18 ダイエットが必要なのです。
僕はそのまま教えてもらった香辛料を買いに行く事にして、詰所に戻るアーチとはそこで別れた。
別れ際のアーチの様子が何か言いたげだったのが少し気になったけど、店で言いかけてた用事は結局僕の用事と一緒だったし、それ以外にも何かあったのかはわからない。どちらにしても今日はもうアーチに時間がないから、何かあるのなら次に会った時に聞けばいいか、と切り替え香辛料の店を目指した。
教えてもらった店は調味料や香辛料の専門店で、しかも移民の多い王都のニーズに合わせてか、他国の調味料も多く扱っていた。
探していた香辛料と、店員に勧められた調味料を数点購入し、漸く路地裏の物陰から家へと転移する。
お昼を随分過ぎてしまったから、リコはもう食事を済ませているだろうけど、そのあとは昼寝をしているだろうか。それとも起きてくれているだろうか。
鍵を開けるのももどかしく玄関に入ったけど、そこには誰もいなかった。居間を覗いても人影はない。
なら2階だろう、と階段を上がると僕らの寝室から小さな物音が聞こえた。
また歌っている……訳ではなさそうだ。
むしろ、唸ってる!?
何か苦しんでるのかと、慌てて名前を呼びながら部屋のドアを叩きつけるように開けると、リコはベッドの上で不自然なポーズをしていて、僕の方へ見えない目を向け、ギャッ、と叫んだ。
「……えーっと、リコ?」
◆◆◆ ◇◇◇ ◆◆◆
昨日ユーリが王都へ出掛けたあとの私は、一人反省会をしていた。
とにかく最近の私はプリプリ怒り過ぎだった。
なんでこんなにプリプリしてるんだろう、と考えた結果、ユーリが私を好きだというのが信用できなくて、彼からの愛情確認のために怒り続けている、という自分でも訳のわからない結論が出てしまった。
心の底から反省した。何やってんのよ、私。
私がユーリにベタ惚れなのはもう認める。
だって、ついさっき別れたばかりなのに、もう逢いたくて我慢できないとかどうよ?
そもそも私達既に一緒に暮らしちゃってるのに、何故たった数時間が我慢できないの?
逢いたい逢いたい、としばらくモダモダして、自分の面倒臭さに嫌気が差してしまった。
これはダメだ。
こんなのにしつこく付き纏われたら、いくらユーリが天使のように優しくても、いつか愛想をつかされてしまう。
危機感を募らせた私は考えた。
目が見えない上に引きこもりの私は、ユーリに構ってもらう以外に何もすることがない。そこに問題があるのだと。
実は最近私は自分が日本語を話していない、ということにやっと気づいて、それ以来日本語を思い出そうと少しばかりの努力をしていた。
そう、努力しないと出てこないのだ、日本語が!
単語なら結構出てくる。最初ジェニーさんやユーリに通じなかった『電話』とか『日本』とかね。
というか、こちらにはない言葉だけが翻訳されずに日本語で出てくるみたいな。
例えば、あの時お姉ちゃんはなんて言ってたっけ?と思い出そうとすると、お姉ちゃんの言葉は脳内で勝手にこちらの言葉に変換されていて、意識していないと日本語じゃないなんてわからない。
だから今まで、違う言葉だなんて思いもしなかった。
そして何より不思議なのは、今日本語よりも流暢に喋れてしまっているこの共通言語ってやつ。
私は一体どこで覚えたんだろう?
思い出せない自分の過去に戦々恐々としながらも、日本語を忘れる訳にはいかないと、私はかなり焦っていた。
幸い…というべきか、歌のメロデイーに乗せると日本語の歌詞がどうにか出てくることはすぐにわかった。
多分メロディーとセットで覚えてるからだと思う。
けど、ここからが大変だった。
最初から最後まで覚えている曲が、無いに等しかったのだ。
サビの部分だけとか、CMで流れた部分とか、割りと覚えてる歌でさえ一番だけとか。
印象に残ってる部分だけ、ってこと?
