂みの陰に置かれた目立たないベンチで、僕らは密やかに会話する。
普段は隠されている彼女の白い肌が、明かりを反射して浮き上がった
背後から抱き込むようにデコルテへ指を這わせ、コルセットと肌の隙間を探る。反対の手はドレスの裾から忍ばせ、素肌の柔らかさと弾力を辿り……。
その時、風の動きが変わった。
「……」
「ユリアス様、どうなさったの?」
手を止めた僕に、タチアナは上気した頬で問いかける。
「ごめんね、用事を思い出したんだ。この埋め合わせはまた今度するから」
僕は彼女の頬に口づけ、はだけたデコルテと捲れ上がったドレスの裾を手早く整えた。
「広間まで一人で戻れる?」
「ええ、すぐそこに見えておりますもの」
きっとまた声をかけて下さいませね、と名残惜しそうに言うタチアナを見送り、吐息をもらした。
「覗きなんて趣味が悪いよ、アッシュ」
「今のはモルテ伯爵家のタチアナ嬢だろう?」
アッシュは茂みの向こうから、悪びれもせず姿を現した。
「彼女はずいぶん遊んでるって聞いてるぞ。いつまでこんなこと、続けるつもりだ?」
いつまで?
そんなこと、僕にだってわからない。
「……僕だって遊んでるんだし、お互い様だろ」
顔をしかめてそう言うと、アッシュはツカツカと近づいてきた。
「お前、どうしたってんだよ。そんなことしてたって、全然楽しそうに見えない」
そりゃそうだろう。
楽しいなんて思った事は一度もない。
ほんとに、なんでこんなことしてるんだろう……。
一瞬思考をさ迷わせた時に、風が警告の唸りをあげた。
反射で身体に力を入れた途端、腹部に重い衝撃が響き思わずふらつく。
「っ!?……なに、すんのさ!アッシュ!!」
「腑抜けた顔しやがって!あんまり親に心配かけるもんじゃないぞ」
「……へぇ。母上に頼まれて来たって事?王立騎士団って、よっぽど暇なんだね」
悔し紛れの悪口はあっさりスルーされた。
アッシュは、何かあるんならいつでも相談にのるから、とだけ言って広間へ戻っていき、僕はその場に立ち竦む。
何でも拳で語り合えばいいと思ってるんだから、脳筋にも程がある。
でもどうしよう。確かにもう一度考え直した方がいいのかもしれない。
このシーズンが始まってからでさえ結構たつのに、フェリシアからは未だ何ひとつ言って来る気配はなかった。
それからまた幾つかの夜会や舞踏会を経て、王宮で開催された夜会に出席した時のこと。
僕は相変わらず女の子たちに囲まれ、うんざりした気持ちを隠して、彼女たちの言葉に耳を傾けていた。
こうして僕の周りに集まるのは、積極的な女の子ばかりだ。
控えめな子たちは、ここにはとても近づけずに、遠くから僕に注目してるだけ。
でももう何だか、そんな子たちにわざわざ声をかけに行く気力もなくて、ついつい手近にいる女の子たちで済まそうとしてしまう。
だから毎回同じような子とばかり踊る事になるんだ。
僕のおざなりな笑顔でも、たいして親しくない連中にはキラキラ輝いて見えるらしく、僕が首を傾げ、微笑み、言葉を発する度に感嘆のため息がこぼれる。
ああ、もう何もかもが面倒だ。
ここに僕の皮を被せた人形でも置いてみようか?
それでもきっとこの子たちは、人形に向かって話しかけ、笑いかけ、中身が僕かどうかなんて気にもしないに違いない。
暗い想いに支配されかけた、その時。
僕の視界に、よく見知った姿が映り込んだ。
リンデン侯爵家の舞踏会以来のアッシュだった。
そしてその横にもう一人。
「あら、アッシュグレイ様ですわね」
僕の視線に気づいた女の子の一人が言った。
「今日はほら、もしかして……?」
数人の女の子たちが囁き声で話し始める。
「アッシュがどうかしたの?」
不審に思って尋ねると、彼女たちは慌てて僕に向き直った。
「ごめんなさい……、ユリアス様。ただの噂話ですのよ」
「うん、それでいいよ。教えて?」
にっこり笑って彼女たちから聞きだしたところによると、今年4歳になられる王子殿下がアッシュに会いたがっておられるという。
まだ幼児といっていい歳の殿下は大層大人びた利発なお子様らしく、ラナリス王国の建国神話を既に読みとかれ、メイファス公爵家、ロックフォード公爵家、そしてアッシュの家であるローズウェイ公爵家を総称する、いわゆる守護三家に興味を示されているらしい。
このうちメイファス家、ロックフォード家は遥か昔に断絶しており、今残っているのはローズウェイ家のみ。
考えてみればアッシュは、竜眼王アレンの時代から連面と引き継がれてきた由緒ある家柄の、最後の一家の次代の総領ということになる。
「それで、殿下が王宮での舞踏会の折りに、非公式にアッシュグレイ様にお会いする機会を所望されていると噂をお聞きしましたの」
「もしや、それが今日なのでは……と思ったのですわ」
いつもの事ながら、女の子たちの噂収集能力は半端ない。
この調子で僕の噂もばらまかれてるんだろうな、と思うと少し気が遠くなった。
そして噂の主がなんだか気になってじっと様子を窺っていると、遠くの方でアッシュと連れが別れ、アッシュだけが王宮深部へ向かうのが見えた。
あらやっぱりそうなのかしら、と囁きあう女の子たちの声。
そして、取り残され所在なげに佇む後輩。
どうしてあいつが、こんなところまでついてきてるんだろう。
ここまで読んで頂いてありがとうございます!




