第9話「居場所は大事だよね」
「カニになりたい? キミもカニになりたいよね? OK、究極の進化形態に飛び込んじゃお☆ 生物進化研究会はあなたが甲殻類になるためのお手伝いをしちゃう♪」
「……念のために聞いておくけど、そのふざけた口上は何かしら?」
「んふふ、今度部員募集をするときのビラ配りで使う勧誘文句だよ! それに合わせて、生物進化研究会のオリジナルソングも作ってるんだから!」
「本当に実行したら承知しないわよ! ますますなんの部活かわからなくなるじゃないの!?」
「でも、部員はもっと集めたほうが、活動の幅も広がるから……歌詞が完成したら先生にも教えてね、私も歌うよ!」
「先生はこの同好会をどうしたいんですか!?」
ひとまず同好会らしい活動──うさぎ観察を校外活動として行う計画だ──を立てた私たちは、そのまま空き教室で計画を練りつつ、『部員を増やすにはどうすればいいか』も並行して考えていた……正確には、カニ女が世迷い言をのたまったことで意識させられた、と表現すべきだろうけど。
とはいえ、必要なことだとは思う。部員数を増やせばそれだけ『多くの人の居場所になっている』という証明になり、陽菜多の居場所も奪われにくくなるだろうから。
その一方、「人が増えても陽菜多は落ち着けるのかしら」という懸念もある。肝心の陽菜多は、そういう話題を前にしても「部費があれば、野菜スティックをどれだけ買えるかな……」なんてつぶやいていた。
「そうは言うけどね、奈緒ちゃん。早速カニになりたい子がここに来てくれたみたいだよ?」
「は? 海産物の卸業者でも呼んだわけ?」
「いつか部費で蟹鍋を囲みたいねぇ……けど、カニであるあたしの生体センサーは誤魔化せないんだから!」
ひゅばばっ、なんて音が聞こえそうな横歩きで、星は巣穴から飛び出す。体育の短距離走で「星さん、陸上部に入ったほうがいいと思いますよ」と先生に評価されたそのスピードで、一瞬のうちに教室のドアへ到達した。
そして、勢い良くドアを開くと。
「んーふふ、一名様ごあんなーい! わおっ、新入部員がこんなに小さくて可愛い子だなんて、遥ちゃんのテンション爆上げ!」
「ひゃあぁぁぁ!? ごめんなさいごめんなさい、私は皆さんのお姿を眺めていただけなんですぅぅぅ……まだ心の準備が……!」
そこに立っていたのは、眉をハの字にした小柄な少女だった。
星から誘われるように教室へ入ってくるその子は首をぶんぶんと横に振っていて、その度に外跳ねしたクリーム色のショートヘアが、柔らかな毛並みのように跳ねている。
一見すると悪質な勧誘に引っ張られているようだけど、「明日! 明日こそ入部しますので! 今日はご勘弁を!」なんて言っているように、入部してくれる意思はありそうだった。
陽菜多はその様子を、自分の巣穴の隅っこから見つめていた。とりあえず私は「大丈夫よ」と無言で伝えるべく、その頭を軽く撫でておく。
「明日でももちろんOK! でもぉ……どうせ入るなら、今日のほうがもっと楽しいでしょ? カニになるならお早めに♪」
「ああもう、せっかくの入部希望者を怯えさせないの! その女は頭の中に蟹味噌しか詰まっていないから、言うことの八割くらいは聞き流してくれていいわよ。ほら、椅子に座って」
「あ、はい……“飼育係さん”、お噂通り優しいですぅ……」
「悪い噂じゃなさそうだけど、そのあだ名を受け入れた記憶もないわよ……」
ひとまず星を女の子から引きはがし、椅子と机へ案内する。そのままお茶──私が持ち込んだ備品だ──を出すと、彼女は両手でコップを持ち、ちゅっちゅと小動物みたいに口を付けた。
その姿は、陽菜多をさらに小さく──物理的にも小さい──したような、より被食者的な雰囲気が強く見えた。
「念のために確認させてもらうけれど、ここは生物進化研究会よ。それで、その……本当に入りたくて、ここへ来たのかしら?」
「……は、はい。だって、私……私も……」
少女はコップを置いて、緊張が見て取れるほどの浅い吐息を繰り返す。それを誤魔化すように深い呼吸を一拍入れる姿は、陽菜多相手とは異なる「私が何とかしないと……」という気持ちを私に抱かせた。
「……ここなら“ハムスター”になれるって、聞きましたから……」
「……はい?」
椅子の上で小さくなりつつも、少女は入部動機を聞かせてくれた。
けれどそれは、うさぎとカニに囲まれた私であっても、すぐには返事ができなかった。
突然のハムスター宣言──なんだそれ──に、放課後の教室は静まり返る。遠くからは運動部の掛け声が聞こえてきて、近くからは「ハムスター!? うーん、ハムちゃんが好きそうなおやつってあったかな……」なんてごそごそする音が聞こえた。星、うるさいわよ。
「部長、どうするの?」
「……ん? 陽菜多、今、なんて……?」
「だって、奈緒はここの部長だから」
ダメだ、私一人じゃ決められる内容じゃない。
そう思ってここの発起人でもある陽菜多を見たら、彼女は巣穴からトテトテと出てきて、私の隣に座りながら。
