第11話「人間のままカニになりたいね!」
私、なんでここにいるのかしら……?
そんな疑問を、粉雪のように部屋を舞う光──これがミラーボールだろうか──を目で追いつつ考えていた。
「奈緒ちゃん、なに歌うか決まった〜?」
「えっと……やっぱり、私は聞くだけで」
「えぇ〜? 森田さん、せっかく来てくれたのに……それじゃあもったいないよ」
「うんうん、なおっちは声が可愛いかんね! ねえねえ、これとかどう?」
「これなら知ってるけど……」
様々な楽曲が表示される端末を差し出してきたのは、周囲の騒音に負けないほどやかましいカニ女こと、星遥。
けれど、ここはあの空き教室じゃない。私の現在地は、見ての通りのカラオケだった。
星以外にも見知ったクラスメイトから、違う学校の制服を着た女子生徒までもいる。そんな相手が四方八方から私に話しかけてきて、陽菜多ほどではないにせよ、私はやや落ち着かないまま自分が歌う曲を選んでいた。
どうしてこうなったのか。後悔というほどじゃないにせよ、場違いな場所へ来たという自覚を噛みしめながら思い出していた。
*
なんだかんだで活動──今は巣作りがメインだけど──が頻繁な生物進化研究会だけど、運動系の部活ほど厳しいわけじゃない。
各々に用事があれば自由に休むことができるし、立ち上げ人ともいえる陽菜多ですらすぐに帰ることがあった。
『ごめんね、今日はお店の手伝いがあるから……奈緒、終わったらうちに寄ってね。私が焼いたパンを渡したいから』
本日はパン屋がとても忙しいようで、陽菜多は急遽ヘルプに入ることになった。寝ぼすけでパン屋には不向きに見える彼女だけど、実はパン作りに関してはなかなかの腕前を持っている。本人いわく、「普段の穴掘りのたまものかな?」とのことだ……穴掘りとパン作り、関係あるのかしら……。
そんなわけで私は久々に陽菜多がいない放課後を過ごすことになり、部室で今後の校外活動について確認していたときだった。
『ありゃ? 今日は奈緒ちゃんだけ? ならさ、あたしと一緒にカラオケ行かない? 今日はほかの学校の友達も来るし、とっても楽しいよ〜?』
遅れてやってきた星は、今日は横歩きではなく人間らしい歩み寄りを見せて、そんな誘いをしてきた。
もちろん、最初は断った。星と遊ぶのが嫌というわけではなく、私みたいなのが向かったら逆に空気を悪くするのではないか、そう思ったのだ。
陽菜多とは異なるベクトルで、私は──主に口の悪さで──人付き合いが得意とはいえない。そんな人間を連れ込んでしまえば、星までもが交友関係を失いかねなかった。
『ん〜〜〜……本当に嫌そうなら諦めたけど。奈緒ちゃんって変なところで気を使うから、今日は強制連行ってことで☆』
……カニという生き物は、実はうさぎ並みに勘が鋭いのかもしれない。
すげなく断った私の腕を掴み、立ち上がらせる星。その力加減は緩やかで、本気で断れば拒否できただろう。
だけど私は引っ張られるがまま立ち上がり、星に連行されていく。自分でもなぜ断れないのかはっきりしないまま、私はカラオケへと連れて行かれた。
……本当は、わかっていた。このうるさい女の誘いを完全には拒絶できない、その理由。
私は、多分。こいつに対して──。
*
「よし、それじゃあ奈緒ちゃんはこの曲を歌ってね! あたしもコーラスで参加するよん♪」
「あっ、ちょっと! 私、歌はそんなに得意じゃ」
「いいよいいよ、気にしなくて。私たちはプロってわけじゃないんだし」
「やっとなおっちが来てくれたじゃん、それだけでうちらは嬉しいよ!」
「……はぁぁぁ……あとで文句、言わないでよ?」
今も本音は変わらない。陽菜多がいなくて、さらには人が多い場所で長く遊ぶというのは、冬毛のまま真夏を過ごすような疲労感がある。
けれど、私が頑なに断れば空気が悪くなるだろうし、なにより……星の友人たちとやらは、テンションこそ高いものの気のいい連中ばかりに感じて。
大きめのため息こそ隠しきれなかったけれど、私は覚悟を決めた。ちなみに、私が歌うのはバンドアニメの主題歌だった。ロックとアニソンの中間みたいな、陽菜多とも一緒に聞くことがある曲だ。
「おっと、その前にあたしが入れた曲だね! ほらほらほら、奈緒ちゃん見ててよ見ててよ〜? 水陸両用なカニの肺活量、みんなに披露しちゃうんだから☆」
「あはは、遥ちゃんがんばれー!」
「単純な肺活量なら人間のほうが上だと思うんだけど……」
「なおっちのツッコミもおもしろ! いやー、ほんとにはるるんの友達ってやべー子が多くて最高だわ〜」
「やべー子!? 私のイメージ、どうなってるわけ!?」
星の番が訪れたらしく、嬉々としてマイクを持って立ち上がり、私をびしっと指差して謎の宣言をする。最近のカニは歌にも自信があるらしい。
そして周囲はまるでアイドルが登場したように沸き立って、私はそれに驚くよりも、まずは不思議に感じてしまう。
