22 嵐のあと
「酷い……、有り様だな、ユリアス殿」
ポツリと声が響いた。
そこに立っていたのは王太子殿下だった。僕を見て、一瞬眉を顰める。
「で…んか?どうして此処へ?」
虚ろな目で、平坦な声で尋ねる僕に答えず、少しは落ち着いたか、と何故か涙の跡の残る左目を擦り、殿下はゆっくり辺りを見まわした。
「面倒な道をつくったものだな。辿り着くのに随分時間がかかった」
そしてソファーに横たわるリコに目を止めた。
「これがユリアス殿の猫ちゃんか。色を変えたか?」
僕はリコを見た。
黒い髪に少し黄色味のかった肌のリコを。
今は目を閉じているが、瞳も黒い。
殿下の力を使ったから、様子を見に来られたのだろうか。人の魔力で色素を変える事はできない。だから預かっている殿下の魔力を借りた。
リコは言った。黒い髪に黒い瞳なのだと。そして肌はこんなに白くないのだと。
目覚めたときに、あの白い肌を、金髪を見ればまた気を高ぶらせるかもしれない。
誤魔化すために、色を乗せた。身体に魔力を流し、髪と瞳を黒に。肌の色はどの程度かわからなかったので、先日見たアマンダやエミリアを参考にした。
少しくらい違っていてもいい。リコが目覚めて僕の話を聞いてくれる間だけ、気づかずに落ち着いていてくれればそれで。
そう思って色を変えた。
変えたのは色だけだ。
姿形は変わっていない。変えようがない。
だから姿を映すものを、映す可能性のあるものを全て排除した。
鏡も、ガラスも、食器でさえも。
全て。
「罰を、与えられますか?」
僕は乾いた心のまま問うた。
殿下はそのために来られたのだろう。
先日黙って鳥を支配したあのときは心配して下さったけれど、さすがにそう何度もお目こぼしがあるとは思えない。
殿下はこちらへ向き直り、僕を睨みつけた。足元で、砂や細かい何かがザリ、と音を立てる。
「何に対して?」
「…殿下のお力を私事に、「気づいていないのか!ユリアス殿」
殿下の激しい口調に、ビクリと身体を震わせた。
「見るがいい。ユリアス殿が無意識に招いたことだ」
手を引ったくるように掴まれる。
魔力が逆流した。視界が暗転し、直後眩しい光に包まれる。
遥か眼下には白く厚い雲海。
人にはあり得ない、これはドラゴンの視点だった。
殿下は僕の手を掴んだまま、白い水蒸気の塊の中へ身を踊らせる。
下へ下へと向かうと共にどんどん暗くなり、気づけば激しい風と叩きつける雨のただ中に浮かんでいた。
これはーーっ!
これが自分のしたことだと思い至った瞬間に、まず風が止んだ。
「雨を…止めなければ」
だけど今まで、水の力を思い通りに制御できた試しがない。
極僅かな傷を治すのにも、恐ろしく神経を使う。
さっきリコの傷を治療したときに雨を呼んでしまったんだろうか。無我夢中で制御も何も考えていなかった。
青ざめる僕の手を、殿下が引っ張った。
「呆けるな。風ならお手のものだろう?」
その言葉にハッとして再び風をおこした。
今度は頭上の雨雲を散らすために。
細かくなった雨雲を風に乗せて遠くへ押しやり、光差す地上を俯瞰して僕は愕然とした。
川沿いの、泥にまみれた家や畑。
街中でも道路が冠水していて、あちこちにゴミと化した物体の吹き溜まりができている。
川も、山も形が変わっていた。
人々はようやく止んだ雨と風に、ぞろぞろ家を出てきては、足首まで水につかり呆然と辺りを見回している。どこから手をつければいいのかわからない状態だった。
「このままでは疫病が発生する」
静かな殿下の言葉に、やっと目が覚めた気がした。
まずはあの水をどうにかしなくては。
水魔法を使えればよかったんだけど無理だ。余計に酷い事になる気しかしない。
