第六話 イルアの告白
馬車に揺られ、イルアは窓から外の景色を眺めていた。特に目を奪われた訳でもなく、ただぼうっと景色が過ぎ行き様を見ていると、斜め向かいからくすりと微笑が漏れた。
「・・・なぁに?」
言われる事に察しがついて、イルアも微笑しつつそう問いかける。と、思った通りの台詞が返ってきた。
「早々に切り上げて帰るだなんて・・・早くレリィに会いたいですか?」
やっぱりね、と笑ってしまう。
「会いたいわ。」
そう言って視線を窓の外へ移す。
「寂しいのじゃない?それに、なんだか心配なのよ。」
「寂しいのはお嬢様では?」
くすりと笑われてイルアはむくれる。
「セティってレリィが関わると意地悪よね。私をからかうのがそんなに楽しいのかしら?」
少し睨みつけてやると、セティエスはようやく笑いを抑え始めた。
「レリィが関わるとお嬢様が平静でいられなくなるご様子が、面白くはあります。」
「はっきり言うわね・・・。」
負けた、とイルアは肩をすくめた。
そうこうしていると御者席とをつなぐ小さな窓が開かれ、ヴィトが声をかけてきた。
「イルア様、セティエス様。お屋敷の方から馴染みない気配が・・・。」
ぴくり、と肩が跳ねる。
「――行って!」
「御意」
イルアの一声でヴィトは御者席を離れた。それに代わってガイアスが手綱を握る。
「―急げ。」
セティエスの一声でガイアスは馬を鞭打つ。途端に馬車の速度が上がり、衝撃で浮いたイルアの身体をセティエスが支えた。
「屋敷を嗅ぎ付けられましたか?」
訝しげに眉を顰めるセティエスに、イルアは“お嬢様”の顔を取り去った。
「・・・油断したわね。」
完全に気を失ってぐったりとしたレイリアを見て、侵入者―キーセルと名乗った男は首を傾げた。
「レーヴェの使用人ならば徒者ではないと思っていたが・・・これは紛れもなくただの女だな。」
呟いて、床に倒れているレイリアに手を伸ばす。これを持って帰り、囮に使う為に。
「!」
その瞬間、急速に何かが迫る気配がして手を止めた。はっと居間にある窓の方を見れば、大きな獣が窓を壊して飛び込んでくるところだった。
「な、なんだ!?」
男が引き連れてきた部下が叫ぶ。一人は窓に近かった為に獣の下敷きになっていた。・・・すでに息は無さそうだ。獣はこちらを見据えると、空気が震えるような咆哮をあげて飛びかかってきた。大きな割に俊敏だった為、レイリアを担いでいる暇なく男はその場を飛び退った。
獣はレイリアを四肢の下へいれて庇い立つ。優美な長い尾が不機嫌そうに揺らめく。これでレイリアには触れられなくなってしまった。獣は白い毛並みに濃い茶の縞模様で、美しい。
「シレイか・・・」
男は舌打ちした。シレイの主人がこの女であるなら、やはり徒者ではない。が、到底戦力にはならないのは良い事だ。女には戦う意思がない。それならばこちらが手を出さない限り襲って来ない。
「・・・しかしこれでは、計画が実行出来ないな。」
シレイは主人を守る為ならかなり凶暴になる。部下四人しか連れていないこの状況では分が悪かった。その部下はすでに一人息絶えている。
「レーヴェがいつ戻るとも限りません。今回は引きましょう。」
部下の進言に頷くと、男はあっさりと撤退を宣言した。
「引き上げるぞ。」
「「「はっ!」」」
来た時と同じようにあっという間に、男達は屋敷から去って行った。
なるべく人目につかないよう、身を低くして走る。木陰や建物の影を選んで走ると、すぐに屋敷に辿り着いた。
(あの気配が消えてるな・・・)
敷地内へ入ると音を立てず、気配を殺して屋敷へ近づく。
(・・・リュミエル?)