これじゃなかなか、文章を思い出す、という訳にはいかなかった。
イチオシのアイドルグループなんかもいたんだけど、その歌を思い出そうとしても何故か霞がかかったようにパッとは出てこない。
出てくるのは断片的なメロディーと歌詞ばかりだ。
それで現実逃避するかのように、ここしばらくの私は日本語で思い出した歌の一部分だけを、延々繰り返し歌ったりしていた。
ユーリには凄く迷惑だったと思う。
数少ないレパートリーの、しかもサビの部分だけをしつこく繰り返されてもねぇ。
それでお詫びの気持ちを込めて、その部分の歌詞をこちらの言葉に翻訳してユーリに教えたりなどしていた。
だってほら、全然わからない歌を聴かされ続けるより、歌詞の意味がわかった方がまだマシじゃない?
けど、そんな風に努力してみても、文章としては辿々しい日本語しかでてこない事実に、私は結構へこんでいた。努力を放棄しちゃおうかな、とかうっかり思ってしまう程度には。
さて、ここからです。
昨日、一人反省会のあと、私は思いついてしまったのだ。
歌謡曲以外にもメロディーがあることを。
歌謡曲の歌詞ばかり思い出しては、それで文章を組み立てる感覚を取り戻そうとしてたけど、今の私を言葉を覚え始めた乳幼児レベルだと仮定してみると。
たくさんあるじゃあないですか、子供向けの簡単な歌詞の歌が。
乳幼児相手の歌や遊びは、勉強途中ではあるが私の専門分野だった。
1つメロディーを思い出せば、芋蔓式に次々と思い出した。歌詞とは言えないほどの、単語を並べただけのような歌詞だけど。いや、むしろ単語だからこそ?
頭の中を渦巻き始めたその懐かしい記憶に、私はすっかり嬉しくなっていた。
これが、ユーリに精神的に依存しきっている今の状態を、どうにかしてくれるかもしれない、と。
繰り返しのメロディーに、身体の部分を表す日本語の単語をのせて、手を動かし身体を動かす。
単純な動作だから、目が見えなくても、ベッドの縁に座ったままでも大丈夫。
そうやって歌いながら、傍目には怪しい動きを繰り返しつつ考えた。
こっちの世界の幼児教育って、どうなってるんだろう。
貴族の女性は働かないっぽい印象があるけど、庶民の女性は社会に出てたりする?
その場合、子供がいる女性はどうしてるのかな。祖父母に預ける、とか?
それとも、預かり所みたいなのがあったりするんだろうか。
もしそうなら、こっちの世界にも幼児教育の需要はある?
考えたり口ずさんだり身体を動かしたり、と忙しかった私は、ちょっと色々疎かになっていた。
ふと気づくと、部屋のドアの向こうに誰かの気配がする、ような気がした。
この家に黙って入ってこれるのはユーリだけ。
でもだったらなんで部屋に入って来ないのかな?
出る間際の私の態度が悪かったから怒ってる?
いや、でも行く前のあの雰囲気でそれはないない……と思いたい。
瞬時にそのときの様子が頭をよぎり、熱くなった頬に手をあて誤魔化した。
そして、私はものすごく躊躇いがちに声をかけた。
「そこにいるの、ユーリ?」
これで誰もいなかったら、私バカだもんね。
「ただいま、リコ」
ほら、やっぱりユーリだった!
待ちわびた人の帰宅に、自分の顔がパッと輝くのがわかる。
我ながら単純過ぎて、辛い。
なんでユーリがすぐに入ってこなかったか、については聞かなかった事にした。
私の横に座ったユーリに、さっき思い出した懐かしの手遊び歌をテンション高く披露し、思いついたばかりの、この国での幼児教育の可能性について語った。
正直浮かれていた、といってもよかった。
そんな私を更に喜ばせるニュースを、ユーリは持っていた。
「あさって?ジェニーさんが来てくれるの?」
「そう、診察してもらって、OKがでたら包帯を取ってもいいんだよ」
私はいつの間にやらユーリの膝に、横向きに座らされてこの話を聞いていた。耳元で聞こえるユーリの声は、いつも通り少し低めで心地いい。
「今日師匠に見せたデータでも全然問題なかったし、診察は最終確認ってだけのことだから」
心配しなくて大丈夫、と彼が唇を寄せる。
囁くようなその声がくすぐったかった。
穏やかな気持ちで一階に降りた私たちは、ユーリのお土産の、王都で今大評判というお菓子をいただく事にした。
色々なお菓子が詰め合わせてあるそれを、ユーリが1つずつ教えてくれるんだけど、正直どれも美味しそうで悩む。
ユーリは、師匠のところで食べたから全部私が食べていい、って言ったけど、そんなに食べたら絶対太るし!