だから大地に干渉し、地下水脈を広げ土に水を吸わせて流した。ぬかるみに火の魔力を施し、泥を乾燥させる。
形が変わってしまった川の流れを、土の記憶を辿り移動させてなるべく近い形に戻し、地滑りで崩れた山すらある程度は元の形を取り戻した。
西の辺境、被害にあった全域にみるみるうちにもたらされた奇跡のような現象の数々に、殿下は驚きを隠せないようだった。
我ながら人の魔力とは思えない。
ただ、倒れてしまった木々は、決して元には戻らなかった。
僕は一番気になる恐ろしい事を訊かなければならない。
震える声で殿下に問うと、彼は肩を竦めた。
「怪我人はわからんが、今のところ死者はいない」
その言葉に一先ず息をつく事ができた。
「ユリアス殿、もう充分だ。ほら、警備隊が出てきた。あとは彼らがやるだろう」
一旦戻ろう、と殿下に促され、僕はその場で転移した。
森の家へと。
水気は残っていなくても、無惨な有り様に変わりはない僕の家の前についた途端、殿下は膝から崩れ落ちた。
「殿下っ!?」
「……少し休めば、治る」
慌てる僕をいなし、彼はその場に座り込み息を整える。
「……ったく、この身体は……歯がゆいな」
文句を言いながら、隣に片膝をつく僕を見上げた。
「それにしても、ユリアス殿の器は底なしか。あれほどの魔法を行使して息も乱さないとは」
なんだか少し悔しそうだ。
僕は少し後ろめたい気持ちになって言った。
「私はまだ一度も、自分の器の底を見たことがないのです」
器を持つ者なら誰でも、それを自覚し始めた頃にギリギリの限界まで使ってしまうものだ。
自分の魔力がどれ程のものか、という興味はもちろん、限界を知るのは必要なことでもある。
けど僕はどちらかと言うと、これ以上は使ってはいけない、とセーブする方に心を砕いていた。
自分の魔力に、他者と違いすぎるそれに、恐怖を抱いた時期もあった。
今となってはどうすれば限界を量れるのかもわからない。
「いや、それ位でなければ一部とはいえ私の魔力を預ける事などできない」
眉を下げ、肩を落とした殿下は、つまらない事を言ったな、と呟いた。
やがてゆっくりと立ち上がり、膝頭をはたいて殿下は言った。
「さあ、次はユリアス殿の猫ちゃんを視るとしよう」
「……リコを?」
僕の僅かに下がった声音に、殿下は苦笑した。
「そう警戒するな。さっきチラッと見たが、色を変えていたな。訳ありか?」
訳だらけだ。
「……少し誤解、というか行き違いがありまして」
「痴話喧嘩の中身には興味ない」
殿下はバッサリ切り捨て、女がそんなものを喜ぶ理由がわからんな、と首を捻りながら、先に立ってズカズカと室内へ入っていった。
誰の家かわからないな、と思いながら後を追う。
そういえばほんの数時間前にも、師匠が同じように家に入っていった。
あれがもう何年も前のように、遠い。
室内は、水分気こそ飛ばされていたものの、なかなかに惨憺たる有り様だった。きれいなのはリコの周りだけだ。
これは掃除をするのが大変だ、と僕は少し冷静になった頭で考え、リコの傍らに立つ殿下の隣に立った。
彼はジッとリコを見下ろしていた。
「殿下、何かわかりますか?」
僕は神妙に尋ねた。
僕にしてみれば、藁にもすがる思いだ。リコに関しては訳のわからない事ばかりで。
「混ざっているな」
それも相当……、と殿下は言った。
「これを切り離すのは難儀だ。だが取り敢えずこれ以上混ざらないようにはできるかもしれない」
どうする?と僕に視線をくれた。
混ざっている、というのはリコとフェリシア……という事だろうか。
リコとフェリシアの一体何が?