知った気配を感じて居間へ近づくと、窓が大破していた。
「これは・・・」
さっと大破された窓から飛び込む。
「リュミエル!」
グルル、とリュミエルが唸ってこちらを警戒していた。拒否する事はあっても威嚇されることはなかったので驚く。
「・・・どうした?」
戸惑いながら部屋中を伺い見る。するとリュミエルの足下に目が釘付けになった。
「・・・レリィ!?」
一歩踏み出したところでリュミエルに威嚇される。それ以上近寄れず、ヴィトはくそっ、と悪態をついた。
「リュミエル、お前がどかないとレリィの無事が確認出来ない。」
伝わるようにそう語りかけると、逡巡した後、そっとレイリアの上から脚を移動させた。すぐにヴィトはレイリアの側へ跪く。倒れ伏した身体をそっと仰向けにすると、首筋に触れて脈を測った。
(・・・良かった。)
ほっと一安心して、ざっと外傷がないか確かめた。
「良かった・・・」
心から安堵してそう呟いた時、遅れてイルア、セティエス、そしてガイアスが到着し、居間へ駆け込んできた。
「レリィ!」
取り乱しそうな勢いで駆け込んできたイルアは、すぐにレイリアを見つけて走り寄った。
「ヴィト!レリィは!?」
睨むようにそう聞かれ、ヴィトは苦笑して答えた。
「無事です、イルア様。外傷もないようです。それに・・・」
ヴィトの視線につられてイルアも視線を動かすと、大人しく座り込むリュミエルの姿が目に入った。
「リュミー・・・?」
「はい。リュミエルがレリィを守ってくれたようです。俺が来た時も威嚇されてしまいました。」
「リュミーが?・・・守ってくれたの・・・?」
そっとイルアはリュミエルに手を伸ばす。今までなら遠ざかってその手を拒んでいたリュミエルは、驚く事に自らその頬を差し出した。その毛並みにそっと触れて、イルアは心から感謝した。
「ありがとう、リュミエル。レリィを守ってくれて・・・!」
喉を鳴らしたリュミエルに驚きつつも笑って、イルアはレイリアをそっと揺り起こした。
「レリィ、レリィ!起きて!」
開け放たれた扉を検分し、ガイアスは眉をひそめた。
「・・・・・・」
それに気付いたセティエスが声をかける。
「どうした?」
「・・・切られてます。」
「切られる?」
セティエスが扉へ寄って、扉の鍵を検分する。
「・・・確かにな。そこそこ腕の立つ者だろう。」
「しかしシレイには負ける相手だったと。」
「そうなるな。」
そこからしばし黙り込み、ガイアスは再び口を開いた。
「こいつは“誰の”屋敷だと思って侵入したのでしょう?」
その問いに、セティエスは妖艶に微笑んだ。
「“誰の”だと思ったのだろうな?」
「・・・・・・・・・」
その笑みから次にする事を察し、ガイアスはセティエスの言葉を待つ。しかし。
「レリィ!」
イルアの呼び声にはっとして、二人は襲われたレリィの元へ駆け寄った。
レイリアは揺さぶられている感覚に意識を取り戻した。けれどまだ感覚が鈍い。
—誰・・・?
誰かが自分の名前を呼んでいる。声音からするに女性で、なんだか大きな声で呼ばれているみたいだ。揺さぶっているのもその人だろうか。
—どうしてこうなってるんだろう?
身体がゆっくりと目覚めていく。僅かにお腹に鈍い痛みを感じて、一気に覚醒した。
「う・・・いた・・・」
「レリィ!」
呻いたレイリアに、心配そうなイルアの声がかかる。お腹に手を当てながら上体を起こすのを、ヴィトが手伝ってくれた。
「イルア様・・・ヴィト・・・?」
どうしてこうなってるんだっけ、とレイリアは記憶を弄りながら周りを見回す。するとイルアの後ろに、セティエスとガイアスの姿も見つけた。
「私・・・」
どうしたんですか?と問いかける前に思い出した。
「あ!イルア様、変な人が来たんです!」
慌てて叫んだその台詞に。
「「「「・・・・・・」」」」
一瞬の沈黙。
「あははっ!」
ヴィトが声を上げて笑うのをきっかけに皆が笑い始めた。
「え?あの?」
不審者が来たと告げたのに何故笑われるのだろう。思っていると後ろからそっと、ふわふわの毛並みが頬に擦り付けられた。
「リュミー!」
ああ癒される・・・そう思いながら毛並みを撫で、はっと気付く。
「どうしてリュミーが出てるんですか?」
その質問に全員が笑いを堪えようとした。しかしまだ収まらない。
「あのね、レリィ。貴方は多分襲われたのよ。覚えていない?」
「あ・・・はい、覚えています。扉の鍵、壊されてしまって・・・」
「そうなのよね・・・」
ぶっ、とヴィトが吹き出した。笑いを収めるのに失敗したようだ。
「あの・・・?」
不安そうに首を傾げるレイリアがさすがに可哀想になって、ヴィトは必死で笑いを抑えつつ教えた。
「レリィ・・・変な人って・・・!子供じゃないんだから・・・くくっ」
かあぁっ、とレイリアは顔が熱くなるのを感じた。
「ご、ごめんなさい!その、不審者です!不審者が来たんです!」
「くっ、あははっ!駄目だ、笑いが・・・」
ううっと呻いて顔を伏せるレイリアに、イルアはそっと頭を撫でた。そして何かを言いかけたのだが、見事なまでのタイミングでセティエスに阻まれた。
「レリィ。痛む所はありませんか?」
むっとイルアに睨まれたが、セティエスはさらりと流してレイリアを見つめた。
「はいっ、あの、大丈夫です!」
勢いで答えたレイリアに、ガイアスが鋭い視線を突き刺した。
