マボロシとナオ (2)
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解離性同一性障害は、人格が複数に分離してしまうことと無意識な人格交代によって引き起こされるパニック症状や精神の不安定さの度合いで深刻度が決まる。俺とナオの場合、人格は確かに分離しているが人様に迷惑をかけるような状態とは程遠かった。主人格は間違いなくナオだが、ナオは俺が表に出ている時に俺の様子を見ることができない。でも、俺はナオが見聞きしたことは把握しようと思えばすべて把握できるし、人格の交代も俺の意思で行うことができる。俺がきちんとしている限り、人様に迷惑をかけるような事態にはならないだろう。
俺が生み出されたのは紛れもなく、ナオの父親が亡くなった心的外傷によるものだ。
ナオは自分自身の父親を心から愛して尊敬していた。ナオの父親は知らないことは知らないと言い、一緒に調べてくれた。色々な場所に連れて行ってくれて、子供と同じ目線で様々なことを一緒に楽しんでくれた。やりたいと言うことはきちんと理由を述べれば挑戦させてくれたし、失敗したときには怒るどころか褒めて、一緒に間違いや失敗の原因を考えてくれた。ナオ自身もその都度、新しい経験を積み、ありとあらゆることに興味を持った。ナオが数学を好きな理由の一つは間違いなく、この世界の自然現象や科学に対する興味が根底にある。
仲の良い両親がいるこの家こそが、彼が心から安らげる場所だった。だから父親が病気を患い、家に帰って来られなくなった時からナオは少しずつ心に負担を抱えるようになっていった。母は仕事、父の身の回りの世話、子供たちの面倒を見なければならない。だから、この淋しいと思う気持ちを母に訴えることはできなかった。何より母が一番大変だということをナオは理解していた。それでも母は、明るかった。だからナオも明るく接した。学校での出来事は時間が許す限り何でも話した。母は、いつでも優しく聞いてくれた。
ナオの弟はまだ小学二年生だ。そんな弟を目の前に兄である自分が弱くあることはできないと、ナオは考えていた。だから、弟の前ではいつも通りの兄として接していた。父と母が弟に関わってやれない時間の代わりに、自分自身がこの弟との時間をしっかり持っていかなければならないという責任を感じていた。だから、学校から帰れば弟の宿題を見てやり、以前父と行った実験やテストを一緒に、繰り返し何度もやった。勉強ばかりだと弟はすぐに飽きてしまうから、一緒に弟の大好きなゲームもやった。どうか、弟が淋しい思いをしないようにと、ナオは必死だった。
時々、近所の祖母が母の代わりに色々と手を焼いてくれることがあった。祖母はよくナオにこう言った。
「もしお父さんがいなくなってしまったら、この家を守っていくのはナオだからね。しっかりするんだよ。」
大人とは無責任なものだ。まだ中学生にもならない子供に向かって、父親の死んでしまう未来を語ったり、家を守っていくようになるからしっかりだなんて、よくそんなことが言える。それでもナオはいい子であろうと努力をしていたから、祖母にそれに言われるたび、本当は返事なんてしたくないけれど、きちんと「はい」と返事をしていた。
ナオは、本当によくがんばっていた。父が亡くなったときだって、母の悲しみを理解して自分から率先してできることを手伝った。でも、そのことを周りから褒められても、うれしくなかった。だってもう父は一生帰ってこない。一緒に過ごしたあの楽しかった日々は、もう自分の記憶の中だけのもので、これから増えていくことが二度とない。この記憶を忘れないように、大切にしていかなければならい。
ナオは父が亡くなってから一度も泣かなかった。父がいなくなってしまったという事実と、それに関連する一連の儀式は自分とは遠いところに存在するような気がしていた。母は仕事や事務手続きに忙しかったし、弟はまだきちんと状況をわかっていない。この悲しみを自分と同じように悲しんでくれる人が、ナオの近くにはいなかった。そうやって、ナオの悲しみは誰の温かさに触れることもできずに崩壊していった。




