17 お母上の暴走と異国の香辛料
「しかし、全てを一から…というのは大変なものだな」
王太子殿下は、先程まで両陛下がお座りになられていた三人掛けのソファーに移り、伸びをした。
その猫のような表情が微笑ましい。
僕もスツールからアームチェアーに移動し、カップの底に残っていた紅茶を飲み干した。
「平和の賜物と思えば、有難い事なのでしょう」
近代において、この大陸に平和が訪れたのはここ十数年の事だ。長い歴史を誇る国々が殆どを占めるこの大陸だけど、その歴史の多くは戦禍に彩られている。常に何処かの国同士が争い、和平が結ばれたと思えばまた別の国が戦端を開く。
そんな歴史が連綿と続いてきた。
このラナリス王国も例外ではなく、三代前の王ーーー陛下の曾祖父は隣国との戦争の際の負傷が元で亡くなられている。
小競り合い程度の戦すら無くなり、ようやく皆が平和を当たり前と認識し始めたばかりだった。
この国だけを見れば、僕自身はもちろん、僕の父親の年代でも戦争を直接は知らないだろう。
但し、国同士が友好関係を結ぶには、まだ更に時間がかかった。
お互いに戦争の爪痕が薄れ、傷口を癒すのに時間が必要だったからだ。
およそ20年前の、国王陛下の戴冠式や結婚式の時も、他国からは書面での言祝ぎと御祝いの品々が贈られてきただけだったという。
一国の使節が短期間滞在するのは別として、今回のように大々的に数ヵ国の使節団を招くのは、少なくともこの百数十年例がない。
外務が慌て、走り回るのも無理はなかった。
「そうそう、この前ユリアス殿が割り振りしてた宿泊施設の計画書。外務に渡してやったら、涙を流して喜んでたぞ」
「そんな大袈裟な」
「いや、一国ごとに注意書きをつけていただろう?『サンドゥーラは太陽神を信仰していて毎朝礼拝するから、朝日が入る方角の部屋を』とか、『タリナでは豚を食する習慣がないから他の食材をメインで』とかな。あれが微に入り細に渡っていて、どこでこんな情報を?と驚いていた」
「大抵の国で同じ言葉を話していますからね。調べようと思えばどうにでもなりますよ」
魔力があってこそだけど、という言葉は呑み込んでおいた。
どうせ殿下もわかっている。
「今回ある程度形を作っておけば、将来殿下が結婚される時も、それ以外の時も役に立ちますでしょう?」
「……前もそんな事を言っていたな。ユリアス殿はそんなに私を結婚させたいのか?」
殿下はそう言ってため息をついたのだった。
王太子宮を辞して大門の詰所を訪ねると、アーチは留守だったが赤毛の男が伝言を聞いていた。
「あいつ急に昼からの助っ人のお呼びが掛かったから、早めの昼飯に行ってる。もし兄ちゃんが来たら、角の飯屋にいるって伝えてくれとさ」
男に教わった店に行ってみると、まだ昼には早い時間にも関わらず大半の席が埋まっていた。
フードの陰から見回すと、奥まった席に見覚えのあるツンツンはねた頭が見える。
同時に向こうも気づいたようだった。
手招きするアーチの前の席に腰を下ろし、何も無しという訳にはいかないだろうと、壁に貼られたメニューを見上げた。
アーチの料理も今来たばかりのようで湯気をたてて美味しそうに見える。お勧めだと聞いて同じものを頼み、水をセルフで運んで漸く腰を落ちつけた。
「悪かったな、今日辺り来るかと思ったんだけどさ」
「いいよ。約束してた訳でもないし、急に予定が変わる事もあるよ。それより聞きたい事があって……」
「あー、俺も言わなきゃなんねー事が…」
バツが悪そうに言い淀むアーチ。
用件は一緒だろうか。
「昨日お前の実家に行ったんだけど、『看板なき御用達』って噂、知ってる?」
そう言った途端、アーチは顔の前で手を合わせた。
「ごめんっ!俺そんなつもりなかったんだけど、おかんが思いついてやっちまって、あれ絶対マズい奴だよな?」
気の毒なほどアーチは狼狽えた。気持ちはわからないでもない。何しろ相手は王室だ。
「落ち着いてよ、まだ何も言ってない。あれは、アーチのお母上が思いついてやった事なの?」
僕の言葉に、アーチはコクリと喉を鳴らした。