「・・・さっき“痛い”と言ってなかったか?」
「あっ」
言われてさっとお腹に手を当てた。やはりまだ鈍く痛む。
「お腹?痛いの?」
イルアが急に不安気にするので、レイリアはにこりと笑った。
「多分殴られて・・・ちょっと痛いだけなので、大丈夫ですよ、イルア様。」
「レリィ・・・」
「お嬢様、レリィを椅子へ動かしましょう。床に座っていては身体を冷やします。ついでにリュミエルを騎獣舎へ返しましょうか。」
「ええ、そうね。さあレリィ、あちらへ。ガイアスはリュミーをお願い。」
「分かった。」
頷いてガイアスがリュミエルに近づくと、一歩引いて唸られた。途端に不機嫌そうに目を細めたガイアスを見て、レイリアは焦る。と、イルアが待って、と声をかけた。
「・・・レリィ。リュミーに伏せて待つように言ってみて?」
「えっ?あ、はい。・・・リュミー、ちょっとの間、伏せて待っていてくれる?」
言われたリュミエルはレイリアとガイアスを見比べ、しぶしぶと言った様子でその場へ伏せた。
「・・・・・・?」
不思議そうに首を傾げるガイアスを見やり、イルアは小さく笑う。
「心配で離れたくなかったのよね?リュミーはこれでいいわね。さ、レリィ。」
「あ、はい。」
そう言って動こうとしたレイリアを止め、ヴィトは背中と膝裏へ腕を差し入れる。
「え?あの・・・?」
戸惑うレイリアに小さく笑い、ヴィトは軽々とレイリアを抱き上げた。
(えーっ!?)
驚きのあまり反応が取れない。その間にヴィトはレイリアを椅子へ移動させ、そっと下ろした。
「・・・・・・」
呆然とするレイリアには気付かず、イルアはレイリアの正面へ膝立ちした。その表情がとても真剣だったので、レイリアは不安になる。一体どうしたのだろうか。
「ごめんなさい、レリィ。貴方をこんな目に遭わせるつもりはなかったの・・・。」
「・・・・・・?・・・イルア様が謝る必要はないですよ!それより・・・」
レイリアの表情が曇る。それを見てイルアは、言いたい事を一先ず呑み込んだ。
「ちゃんと留守を守れなくてすみませんでした・・・」
そう言って深く頭を下げた。
「レリィ!」
「せめて相手が誰だったのか、把握出来れば良かったんですが・・・」
落ち込むレイリアを見て、四人はしばし押し黙る。その沈黙を切って最初に声をかけたのは、セティエスだった。
「突然押し入ってきたのですか?」
「あ、いえ。王城からの使いだと言って、しばらくは扉の前で会話を。」
「会話?」
イルアがかなり驚いた様子でそう言うので、レイリアは急いで頷いた。
「はい。丁寧でしたよ?第三軍の将で、キーセルだと名乗っていましたが・・・実際にそういう方はいらっしゃるんですか?」
「三軍の将は確かにキーセルというお名前だわ。けれど今日に限っては私の見送りにいらして下さったから、あの時間でこの屋敷へ侵入するのは不可能ね。」
イルアの表情が鋭くなる。こんな表情を見るのは、レイリアは初めてだった。
(イルア様でもこんな表情をされるんだ・・・)
思わず、眺めてしまった。
「それで?」
話しを促されて慌てて続ける。
「はい、それで・・・イルア様に伝言を賜ったと言っていたんですが、不在だとは言わない方がいいと思って、私が伝言を伝えると言ったんです。そうしたら扉を壊されて、気絶させられました。」
「・・・・・・・・・」
黙り込んでしまったイルア。恐る恐る顔を覗き見てしまう。
「あの・・・イルア様?」
そのイルアの肩に、セティエスがそっと手を置いた。そして、イルアはそっと息を吐いた。
「あのね、レリィ。こうなった以上貴方に話しておかなければならない事があるの。」
そう言ったイルアの表情は、“お嬢様”とは思えない程鋭く研ぎ澄まされていた。雰囲気に気圧されてごくりと息を呑む。ちらりと四人を見渡すと、これはレイリアだけが知らない事なのだと確認した。
実はね、とイルアは切り出した。そして、ごめんなさいと頭を下げた。
「イルア様!?」
「今日ここが襲われたのは、私が油断したせいなのよ。それも、レリィは知らないから大丈夫だろうと高を括った。私の落ち度だわ。ごめんなさい。」
「あの・・・?」
よく分からずに混乱するレイリアを真っ直ぐに見て、イルアは困ったように笑った。
「あのね、レリィ。私、“レーヴェ”という名前を持っているの。」
「レーヴェ・・・ですか?」
「ええ。」
貴族の名前に、当人の名前、家名の他に祖先の名前などが入るのはよくある事だ。だから何故イルアがその事をわざわざ言うのかが分からない。そう思って首を傾げると、イルアはくすりと柔らかい笑みを浮かべた。
「“レーヴェ”というのは普段は隠しているの。私がレーヴェだと知っているのは王族だけ。そして、バルクス家の者だけよ。」
「・・・?・・・あの、どうしてですか?私には教えてしまっていいんですか?」
黙って聞いているのがいたたまれなくて、レイリアは邪魔にならないように気をつけながら口を開いた。
「レリィには知っておいて貰わないといけないわ。今日みたいな事もあるしね・・・。」
真剣な様子に、レイリアは頷くに留まった。
「“レーヴェ”というのはね、“悪魔の蜜”という意味なの。その香りでおびき寄せ、その味で惑わし、人を滅す。それが、私の名前。」
(悪魔の蜜?・・・人を滅す?)
