8 老舗の味と、彼女との約束
「用意してきたけどさぁ、ホントに大丈夫なん?」
僕は、ビクビクするアーチから菓子折りを二つ奪い取り、その内一つをその場で開封した。一箱に十二ヶ、繊細な形の焼き菓子が入っている。
無造作に一つ掴み、口に入れた。
固唾をのみ見守るアーチに、「昔ご馳走になった味と同じだね」と言うと、アーチは得意気な顔になった。
「うちの代表作だからな。もう70年同じ味だ」
「いいね、老舗の味、ってやつ?」
僕は開封した包みをもとに戻し、アーチに言った。
「来週また連絡するから次はまた別の自信作、用意しといて」
言うなり、背を向けて王宮へ歩き出す。
「え?ユーリ!マジで!?マジなの!?」
背後で慌てるアーチに背中越しに手を振り、道を急いだ。
今日はどうにも王太子宮に行く気がしない。原因はわかっているからどうしようもないけど。
一般区域から奥へ入るときに、フードを外した。
衛兵に、こぼれ落ちたプラチナブロンドと左右色違いの瞳を見せるだけで、僕の場合は証明書代わりになる。
頭をさげる衛兵に鷹揚に頷き、王太子宮──春宮殿へ向かった。
殿下の私室に入ると、やっぱりいた。
内心がっくりする僕に、警備隊長の爺ことダナトス殿はニコニコと近づいてくる。
そして露骨にがっかりしてみせた。
「今日も猫ちゃんは連れて来られんかったのですなぁ」
挨拶もなしにいきなり『猫ちゃん』かと、春宮殿の警備が心配になった。
クツクツと笑い声がして、顔を向けると殿下がソファーで寛ぎ、こちらに手を振っていた。
14歳であの貫禄も如何なものかと思う。もう少し隠せばいいのに。
「王太子殿下にはご健……「先週会ったばかりでそんなご大層な挨拶はいらん」
型通りの挨拶を途中でぶった切られたので、仕方なく部屋の隅に控える女官を目で呼び、菓子の包みの未開封の方を渡した。
「手土産をお持ちしました」
と、殿下に言うと、彼は女官に向かって頷く。
女官は包みを持って出ていった。後でお茶と一緒に出されるだろう。
さあ、苦行が始まる。
結論をいうと、苦行は2時間続いた。
もちろんダナトス殿の猫自慢だ。
何度か話を変えてはみたが、結局チェリーちゃんに戻ってしまう。
やっぱり友達がいないんだろうな、と確信した。
猫自慢の合間に、お茶と菓子が運ばれてきた。
殿下の食事に毒味が必要ない、というのはわりと有名な話だ。
身体に害のあるものが入っていればすぐにわかる、というのは本人の談。
でもまあ、それくらいの事はしてのけるだろう。
殿下と一緒だと暖かい食事がとれるからと、両陛下がしょっちゅう殿下を食事に誘うというのは、本当かどうか知らないけど。
「素朴な味だな」
殿下の感想だ。
「庶民の味、ですので」
答える僕に、ダナトス殿が言った。
「これは懐かしい味ですな。子供の頃に食べたように思います」
「70年、同じ味だそうですよ」
「ゴテゴテしていなくて悪くない」
思った通り、殿下の評価はまあまあだった。口の肥えている殿下は食べ物に煩いので、これでも上等だ。
「お気に召したようで重畳です。次回もまた別の物をお持ちしましょう」
そう言うと、殿下は眉間にシワを寄せた。
「……同じ店の物を、か?ユリアス殿、何を企んでいる?」
「企むなどと人聞きの悪い。殿下に市井の味をご紹介ついでに、ちょっと証明書を頂きたいだけですよ」
にっこり全開で笑ってそう言うと、殿下はため息をついた。
「胡散臭い笑みより、尚一層胡散臭いな」
「それは必要なのか?」と尋ねる殿下に、
「必ずしもという訳ではありませんが、出来ればそうしたいのです」と、素直にお願いしてみる。
「ユリアス殿が手土産などおかしいと思った」
と、何げに失礼な事を呟いた殿下は暫し考え、何か悪戯を思いついたように笑った。
きっとろくでもない事に違いない。
「3年だ。いいな」
「充分でございます」
実は『王室御用達』の看板には特殊なルールがある。一つの店で1ヶ月以内に複数回の利用があった場合にのみ、3年の間『王室御用達』の看板を掲げる事ができる。その期間に更に利用があれば、その日を起源に又3年となる。
