第七話 レイリア、秘密を知る者
バルクス家の秘密を知った翌日。
イルアは朝食の席で物騒な発言をかました。にっこりと魅惑的な微笑みで。
「昨日の侵入者に報復をしてくるわね。」
「・・・えっ!?」
思わず、はい、と返事をしそうになった。思い留まれて良かったと思う。
「ど、どうしてですか!?」
身を乗り出しそうになって、手にカップを持っていた事を思い出して留まる。横からヴィトがそっとカップを取り上げてくれた。
「どうして、って・・・お前昨日襲われたの、忘れたのか?」
ガイアスが不機嫌そうに眉を顰めるものだから、レイリアはやっぱり縮こまる。
「で、でも・・・私、無事ですよ?」
「だから?」
相変わらずガイアスは物言いがつっけんどんで、目つきが怖い。
「だ、だから、その・・・」
口ごもるレイリアを見かねてセティエスがガイアスを窘める。
「怖がっているだろう、ガイアス。」
「・・・・・・」
言われるとそっぽを向いてしまうのも、もう見慣れていた。それを見てイルアが笑う。
「レリィに手を出したのもそうだけど、バルクス家の秘密を知る敵を、ほいほい野放しには出来ないもの。だから、報復しに行ってくるわね。」
にこり。見た目だけで言えば邪気などまるで感じられない。が。さっきから言っている事が怖い。
「そ、その・・・報復って・・・?」
「「「「・・・・・・」」」」
四人が一葉に黙り込んで、レイリアは青ざめた。
「ど、どうするんですか!?」
焦るレイリアを尻目に、イルアは優雅に食事を続ける。
「それはまあ、活動出来ないようにするのね。今後一切悪事は働けないように、ね。」
「・・・・・・!?」
ごくりと唾を呑み込んだレイリアを見て、イルアは明るく笑った。
「人の心配してる場合じゃないわよ?レリィ。」
「え?」
きょとんと瞬きするレイリアに、イルアは心配そうな顔になった。
「この家の秘密を知ったのだもの。今までより格段に危険が高まったのよ?」
「あっ・・・」
そうだった、とレイリアは緊張する。その身体が強ばったのを察して、ヴィトがそっと腕を叩いた。
「ヴィト・・・」
「少しでも自分の身は自分で守れるように、今日から訓練しよう。」
「く、訓練?」
ぎく、とレイリアは身を引いた。嫌な予感がする。そこへガイアスが言う。
「俺とヴィトで教えてやる。」
「え、二人で?」
さらに嫌な予感。ちらりと助けを求めてセティエスを見ると、くすり、と微笑した。
「これは必要な事だ。・・・頑張って。」
「・・・・・・」
さっと目線をイルアへ戻す。
「イルア様!」
にこ。その笑顔を見てレイリアは諦めた。駄目だ。やるしかない。
「まあ訓練で倒れたら意味がないから、特にガイアス?程々にね。」
「・・・分かっている。」
「心得ています。イルア様。」
「・・・・・・」
(運動って苦手だけど・・・イルア様のお側にいる為だもの。頑張るしかないよね。)
そう決意して、レイリアはカップの残りを飲み干した。
朝食後、片付けを済ませ、リュミーに朝食をあげてから、ヴィトに基本的な対応を教わっていた。
