20 期待と不安と、そして……。
「包帯を、取ろうか」
僕は、リコの目元に手を伸ばした。
リコは、僕が緊張しているといって笑うけど、リコの目が見える瞬間を一番待ち望み、かつ恐れているのは僕だと思う。
小さい頃から、僕を見て目の色を変える人間を数多く見てきた。
男も女も、年下の子も年寄りですらも。
初めは薄気味悪くさえ思っていたその視線の意味を理解したのは、学校へ入学する直前くらいだった。
ほとんど同時期に社交界にも出入りするようになっていた僕は、色んな人から声をかけられ、称賛の声を浴びせられ、褒め称えられていた。
けどその中の誰一人として僕の本質を知る者はいないし、みんなが見ているのは、薄っぺらい僕という名の皮一枚と侯爵家の跡取りという身分だけ。
アッシュやアーチに言わせると、僕は相当性格が悪いらしいし、自覚もしている。
極端な犯罪行為には拒否感もあるけど、誰かをちょっと騙したりする程度のことには何ら痛痒を感じない。
僕の上っ面だけを見て寄ってくる連中はそんなことも知らないで、僕が笑いかければすぐに赤くなってしどろもどろになったり、反対に逃げ出すやつもいた。
女の子に関していえば、そういう反応が可愛いかも、と思えた時期もあったけど、別にそれ以上でもそれ以下でもない。
そもそも僕の見た目に騙されてる時点で、僕にとってはアウトだ。
もちろん、惑わされない人もいた。けど、そういう人には既に大事な人がいる。
いっそこの顔を潰してしまえばいいんじゃないか、と思ったこともあったけど、別にそこまで恋愛に積極的になりたい訳でもない。それなら身分の釣り合う者で適当に相手を見つけて適当に結婚生活を送るには、この顔は役に立つかもしれない、とは思った。
そんな頃にフェリシアとの話があって、僕に断る理由はないから婚約した。
その程度のことだ。
だけどリコは僕の顔も知らないし、身分も知らない。筆頭位を持っていることも、それを持つことの意味さえも。
本当は、リコの目が治るまで言うつもりはなかった。
僕の見た目を知って、身分やなんかも告げて、それでも変わらないのであれば、告白しようと思っていた。
結局我慢できなくなってしまったけど。
歴史の勉強中、僕が王族でなくてよかった、みたいなことをリコが言った時はドキッとした。
僕は王族ではないけど、母は公爵家の出身だし、長い歴史の中にはレイズ侯爵家に降嫁してこられた王族もたくさんおられる。王家の血が全く混じっていない訳ではない。実際陛下や殿下とは遠い親戚にあたる。
リコが身分に惑わされるような女性でなくてよかったと思う反面、なら逆に僕の身分を知れば逃げてしまうんじゃないか、と怖くなった。
だから未だに身分を告げることができない。
リコがいつか、フェリシアの記憶を取り戻したらどうなるだろう、と考えることもある。
フェリシアは男爵家の令嬢で、まだ僕の婚約者だからそれはそれで何も問題はない。むしろリコが身分差がどうとか言わなくなるのなら、その方が有難い気もする。
だけど、もしもフェリシアの記憶と引き換えにリコの記憶が失われるなんてことになったら、最悪だ。
それだけは受け入れられない。
リコの記憶とフェリシアの記憶がうまく融合してくれるならそれが一番いいのかもしれないけど、そんな都合のいいことが起こるとも思えなかった。
だから、リコはこのまま。
リコのままでいてくれたらいい。
身分や地位なんか、リコが嫌がるならそんなものはいらない。
でも、そうなると。
何も知らないリコが、僕の顔を見たときの反応が怖くなる。
もしかして、僕の顔を見た彼女の態度が変わってしまったらどうしたらいい?