簡単なようだが、王室に納入する業者は既に決まっていて、新規の者が参入するのは滅多にない事だった。
「今回の分の証明書は後で発行させる。次回もらって帰るといい」
ありがとうございます、と礼を言うと殿下は、職権乱用もいいところだ、と呟きながらニヤリと笑った。
確かに普段は、こんな風に手土産で持ってきた物に、証明書が発行される事はない。違法という訳ではないが、そんな事をしたらあっという間に『王室御用達』だらけになってしまう。基本は王室の調達部が手配した物にだけ、発行される証明書なのだ。
そして、僕たちのやり取りを目を丸くして見ていたダナトス殿は、話がついたと見るや否や、菓子に罪はありませんからな、と猛然と食べ始めたのだった。
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自宅にチェリーちゃんを見にこいと煩いダナトス殿を振りきって帰って見ると、リコはソファーの肘掛けにもたれうたた寝していた。
ここしばらく、リコは午睡している事が多い。夜中に起き出してウロウロしているからなのだけど、きっとリコは気づいていないし、なかなか伝えるタイミングが見つからない。
菓子の包みをテーブルに置き、どうしたものかとリコを見つめている内に、穏やかな寝息をたてる彼女の唇に視線が吸い寄せられた。
目の包帯は相変わらずだから、起きているときと眠っているときの最大の違いは口許の綻び具合だろうか。
幸せそうにほんのり開いた口許が可愛くて、思わず頬に唇を寄せた。
そっと触れるだけのそれに、ずいぶんかわいらしい事をしてしまっている、と気づくと無性に恥ずかしくなる。
今まで誰かにこんな気持ちを抱いた事はなかった。
リコの目が見えなくてよかった、と罪悪感混じりに思うのはこんな時だ。
きっと凄く顔が赤くなっている。
あんまり気持ち良さそうに寝ているリコを起こすに忍びなくて、上掛けを取ってきて首から下をすっぽり包むように被せた。
途端に中でモゾモゾと身じろいで丸くなる様が愛らしい。
いっそ本当に猫なら、ずっとここに閉じ込めて一歩も外に出さないのに、と思う一方、猫では嫌だリコはリコでないと、と思う自分もいて訳のわからなさに苦笑が零れた。ただの仮定の話にこんなに心が乱れてどうする。
離れがたさにリコの横の空いたスペースに腰を降ろし、考えた。
今日アーチから聞いた話の事だ。
アーチの仕事は城の大門の警備の他に、市中の見廻りもローテーションで回ってくる。事件や大規模事故があれば応援で呼び出されたり、たまに貴人が御忍びでやって来るからと警備に駆り出される事もあるらしい。中々ハードワークだが、お陰であの性格も相まって顔は広い。
その上実家が客商売なので、噂話には事欠かないようだ。
アーチから聞いた中で、特に気になったのは2つ。
前回触りだけ聞いた誘拐事件の続きで、誘拐されたのではないかと噂されているのは、某貴族のご令嬢だという話だ。但し実際はそのご令嬢は病気療養中らしく、たまたま姿を見せなくなったのが誘拐事件が多発していた時で、狙われた女性たちと条件が被ったためにその噂になったらしい。
フェリシアもその条件に当てはまるけど、もしそうなら誘拐されたと噂される彼女が何故うちにいるのか。
それともその貴族のご令嬢というのは、全く別人の話なのか。
そういった事は母上に聞けば分かるのだろうけど、今はまだ連絡をとろうという気にはなれなかった。
ただその噂の出所は少し気になる。
賭場に出入りしている、貴族の使用人が漏らした話だというが、もしそれが本当ならその貴族は随分使用人の管理が甘いと言わざるを得ない。
まともな貴族なら賭場に出入りする使用人など即刻馘首だろう。
けれどアーチも「どこの貴族かまではわからなかった」と言っていたし、元々無理をする必要はないとも言ってある。何かあれば、また調べればいい事だ。
もう一点は異国民の流入だ。
このラナリス王国にはもともと移住してきた異国民が多く、貴族は別として庶民の間では異国民との婚姻は当たり前のように行われてきた。