「まずは、レリィ一人の時に来客があった時は、絶対に扉を開けない事。」
「はい。」
「相手を名乗らせて身分、所属、名を掴んでおく。いい?」
「はい。」
しっかりと頷く。
「で、例えば昨日のように王城からの使いだと言われた場合・・・“イルア様に”後日登城させるように伝える事。」
「はい。」
「万一、屋敷で待つと言われた場合は、主人の許し無しに解錠は出来ないと言って。なんと言われようと絶対に解錠しない事。」
「はい。絶対開けません。」
真剣に頷くレイリアに、ヴィトは思わずくすりと笑った。
「・・・出来れば留守中は常に外に気をつけていて。来客にいち早く気付けるように。そして、怪しいと感じたら居留守を使えばいい。悟られないよう、隠れているのがいいよ。」
「ん・・・難しそうだけど、頑張ります。」
のんびりしているレイリアに危険を察知しろ、というのは無理があるかな・・・とヴィトは苦笑した。
「いつも気をつけていれば徐々に身に付くよ。頑張って。」
「はい!」
「じゃあ次。こっちが重要かな・・・」
「?」
不思議そうに首を傾げる。その様子にくすりと笑って、ヴィトは話しを続けた。
「リュミエルとレリィの事だけど・・・ちょっと、騎獣舎に行こう。」
「あ、はい。」
二人は連れ立って騎獣舎へと向かった。
昨日、リュミエルは檻を壊して脱走していた。外を囲う柵は軽々と飛び越えたようだった。聞けば、毎回こうして脱走しているのだそうだ。
「えっ、じゃあ毎回檻を直してたの?」
驚いてヴィトに聞くと、苦笑された。
「そうだよ。レリィが来てくれてほんとに助かった。」
でも昨日は見事に脱走したけどね。と溜息を吐いていた。
騎獣舎に入ると、相も変わらずシューグがレイリアを睨みつける。すっかり習慣になっているその睨みに、レイリアも習慣になっている事があった。
「?」
条件反射でさっとヴィトの腕に張り付いた。
「レリィ?」
今まではガイアスに連れられて通る事が多かったので、必然的にガイアスに隠れていたのだ。今日はガイアスではないが、これはもう条件反射だ。
「ごめんね・・・怖くて・・・」
「・・・ああ、ガディスか。逃げなくても大丈夫だよ。こいつはここから離れる気はないみたいだから。」
「・・・・・・えっ!?」
(ガディスってこの子の事だったの!?)
ガディスの前を通り抜けて行くと、肉を担いだガイアスが奥から歩いてきた。ヴィトの腕に張り付くレイリアを見て、無言で立ち止まった。
「ガイアス、リュミエルの檻はどうだ?」
「・・・修復には三日はかかるな。」
「そうか・・・」
ガイアスの視線が自分の腕にある事に気付いて、ヴィトはレイリアに笑いかけた。
「レリィ、もう通り過ぎたから大丈夫だよ。」
「・・・・・・あっ!ごめんなさい!」
ぱっと顔が赤くなって腕から離れた。
「それはガディスの?」
「ああ。」
それだけ答えて、ガイアスはガディスの所へ向かって行った。
「さ、こっち。」
前を行くヴィトの後ろを遅れずについていきながら、レイリアはふと思った。
(リュミーが檻を壊しちゃって・・・昨日は騎獣舎に連れ帰られてたけど、どこにいるんだろう?)
