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5話 学園初日に競歩で逃げ出す妃候補筆頭



アウレリア王立セレスティア学園の入学式。


 春の陽射しが降り注ぐ正門を、各家の紋章を掲げた馬車が次々と通り抜けていく。


 新入生たちは皆、学園の真新しい制服に身を包み、どこか緊張した面持ちで歩いている。


 私もその一人だ。


 朝、メイが丁寧に整えてくれた制服の襟元を確かめ、鞄を持ち直す。


 今日から始まる学園生活。これから十八歳までの三年間をここで学ぶこととなる。領地経営や魔法、貴族子女として、卒業後の社交界で必要な、より洗練されたマナーを身につけるために。


 ……予定外に「王太子殿下の妃候補筆頭」などという、とんでもない肩書きがついたのは余計でしたけれど。


(でもそうなると……ここに妃候補のお勉強もさらに加わるのよね。領地の事や我が家の経済立て直しの方が急務だと思ってたんだけど……)


 人生、何が起こるかわからない。


 動揺しまくりの両親を、屋敷に置いてきたけれど、とりあえず今日は学園初日なんだから、気持ちを切り替えて乗り切らなきゃ。


(……ああ、それにしても面倒なことになったわ)


* * *



「ねえ、ご存じ? 王太子殿下の妃候補の筆頭が決まったそうよ」


「ええ。ヴァイゼンベルク伯爵令嬢でしょう?」


「らしいわね、驚きよね」


「どうして、あの家の令嬢が筆頭なのかしら?」


 ひそひそ声に晒されながらも、私は平静を保ったまま入学式が行われる講堂へと足を進めた。


(……聞こえてますけどね)


 ええ、まあ、皆様のお気持ちはわかるわ。私だって存じておりますもの。


 これまで本命と噂されていたのは、筆頭公爵、ローゼンタール家の令嬢・エレオノーラ様。家柄も血筋も容姿も申し分なく、王宮とのつながりも深いご令嬢。王太子殿下の隣に立つ女性として最も相応しいとされている、強力な存在がいらっしゃることを。


 それに、その他にも、王家と縁の深い高位貴族の令嬢たちが候補に名を連ねているのだ。


 ――それなのに、なぜ私なのか。



「何か特別な功績でもあったのかしら」


「でも、ヴァイゼンベルク伯爵家といえば……」


 その先の言葉は、周囲のざわめきに紛れて聞き取れなかった。どうせ我が家の懐事情でも話題にしているのだろう。


 我がヴァイゼンベルク伯爵家は、歴史が古いことだけが取り柄の家。王太子妃候補としては家格もギリギリだし、私なんかを選んだところで王家には何の旨味も利益もない。


 そんな家の娘が王太子殿下の妃候補筆頭なんて、大穴すぎて騒ぎになるに決まっているわ。


(うん。どう考えても不自然だと思う)


 とはいえ、ここで不満そうな顔をあからさまにするわけにもいかない。


(後でひっそりと辞退を申し出よう。帰ったら家族で要相談だわ)


 家格や政治的な事情を考えれば、私より適任の方はいくらでもいるはずだ。理由を説明すれば、きっと分かっていただけるだろう。


 そう結論づけて、私は人の少ない回廊へ向かおうとした。


 その時――。


 正門の方からざわめきが広がり、先ほどまで友人同士で話していた生徒たちが次々と口を閉じる。歩いていた令嬢たちも足を止め、自然と道を開けていった。


何事かと振り返った私の目に、金色の髪が映る。


 数名の令嬢や側近候補の令息を従えた、我が国の第一王子――レオンハルト・アーデルクロン・アウレリア殿下がこちらに向かって歩いてくる。


周囲と同じ学園の制服を着ていても、十五歳になられた王太子殿下の存在感は段違いだった。

陽光を受けて輝く金の髪に、澄んだ青い瞳。その整った容姿だけでなく、背筋の伸びた立ち姿からも、隠しきれない王族の気品が溢れている。


 実際にお目にかかったのは十歳の頃の一度きり。陰ながら見守ってはいたものの、すっかり背も伸び、当時からは想像もつかないほどの余裕と落ち着きをまとっている。


(……出来上がっておりますわね。絵に描いたような超絶キラキラ王子ですわ)