そのため、一般庶民の風貌は多岐に渡る。少なくとも見た目でラナリス国民か、異国民かを見分けるのは難しい。
そんなお国柄で今更、異国民が、と噂になるのはもちろん理由があった。
いくら異国民に優しいラナリス王国といえど、無制限に受け入れている訳ではない。
この国に住まう異国民は、国交のある国の者に限られる。つまり噂になっている『異国民』は、国交が無い国から来た、と言うことだ。
アーチによると、ここしばらく妙な訛りの目立つ旅人があちこちに出没しているらしい。
恐らく訛りがあることを自覚していてあまり喋らないようにしているようだが、長期滞在していれば全く喋らない訳にもいかない。
その上同郷人と見られる連中と顔を合わせると、こそこそした様子で聞き慣れない言葉を流暢に操る。
そんな風景が、人々の目につく程度には各所で繰り広げられているのだと言う。
これがリコ……、フェリシアに関係があるのかどうかはまだわからない。
今はまだ材料を集め始めたばかりだ。
焦ってはいけない。
自分に言い聞かせて、隣でスピスピ眠るリコの顔を覗き込んだ。
なんとも平和に、安心しきったふうに眠る姿に嬉しさを覚える一方、少し物足りなさも感じる。
もっともっと、僕を頼って欲しい。
僕から離れられないくらい、僕を必要として欲しい。
そんなふうに思うのは、僕がもうリコを手放せないと気づいてしまったからだろうか?
仄暗い想いは、リコの寝息が途切れた事で霧散した。
「リコ?」
「ん……、んー?」
コシコシと目を擦りながらリコが頭を起こした。
包帯の上から目を擦っても意味ないと思うんだけど、どうやら無意識にやってしまうらしい。
「リコ、おはよう。よく眠れた?」
見えないとわかっていても、リコを見ると笑顔が零れる。
「おはよう、……って、いつ帰ってたの?ユーリちゃん。起こして……あっ」
話してる途中で、自分で失敗した事に気づいたみたいだ。
でも、もう遅い。
「ふふ、リーコ?約束だよ?」
にっこり笑って彼女の後頭部に手をまわした。
「ちょ……、待っ……あ」
有無を言わさず唇を重ねる。
「んんっ」
ビクリと硬直する身体を抱き寄せ、宥めるように軽いキスを繰り返した。
宙をさ迷う彼女の右手を左手で捉え、指を絡ませる。
たったこれだけのことで心が浮きたつのを隠せない。
角度を変え、下唇を柔く喰んだ。
味なんてある筈のない唇が、リコのものだと思うだけで甘く感じる。
自分の単純さに笑いが込み上げた。
リコの身体から力が抜けた。
まだ足りないけど、あんまりしつこすぎて嫌われたら困るし、がっつきすぎって思われるのも嫌だ。
漸く、抱き寄せた身体を解放すると、リコは凄い勢いでのけぞって、危うくソファーから落ちそうになった。
咄嗟に腕を伸ばし支えた僕にしがみついて、
「ユーリ……、ズルい」
と真っ赤な顔で呟く。
「でも『ちゃん』ってつけたらキス一回、って約束したでしょ?」
この前の、僕の誕生日に決めた約束だ。些か一方的だったのは認めるけど。
クスクス笑う僕を、ポカポカと全然痛くない拳で叩いてリコは頬を膨らせた。
「だって今の全然一回じゃなかった!その約束だって、ユーリが勝手に決めたんでしょ!」
「リコが可愛いのが悪い。それにリコが何でもしてくれるって……」
そういうとリコは、嫌だもう、と呻き更に顔を赤くした。
笑いを押し隠して、嫌なの?と、しょんぼりした声を作ってみせたら、
「そ、そんなことないけど、だって恥ずかしいじゃないっ!」
拗ねた口調が、もう可愛くてたまらない。
早く。
もっと僕に慣れて。もっと僕を欲しがって。
笑いながらふんわりとリコを抱き寄せ、その肩口に顔を埋めてまたクスクス笑う。
困ったように、もうっ、と呟きながらリコもまた僕の背中に手をまわし、しょうがないなぁ、と笑った。
こんな、暖かい日常がずっと続けばいいのに。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次はユーリちゃんのお誕生日の話ですね。
少しは甘々になってきたでしょうか?