「あの、ヴィト・・・」
「ほら、あそこだよ。」
言われてヴィトが指差す方を見れば、そこには分厚い壁に鎖で繋がれたリュミエルがいた。銀色の鎖で繋がれている様は、リュミエルの野生味ある美しさを際立たせていた。
「・・・・・・リュミー・・・」
グルル、と一見唸っているかのような声を出す。が、それは喉を鳴らしているだとレイリアは分かった。
「おはよう。昨日は本当にありがとうね。」
言いながらそっと額を撫でると、嬉しそうに目を細めた。
「レリィ。リュミエルは・・・シレイは主を一人しか認めないって、以前言ったよね。」
「え?あ、はい。」
リュミエルの首もとに頬を寄せていたレイリアは、慌てて毛並みから顔を離した。
「リュミエルは・・・レリィを主人と決めたみたいなんだ。」
「・・・・・・」
あまりに予想外の事を言われて、レイリアは唖然としてしまった。
「・・・・・・え?」
取りあえず声だけ発して、言われた事を頭の中で反芻する。そして。
「えっ!?私!?」
その反応が思った通りで、ヴィトはくすくすと笑ってしまった。
「そう。君。」
「えっ・・・だって、主人はイルア様じゃないの?」
立ち上がったレイリアの足下に、リュミエルは警戒心もまるでない様子で寝そべった。それを見て確信する。
「確かに飼い主はイルア様だけど、リュミエルが決めた主人はレリィだよ。その証拠にレリィには心許しているし、昨日だって檻を破って守りにきた。」
「そう・・・なのかな・・・」
ちらりとリュミエルを見下ろすと、ぱっと顔を上げて見つめ返してきた。その綺麗で無垢な瞳に頬が緩んでしまう。
「だからレリィ。君は主人として、きちんとリュミエルを制御しないといけないよ。」
「リュミーを・・・制御?」
うん、とヴィトは頷いた。
「シレイは主人を守る為ならかなり凶暴になるからね。一度そうなると主人の声も届きにくい。」
「・・・・・・」
レイリアはもう一度リュミエルを見つめた。こんなに柔らかく、優しいのに。凶暴になって声も届かなくなるだなんて想像出来ない。
「もしこちら側の人間を殺してしまうような事があれば、リュミエルは処刑されるかも知れない。」
「・・・・・・!」
(処刑?)
驚きに目を見開くレイリアに、ヴィトは小さく笑いかけた。
「だから、そうならないように。ちゃんとリュミエルを調教して欲しいんだ。」
「・・・・・・」
そっとリュミエルの側にかがみ込むと、リュミエルが手に頬を擦り付けてきた。それに応えて撫でながら、レイリアは思う。
(リュミーが私を選んでくれたなら・・・私を守る為に必死になってくれるって事だよね・・・。)
それと同時に、リュミエルが周りの人を傷つけてしまう可能性があるという事だ。
(そんな事にはなって欲しくない・・・。リュミーに怒って欲しくないし、その所為で誰かが傷付くのも嫌だし・・・。そうさせてしまって処刑だなんて・・・)
そんな事は、絶対に嫌だ。
「・・・うん、分かったわ。」
リュミエルに頷いて、レイリアはしっかりヴィトの目を見据えた。
「ちゃんとリュミーが怒らないようにする。言葉を聞いて貰えるように、頑張る。」
「・・・・・・うん。」
ヴィトは微笑んでくれた。優しい笑みだ。応援してくれてるのが伝わってくる。だからレイリアも、笑んで返した。
イルア様の側にいたい。だから、少しでも心配かけないように護身術を必死に習おうと決めた。そして、レイリアを守ってくれるリュミエルを、酷い目に遭わせないように、必死に調教を習おうと決めた。
——絶対にやってみせる!
レイリアはそう強く、固く誓ったのだった。
「まだだ。」
「・・・っ・・・えっ!?」
はあっ、はあっ、と荒い息を繰り返すレイリアは、汗だくでかろうじて声をあげた。対するガイアスは涼しい顔をしている。そして、もう一度言った。
「まだだ。もう二週はしてこい。」
「っ・・・!」
がっくりと首を垂らし、しかしそう言われたら走るしかないのは重々分かっている。
「・・・ぃ・・・」
まともに“はい”と返事すら出来なかったが、レイリアは必死に足を動かして走り出した。
——ほとんど歩いている様な遅さだったが。
「はっ・・・はぁっ・・・」
息も絶え絶えでレイリアは屋敷の敷地を走る。
(ガイアス・・・厳しいっ!)
あの日から、レイリアにはまず基礎体力をつけろとガイアスから命令が下った。護身術を習得する体力がなければ労力の無駄だ、と。
(だ、だからって・・・毎日動けなくなるまで走らされるなんて、思わなかった・・・)
しかし思い返してみれば、ヴィトもガイアスも結構な運動量を毎日こなしていた。特に、ガイアスだ。さすが警護も任されているだけある。
(というか・・・私の運動量が元々少ないだけ・・・?)
