第7話「誕生、うさぎの巣穴…もとい、生物進化研究会」
「というわけで、その……元々ここへ顔を出す機会はまばらだったけど、掛け持ちになりそうなのよ」
「うちらは全然OKよ? モリリンがうさぎパイセン大好きなのは知ってたし……パイセンが同好会を立ち上げるなら、モリリンが参加するのは既定路線っしょ! ね?」
「ウサッ……うん」
「ほら、陽菜多。掛け持ちもOKしてもらえたし、これから別に伝えることもあるでしょ? 私からも言ってあげるけど、あんたもちょっとだけ頑張りなさい」
「……森田さんって、草野さんに対してはお姉さんっていうよりも『お母さん』だよね……」
「こんな大きなうさぎ娘、産んだ覚えはないわよ」
家庭科部との掛け持ちについては、驚くほどあっさりと許してもらえた。むしろ、家庭科部の面々は初めてここを訪れた陽菜多に対しても好意的で、「間近で見ると美少女すぎる」とか「森田さんが溺愛するのもやむなし」なんて囲まれ、その都度陽菜多は私の後ろに隠れていた。
……この際、私が陽菜多大好き人間だと思われていることには、うっすらと目を閉じるとしよう。これから私たちは、さらに大胆なお願いをするのだから。
「それで、その……私たちの新しい同好会なんだけど。家庭科部の人たちで、掛け持ちできそうな人っているかしら?」
「うーん、力になってあげたいところだけど……うちってさ、代々が地域のイベントや文化祭への参加に力を入れてるでしょ? だから、こっちの活動に集中したいって人が大半で……」
「私も興味はあるんだけどねぇ……そもそもモリリンたちの同好会って、どんなことをするん?」
うぐっ、と言葉に窮する。こんなふうにすぐに返答できない同好会だなんて、そうそうはないだろうと自覚していた。
けれど陽菜多は、あくまでも正直だった。
「……うさぎの巣穴だよ」
「パイセンの説明、アバンギャルドすぎて草ですよ。私も掛け持ちは難しいけど、可愛いからさっき作った野菜スティックをあげちゃう!」
「あ、ちょっと……もう、陽菜多は目の前に野菜があれば際限なく食べるから、あんまりあげすぎないでよ?」
「森田さん、やっぱりママの素質があるよ……」
陽菜多の説明は実に過不足のない、私が言おうとして飲み込んだ内容とほぼ同じだった。今も後ろに隠れていたけれど、部員の一人が野菜スティックを持ってきてくれたことで、そろそろと前に出てきたかと思ったら、それの匂いを嗅いでからかりかりと食べ始めた。
その様子に、家庭科室が軽く色めき立つ。「ありがと」と短く陽菜多が返事をしただけで「可愛い!」というコールが沸き立って、私は「このまま家庭科部に預けたほうが、よほど幸せなのではないか」と一瞬迷ってしまった。
「奈緒、家庭科部の人たちって……優しいんだね」
「それには同意するけれど。私たち、一応は勧誘に来たってことも忘れてないわよね?」
「……もちろんウサよ。実はこんなこともあろうかと、ビラも作ってみたよ」
陽菜多は私から目を逸らしつつも、かばんに手を入れてごそごそと紙を取り出す。
露骨な誤魔化しっぷりだけれど、それでも自分からなにかをしようとした姿は素直に褒めたくなる。
けれど、そのビラを見た私と家庭科部は、全員がほっこりしつつも「???」となってしまった。
「おお、どれどれ……真っ白なうさぎと栗色のうさぎが寄り添って、段ボールに入っている……パイセンの同好会、絵本製作でもするのかな?」
「同好会の名前も『うさぎの巣穴』になってる……うーん、これだと先生たちに『なんの活動をするつもりかわかりません』って突っ込まれるんじゃないかなぁ?」
「……奈緒、うさぎの巣穴について伝えるのって……難しいね」
「あんたがややこしくしたんでしょうが!」
陽菜多としては、「これで同好会の良さが伝わる」と本気で思っていたのだろう。
別の意味で家庭科部から好評は得られたけれど、残念ながら掛け持ちをしてくれるメンバーは見つからなくて、以降の陽菜多は“野菜スティックを食べ続ける触れ合いコーナーのうさぎ”みたいに愛されていた。
その様子を眺めていると、見えない前歯でかじられているような落ち着かなさが残る自分が、少しだけ情けなかった。
*
あれからも交友関係が狭い私たちなりに、普段から話すことのある生徒たちに声をかけてみた。
けれど、結果としては『白い目で見てくる人はいなかったけれど、色よい返事はもらえなかった』という感じで、まあ……妥当だと思う。
そして私たちは成果を得られないまま、空き教室へと戻ってきた。このままだとこの段ボールも撤去されると思ったら、小さな焦りが浮かんだ。陽菜多も落ち着かなげに、自分が作ったビラをチェックしている。
段ボール箱の中で寄り添う二匹を見ていると、陽菜多がひとりでこの巣穴を描いていた時間まで、そっと紙に閉じ込められているようだった。
「うーん……何が悪かったんだろう……」
「絵は可愛いけど、『うさぎの巣穴』という名前は問題だと思うわよ。絵は可愛いけど」
「わーい、奈緒に褒められた」
