7 いつの間にか過保護になっていました。
「メイシー、今日はもういいからあがりな」
女将さんの言葉にメイシーは、天板を磨く手を止めた。
「まだ時間ありますよ?」
その言葉に女将さんは口許を綻ばせる。
「いいんだよ。今日は例の人が来る日だろう?あんまり待たせたら気の毒だよ」
「嫌だ、女将さんったら。そんなんじゃないって言ってるのに」
メイシーがこのパン屋で働くようになって、1ヶ月以上が過ぎた。
陰日向なくクルクルとよく働くメイシーは、すっかり店の人気者になっていた。
「お陰さんであんた目当ての常連さんも増えたしね」
機嫌よく笑う女将さんに愛想笑いを返し、じゃあお言葉に甘えて、とメイシーはエプロンを外した。
でもさ、と声を潜める女将さんに向き直り小首を傾げてみせる。
「あの人本当に大丈夫なのかい?随分歳が離れてるんじゃないの?騙されたりなんか……」
心配そうに告げる女将さんに、本気で笑ってしまった。
「女将さん、あの人まだ25歳ですよ?」
「え?でも……この前あんたと話してるの、少し聞こえちまったんだけどさ」
話の中身は聞いてないよ、と女将さんは慌てて言った。
「ただ声がね、えらくしわがれて……」
眉根を寄せる女将さんを安心させるように笑う。
「小さい頃に病気で喉をやられちゃったんです。それ以来あんな声になってしまって。顔を出して喋ると、みんな不釣り合いな声にギョッとするんですよね」
すっかり顔を出して歩くのを嫌がるようになっちゃって、と苦笑いしてみせた。
ああそれで、と女将さんは痛ましそうに頷く。
「それでいつもフードで顔を隠して歩いてるんだね」
彼氏によろしくね、と手を振る女将さんに、そんなんじゃないですから、と何度目かもわからない否定を返して店をでた。
店を出て僅かほども行かないうちに、隣に影がさす。
「今日はえらく早いな」
カサカサと枯葉を擦り合わせるような声。
週に一度、メイシーを訪ねてくる男だ。
「女将さんが、もう上がっていいって言って下さったのよ」
メイシーがそう答えると、男はフードの奥でクツクツと笑った。
「気をきかせてくれたって訳だ」
「まぁ、何か誤解していらっしゃるけど」
疲れたように笑ったメイシーに、男は尋ねた。
「そろそろ仕事は馴れたか?」
「貴族相手よりは気楽だわ。ねぇ、それより」
メイシーはフードに隠れた男の顔を見据えた。
「お嬢様は?何か新しい事はわかったの?」
フェリシアお嬢様が姿を消して以来、誰一人お嬢様のことを話題にしなくなった。まるでそれが不吉な話題であるかのように。
この男だけだったのだ、お嬢様のことを口にしたのは。
男はフードの下で身じろぎ、小さく両手をあげた。
「悪い、おおかたの場所は特定できた。けど閉ざされてて、あそこから出て来ねぇ事には何もできん」
「どこなの?お嬢様は閉じ込められているの?」
心配そうなメイシーに、男は「そういうわけでもないだろ」と言った。
「まだ場所を言う訳にはいかねぇが、お嬢さんは保護されてると思っていい」
「ならどうして、お嬢様は連絡を下さらないのかしら。私は男爵家にいた方がよかったのではないの?」
「あのままあそこにいたら、あんたも危険な目にあってたろうよ。予感はあったろ?」
いい募るメイシーに、男はカサついた声で囁いた。
「何か動きがあったらすぐに報せる。大人しく待ってろ」
メイシーは頷くしかなかった。
▽▲▽ ▲▽▲
ユーリ、ユーリちゃん、ユーリさん、ユーリ
いやいや、これは恥ずかしいわー。
勢いで呼び始めた『ユーリちゃん』と違って、いざ呼ぼうとしてもぎこちなくなってしまう。
いつもは『ユーリちゃん』でも返事をしてくれる彼だけど、時々思い出したように、『ちゃん』は要らない、って拗ねたりする。
私がオロオロすると、いつの間にかクスクス笑い出して、リコ可愛い、とか言ってみたり。
最初はそういう事を言われるたびにアタフタしてたけど、それもユーリちゃんを面白がらせてるってわかったので、今は平常心平常心。何を言われても平常心だよ、私。
日常の細々したことでは、ユーリちゃんは何故かとても過保護になった。
食事の時は、いつもの食べやすい食事の他にいろんなその日のおかずを一口大に切ったものに、私が食べやすいように串をさして出してくれたり、時にはユーリちゃんが、これは一人で食べるのは無理だと思うよ、とか言いながら口に運んでくれたりもする。これは恥ずかしいからいつも全力でお断りするんだけど、いいからいいから、ってウキウキした声で押しが強いのはジェニーさん譲りか?
