21 崩壊*
えっと……今回ユーリちゃん少し壊れております。すみません……え?今更?
なんかもう、ホントすみません。
お詫びじゃないですが、いつもの【おまけ】もつけました。あとがきまでどうぞです。
必死で鏡を覗き込んでいた私は、漸く後ろに呆然と立つユーリに気づいた。
「…リコ?どうしたの?」
戸惑った顔を隠せない彼に、私は泣きながらしがみついた。
「ユーリッ!ユーリ、この身体、私の身体じゃないのっ!私は日本人なんだよ。黒髪で瞳も黒いの!肌もこんな真っ白じゃないのにっ。これきっとフェリシアの身体なのよっ」
「フェリシア……の?」
私はユーリの服に顔を押しつけ、頷いた。
私の身体は一体何処にあるの?
なんで私はこの子の身体に入ってるの?
この子は一体どうしてしまったの?
まさか、私が入ってるせいで、この子は出てこれないの?
「……リコとフェリシアは、別人なの?」
ユーリの、その困惑を滲ませた言葉が、私の記憶を引っ掻いた。
ユーリは前に、誰かと私を間違えていなかった?
私に誰かの名前を呼び掛けてこなかった?
あの名前は、『フェリシア』だった!?
「…フェリシアのこと、知ってるのっ?」
問いかけながら、私はもう確信していた。
ユーリはフェリシアを知っている。
そしてこの子もユーリを。
私はユーリから手を離し、一歩後退った。
そうだ、この子はずっとユーリのことが好きみたいだ、と思ってたじゃない。ユーリちゃんって呼んでみたいって。仲良くしたいってっ!
私とごちゃ混ぜになってるせいだ、って深く考えなかった。
私の問いにユーリは答えない。
いや、きっと答えられないんだ。
フェリシアの記憶が泡のように私の中で弾ける。違う。これはあの子の身体なんだから、異分子は私の方。
馬車の振動。そんなの乗ったことない!
ヒラヒラのドレスを着て、何度もカーテシーを練習した。カーテシーって何よ、そんなの日本では必要ないっ!
お茶会?舞踏会?そんなの知らないっ!
涙が止まらない。
「ユーリは私をフェリシアだと思ってたの?……ずっと、フェリシアだと思って見てたの?」
ぼやける視界で、ユーリが身体を強ばらせたのがわかった。
そうか。そういうことか。
ーーメイシーと笑い転げた馬車の中。
そして深夜まで部屋でゲームをしたーー
「ね、リコ。話をしよう?」
躊躇いがちに伸ばされる腕。
この腕も、優しい言葉も、甘い時間も全部、全部全部フェリシアのためのものだったっ!
ユーリがいつも撫でてくれた髪も、口付けた手も、肌も、抱き上げてくれたこの身体全てがあの子のもの!
私は鏡の中のフェリシアを睨みつけた。傍らの椅子を掴み、同じように睨み返してくるあの子に向かって、言葉にならない唸り声と共に叩きつける。
耳に刺さる音と同時に破片が飛び散り、多分幾つかは剥き出しの腕を、顔を傷つけた。
息をのむユーリ。
ーーふらつく足元で森の中を走るーー
追われてる?これもあの子の記憶なの?
「ね、落ち着いて、お願いだから!」
ハアハア息を荒げる私を、ユーリは抱き寄せようとする。
私はその手を振り払った。
「もうやめて!やめてやめて違うっ!!私はフェリシアじゃないっ!もう嫌だーっ!」
私を見ていなかったユーリ。
愛されてると勘違いしてた私。
イヤだ、もう何もかもがっ!
