僕らの足跡 (2)
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僕の状態がようやく落ち着いて、アカリにきちんと謝ることができたのはあの日から一週間以上経った日だった。
その日、僕らは久しぶりに会った。待ち合わせ場所はアカリが好きでよく通っているカフェだった。
「この前はごめん。」
アカリに会って早々、僕は彼女に謝った。
「わたしの方こそ、ナオの言う通り、あんな言い方をするべきではなかったって反省してる。」
彼女は心底申し訳なさそうな顔をして、そう僕に告げた。
「いや、いいんだ。」
「体調、大丈夫?ずっとマボロシが学校に行ってくれている感じだったけど。」
「うん。明日からはちゃんと通えると思う。」
「そっか。よかった。無理しないでね。」
「ありがとう。」
僕らはきちんと自分の誤りを認めてそれを素直に謝罪できる関係でもあったと思う。アカリは時々僕には到底理解できないきっかけや理由で怒ったりするけれど、それは彼女も僕に対して同じように感じることがあるということを僕は忘れてはいけない。それは僕と彼女がお互い、これまで何を考え、どんな言葉で傷つき、どんなふうに僕と出会うまでを過ごしてきたか知ることができないからだと僕は考える。人は完全には解り合えない。だからこそ、言葉があるんだ。
僕に代わってマボロシが生活を送ってくれている間、どうして僕はこんなに不自由に生きているんだろうということについて考えていた。もし僕があのとき父の死ときちんと向き合って心を整理することができていたら、マボロシという存在を生み出すことはなかった。僕は、僕以外の他の誰かが一人の人間として生きているのと同じように生きられたはずだ。その場合は今と同じようにアカリと出会えたかはわからないけれど、もし彼女と出会えたとして、僕は今よりも上手く彼女を好きになって愛していくことができたんじゃないかと思う。
だけど僕には欠陥がある。端から見たら一人の人間だけれどその体の中には僕とマボロシの二つの思考と好みと心を持っている。それがどれくらい稀なことなのかはわからないけれど、それでも自分のできる範囲で精一杯生きているし、ちゃんと考えている、一人の男として一人の女性を守りたい。
僕は、もっと強くならなければならない、そう思った。
だから、アカリに直接謝った次の日から僕はちゃんと自分で学校に行くつもりだった。でも、そうはならなかった。僕はアカリときちんと仲直りができたことにより、見えなかった両目はきちんと見えていたし、精神面でも問題はなかった。しかしマボロシは僕をなかなか表に戻そうとしなかった。
これまでマボロシが積極的に前に出て活動することはほとんどなかった。彼は常にこれはナオの生活だからと言って、彼が好きな本を記憶するのに必要な時間以外に僕から意識を奪うことはない。だから僕はマボロシが僕を表に出してくれないことをとても不思議に思った。でも僕が体調が悪くなって生活できなかった間、マボロシに何か僕の日常生活の中で興味があることでも見つけたのだろうと思った。
だから僕はマボロシにそのことを尋ねた。
「最近よく出てるけど、何かあった?」
「確かめたいことがある。」
「それは時間が必要なことなの?」
「そうだ。」
「どれくらい?できれば僕はアカリとの時間は欲しいんだけど。」
「今はわからない。できるだけ、そうなるようにする。」
「お願い。」
交わした言葉は簡単だったけれど、なんとなく僕はマボロシ自身が現在興味を持っていることを僕に詳しく話すのを嫌がっているように感じた。だけど僕がいくらマボロシに時間を欲しいと言っても、彼は彼の意思で僕と交代をすることができる。もし僕がマボロシの興味を持っている対象について詳しく聞いて知ったところで僕に選択権などない。それに、僕はマボロシが見ている景色を覗き見ることはできないし、マボロシが誰かと交わしている言葉を聞くことはできない。だから僕はそんなに深く追及することはしなかった。
時々、マボロシは僕に意識を譲る。それはほとんどが夕方以降の時間で、その時の僕は帰り道だったりもう家に着いていて自分の部屋だったりした。僕が表に出て生活をする時間はどんどん少なくなっていった。僕はその時間をアカリと会ったり電話で話したりすることに使うくらいしかできることがなかった。だけど僕はそれで満足していた。僕には、アカリがいる。
その日はアカリの誕生日だった。だから僕はその日だけは一日、僕自身で過ごしたいという希望をマボロシに伝え、彼はそれを了承した。アカリの誕生日は平日だったから、僕は学校の帰りに、アカリは仕事の帰りに食事する約束をしていた。
しかし、マボロシはその約束を守らなかった。僕が気がついたときには午後九時を過ぎていて、まだ学校の近くにいた。
僕は慌てて学校を飛び出して電車に乗った。そしてアカリに謝罪の連絡をした。アカリからはすぐに返事があった。すでに彼女は僕と待ち合わせの場所にはいない。
彼女がいる場所まで向かう間ずっと、僕はマボロシに約束を守らなかったことについて抗議した。しかしマボロシはゼミでの検証が長引いたとしか言わず、僕に対して一言の謝罪もなかった。
アカリは自分の部屋にいた。僕が彼女の部屋についた時、アカリは照明もつけずに真っ暗な部屋の中で泣いていた。僕はどうすることもできず、ただただ彼女を抱きしめて謝ることしかできなかった。
僕は彼女を不安にさせてしまった。だけど、僕が今どんな言葉を並べたとしても、それは果たされなかった約束の虚しさの輪郭を強く縁取るだけだった。
その頃から、僕とアカリの間には溝ができはじめた。