髪は家で、お湯を沸かして洗ってくれる。
私も、ユーリちゃんが魔法でお湯を沸かすのはたいして手間じゃない、と理解したので、有り難くお願いするようになった。洗ったあとは、魔法でユーリちゃんが乾かしてくれる。
電化製品がないこの世界で、魔法ってめちゃめちゃ便利だ。
そういえば、以前風邪気味だったのはやっぱりバレバレだったみたいで、笑ってごまかしてみたけど結局お説教をもらう羽目になってしまった。
他にも、ちょっとどこかに出かける度にお土産を持ってかえってくれたりする。
王都に行った時は甘いお菓子や、屋台で飲ませてくれるというジュースとか。
山や森へ入ったときも、いい匂いのする花を摘んできてくれるし、美味しい実が生ってたからオヤツにどうぞ、ってくれた時もあった。齧ってみると甘酸っぱくてホントに美味しかった。
こんな風に日常のちょっとした時でも、ちょっとしたものでも、私の事を気にかけてくれてるんだなぁ、って思えるのがとても嬉しい。
いつからこんなふうに、穏やかな空気が流れるようになったんだろう。
最初は嫌われてる、と思ってた。
そうでなくても警戒はされてるだろう、と。
それがいつか優しい目を向けられるようになって、笑いかけてもらって、怒られたりもするけど、全部私を心配しての事で。
こんな全身で守られてるような幸福感は、今まで知らなかった。
私は、そんな日々がいつまでも続くような錯覚を起こしていた。
そんなある日、昼食後私は居間のソファーでうつらうつらしていた。最近何だかやたら眠いのだ。ハッと気がつくと寝ていたりする。
今もそうだった。
「リコ?……ね、リーコ?」
誰かが私の両肩に手を置いて、そっと揺する。
「リコ?こんな……ろで寝たら風邪を……くよ……」
誰かって、ユーリちゃんしかいないじゃない。
私はユルユルと覚醒し、いきなりポンッと意識がクリアになった。
よだれっ!涎垂れてなかったか?私!