私に対し、聞いた覚えのない役職を授けた。
「……私、部長だったの!? 聞いてないんだけど!?」
「先生、森田さんなら安心だと思って……ほかの先生方にも推薦しておいたよ!」
「あっ、私も……飼育係さん……森田先輩が部長なら、安心してハムスターになれる気がします……!」
「その私への信頼は何なの!? 根拠が謎過ぎるんだけど!? というか、ハムスターってどういうことなのよ!」
ダメだ、この空間……私の仕事量──主にツッコミだけど──が多すぎる。
ぜえはあと息を吐く私の背中を陽菜多が撫で、役職のことはいったん隅へ置いて、ハムスター志望の新人から話を聞くことになった。
「あっ、申し遅れました……私は如月睦美、一年です……見ての通りちんちくりんで、何も自慢できることがなくて……あっ、臆病さなら三冠王も狙えると思うんですけど」
「三冠王の使い方、間違ってると思うんだけど……」
「一年! あたしたちの後輩! テンション上がるなぁ〜」
新入部員こと如月は、まるで違う巣穴に迷い込んだ小動物……本人の希望も考慮すると齧歯類のようにびくびくとしつつも説明を続けた。
星は私たちの後輩であることを理解すると同時に、如月の机へお菓子を置いた。如月は「そんな、お構いなく……」と遠慮したけれど、その直後に盛大にお腹が鳴り、おずおずと差し出されたビスケットをかじり始めた。
すると。その頬袋は、ぷくっと膨れた。
「おいしいれふぅ……はっ!? す、すみません、お見苦しい姿を! 実は私、昔から頬袋に食べ物をため込む癖がありまして……ずっと『小動物みたい』って言われてきたんです……」
「見苦しくはないけど、人間としては珍しい癖ね……」
「むしろ可愛すぎない? むーん、まさかカニの可愛さライバルはハムスターだったとは……遥ちゃんの目をもってしても見抜けなかったよっ」
頬袋が膨れた直後はうっとりしていたけれど、私たちの視線に気づくと、何かを思い出したように慌てて弁明してきた。
もちろん、頬は膨れたまま。
「……だけど私はご覧の通り、小動物ほど可愛いわけもなくて……だからそのうち、『どうせなら、本当にハムスターみたいになれたら可愛がってもらえるのに』って思うようになったんです。それで、こちらの同好会は『人間がいろんな生き物へ進化している』なんて聞いて、気になって……」
「……そうだったんだ。如月さんの気持ち、わかる気がする」
「陽菜多?」
えっ、わかるの? そうしたツッコミは、なんとか堪えた。
陽菜多は自分の巣穴へ戻り、段ボールの縁に手をかけた。その指が、一度だけ止まる。
「陽菜多、本当にいいの? そこは、あなたの」
「……うーん。たしかに、奈緒と如月さんと三人で入るのは厳しいかも。でも、それなら」
こんな状況なのに、陽菜多が私を自分の巣穴の一員と思っていることが少し嬉しくなった。
だから、正確には「あなたの」じゃない。私の本音は、「あなたと私の」だったんだろう。
陽菜多は昔から、私の本音を察そうとしてくれた。だから今も、私と自分の居場所を守るため、それでも如月を受け入れるため、自分の巣穴の隣に、小さな段ボールを組み立てて設置した。
「ここなら空いてるよ。如月さんの、ハムスターの巣穴が」
「えっ……うさぎ先輩、いいんですか?」
「えぇ……私、後輩にもそう呼ばれているんだ……まあいいよ、あだ名も入部も。あ、入部はちゃんと歓迎しているよ?」
「……陽菜多がそう言うのなら、私もよ。如月、生物進化研究会はあんたを歓迎するわ」
「んふっ、カニにうさぎ、ハムスター…生物進化研究会の生態が、また拡張されたね!」
「……うううっ、先生は猛烈に感動してるよ……後輩の子まで、こんなに温かく迎えるだなんて! 顧問になってよかった……!」
こうして私たちの同好会には、うさぎ、カニ、ハムスターが揃った。何度でも言う、なんだこれ。
それでも如月は周囲を警戒しつつも段ボールにすぽっと収まって、笑顔の私たちを見渡し、ぎこちなくも笑ってくれた。
「……私、なります! 先輩方に恥じない、立派なハムスターに……!」
「その意気だよっ! よし、やっと部の方向性が見えてきたね……『自分がなりたい生き物として、どう人間社会で楽しく暮らすかを研究する』、なんて名目はどうかな!?」
「なんか新興宗教みたいな怪しさがあるんだけど……」
「いいね! それじゃあ先生は、活動報告書に『多様な自己理解と社会適応の研究』って書いておくね!」
「先生の適応能力の高さはどこから来てるんですか? 急に立派になりすぎた気がするんですけど?」
「ふふっ、こういうのもいいんじゃない? 頼んだよ、部長」
存在そのものが方向音痴みたいな同好会に、新たな目標が生まれつつあった。
私たちはきっとこれからも道に迷い、そのたび、思い思いの進化先へ寄り道していくのだろうけど。
とりあえず今は新人を受け入れた陽菜多をねぎらうため、「部長じゃないったら」とだけ口にして、その頭を撫でた。
陽菜多は少しだけ騒がしくなった教室の中でも、気持ち良さそうに目を細めていた。