「嫌いっ!嫌い嫌い!キライッ、ユーリのバカ大っ嫌いよっ!」
「待って!リコ、お願いだから話を聞いて!」
必死の形相でユーリが腕を伸ばす。
そこに細い別の腕が重なった。
記憶の中から伸びてくる腕。
『貴女なんかいなければ……』
『消えて!消えて消えて!!』
『消えなさい!シーリィン!!』
ああ、また…。
「ーーー消える消えてしまう…」
「消える?…何が……リコッ!」
押し寄せる絶望感。
意識が、……遠のく。
*** *** ***
「急に薄暗くなりましたわね」
ホットレモネードをトレイにのせ戻ってきた女官が、レヴィンにカップを手渡し、窓から空を見上げた。
「西の空が真っ暗ですわ。こちらに来なければいいのですが……」
憂い顔の女官が振り向くのと、レヴィンがカップを取り落としたのは同時だった。
「ユ、リ……の!?何をっ、して……!」
呻き、蹲るレヴィンの足元に、零れたレモネードが染みをつくる。
「同調?…いや、制御できていないのか?」
手で顔を覆い小さく呟くレヴィンの元に、女官が駆け寄った。
「殿下っ!大丈夫ですかっ?どうされました?」
「大事ない、騒ぐな」
狼狽える女官を右手で押しとどめたレヴィンは、左手で左側の眼を押さえている。
「殿下!?左目がっ!」
レヴィンが押さえる指の隙間から、ボタボタと涙が滴り落ちていた。
これはただ事ではない、と青ざめた女官が、侍医を呼んで参ります、と走り出そうとしたとき、レヴィンが立ち上がった。
「医者はいらない!ラウルを呼べ。それ以外は誰もこの部屋に入れるな!」
そう言って、続き部屋の寝室に入ってしまった。
中から鍵をかける音が聞こえる。
「どうしよう、幾ら大丈夫と言われてもあれでは…」
女官が、とにかくラウルを捜しに行こうと廊下へ出て、他の女官に声をかけているときに、当の本人が戻ってきた。
「ああっ!よかったラウルさんっ!どうしましょう、殿下が!」
「殿下がどうされた?」
「それが……」
女官の今一つ要領を得ない説明に首を捻りつつ、ラウルはレヴィンの私室へ入った。
他の者は入室を禁じられたらしい。
レヴィンに長年仕えているラウルにも、こんなことは初めてだった。
焦る心を押し隠し、平静を装って奥の寝室のドアをノックした。
普段寝室に鍵がかけられることはない。世話をする者が自由に入れないでは困るからだ。
そのドアに鍵がかかっていた。
ラウルは役目柄寝室の鍵を持っているが、今回のようにレヴィンに意識があり、整然と指示が出されている状態でそれを使用することは出来ない。
ややあって、鍵が外される音がした。
内開きのドアが、細い隙間を作る。
僅かなその隙間からレヴィンは青の、右の瞳だけを覗かせ、ラウルを見上げた。
「具合が悪い、とお聞きしましたが如何されました?」
ラウルは無理にドアを開けようとはせず、少し腰を屈め目線を合わせた。
「私は体調が悪い」
レヴィンは表情の窺えない声で言った。
「だが医者が必要な程ではない。先程の指示は全て撤回し、私がいいと言うまで誰もこの部屋に近づけるな」
「理由をお伺いしても「体調が悪い、と言った」
レヴィンは苛ついたように言葉を被せた。
こんなことも今までになかった事だ。
ラウルは眉を潜めた。
「左目の様子がおかしいと伺いました。見せて頂けますか?」
「……大したことはない」
だが決して左目を見せようとしないレヴィンに、ラウルは内心焦燥を募らせた。
「それを信用しろ、と仰る?」
譲らないラウルに、レヴィンは右目を伏せた。
「……では、体調が悪いのはいつまでですか?」
「良くなれば呼ぶ」
