第10話「生き物係の奈緒さん」
如月を迎えることでほんの少しだけにぎやかになった生物進化研究会の部室──ただの空き教室なんだけど──は、今や生態系の多様さを物語る、地球の縮図になりつつあった。
……これはちょっと言いすぎね……。
「ふふーん、奈緒ちゃんったらあたしの巣穴に見惚れて声も出ないのカニ? まあ仕方ないよね、カニの巣穴は機能的で可愛いんだから!」
「……まあ、横穴のほうが入りやすいって点については、千歩くらい譲って認めてあげてもいいけど。その悪趣味なデコレーションはご自慢の機能性を台無しにしてないかしら?」
「悪趣味!? 今、このカワイイカワイイ巣穴を悪趣味って言った!? さすがに今の言葉はとさかに来たよ! カニにとさかはないけど!」
教室の中でもひときわ存在を主張するのは、星の巣穴……横置きの段ボールに塗装と装飾を加えた、明らかに機能性以外のものを優先したカニ穴だった。
段ボールの色はピンク、外装はラメビーズや百均で売ってそうなイミテーションの宝石をちりばめており、巣穴を“天敵から身を隠すための場所”だと考えた場合、斬新な挑発行為にすら見えた。
箱の中もカラフルな付箋紙が貼り付けられていて、それぞれに『夢は人間のままカニになること!』とか『陽菜多ちゃんと睦美ちゃんもいつかカニにする♡』なんて書き残されていた。
……その意味不明なメモ書きの中には、陽菜多や睦美のものも混ざっている。『うさぎとして生まれ、うさぎとして天寿を真っ当する』『ハムスター界の大物……は無理だから、せめて小物にはなりたいです』……七夕か何かと勘違いしてないかしら……。
「……で、如月。あんたは何をしてるの?」
「あっ、森田先輩お疲れさまです……皆さんにいただいた段ボールですけど、こんなふうに上から被るとすごく落ち着いて……えへへ、これからは家でもこうして過ごしていきたいです……」
「親御さんが心配するからやめなさい。それと、今の姿はハムスターというよりも“潜入に成功したスパイ”みたいだから、せめて顔が見える巣穴にしなさいよ……」
巣穴を馬鹿にされたカニ女はハサミを振り回して威嚇を続けているけれど、それを無視して教室の隅、ロッカーの前に置かれている段ボールを見た。
……そう、その中には新入部員こと如月がいた。陽菜多からもらった段ボールを大事にしている姿は素直に嬉しいけれど、せめて巣穴っぽく使って欲しかった。
なので苦言を呈すると、「うう、ごめんなさい……まだハムスターにほど遠い私じゃ、顔出しは周囲のご迷惑になるかなと思って……」なんてのたまい、段ボールを被ったまま移動を開始した。やっぱり、どう見てもハムスターよりスパイである。
「……はあぁぁぁ……この同好会、どうなるのかしら……」
「奈緒、奈緒。私の巣穴も見てよ」
頭を抱える。部室に到着して早々の光景がこれだと、ほかにそうするしかない。
そんな中、陽菜多は飼い主の気を引くうさぎのように私の袖をくいくいと引っ張ってきたので、その仕草の可愛らしさに内心でときめきながらも、振り向くと。
「陽菜多? あんたのは変わって……なんかちょっと広くなってないかしら?」
「すぐに気付くとは、さすが“名誉ヒナタウサギ研究員”の奈緒だね。私は自分の巣穴の良さを残しつつも、それを拡張して『奈緒と一緒に余裕を持って座れるスペース』を確保したんだよ。褒めて褒めて」
「……ふ、ふーん……私は人間だから、巣穴はなくてもいいんだけど? それと研究職に就いた覚えもないんだけど? ま、まあ、真っ当な巣穴を進化させたことは褒めてあげてもいいわね」
「ぷぅぷぅ」
自称ヒナタウサギという品種の巣穴は、従来の段ボールの両端をカットし、同じ大きさの段ボールをもう一つ繋げることで結構なスペースを確保していた。
それこそ、私が入り込んでも陽菜多と密着することなく、お互いのパーソナルスペースを保てるくらいには。もしもほかの部員がいなかった場合、もうちょっと素直に感謝できていたかもしれない。
だから口だけで強がりつつも、陽菜多の頭を撫でた。彼女はいつも通り鼻を鳴らし、気持ちよさそうに目を細める。
……嬉しくはあるんだけど。でも、前のサイズみたいに自然と体を密着させられないのは、少なからず残念だった。
そのとき、ハムスター入りの段ボールの中から、誰にも聞こえないと思っているらしい小声が漏れる。
「……森田先輩とうさぎ先輩がいちゃいちゃしている様子って……尊いです……この段ボールの中から、お二人を見守れるだけでもいいのかもしれません……」
「あははっ、わっかる〜! 奈緒ちゃんってチョロインだし、すぐに態度に出るから見てて飽きないんだよね〜」
「誰がチョロインよ! 言っておくけど、巣作りはあくまでもおまけ、ちゃんと報告書に書けることを優先しなさいよね!」
「ぷぅぷぅ。もっと撫でていいのに」
少し離れた巣穴からハムスターとカニの声が飛んできて、私は慌てて手を離した。もうすぐ、生徒会が月次の活動報告書を確認しに来るかもしれない。
名残惜しさを噛み殺して手を叩くと、陽菜多たち三人も巣穴から出てきた。その様子は、ハーメルンの笛吹き男を思い出させた。
*
後日の放課後、私はいつもの空き教室に向かいつつ、先ほどすれ違った生徒たちの言葉を思い出していた。
『あ、生き物係の人だ』
『今日もうさぎさんたちのお世話をしに行くのかな?』
それは多分、笑い者にする意図はなかったと思う。自慢じゃないけれど、私は陽菜多を馬鹿にする人間はすぐ見抜くし、そうだと感じたら相応の抗議もする。
だけど私は目的地に向かう足は止めず、そのままその言葉の意味について考えていた。別に「生き物係じゃなくて、飼育係よ」なんて思っていない。
(……陽菜多たちは、人として見られていないのかしら)
そもそも本人たちが、うさぎ、カニ、ハムスターを自認している。だからこそ、人として見られてなくとも気にしないかもしれない。
気にするのは、人間を自覚する私だけだ。
(私は、陽菜多のお世話が好き。だからこそ、私にとっても、陽菜多をひとりの人間ではなく、世話が必要なうさぎとして扱えるほうが好都合……?)