僕はリコを諦められるだろうか。
自分がどうなるのか、見当がつかない。
だから理由をつけて、師匠にも遠慮してもらった。そうしておいてよかった。
ほら、リコの包帯の結び目をほどく僕の指先は、微かに震えている。
僕は慎重に包帯を巻きとっていった。
毎日やっていて、もう慣れた作業なのに、我ながら辿々しい。
包帯の最後の一巻きがリコの目元からはらりと落ちた。
瞼に貼り付いたガーゼを剥がし、残った薬をお湯に浸した布でそっと拭う。
外はまだ明るい。
瞼の裏に光を感じたのか、彼女は少し顔をしかめた。
「ね、目を開けてみて。……僕が見える?」
問う声も、震えていた。
*** *** ***
王都の空は晴れわたっていた。
薄曇りの日が続いた中、久しぶりの快晴に人々の表情は明るい。
そんな中、王宮は朝からざわついていた。
「殿下、お疲れさまでございました」
私室に戻ったレヴィンは、脱いだ礼装の上衣を控えていた侍従に渡し、シャツの襟元を緩めて、ドカリとソファーに腰を下ろした。
女官が手渡したレモン水を一息に飲み干し、ため息をつく。
気の合わない相手だった。
記念式典に招待されていながら回答を引き延ばしていたランボルクからの使者が、漸く返書を携えてきたと思ったら、使者はランボルクの第2王子だったのだ。
第2王子は最初ただの外交官を装っていたため、宰相が相手をしていたのだが、宰相と彼は以前にも面識があった。
すぐに気づいた宰相から連絡があり、予定の詰まっていた国王の代理としてレヴィンが駆り出される羽目になったのだった。
結局昼食の後まで付き合わされ、やっと解放されたばかりだ。
「式典のときにもアレが来るかと思うとゾッとするな」
レヴィンの洩らした独り言に侍従が反応した。
「ランボルクの第2王子、ですか?やはり出席の回答を?」
「勿体ぶっているだけだ、と言ったろう?返書を確認したが、どうやらあいつが来るつもりらしい。帰り際にも、またよろしく、と言っていたな」
ああいうタイプとはよろしく出来そうにない、とレヴィンは呟いた。
「殿下、もう一杯お飲みになられますか?」
空になったコップを受け取り、女官が訊ねた。
「ああ、次は温かいものを」
「ではレモネードをホットでお持ちしましょうか」
「頼む」
今日の予定は狂いっぱなしだ。
明日で間に合うものは明日にして、今日はもう急ぎのものだけにしよう。
そう思ってレヴィンは、侍従に予定の確認をさせた。
「本日の面会予定は全てキャンセルして、今後1週間以内に予定を組直すよう手配しております」
「助かる」
「宰相閣下からは、後程改めて時間をお取り頂きたいとの申し入れがありました」
「ランボルクの件だろう、時間の調整を。それと急ぎの書類があれば、私室へまわすように」
「伝えて参ります」
一礼して退室する侍従を見送り、今日もまだ終わりそうにないと、またため息をついたのだった。
*** *** ***
最初に目に入ったのは、蒼と翠の宝石だった。
それから、心配そうに潜められた眉が見えて、ああ、瞳だ……、と思った。
睫毛が長い。
形のいい鼻梁と少し薄めの唇。顎のラインがシャープ。
額に落ちるサラサラの髪。まるで銀糸に金粉を散らしたような、不思議で美しい色。
「……ユーリ?」
もちろんユーリだってわかってたけど、予想以上に綺麗過ぎて、正直びびった。
だから念のための本人確認。
ユーリは深刻な表情で、私の前に指を二本突きだし、これ何本に見える?、といい放った。
「へ?に…二本!?」
「じゃあこれは?」
「………三本」
これはちゃんと見えてるかどうかのお約束的なアレ?
異世界にもそんなのがあるの?
ユーリの色素の薄い、節の目立つ指から目が離せない。この手は、いつも私を抱きしめてくれた手だ。
「リコ?」
不安そうなユーリの声。どうして?