「……混ざっている、というのは何が?そして混ざらないようにするとどうなります?或いは混ざり続けたとしたら?」
僕の疑問にどう説明すればいいか、とでもいうように殿下は眉根を寄せた。
「1つの魂に2つの色が混じりあっている。普通は1つなのだが……」
ユリアス殿なら視せた方が早いか、と手を差し出してこられた。
躊躇いつつそこに手を乗せると、彼はグイとその手を掴みリコの方へ視線を流す。つられて僕もそちらを見ると、横たわるリコのちょうど胸の上辺りに灯る光があった。
その光は同じような色合いではあるものの、半分以上を占める明るいオレンジ色と、少し少な目の柔らかいオーロラ色の2色でできていた。
ただ、明るいオレンジの部分に何かくすんだ影のようなものが絡みついているのが視える。
「殿下、これは?」
「魂、というものかな。無理矢理言葉に当てはめるならば」
以前、十何年前にもこれと同じようなものを見たと思う。あれは夢の中だったし、色も違ったけど。
あれも魂だった、という事か。
「こういったものは個体差があるのだが」
、と殿下は言う。
「本来は1色であるべきものが2色になるなど、不自然極まりない。どうしてこんなことになっているのかについては気になるな」
殿下が興味津々で身を乗り出した。
「……その実験動物を見るような目はやめてください」
僕の不穏な気配に気づいたのか、殿下は咳払いして体勢を戻した。
「………。この魂はどうやらこの薄い方の色が元々の色で」
と言って殿下はオーロラ色を示した。
「そこに何か別の色が混ざってオレンジになっているようだ。これがいつか全部オレンジになるのかもしれないし、このままなのかもしれないが、全部オレンジになるのは良くないと思う」
この部分、と殿下はオレンジに絡みつく影を指した。
「何か干渉されている。呪術……呪われているのか?だとすると甚だ中途半端ではあるが」
「呪術…呪い?…そんなお伽噺のようなものが?」
唖然とする僕に、殿下の声は笑いを含んだ。
「ユリアス殿は、人を蛙に変えたりする呪いでも連想したのか?」
『呪い』といわれれば、小さい頃絵本で読んだようなものしか思いつかない。
「この呪術は、呪いというよりは催眠術に近い。だがこうやって魂を縛っているのだから、やはり呪いなのだろうな」
呪われた結果リコとフェリシアが混じりあった、という事なのだろうか?
でもそれなら、オレンジの部分だけでなく全体にくすんだ影が絡まっていそうなものだ。
それよりリコはフェリシアの事は全く覚えていなかったし、自身の記憶にも欠けた部分があった。ならばその『呪術』というのは記憶に関するものとも考えられる?
「しかしこの2色は全く不可解だ。ユリアス殿には何か心当たりでもあるのか?」
殿下はそこが気になるらしい。
2色というからには、どちらかがリコでどちらかがフェリシアなんだろう。
心当たりといわれても、僕にはそれ位しか思い当たらない。
僕は問われるまま殿下に、リコの失った記憶やフェリシアの意識と思われる事について話した。
但し、異世界の記憶についてはそ知らぬ顔で隠した。
当然だろう。さっきの殿下の、あの目付きを見たあとじゃあ警戒してし過ぎる事はない。
訳のわからん話だな、とため息をつく殿下。
僕の説明が悪い訳じゃないと思う。
それだけややこしい事態だってことだ。
「今の話からすると、恐らくこの薄い方がユリアス殿の猫ちゃんだろうな。このオレンジの方が婚約者殿だ。意識に干渉されているのは婚約者殿なのだから。
だがこのオレンジは、ユリアス殿の猫ちゃんと他の色が混じったものだ。
そうすると、この身体の元々の意識は猫ちゃんで、それと何かが合わさって婚約者殿になったという事になる。逆なら分からないでもないが…」
殿下は話しながら考え込んだ。
「問題は、このオレンジの部分だ。さっきもいった通り干渉されているから、もしこのまま薄い方が呑み込まれて完全に混ざってしまえば、ユリアス殿の猫ちゃんはいなくなり、記憶や意識に関する何かの干渉を受けている婚約者殿だけが残る、という事になる」
あくまで仮説だがな、と殿下は言った。
仮説……。
だけど。
リコがいなくなる?それはダメだ。例え万が一でもそれだけは!
「切り離せばどうなります?この干渉を受けた部分を」
フェリシアの部分を切り離す。リコだけを残して。
自分が酷い事を言っている、という自覚はあった。
けれど、リコを失う可能性だけは考えたくなかった。
ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございます。
最初「たまゆら~」はリコの話だと思っていたのですが、こうして終わりに近づいてみるとほぼユリアスさんがでずっぱり(笑)
リコは今のとこ引きこもりだから仕方ないのか……。
「たまゆら~」書いてる上での脳内一人合言葉。
*R15ってドコまで~!?(心の叫び)
*これ以上登場人物を増やさない!(魂の叫び)
二つ目については、全く守れておりません(涙)
次話もお付き合いいただけたら嬉しいです。