それで6つあるうちの、2つをユーリが、もう2つが私で、残り2つは翌日私が食べることになったのだった。
これでよしよし、と思っていたのに何故だろう。ユーリが食べるはずの2つのお菓子が、半分ずつ私の口に入ってきたのは謎でしかない。
味見したいでしょ?、って、うん。確かに味は気になったけど、それ以上にカロリーも気になってたんですけどーーっ!
そんな風に昨日は過ぎていって、私たちは手を繋いで眠った。
付き合いはじめて、まだそんなに日がたったともいえない私たちだけど、この頃には私にも、朧気ながら解り始めていた。
ユーリは、何かに不安になると私を欲しがる。
そして今日、ユーリはまた朝から王都へ向かった。
今日は何ヵ所も行く予定らしくて、もしかしたら遅くなるかもしれないから、とまた軽食を用意してくれた。
最近あの子も出てくる様子がないし、大丈夫だと思うんだけどなぁ、と言うと、リコがお腹空かせてるかも……って思ったら僕が気になるから、と返された。
「お腹が空いたら僕を待たなくていいから、食べてるんだよ」
そう言い残して出掛けたユーリ。
でもね、私にはまだ昨日のお菓子もあるんだよ。
そうして何気なくお腹を摘まんだ私はギョッとした。
お肉、増えてる、絶対。
慌てて腰の辺りとか、顎の下とか、二の腕なんかを摘まんでみて、愕然とした。
これは憂慮すべき事態だ。
以前の私と比べても恐らく。
2ヶ月前助けられた直後の私と比べたら確実に!
太 っ て い る !
昨日のお菓子が、とか言ってる場合ではないわーーっ。
このお肉をユーリの前に平気で晒してたなんて。
はっ!しかも明日はジェニーさんと久しぶりに会えると言うのに、たった2ヶ月でこんなにプクプク太ってたら笑われてしまうぅぅ。
最早、間に合うはずはないと分かっていたけど、何かせずにはいられなかった。
ダイエット!何か即効性のあるダイエットってなかったっけ!?
即効性のダイエットがあったら誰も苦労しないって。
自分突っ込みしつつ、二階の部屋のベッドでおもむろに、うろ覚えのヨガのポーズを始める私。
ベッドの上に立て膝で座り、脚を組んで腰を捻る。
二の腕の肉を落とすのはお風呂がいいんだっけ。ここじゃ無理だ。
他にできること!
取り憑かれたように身体を動かした私は、すぐ力尽きてしまってベッドの上に突っ伏した。
そして寝てしまった。
もし自己弁護が許されるならば、この常に閉じた状態の視界がいかんのだ、と思う。本当に眠気を我慢できないんだから。
やがて目が覚めて、例によって時間の感覚を失った私は、甚だ頼りなくはあるが、自分のお腹に訊いてみた。
……そんなにお腹が空いたような気はしない。
大丈夫。きっとまだお昼には間がある筈!
もう一度さっきのポーズを初めからやろう。
息を荒げながら、鬼気迫る表情でダイエットに励む姿。そんなものを大好きな彼氏に見せたい人なんて、そうそういないだろう。
だから私はもっと気をつけるべきだった。
昨日もそうだったけど、何かに夢中になってると周りの音や気配に疎かになる。
物凄い勢いでドアが開き、
「リコッ!!どうした……の?」
ユーリが飛び込んで来たとき、
私は大変な格好でポーズを決めていた。
「えーっと、リコ?」
だからユーリが戸惑った声をあげても無理はない。
あと、幾ら吃驚したからって、ギャッ!……って悲鳴はないと思うの。
自分的に、そこも……やり直したいです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。(o^_^o)