部室を前にして立ち止まる。そして、軽く自分の両頬を張った。
ダメだ、何を弱気になっている。これから生徒会も来るかもしれないのに、そんなことで悩んでどうするのか。
自分が陽菜多の幼なじみなのか、それとも飼育係なのか、今はどちらでもいい。私がしっかりしないと、陽菜多たちの居場所がなくなるかもしれないのだから。
「待たせたわね。あんたたち、ちゃんと活動を」
「睦美ちゃん! チョコマシュマロ、何個欲しい?」
「い、一個で十分です……」
「ん〜? 本音は?」
「……三個、欲しいですぅ……」
「三個! もうっ、食いしん坊さんで可愛いんだから! ほら、あーん!」
「あむっ……おいしいれふぅ……」
「おー、頬袋が膨れた……野菜スティックもいる?」
……やっぱり私、飼育係でいないとダメかしら……。
生徒会が来るとわかっているはずの部員たちには、緊張が一切感じられなかった。如月だけは怒られると思ったのか、頬を膨らませたまま瞬時にロッカーへと逃げ込んだけど。
だから「怒ってないから出てきなさい」と如月に声をかけてロッカーから連れ戻し、せめて真面目に活動していると見せかけるために机の準備をしていたときだった。
「失礼する。月次の活動報告について聞きたいことが」
手短なノックの後、入ってきたのは生徒会の腕章を付けた先輩だった。
真っ黒な髪を短めのポニーテールにしていて、両目は私よりも目立つつり目だ。声は凛とよく通って、多少の偏見だと理解していても「生徒会っぽいわね」と思わざるを得なかった。
「あっ、副会長の海ちゃん先輩!」
「ちゃんはいらない。郷田先輩と呼びなさい。それはそうと、この……生物研究会?」
「生物進化研究会です」
「あ、すまん……その生物進化研究会については、不明瞭な点が多すぎるので。私が会長の代わりに活動内容や報告書の進捗について聞きに来たのだが」
見るからに気が強そうだけど、非常に真面目な人みたいだ。
私が控えめに訂正すると本当に申し訳なさそうに頭を下げてくれて、それでも職務を放棄するつもりはないように、持ち込んだ書類を片手に質問してきた。
……なんだか、こういう普通に真面目そうな人、新鮮に感じるわ……うさぎとカニとハムスターに囲まれた私は、少し麻痺してきたのかもしれない。
「ええと、ここは……その……人間だけど、うさぎやカニ、ハムスターになりたい人が集まって、それぞれの進化先を見つめ直し、より良く生きるために自己理解を深めるような……」
「……申請書でもそれっぽいことが書いてあったけど、それじゃあわからないから聞きに来たんだが……」
「ですよね……」
これまでにないタイプを前にしたせいか、どうにもうまく言葉がまとまらない。いや、この同好会をうまくまとめると、キメラみたいになるのが普通じゃないかしら……?
「んふふ、論より証拠! 副会長、あたしたちを見て!」
「ん? ええと、全員が段ボールに入って……どういう……?」
「わ、私はハムスターになるべく、日々修業しています! ここの先輩方には日頃からご指導ご鞭撻をいただいており!」
「……ますますわからない……その、活動実態が確認できなければ、認可を継続できなくなるんだが」
「待ってください!」
巣穴に入った生き物たちを見た副会長は、ますます意味がわからないとばかりに首をかしげる。それはそうよね。
だとしても、陽菜多の居場所が失われるかもしれない。そう思ったら、私は迷わずに割って入れた。
「その、たしかにあの子たちはちょっと変わってるように見えますけど」
「ちょっと……?」
「それでも、自分の中の生き物に向き合う姿勢は本物です! 私はほかの人から“飼育係”なんて呼ばれることもありますけど、あ、それが嬉しいとかじゃなくて……とにかく! 校外活動も計画していますし、ちゃんと活動報告には備えてますから」
「飼育係……うーん、あなたは普通に見えたんだが……ううむ、会長にはどんなふうに報告すればいいんだ……」
「私は普通の人間ですけど!?」
自分でもわかっている。私の言葉は副会長を納得させるどころか、よりいっそうの混乱を招くかもしれないということくらい。
だとしても、巣穴から陽菜多が私を見守ってくれている。それなら、今だけは……飼育係として、この場所を守らないといけない。
そうすることで、自分が『あっち側』に見られたとしても!
……私、なんでこんなに頑張ってるのかしら……いや、冷静になったら負けよね……うん……。
「とりあえず、校外活動を計画していることについては報告しておくから、その活動についてもちゃんとまとめるように。それと……まとめるときはあなたが中心になりなさい。さすがにほかの子に任せるのは怖そうだからな……」
「……ですよね」
かくして副会長は最後まで釈然とはしなかったけれど、私に大役を押し付ける形で納得してくれた……多分。
副会長が出て行くと同時に巣穴から陽菜多たち三人が出てきて、私に対して「部長、頑張ろう」と口々に言ってくれた。
私は自分から気苦労を増やしたことに、一度だけ長いため息を吐いた。