(……こいつ、なんでこんなに“普通”のグループに馴染めているのかしら)
私の中での星はカニ女で、変なことばかり言って、それでも生物進化研究会にふさわしい変人……もとい、個性的な女の子なのだけど。
こうした場にも馴染む程度には、ちゃんと“人間”らしく生きられてもいて。
私は星が歌うあいだ、ずっと海の底を眺めるような気持ちでぼんやりしていた。
*
「いやー、やっぱりみんなで集まるカラオケは楽しいね! 今度さ、同好会のみんなとも来たいよね?」
「陽菜多は大きな音が好きじゃないし、如月も隅っこで落ち着かなさそうにすると思うけど」
「なはは、たしかに!」
自分の番を終えた私は喉を潤すため、ドリンクバーに向かっていた。すると星もいそいそとついてきて、廊下を歩きながら屈託なく笑いかけてくる。
カニを自認する彼女らしく、その笑顔には真夏の浜辺みたいな熱があった。私も陽菜多も夏はそこまで好きじゃないのに、改めて、こいつとつるむことが増えたのが不思議だった。
「……あんたって。いや、やっぱり」
「おっと、途中でやめちゃったら壁ドンしちゃうよ? それで『お前と付き合うのは、俺だと思ってた』みたいに迫るかも!」
「それをやったら、同好会からメンバーが一人減るわよ」
「そこまで!? 陽菜多ちゃんの巣穴がどうなってもいいの!?」
「人の弱みを的確に突くんじゃないわよ!」
言いよどんだけれど、こいつ相手に逡巡は無駄なのだろう。
これ以上の脱線を回避すべく、私は足を止めずに質問する。
「あんたって、友達が多いわよね?」
「遥ちゃんは人気者だからね!」
「はいはい……だけど、生物進化研究会にも顔を出している。そしてあそこは、その」
「『変わり者ばかりなのに、なんで遥ちゃんみたいな明るくて可愛い子が所属してるの?』ってところカニ?」
……本当に、こいつは苦手だ。
陽菜多も勘は鋭いけれど、それは危機回避のための野性的なものだ。
それに対してこいつの鋭さは、人間関係を円滑に進めることに慣れた、にぎやかなコミュニティで培ったことがわかる力だった。
それは人間社会に馴染みきれない陽菜多や如月とは……有り体に言えば、私とも交わらない世界で生きている証拠に見えた。
だけど、星は片手でハサミを作り、ちょきちょきとピースサインをしてみせる。
「あたしはね、人間として過ごすのも好きだし、カニになって遊ぶのも好き。だから友達との時間も、生物進化研究会での時間も大事。それじゃあダメ?」
「……陽菜多は、遊びでうさぎをやってるわけじゃ」
「あ、ごめんね。そこは言い方が悪かったかも。だけど、あたしは……陽菜多ちゃんのこと、本気で尊敬してるの。うさぎのまま人間社会と折り合いをつけて、それでも自分らしく生きようとしてる」
ちょきん。星の指先が、私の勝手に引いていた境界線を切ったように感じた。
線の向こうに、珍しく真剣な顔をした星が見えた。
「あたしもね、最初は陽菜多ちゃんと仲良くなりたくて、“カニ”を始めたの。冗談だったかもしれない。でも、カニになって近づいたからこそ、『好きなものになりたい自分』まで好きになれたんだよ」
「……悪かったわよ」
「んふふ、ちょっとデレてくれた?」
ドリンクバーに到着する。いつもの軽い調子で話す星は、アセロラジュースを選んでいた。
私は……野菜ジュースにした。陽菜多を思い出せるからだ。
「だからあたしは、陽菜多ちゃんと奈緒ちゃんを応援してる。奈緒ちゃんが好きなのは、“人間の陽菜多ちゃん”か“うさぎの陽菜多ちゃん”かじゃなくて、陽菜多ちゃんでしょ?」
「っ!? あ、あんた、それは、どういう」
「遥ちゃんに照れ隠しや誤魔化しは通用しないよ? ま、奈緒ちゃんがわかりやすすぎるだけともいうけど♪」
思わずジュースをこぼしそうになった。だけど、堪える。
こぼさずに済んだのは、私がこいつに対してまだ意地を張れるからだ。
私のこの気持ちは、少なくとも今は、誰にも告げられない。その理由は……まあ、私が臆病なだけなんだけど。
こいつが見抜いたように、私の中途半端な願いが混ざった感情では、純真無垢な陽菜多には伝えられないから。
「……本当に、むかつくカニ女ね」
「ああ〜ん、せっかくアドバイスしてあげたのに!」
「……そうね。悔しいけど、今日、あんたと話せてよかった」
すうはあ、一呼吸置く。
こうしたことを伝えるだけでも覚悟が必要な私は、不器用なままだった。
「そして、あんたが同好会に入ってくれてよかったとも、陽菜多と仲良くしてくれて嬉しいとも思ってる。それだけは言っておくわ、気が変わる前に」
「……奈緒ちゃんが本当にデレた!? ペアリング買っちゃう!?」
「カニとおそろいのアクセサリーをつけるつもりはないわよ」
認めよう。こいつと遊んだことで、少しだけ気持ちが整理できたことを。
けれど認めすぎると図に乗るのがカニ女だから、最後の申し出は丁重に断って、私はジュース片手にカラオケルームへと戻った。