 周囲の生徒たちが緊張した面持ちで礼を取る中、殿下は穏やかな表情で応じていた。


 その視線が、ふとこちらを向く。


(……あ、目が合った)

 

次の瞬間、殿下の青い瞳が大きく見開かれた。

周囲の令嬢たちに向けていた完璧な笑みが嘘のように消え去る。彼は側近たちの制止を無視し、まっすぐに私に向かって歩み寄ってきた。


 ざわり、と周囲の空間が波打つように緊張する。


 私はスッと姿勢を正し、完璧な貴族令嬢の仮面を被って殿下を迎えた。


「レオンハルト殿下。アウレリアの光たる王太子殿下、ご入学おめでとうございます」


 ドレスの裾をふわりと広げ、最上級のカーテシーを捧げる。


 挨拶は済んだ。よし、このまま人混みに紛れてトンズラしよう。そう思った瞬間――。


 スッと差し出された彼の手が、私の手を優しく、けれど拒絶を許さない強さで包み込んだ。


「やっと……ああ、やっと逢えた。僕の守護天使」


「……はえ?」


 あまりの距離の近さと、耳元で囁かれた低音の美声に、令嬢にあるまじき間抜けな声を出してしまった。


「この日をずっと楽しみに待っていたんだ」


(ちょっと待ってほしいわ。周囲の令嬢たちが鬼みたいな目でこっちを睨みつけているのだけど。視線で殺されそうよ!)


 殿下は私の手を捕らえたまま、うっとりとした顔で私を見つめている。


「レ、レオンハルト殿下……? 大勢の目がございますわ。そろそろ手を離していただけると……」


「いやだ。もうしばらくこのままで。この五年間、僕はずっと君に逢いたかったんだ。この日のために、ここまで奔走したんだからね」


 まっすぐに射抜くような青い瞳には、尋常ならざる“熱量”が宿っている。


(うわぁ……なんか重い! めちゃくちゃ目がマジなんですけれど。……っていうか五年間!?)


 なに? どういうこと? 今回の『筆頭王太子妃候補』の件は殿下自身の画策ってこと?


 ……あ! 『派閥間の中立的均衡を図る』とかで、当たり障りのない我が家に目を付けてたってこと……かな??


 殿下の急な熱い雰囲気に慄きつつも、私は脳内で「政治的事情」へと強引に変換した。


「な、なるほど。そういうことでございますのね。……しかと理解いたしました。そういうことでしたら我がヴァイゼンベルク家、存分に『盾』としてお使いいただき、今後、政情の変更がございましたら速やかに解任に応じさせていただきますわ」


「……え?」


 今度は殿下がきょとんと目を見開いた。


 けれど、私は(よし、大人の社交辞令は完璧ね!)と一人で満足し、ニッコリと微笑みかける。


「それでは殿下、わたくしはこれにて失礼いたします。何か打ち合わせなど必要であれば、後日またご連絡くださいませ」


 少し失礼かなとは思いつつもそそくさと話を打ち切り、私は踵を返した。


「あ、待ってくれ、クラリス嬢……! 僕はそんな政治的な話をしてるんじゃなくて、君への感謝と――」


 背後で王太子殿下が慌てて声を上げていたような気がしたが、きっと気のせいだろう。アウレリアの光たる完璧な王太子殿下が、大衆の前でそんな情けない声を出すはずがないもの。


 そう自分に言い聞かせ、私はスタスタと歩を進める。しかし――。


「クラリス嬢! 待ちたまえ! 待ってくれ!」


 気のせいにするには、あまりにも必死な美声が、すぐ後ろから追いかけてくる。


(うわ、めっちゃ追ってくるー!?)


 尋常ではない王子の気迫を感じ取った私は、貴族令嬢としての優雅な歩調を最低限保ちつつ、競歩並みのスピードで人混みの奥へと立ち去ったのであった。








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