昨日アーチの実家の店で僕が見たものは、王室に菓子を納入した、という証明書が2通。
そして『王室御用達』看板を製作依頼するのに必要な許可証を発行してもらうため、総務庁に提出する申請書。
この3点が綺麗に硝子板に封じられ、店内に飾られていた。
つまり、僕がアーチに渡したそのままだった。
本来の手順としては、申請書を記入して2通の証明書を添え、王宮の総務庁に提出する。そこで発行された許可証を持って、王室に認可された看板屋に依頼する、という流れになる。
その許可証には看板の有効期限が明示されていて、店内に掲示しなくてはならない。有効期限を過ぎて看板を使用すれば、確か罰則があった筈。
アーチのお母上は、この手順に至る手前の段階で止めてしまっている、という事だ。
けど、この3通の書類があれば『王室御用達』看板の許可が下りることは、誰もが……とは言わないけど、知ってる人は知っている。現にアーチだって知っていた。少しでも商売に関わっている者や、そういった事に興味がある者ならわかるだろう。
そこから噂になったとしても無理はない。
そしてこの段階においては、有効期限等の規定はなかった。
看板にしてしまうと3年しか使えないけど、このままならずっと飾っておけるだろう。
僕が見つめると、心なし青ざめたアーチは意を決したように言った。
「おかんの暴走を止められなかった俺が悪い。罰なら俺が受けるから!店の取り潰しとかは勘弁して。家族が首くくっちまう。
あ、それにまさかユーリにも迷惑かかったりするんか?どうしよう……」
喋りながら一層青ざめたアーチを見て、僕はつい笑ってしまった。
「ふふ、折角の食事が冷めちゃうよ。あったかいうちに食べなよ」
そして、食事どころではない様子のアーチのために、もう一言付け加えた。
「看板の件も噂の件も、問題ないよ」
キョトンとしたアーチに再度食事を促し、続けた。
「僕にも何もお咎めは無いし、心配しなくていい。だけど……」
固まるアーチの目を見て言う。
「そこまで気にするのなら、お母上の暴走は何がなんでも抑えて、それが許されるかどうかを、先ずは僕に相談するべきだった」
だよなー、と肩を落とすアーチ。
まあ、アーチから僕に連絡を取る方法はないから、多少同情の余地はある。
それに前もって相談を受けたとしたら、絶対に許可は降りない。
「なあ、アレどうしたらいい?今からでも申請するべき?あのままでもいいんかな」
途方に暮れて尋ねてくる声に、僕も首を傾げた。
「殿下は、アイデア賞だ、と言っておられたしね。もうあのままでいいんじゃない?特にこうしろという指示はなかった」
「殿下?殿下も噂、聞いておられたんか」
殿下どころか両陛下が知っておられたんだけど、もう言わないでおこう、と顔を引きつらせるアーチを見て思った。
「けどお母上、よくあんなこと思いついたね」
「うん、おかん、そういうとこには目端が利くっつーか……」
うんざりしたように言うアーチ。
どうやらかっ飛んでいるらしいお母上が、今後やらかさないためにも釘だけは刺しておくべきか。
「言っておくけど次はないよ。手続きについては以降同じような事がないよう見直す、って言っておられたからね。これからは王室関係には注意するよう、お母上にもきっちり伝えておいて」
コクコクと首を振るアーチの前の料理は、少し冷めてしまったようだった。
そこへ僕の頼んでた料理が届いて、運んできた女性がアーチを覗き込んだ。
「冷めちゃった?お連れさんがいたんなら、言ってくれたら同時に持ってきたのに」
「や、ここの飯冷めても美味いからだいじょーぶ!」
ワタワタと手を振るアーチと、僕にもニコリと笑いかけ、ごゆっくり、と女性は厨房へ戻って行った。
改めて食事を口に運び、僕はフードの陰で目を見開いた。
「美味しい……」
だろー、とアーチが笑った。
「ここの店、ちょっと変わったスパイス使ってるみたいではまるんだわー」
確かに、なんだか後を引く味だ。
「他の料理も美味しいの?」
僕が訊くとアーチは頷いた。
「もう、俺ら通いつめてるもん」
