僕らの足跡 (1)
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僕らは順調に交際を続けていた。大学三年の十二月から付き合いだした僕らは、週に一回か二回はアカリの部屋で一緒に過ごしたし、休日は時々、美術館に行ったり芝居を観に行ったりした。僕はずっと僕が大好きな芝居をアカリと観に行きたいと思っていたから、それをようやく叶えることができてうれしかった。そしてアカリも「お芝居がこんなにワクワクする素敵なものだなんて、これまで誰も教えてくれなかった。」と言って共に喜んでくれた。僕らはお互いに好きなものを共有し合い、それを共感することができる関係だった。それが僕はとても幸せだった。
僕らは普通の大学生だったから、恋人同士がするようなことは一通り経験した。その経験を重ねるたびに僕はアカリのことを以前よりも好きになっていったし、彼女を大切にするために強くありたいと願った。僕自身、他人が当たり前に経験していることや、当たり前だと思っている感情を彼女と一緒に重ねて増やしていけることに喜びを感じていた。
大学四年を迎え、僕らはそれぞれ違うゼミに所属した。僕とアカリではそれぞれ学びたいことのジャンルが違ったし、お互いに将来のことを考えた結果だ。そして、三年の頃と違ってそれぞれのゼミは教授の裁量と所属する僕らの進捗具合で学校に滞在する時間が決められる。だから僕とアカリはマメに連絡を取り合って日々を過ごした。
しかし、時々だけれど僕はゼミの多忙から来るストレスで昔から抱えていた症状を何回か経験した。それは左目が見えなかったり、右手の動きが鈍くなったりして、自分の計画通りにゼミの検証を進められないことがあった。でも、そんなとき、アカリは僕を守った。もちろん、彼女と一緒にゼミを進めることはできないが、日常生活で不便なことがあれば進んでサポートするその役を買って出てくれた。左目が見えないときは意図的に僕の左側に立ち、周囲から守ってくれたし、右手が鈍いとわかった時にはなんとか左でも生活できるようにとその対策を色々と考えてくれた。そんな彼女の優しさで自然と胸が満たされ、以前ほど長期間、それらの症状が続くことはなかった。
「大丈夫だよ。そんなに焦らなくても。いつかきっと良くなる。」
彼女はいつだって僕のそばでそう微笑んでくれた。僕は自分自身のことを不甲斐ないと思ってふさぎ込むことがあったが、彼女はそれを気にせず、いつも温かく接してくれた。
そうして僕らの交際も、生活も、特に大きな問題は起きることがなく大学を卒業した。アカリは就職、僕は大学院に進学した。
それぞれが新しい環境に変わった頃、僕はアカリと本当につまらないことで喧嘩をした。本人に自覚があるかどうかわからないけれど、アカリは時々あからさまに不機嫌になるときがあった。僕はそれまで、彼女の機嫌が悪いと察したときは刺激しないように接していた。しかし僕だって、いつも機嫌がいいわけではない。
その日、僕はゼミで教授と意見が合わずに議論に議論を重ねていた。確かに教授の言っていることは理解できたけれど、僕はそれがすべて正しいとは思わなかった。僕は教授とは異なった方向性からその事柄について検証していきたいと主張した。しかし教授は断固として受け入れてくれなかったのだ。だから、僕はそれが気に入らなかった。
その頃、まだ新しい生活に馴染めていなかった僕らは家に帰ると、電話で話す習慣があった。だからその日もその習慣を守って、僕は彼女と電話をしていた。僕は彼女に今日の出来事を話した。
「というわけで、教授の意見が僕は受け入れられない。僕は僕の思った通りにやってみたいのに。」
「教授の言っていること、聞き流してしまえばいいんじゃないの?」
「そういうわけにはいかないよ。」
「そうかな。別に誰だって間違いはあるものだし、わたしはその件、勝手に自分の思うように進めてみてもいいと思うけど。」
「簡単に言わないで。アカリには僕のこの気持ちはわからない。」
電話だと表情が見えない。僕はこの時の彼女の声色から、彼女も不機嫌であることに気がつかなかった。
「そんな言い方しなくてもいいじゃん。ナオにだって、わたしの気持ちはわからないでしょ。」
「そういう意味で言ったわけじゃない。」
「じゃあどういう意味で言ったの。説明して。」
「僕が話したかったことは、そういうことじゃない。」
「じゃあなに?わたしに共感してほしいと思った?一緒に教授のことを罵ればよかった?」
「違う。そんな言い方しなくてもいいじゃないか。」
「じゃあ何なの?いい加減にして。」
「もう、いい。」
そう言って僕は、一方的に彼女との電話を切った。僕はアカリが言った「いい加減にして」という言葉が、この時は心底気に入らなかった。いつも僕を優しく肯定してくれた彼女に、そんな言われ方をしたことにショックを受けて勝手に腹を立てた。きっと僕は彼女が優しく接してくれることを当たり前に思ってしまっていた。でもこの時は、それに気がつかなかった。だから僕は今日の教授に言われたことに対しても、アカリに言われたことに対しても、すごく怒っていた。
僕はこの日、アカリに再び電話をかけることはなかった。そして、アカリからも電話がかかってくることはなかった。
次の日、僕は両目が見えなくなっていた。アカリが就職してしまっているから、僕は一人で学校に行かなければならない。彼女は僕のそばにはいないし、それに今、僕はまだ彼女の言ったことを許していない。だから仕方なく、マボロシに僕の代わりに学校へ行ってもらえるように頼んだ。彼は、快く引き受けてくれた。




