夫からの手紙
夫からの手紙
千鶴へ
ごめんなさい。
お前との三十五年が退屈だったと言ったことを、謝ります。あれは本心ではありませんでした。
退職して、会社での役職も、部下から頼られる自分もなくなりました。六十五歳になった自分には、もう何も残っていないような気がしました。それを認めるのが怖くて、まだ自由に動ける、まだ新しいことを始められると、自分を大きく見せようとしました。
そのために、お前を小さくしました。
自分には夢があるが、お前には趣味がない。自分は三十五年働いたが、お前は家にいただけだ。自分には退職金を使う権利があるが、お前は帰りを待っていればいい。
そう言えば、自分が立派な人間に見えると思ったのだと思います。
でも、お前を下げても、俺が大きくなるわけではありませんでした。
水色が好きだったのは、お前ではなく俺でした。蕪蒸しより肉じゃがが食べたかったのも俺です。日本舞踊も琴も、バイク屋へ何度も通っていたことも、俺は知ろうとしませんでした。
知らなかったのに、何もない女だと決めました。
俺が会社へ行っている間、お前が家で何をしていたのかも知りませんでした。知らなくても困らなかったのは、お前が困る前に片づけていたからでした。
これを書いたから、許してほしいとは言いません。以前のように飯を作ってほしいとも、俺の帰りを待ってほしいとも言いません。
これからは、自分の食事と洗濯と薬を自分で管理します。退職金についても、二人の老後に必要な金を先に確保してから使います。時計とバイクについては、俺が自分の自由に使える範囲で責任を持ちます。
一人で旅をしたい気持ちは、今もあります。それと同じように、お前にも一人で出かけ、自分の好きなことをする時間が必要だったのだと、やっと分かりました。
もし、いつかお前がまだ行ってもいいと思えたら、房総へ一緒に行きたいです。菜の花を見るだけでも、俺が退屈しない場所を探さなくても構いません。
ただし、これは返事を求める誘いではありません。お前が行きたくなければ、一人で行ってください。
三十五年間、ありがとう。
そして、三十五年間を退屈だったと言って、本当にごめんなさい。
浩司




