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マボロシが生まれた日 (2)

2/2

目が覚めた時、僕はベッドで眠っていた。部屋の中はいつも通りだ。僕が気を失ったというのに、特に騒ぎが起きた様子はない。眠っていたはずなのに体がだるい。もしかして、あのわけのわからない声の持ち主が僕の代わりに僕の体を使って何かをしてというのだろうか。時計を見るともう夕方だ。あの声がしたのは午前中、机に向かっているときだったから、もう半日近く経っている。うめき声を上げながら体を起こして伸びをする。

「ナオ、おはよう。」

わけのわからない声が話しかけてくる。僕は少し怒っていた。

「何が、おはよう、だよ。僕がいいよって言う前に勝手に体を奪ったじゃないか。」

「その点については謝る。少し調べ物をしたかったから。」

「調べもの?」

「そう。だから体を借りた。」

「でも、何を調べたの?僕の本棚には調べものに適している本は辞書くらいしかないけれど。」

僕は自分の本棚を見渡しながら尋ねる。部屋の壁一面、床から天井まである本棚には僕がこれまで読んだ本や父が買ってくれたけれどまだ難しいからと読んでいない本がたくさん詰まっている。それにたかが小学五年生の本棚だ。調べ物をするというには到底向かないだろう。

「図書館に行ってきた。」

「えっ、図書館?出かけたの?場所、知ってた?」

「わからなかったから、忘れたと言って母親に教えてもらった。」

「それだったら、素直に図書館に行こうって言ってくれたらよかったのに。」

「ナオ、俺がそれを言ったとして図書館に行ってくれたか?」

そう言われて何も言い返せなかった。行ったとも行かなかったとも、どちらを答えても癪だから、僕はそれについて返事をしないことに決めた。

「それで、何について調べてきたの?」

そう聞くと、その声は黙った。だから僕も、黙って返事を待った。

ベッドから起き上がり、机の前に置かれた椅子に座る。この声の主は僕の代わりにお昼ご飯を食べただろうか。なんだか少し、お腹が空いている気がする。晩ご飯まではまだ少し時間がある。今日は母が晩ご飯を作る手伝いをしようかどうか、悩んだ。

「俺の存在がどういうものか、調べてきた。」

ふいに返ってきた声は、これまで聞いたものとまったく変わらない調子だった。

僕は言われていることの意味がわからず、思わずつぶやいた。

「存在?」

「そうだ。通常、一人の人間の体には一人の思考しか存在しない。それがこのナオの体の中にはナオと俺のふたつの思考が存在する。それがどういった事象に当てはまるかを、調べてきた。」

「それって...」

「ナオにわかりやすい表現で言おう。俺たちは多重人格だ。」

「たじゅう...じんかく...?」

「多重人格は解離性障害の一つだ。いくつかの文献を読んでみたが、一般的には複数人の人格が表れてそれぞれに干渉できず、自分以外の誰かが行動しているときはその間の記憶はない。ただ、それもこれまで研究された結果であり必ずしも正しいというわけではないだろう。なにせ俺はナオが行動している間に見ているもの、聞いたものの情報は俺まで届いている。ナオの見ているものや聞いていることをシャットアウトしようと思えばできるし、何より俺は自分の意思でナオと入れ替わることができる。」

「ちょっと、ちょっと待ってよ!そんなに一度にたくさん話されても難しくてよくわからないよ!」

「きっと練習すればナオと俺のやり取りは頭の中だけで完結できるだろう。」

「僕の話も聞いてくれるかな!?」

「ちゃんと聞いている。」

「本当に!?」

「だからナオにはまだ難しいと思って結論だけ先に伝えたんだ。これからはおまえもこの障害について少しは勉強しろ。」

「言われなくたって、調べてみなかったら何もわからないよ。」

ふうっとため息をついて僕は考えた。かいりせい障害?それは一体なんだろう。ちゃんと調べてみなければわからない。今はとりあえずこの言葉だけ覚えておこう。だけど得体のしれないその言葉の雰囲気に、僕は少しだけ怖くなった。

「ナオ、俺はおまえからおまえの生活を奪うつもりはない。これまで通り生活をすればいい。もし悩むことがあれば一番最初に俺に相談しろ。」

僕の中の奇妙な存在は、そう言った。これからどうなるにしろ、僕は僕の生活を続けなければならない。それにまだ子供の僕は学校という環境に混じって普通の生活をしていかなければならない。その点を、この存在は気にしてくれたのだろう。なんだかよくわからないけれど、僕はその優しさがうれしかったし、少しだけ自分が強くなった気がした。だから、次に口から出た言葉はとても自然だったと思う。

「じゃあさ、君に名前をつけよう。名前はないって言っていたよね?」

声はすぐには返って来なかった。僕は待った。

「まあ...ナオがそういうなら名前をもらおう。」

少しだけ考える。その辺にありふれている普通の名前をつけても面白くない。かといって突拍子もない名前をつけても、この名前を使うのはきっと僕と彼くらいしかいない。でも、もしこの僕の中の彼が僕の代わりに現実に出ることがあったとして、目の前にいるのは僕なのに、明らかに僕じゃない存在を目の当りにしたら、相手に一体どんなふうに受け取られるだろう。そう考えた僕の頭に、ひとつの単語がすぐに浮かんだ。

「決めた。名前はマボロシ。」

「マボロシ?」

「そう。僕は僕で存在するけれど、マボロシの存在は誰にも見えないから。でも、確かに僕の中に存在するでしょう?」

「なるほど、それはなかなか気が利いている。これから俺はマボロシと名乗る。ありがとう、ナオ。」

「どういたしまして。これからよろしくお願いします。」

「ああ、よろしく。」

こうして今日、僕の中にマボロシが生まれた。

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