色々と思っていたら足下がお留守になった。
「ぅわっ!」
どさぁっ!と派手に転んだ。手を付く事さえなく転んだので、軽く頬を擦って、痛い。
「はぁっ、はぁっ・・・」
頑張って起き上がると、再び走り出した。今はこれをしなければいけないのだ、レイリアは。
「ぁっ」
どさっ、とまた転んだ。両手をついて起き上がろうとするも、身体が重すぎて持ち上がらない。
「・・・っ・・・」
何度やっても駄目で、ああ、足も擦りむいたかも、と思いながらその場に突っ伏してしまった。
(ガイアス・・・怒るかな・・・)
じゃり、と頭の方で土を踏む音がした。気になっても顔を上げられないでいると、ごろりと仰向けにされた。そこに映るのは赤銅色。
(ガイアス・・・)
息が苦しくて、呼吸するので精一杯だ。そんなレイリアをしばし眺めてから、ガイアスはおもむろにレイリアを抱き上げた。
(えっ?)
思いもかけずそっと抱き上げられ、レイリアは驚いて目を丸くした。だが、それ以上の反応が取れないし、動けない。
「・・・・・・」
ガイアスは無言のまま屋敷の方へと歩き始める。その腕の中が揺り籠のようで、溜まっていた疲れのせいもあって、レイリアは誘われるように目を閉じた。そうしてすぐに、意識を手放してしまった。
(ガイアスでも優しく接してくれる事があるんだ・・・)
そんな事を思いながら。
夕食の仕度をしているとガイアスが騎獣舎から帰ってきた。お疲れ様、と言おうとして別の台詞が飛び出した。
「レリィ!どうしたんだ?」
気絶しているレイリアは、ところどころ擦り傷が出来てしまっている。ガイアスは不機嫌そうに顔をしかめた。
「こけてた。」
言う事それだけか?
「・・・レリィは加減が分からないのか、それとも必死なだけなのか・・・」
言いながらガイアスを促して居間のソファにレイリアを横たわらせる。
「・・・俺が走らせた。」
「・・・ガイアス・・・」
二人してレイリアを見下ろしながら話す。
「こいつはもう無関係じゃない。一番危うい立場にいる。いつまた襲われて、その時死ぬとも限らない。なら・・・いち早く鍛えるしかない。」
ヴィトはくすりと笑いかけた。
(何よりもレリィの為か・・・)
「けど、レリィって鍛えられるのかな。」
そう言うと、ガイアスははあーっ、と溜息を吐いた。
「・・・どうだろうな。こいつは、弱い。」
「多少は体力もつくかも知れないけど・・・それでも、自分の身さえ守るのは難しそうだな。」
ヴィトの意見にガイアスは深く頷いた。
「こいつの武器はリュミエルだな。あれを上手く使うしかない。」
「そうだね・・・」
レイリアが自分の身くらい守れるようにするには、リュミエルを上手く従えるしか、道はないように思える。
「・・・まあでも、本人の能力を上げる事も無意味ではないよな。」
「・・・まあ、な。」
例え、僅かしか変わらなかったとしても。それでも無意味ではない筈だ。
「・・・さ、傷の手当をしないと。ガイアス、消毒持ってきてくれ。」
「分かった。」
言い置いてその場を去る背中を眺め、ヴィトは小さく笑った。
(無愛想だけど心の中では結構色々思ってるんだよな、ガイアスは。それで・・・結構お人好しだな。)
きっと誰よりもレイリアの安全を考えている。だから、厳しくあたるのだ。
(けど厳しくした後にどう接したらいいのか分からないっていうのが、問題だな。)
そう思って、ヴィトはこっそり苦笑した。
ちなみにこの夜イルアは。
きっちり報復してやったわよ!と嬉々として帰ってきたのだった。