「そんな・・・どうしてイルア様が・・・?」
温和なイルアには似つかわしくないと思い、疑問が口をつく。
「バルクス家はレーヴェの揺り籠なのよ。代々、誰かがレーヴェを担う。それが、今は私なの。」
「どうして、バルクス家なんですか?」
イルアに何故その名前が授けられるのかが不思議でならない。
「・・・よく分からないけれど・・・バルクス家の祖先に悪魔がいた、と言われているわ。」
(そんな、曖昧な理由で・・・悪魔の蜜だなんて名前を付けられているの?)
じわり、と目が熱くなる。
「そんな顔しないで、レリィ。レーヴェの名前がある以上、私はレーヴェなの。これはもう、仕方の無い事だし、私はレーヴェである事が嫌だとは思っていないの。・・・そして、今回みたいに私の息の根を止めたい奴はたくさんいる。それを知っておいて欲しいの。」
「そんな・・・!」
ぽろりと涙が頬を伝う。どうしても拭う気になれなくて、ただただじっとイルアの目を見つめた。そんなレイリアの頬を拭い、イルアは優しい笑みから一転して、不敵に微笑んだ。
「あのね、レリィ。レーヴェは確かに憎まれるわ。けれど、レーヴェは隠れていなくちゃいけないの。だから大きな動きさえしなければ平気よ。相手が気付かないうちに駄目にしてやるから!」
その笑顔と言葉に、涙が止まらない。
「それにね」
そう言ってイルアは後ろの三人を振り返った。
「レーヴェに忠誠を誓う騎士が三人もいるのよ。彼らがしっかりしていれば、私達は何の心配もいらないわ!」
イルアの言葉に頷く三人。一人一人の目を見て、その覚悟が固い事を知る。
「あとね、レリィ。一番危険なのはレリィなのよ。それは、肝に銘じておいて。」
「私、ですか?」
危険なのはレーヴェたるイルアではないのだろうか。きょとんとしていると、イルアは申し訳無さそうに眉を寄せた。
「レーヴェの尻尾が掴めないから、一番手の出せそうな人を狙うのよ。」
「・・・あ・・・・・・私・・・」
弱い。手が出し易い。それはそうだ。一般の人と比べたってレイリアは間違いなく“弱い”部類に入る。さあぁっ、と青ざめたレイリアに、イルアはごめんなさいともう一度謝った。
「本当なら貴方みたいな子を巻き込むべきじゃないのは分かっていたの。だけど・・・どうしても、側にいて欲しくて。」
—側にいて欲しい。
ぽろぽろと涙が零れた。途端に不安そうな顔をしたイルアに、慌てて言葉を紡ぐ。
「私、お側にいます!私もイルア様のお側にいたいです。ここに、居たいです・・・!」
止まらない。嬉しくて。胸が苦しくて、暖かい。
「・・・ごめんなさいね、レリィ。怖かったでしょう?」
そっと抱きしめられて、レイリアは小さく首を横に振った。
「平気です。だって、これからも、こういう事が、あるかも、知れないん、ですよ、ね?」
零れる涙を両手で拭って、レイリアは懸命に言葉を繋げる。
「だから、覚悟します、私。・・・お側に、いられるように・・・!」
イルアはほっと溜息を吐いた。嬉しいのが半分と、後は、複雑な気持ち。
「ごめんね。ごめんなさい。・・・それと、ありがとう、レリィ。」
——求められる嬉しさが、涙と、言葉によって、体中に染み渡っていった。