「ユーリ、ちゃんと見えてるよ!凄い美人で吃驚した」
笑ってそう言うと、ユーリは目を大きく見開いた。
こんな表情をするんだ。
そんな新鮮な気持ちでユーリを見つめると、彼はとても甘やかに笑い、美人はないでしょ、と言いながら腕を伸ばして私を閉じ込める。
その肩口に顔を埋め目を閉じると、やっぱりいつものユーリだ、って実感できた。
「よかった、リコ。もしかしたらダメかと思った」
「どうして?ジェニーさんも大丈夫って言ってたよね?」
「ふふ、全然別の話だよ」
「?」
機嫌よく笑うユーリは、ずっと私を放してくれない。
「ねぇ、ユーリ!私、鏡を見たいんだけど」
自分の顔も相当気になってるんだよ。ほら、記憶がないからいつの間にか何年も過ぎてたらどうしようって。
背中をパシパシ叩いてそう言ったら、やっと腕の力を緩めてくれた。
ユーリの背中にまわしていた手を、彼と私の間に持ってきて、突っ張ってもう少し隙間をあけようとしたとき、ソレが目に入った。
一瞬誰か別の人の腕かと思って二度見した。
何これ
その腕は、まるで私のもののように、私の思い通りに動く。
でも、
これは、
コレ、は誰の腕?
白いと思ったユーリの手より尚一層白い、透き通るようなこの肌。
「リコ?どうしたの」
手をかざし、急に動きを止めた私を、ユーリはいぶかしげに見つめた。
その瞳にうつっている私は、……なんでさっき気づかなかった?これは、誰?
私は慌てて自分の全身を見まわした。
足元はブーツ。長い靴下に膝下のワンピースで脚は見えない。腕をまわし、後ろを覗き込むように背を反らせる。今度は髪が見えた。後ろで一本のみつ編みにしている長い髪。
あり得ない色に血の気がひく。結わえたリボンを毟り取り、指を突っ込んでほどいた髪をわし掴んで顔の前に持ってきた。
金髪、なんてもんじゃなかった。トロリと輝く豪奢な黄金。
「……何これ」
凍り付いたように動かないユーリ。
「何これ何これ、なにこれっ!」
私じゃない、これはわたしじゃない誰よこれはっ!
鏡!鏡を!
寝室に大きな姿見があるはず!
久しぶりの視界に距離感を狂わせたまま、壁に手摺に身体を押しつけるように走り階段をかけ上がった。
「待って、リコッ!」
ユーリの声が追いかけてきたけど、それどころじゃない。
慣れた間取りの、初めて見る内装に目もくれず、私は寝室へ走り込んだ。
姿見の前で立ち尽くす私の前には、黄金の髪と透き通る肌、菫色の瞳の少女が顔を歪ませて私を睨み付けていた。
私が顔を触ると、鏡の中の少女も顔を触る。脚を動かすと脚を、横を向くと少女も横を向いた。
もう一度正面を向くと、少女は途方に暮れた顔で私を見ていた。
これは私なの?何もかも同じように動くこの少女が。
「なんで、なんでこんな?」
訳がわからずポツリと呟くと、まるでそれに答えるように、頭の中に何かがジワリと広がった。
誰かに呼ばれている。
『お嬢様、フェリシアお嬢様ーっ!何処にいらっしゃいますー?』
これはメイシー?
ああ、私どうしてメイシーのことを忘れてたの?
『ねぇフェリシア、貴女いい加減になさいよ。木登りなんてレディのすることではないわ』
これはアマンダ。苛々すると扇子を打ちつける癖があった。
『フェリシア、こちらへいらっしゃい』
小さい頃亡くなられた、微かな記憶の中のお母様。目を細め、優しく手招きしてくださった。
これはあの子だ。あの子の記憶、あの子ーーーフェリシアの!
まさかこれは、フェリシアの身体……なの?
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