仕方なく一旦退いたラウルに、レヴィンの答えは未だあやふやだ。
「殿下、それでは私は王妃様に指示を仰がねばなりません」
ラウルの言葉にレヴィンはハッと顔をあげた。
当然でしょう、と言わんばかりのラウルの表情を見て、ため息をついたようだった。
「……明日の、…朝には治ると思う」
力なく呟くレヴィンに、ラウルは手を伸ばし引きずり出したいのを必死で耐えた。
ラウルにとってレヴィンは、仕える主人であると同時に、幼い頃から世話をしてきた弟のようなものでもある。
何か困っているなら、手を差し伸べてやりたかった。
レヴィンがそれを望まない、とわかってはいるけれど。
「わかりました。では明日の朝7時になったら部屋に入ります。その時に何か問題があれば、医師を呼ぶなり王妃様に指示を頂くなり致します」
ラウルの言葉にレヴィンは頷いた。
「私は朝までここで待機しております。何かあればお申し付けください」
「勝手にするがいい」
囁くような声と共にドアが閉められた。
鍵をかけられた様子はなく、形だけとはいえ信用されているようで、こんな時ながらラウルは嬉しく思う。
一旦ドアを離れ、女官に宰相との面会延期を依頼し、執務室へも使いを遣った。
零れたレモネードを始末し、椅子をドアの前に運び腰を下ろす。
中の様子がおかしいと思ったら、例え叱られても踏み込むつもりだった。
けれどレヴィンの寝室は、それから朝までコトリとも音を立てる事はなかったのだった。
*** *** ***
滝のような豪雨と、尋常ではない風が西の辺境を襲っていた。
唸る風が雨を巻き込んで横殴りに吹きつける。
未だかつて類を見ない大嵐だった。
つい先程まで何の予兆もなく晴れていた空が瞬く間に黒く覆われ、心地よかった風に突風が混じり、災害ともいえる規模の嵐となるのに15分もかからなかった。
街でも村でも、誰一人予想もしない事態に備えることすらしていない。人々は避難するのが精一杯で、家の外に出しっぱなしになっていた桶や竿といった生活用具や、商店の看板、荷車等も風に飛ばされ、叩きつけられ壊れた破片が雨粒と一緒に吹き荒れている。
川は増水し橋は軒並み流され、下流は既に氾濫していた。
畑は水没し、川近くの家屋は泥流に呑み込まれた。
雨量の多さと激しさに山の地盤は緩み、地滑りがそこかしこで起こっている。その大地が震える不気味な音も、雨と風の激しさにかき消された。
誰もが家の中で手を取り合い、嵐が過ぎるのをただ待つ事しかできなかった。
森の中のユリアスの家もまた、嵐に襲われていた。
窓の外は吹き荒ぶ風と叩きつける雨で何も見えない。
まだ夕刻にもならない筈なのに夜のように暗く、風と雨と森の木々の震えざわめく音が他の全てを凌駕していた。
リコはソファーに寝かされていた。
突然不思議な言葉を呟き、糸が切れたように崩れ落ちたリコをギリギリで抱き止め、居間のソファーへ運んだのはユリアスだ。
寝室は割れた鏡の破片だらけでベッドも使えなかった。
リコの肌は飛び散った破片で何ヶ所も傷ついていて、ユリアスはリコの名を呟きながら、ガクガクと震える手でそれを1つずつ癒した。ボタボタとこぼれ落ちる涙を拭う事も思いつかなかった。
どうして?
どうして、こんなことになった?
リコはフェリシアを、もう一人の自分のようなもの、と言った。
だけど実際は違った、という事か。
見た目が違うなんて思いもしなかった。リコとフェリシアは一緒だと、一つの身体を共有しているのだと思っていたから。
彼女の声が、頭の中でガンガンこだまする。
嫌い!嫌い嫌い……大っ嫌いっ!