どうしよう。この味、リコに食べさせてあげたい。少しコッテリしてスパイシーな味わいはきっと食が進むだろう。
「ね、他のお勧めはどれ?」
喰い気味に尋ねるとアーチはメニューを見上げ、
「あの『豚のジェナンド風』っての美味いぞ。煮込みなんだけど、超柔らかい。それと卵のーーー」
「ちょっと待って!」
僕は厨房にいたさっきの女性を呼び、アーチの言う様々なお勧めを7品ばかり注文した。
リコにはいつも通り軽食を用意してきてるし、ここの味を覚えて帰りたい。
けど、品名を告げていく途中で女性の顔は強ばり、アーチの視線に呆れが混じる。
「お客さん、一人で食べるの?結構…かなりボリュームあるけど大丈夫?」
心配そうな女性に頷くと、アーチからも、こいつ昔から体格に似合わずよく食うから、と援護らしき言葉が出た。
それで女性も、気に入ってくれたのは嬉しいけど無理しないでね、と言いながらも注文を通してくれたのだった。
やがてテーブルに並んだ料理は物凄い量で、他のテーブルの客の注目まで浴びてしまったのだけど、その少し変わった味付けは思った通り食が進んだ。
「しっかし、育ち盛りももう過ぎたってのによく食うなぁ。その食った分何処いくんだ?」
「キンニク」
「お前まだ筋トレやってんの?ひっ…魔法使いなのに」
『筆頭』といいかけ、周りに注目されているのに気づいて言い直したんだろう。
「最低限の筋肉は保持しないとね、何があるかわからないし。見る?」
冗談でローブの前身頃に手をかけると、アーチは顔をしかめた。
「いらねーよ、もう殴られんのは御免だし」
「余計なこと言わなきゃいいんだよ」
そうこう言いながら完食すると、周囲の客からどよめきと拍手が上がった。
「兄ちゃん、細っこいのにすげぇな」
「ここの料理、うまいだろ?」
次々かけられる声の中、とうとう店の主人が出てきた。
「おおっ!本当にキレイに食べてくれたんだな。ありがとうよ」
目を細める主人に、美味しかった、と感想を告げ、メニューを指差した。
「あのメニューに幾つか『ジェナンド』ってあるのは、リズトリアの地名なの?」
そう訊くと主人は口許を綻ばせた。
「そうだ、田舎なのによく知ってるな。俺の出身地だ」
リズトリアというのは穀倉地帯で有名な隣国だ。主な輸出品は小麦で、ラナリス王国に出回る小麦粉の半分以上をリズトリアに頼っている。
殿下の記念式典にも当然招待されていて、その関係で覚えがあった地名だった。
「ここの料理は、ジェナンドの郷土料理なのかな?凄く美味しかったから自分でも作ってみたいんだけど、難しい?」
首を傾げると、主人は少し眉を潜めた。
「お前さん、料理するのかい?」
「少しね、素人レベルだけど」
するとアーチが横から口を出した。
「ユーリ、料理も始めたんか?何でも手を出す奴だな」
「少しでも美味しいもの食べたいだろ?」
本音はリコに食べさせたい、だけど。
すると僕の答えを聞いた主人が、吹き出した。
「えらく食い意地が張ってるが、まあいい。こんなにキレイに食べてもらえたら気持ちいいからな」
そう言って香辛料の手に入る店を教えてくれた。
「こいつを使うだけでかなり味が変わる。それ以上を覚えたけりゃ、うちの店に通って味を盗むんだな」
主人に礼を言って店を出ると、アーチが改めて頭を下げた。
「迷惑かけて悪かった。おかんにはちゃんと話しておく」
「もういいよ、ここの料理は収穫だったし。でもあんなにあっさり、香辛料を教えてもらえるとは思わなかった」
思わずにんまり笑うと、アーチは苦笑した。
「完食はもちろんだけど、お前の食べる時の所作が綺麗だったからじゃね?お前が食べてる時、チラチラ厨房から覗いてたぞ。やっぱガツガツ食い散らかされたらいい気はしないもんな」
自分も作る立場だし、そう言われれば分かる気もした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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