あわてて口元を探る私の手を、ユーリちゃんの手が柔く押さえる。
「大丈夫だよ、リコ」
少し笑いを含んだ声に安心し、次に何だか悔しくなった私はムーッと唇を尖らせた。
「ユーリちゃんばっかりズルいよ」
「ん?」
「ユーリちゃんばかり私の事見てる。私だって早くユーリちゃんの顔が見たいのに!」
途端にユーリちゃんの手が、私の尖った唇をムニとつまんだ。
「んんっ!!」
「リーコ?そんな可愛い事言う口はどの口?」
「んーっんーっ」
手で彼の手首をつかんで必死で抵抗すると、笑いながらやっと放してくれたので、私は慌てて両手で唇を隠した。
目が見えてたら絶対睨みつけてるとこだ。
するとユーリちゃんは、まるでお見通しのように言った。
「早くリコの目が治るといいね」
私が首を傾げると、連れて行きたい所が沢山あるんだ、と笑った。
「もう少ししたら満開になる花畑とか、森の奥の方には滝もあるよ。ここに住んでもう結構長いから、あちこち探検したしね」
おお、探検!魅惑的な響き。洞窟とか鍾乳洞ってあるのかな。
でも今はそれよりも、是非とも訊いてみたい事があった。
「ユーリちゃんって何歳なの?」
え!?と、戸惑った気配がした。
「今、そういう話だった?」
「いや、前から気になってたんだけどなんか訊くタイミングがなくて。ここに住んで長いって言うから、幾つから住んでるのかな?と。ユーリちゃん若いと思ってたけど、もしかしてロマンスグレーのおじ様の可能性も有り?」
湖で助けてもらった時に薄ぼんやりと見えた姿は、既に記憶の彼方だ。
ユーリちゃんは、ぶはっと吹いた。
「ご、ごめ……くくっ」
ひとしきり笑ってから、漸くこっちを向いてくれた。
「何歳から『おじ様』になるのかよく知らないけど、多分まだ10年以上は猶予があると思うよ。リコは僕を何歳だと思ってたの?」
問い返されて困ってしまった。見えない私にそんなこと聞かれてもなぁ。20代なのは間違いないと思うけど、こういう時男の人って若く見られたいのかな、それとも歳より上に見られたいもの?
私は悩んで、結局無難に25歳くらい?と答えた。
途端にまたも吹き出すユーリちゃん。
なんで?
「も、もうリコ、内心の葛藤が全部顔に出てるんだけど」
負けるの確実だからカードゲームとか絶対やめたほうがいいよ、とクスクス笑いながらユーリちゃんは言った。
確かに私は『ババ抜き』が弱かった。ポーカーやリバーシも弱かったが、『ババ抜き』はとにかく勝てた試しがない。『ジジ抜き』はそうでもないのに何でだろう、と思ってたらそういう理由かーっ!
やたら『ババ抜き』ばかりやりたがった弟の顔を思いだし、ため息をついた。
「それで結局何歳なの?」
やや不貞腐れ気味の私に彼は、もうすぐ24歳になるよ、と教えてくれた。
惜しかった、と頭を撫でてくれるユーリちゃんの手を取って、お誕生日はいつ?と聞いたら、彼は少し躊躇したようだった。
「ユーリちゃん?」
彼の大きな手の節の目立つ指を、無意識に一本ずつ辿りながら問いかけるように名前を呼ぶと、ユーリちゃんは私の手から自分のそれをひっこ抜いた。
あ、こそばかったかな、ごめんね。
ユーリちゃんはためらった挙げ句、誕生日はあさって、と呟いた。
「あさって!?お祝いしなきゃ!」
私は叫んだ。
けれど。
誕生日=お祝い、と思い込んでいる私は、反射で『お祝い』と叫んだのだけれど、よく考えたらこっちには誕生日を祝う習慣があるのか?とか、それなら彼は実家に帰るんじゃないか?とか、或いはここでお祝いするにしても、目の見えない私に出来ることなんて何もなくて、準備とかも全部彼が自分でしないといけないんだ、って事に気づいてしまった。
その上、彼が誕生日を告げるのを躊躇ったのは、多分そんな私を気遣っての事だと思い当たってしまい、居たたまれなさと情けなさにがっくり肩が落ちる。
ああ、私って本当に世話をかけるばかりで、何の役にもたたない。
「リコ、またつまんない事考えてるね?」
うつむく私の頤に指をかけ、上を向かせたユーリちゃんは、慌てる私に柔らかい声で言った。
「リコが『おめでとう』って言ってくれるだけで充分なんだけど、もしどうしてもって言うなら、リコの目が治ってから改めてお祝いし直してくれる?」
それは全部私に気を遣っての言葉だとわかってはいたけど、ユーリちゃんのその気持ちが嬉しくて、私は元気よく、うん、と頷いたのだった。
そして私は考えた。これはいいきっかけなんじゃないか?
ユーリちゃんを『ユーリ』って呼ぶための。
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