リコ…リコが僕を嫌いって……。リコがリコがリコが……、ああ。
獣のような嗚咽が、喰いしばった歯の隙間から洩れる。
ユリアスの慟哭に合わせるように、風の唸りが増した。
リコが、リコしかいないのに……、リコ。
ちゃんと話をすれば、きっとわかってくれる。
僕が大事なのはリコだけだって。
話さえできればーー。
話を、リコと話をしなくては
でも。
話を聞いてくれるだろうか。
目を覚ましたリコはまた、自分の姿を目にして荒れ狂うかもしれない。髪を、肌を見て泣き喚くかもしれない。
また僕に向かって、嫌いと叫ぶのか。
そうなったら僕はーーーー。
だからーー。
少しの間だけだから、赦して。
騙すつもりじゃなくて、落ち着いて話を聞いて欲しいだけなんだ。
ユリアスはリコの横に跪いた。
リコ……、リコッ。
震える手を彼女に伸ばしーー。
やがてリコの身体から手を離したユリアスは、ゆらりと立ち上がった。
緩慢な動作で辺りを見まわす。
まだだ。このままじゃリコが気づいてしまう。
ユリアスの意思ひとつで、風が凶器と化した。
轟々と音を立てる風が家中を狂ったように走り、全ての窓ガラスが砕け散り吹き飛ばされた。
その勢いにカーテンは引き千切れ、食器は棚ごと落ちて割れる。
ただの穴となった窓から風と共に吹き込む雨で、室内はしとどに濡れた。
静かに凪いでいるのは、リコが横たわるソファーの周りだけだった。
「酷い……、有り様だな、ユリアス殿」
ポツリと声が響いた。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
【おまけ】
「さあ、レヴィン。今日からあなたの身の回りの世話をしてくれる、侍従のラウルですよ」
王妃様の言葉に殿下はキョトンと首を傾げた。
「……侍従?」
「そう、ラウルですよ、ラ・ウ・ル。さあラウル、ご挨拶なさい」
なんで王妃様はこんなに名前を連呼するんだろう、と思いながら、輝く金髪と大きな青い目の大層可愛らしい子供の前に跪いた。
殿下がまだ3歳くらいの時のことだ。
目の色がほんの少し、よく見ないとわからない程度だけど左右で違っているのが印象に残った。右は王家の特徴でもある青の、そして左目は蒼の瞳だった。
「初めまして、今日から殿下の侍従の任に就くことになりましたラウル、と申します。精一杯お仕え致しますので、よろしくお願い申し上げます」
つっかえずに言えたぞ、とホッとしていたらまた王妃様が、ラウルはとても優秀なのですよラウルがラウルは、と名前を連呼している。
物凄く微妙な気分で殿下に声をかけて頂けるのを待っていたら、顔に似合った可愛らしい声で、気のせいかな?ふてぶてしい口調で、「侍従か、よろしく恃む」と聞こえた。
横で王妃様が、「だ・か・ら、ラウルだって言ってるでしょう」とため息をついていた。
どうやら殿下は名前を覚える気がないらしい。
王妃様が躍起になっておられた理由がわかった。
すぐに気づいたけれど、殿下は誰の名前も呼ぼうとしなかったのだ。
乳母の事は『ばあや』と呼んでいた。
まあそれは別にいい。
3人いた女官はそれぞれ、『おさげ』『おだんご』『くるくる』と呼ばれていた。言わずとしれた髪型の特徴だ。
彼女たちに聞けば、最初は驚いたもののもう慣れた、と言う。
初めの頃戸惑った彼女たちは、試しにと髪型を交換してみた事もあるのだそうだ。
どうなったのか、と興味本意で尋ねると、どうもしなかった、と苦笑が返ってきた。
『おだんご』の女官がおさげにしても、やっぱり『おだんご』とよばれたし、『くるくる』の女官がおだんごにしてみてもやっぱり『くるくる』と呼ばれたそうだ。
ということは顔の認識はできているのだから、髪型で見分けているというわけでもないらしい。
殿下のその奇癖は徹底していて、それから数年が過ぎても治ることはなかった。
役職についている者は基本役職名で呼ばれるが、それが多人数だったり、或いは殿下の気が向けばあだ名をつけられる事もある。
年齢よりも格段に大人びていて聡明な殿下の、唯一の子供じみた部分だと思えば可愛く思えなくもない。
ただ、自分が最初に侍従と呼ばれ始めてしまったために、後から入ってきた侍従だけが珍妙なあだ名をつけられてしまったのは、少しだけ申し訳なく思った。
そんな殿下が、ただ一人名前で呼ぶ人が現れた時の王宮の騒ぎについては、また別の話だ。
ここまでお付き合い下さってありがとうございます、ペコリ。




