それは或る夜の出来事 (1)
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「僕には、解離性同一性障害という精神障害がある。」
そう切り出した僕は、アカリに精神障害と判断するまでに起こった出来事、マボロシとの出会い、そして今も僕自身が抱えている問題について順番に話していった。僕の話をアカリは黙って聞いていた。時々うなずいたりしていたが、やっぱり、まっすぐに僕を見ていた。そうだ、出会った時から、彼女のこの瞳は強かった。
「ここまで色々話したけど、最初に話したことに戻る。僕はアカリさんのことが好きで、できれば恋人として付き合いたいと思っている。だけど僕は、今話した通りに一般的には人に理解されづらい状態だから。それでもアカリさんさえよければ、付き合ってもらえませんか?」
最後に、僕はこう締めくくった。あとは彼女の返事を待つばかりだ。彼女は僕から視線をそらし、これまでじっと動かさずにいた体を動かした。そうして立ち上がって、今度は伸びをする。そのままベッドに倒れ込んだ。これは僕の予想だけれど、今きっと彼女にどんな言葉をかけても返事は来ない。僕はきちんと、彼女のことを少しだけだけど理解しているから。
僕はコップに残っていたワインを少しずつ飲む。彼女が美味しいと思って僕と一緒に飲むために買ってきてくれた赤ワイン。その気持ちをうれしいと思ったし、おそらく僕は、その彼女の気持ちを含めてこのワインを美味しいと思っている。
いつか僕は、海外旅行に行きたいと思っている。そして行く先に選ぶとしたらやはりヨーロッパ、イタリアがいい。パスタが好きだし、こうやってワインの美味しさもわかるようになってきた。何より、僕の一番好きな漫画の舞台となっているのがイタリアのヴェネツィアだ。その漫画はヴェネツィアでゴンドラを漕ぎながら観光案内をする職業に就いた少女が主人公だった。その女の子が操船の技術を磨いて出世していく様子と、実際に船に乗ってくれたお客さんを観光案内したり、ヴェネツィアの風習や季節の風物を織り込んだ物語が描かれている。日々の暮らしの中で些細な幸せを見つけるハートフルストーリーだ。もちろん絵も綺麗で、僕はその漫画を何度も繰り返し読んだ。アニメ化したときも全部録画して観た。だから、ヴェネツィアは僕にとって憧れの地だ。
他にも、アカリが好きだと言って話してくれたルネサンス期の芸術作品に影響を受け、その時期の芸術について少しだけ学んだ。その中で、ルネサンス期の作品がヴェネツィア派とフィレンツェ派など、それぞれ流派が異なることを知った。簡単にまとめると、ヴェネツィア派は自由度が高く、フィレンツェ派は知性的な作品が多いらしい。僕は絵画を観ることは好きだが、正直、そこまで細かい視点で絵画を観ているわけではない。結局その作品を目の前にしたときの印象がどうか、好みか好みじゃないかということくらいでしか考えていない。もちろん、作品に描かれている状況の背景だとか、モチーフの意味、そういったことには興味があるが、技術的な視点は皆無だ。でも、僕は素人だし、一般的な趣味として美術館に通う人がそこまで理解して絵画を鑑賞しているかと言われると、そんなことは絶対にないと思う。みんながそれぞれの視点で楽しめればそれでいい。そんなわけで僕は、ルネサンス期の芸術作品と特に「ヴェネツィア派は自由度が高い」という評価をされていることを気に入った。いつかイタリアに、ヴェネツィアに訪れることができることを本当に楽しみにしている。
ふと顔を上げると、アカリが起き上がって僕を見ていた。
「わたしも、マボロシに会える?」
彼女は首をかしげながら、聞いた。
「会えるよ。アカリさんと会ってもらえるようにお願いしておいた。」
「じゃあ、会いたい。」
「わかった。マボロシはあまり明るいところが得意じゃないんだ。悪いけれど、少し照明を暗くしてくれるかな。」
僕がそうお願いすると、彼女は照明器具のリモコンを操作して照明を少し暗くした。それでも、まだ十分にお互いの顔は見えるくらいだ。
「それじゃあ、あとはよろしく。」
そう言うと僕は目を閉じ、気を失った。