「……やっぱり、うさぎに皮肉は通じないわね。まったく、もう」
真顔で喜んで見せる陽菜多の頭を、軽く撫でておいた。陽菜多もまた、言葉もなく頭をすり付けてきた。
……そして、思う。お互いの家に帰ればこんなふうに寄り添えて、誰に気兼ねすることもない。
学校での巣穴を諦めれば、それだけでいい。一瞬でもそう考えた自分が、陽菜多をケージに閉じ込めようとしているのではないかと感じ、つい撫でる手が止まってしまった。
「ちょっと!! 遠くから見守っていたのに、なんであたしを誘わないかなぁ!? ずっと待ってたんですけど!?」
「うわ、びっくりした」
「げっ、カニ女……どこで嗅ぎつけたのよ。カニって嗅覚があるの?」
「人間の美少女でもあるあたしのネットワークを舐めちゃいけないよ! あと、次に『げっ』ってゆったらお仕置きだからね!」
そうした感傷に浸る時間は、飼育係の私にとって長続きしない。
カニ女こと星はいきなり教室のドアを開き、無駄に整った顔をわざとらしくしかめつつ、段ボールの前までずかずか歩いてきた。
陽菜多はその物音に驚いたけれど、カニ相手であれば私の後ろへ逃げることはなかった。
「そんなわけで、あたしも入れて三人! 同好会設立! あ、入部理由は『こんなに面白いことをあたし抜きでやるだなんて許せない!』でお願いね!」
「あの、ここはうさぎの巣穴だから。カニの巣穴を作るスペースはないよ?」
「こんなに広い空き教室なのに!? 心配しなくても、カニの巣穴は横穴式だから省スペースなんですー!」
「ああもう、うるさいわね!」
陽菜多はうさぎらしい無表情で星にツッコミを入れたけれど、カニ女は教室の隅に立て掛けられていた段ボール──陽菜多が増築用に集めていたものだろう──の一つを持ってきたかと思ったら、本当にそれで横穴タイプの巣穴を設置した。
……私たちの巣穴のすぐそばに。かくしてこの空き教室は、ほ乳類と甲殻類の巣穴が軒を連ねるという、生態系の神秘を感じられる様相となってしまった。
「陽菜多、あんたの気持ちはわかるけど……自分の巣穴を守るため、ちょっとうるさいカニくらい許容しなさい。大丈夫よ、イヤホンを付ければ当面は凌げるわ」
「……奈緒がそう言うなら。星さんはカニだけど悪い人じゃないし、横穴の技術を盗むつもりで一緒にいよう。カニだけど」
「二人とも、そういうのはあたしのいないところで話そうね? というか、勝手に技術を盗んだら特許侵害で訴えちゃうよ? んもう、本当はあたしのことが大好きなくせに!」
カニの思考など理解できないと、私は早々に諦める。
むぅ、と唸る陽菜多をなだめ、あくまでも騒がしく仲間入りしようとする星をあしらいながら、私は『陽菜多の居場所を守ること』を最優先にした。
*
「そんなわけで……先生。私たちの巣穴、“うさぎの巣穴同好会”のメンバーが集まりました」
「うーん……草野さんにとって巣穴が重要なのは理解しています。けどね、活動内容がわかりにくい名前は、先生としては認めにくいかなーって」
「なんてことウサ……」
「いや、当たり前でしょ……陽菜多、先生を困らせないの」
「ていうか、ふうちゃん先生もすごいよね! 呼んだら五分かからず来てくれるなんて」
ひとまず星が入部したことで同好会設立の条件を満たしたから、私が職員室へと先生を呼びに行った。
すると先生は「待ってたよ!」と言わんばかりの勢いで来てくれて、机に積まれていた書類が少し気になったものの、今日は甘えさせてもらうことにした。
そんな先生を迎えて初の同好会会議、その議題は『同好会として申請する名前を何にするか』だった。そして、陽菜多の淡々としつつも自信満々の提案は柔らかく却下された。
「んふふ、ここは成績優秀な遥ちゃんに任せて! 実は二人が同好会メンバーを探しているって聞いたときから、いい感じの名前について考えていたよ!」
「却下で」
「まだ何も言ってないよ!?」
「あんたのことだもの、“蟹漁船”みたいなのを提案すると思ったから」
「ひどい! そんなカニの缶詰め作りを強制されそうな名前じゃないよ!」
頭の中に蟹味噌が詰まっていそうなこのカニ女、こういうときだけは妙に頭が回る。
けれど、普段の言動から嫌な予感を覚えた私は脊髄反射で否定して、星のハサミで腕をちょきちょきされた。もちろん痛みはない。
「ここにいるのは人間、うさぎ、カニ……全員が異なる進化を経ているよね?」
「進化も何も、私は生まれてこの方ずっと人間なんだけど……」
「つまり……“生物進化研究会”! どう? なんとなく権威がありそうで、あたしたちの集まりを現しているんじゃな〜い?」
正直、予想外だった。それもまた腹立たしいけど。
それは頭の堅そうな先生が喜びそうな肩書きで、けれど、陽菜多のあり方を「人間から外れたものとしてではなく、人それぞれの個性や生き方の違い」として捉えているようにも感じて、私は一瞬だけ反論を忘れた。
ちなみに星は、ずっと横穴の中で体育座りをしている。なんか……シュールね……。
「生物進化……いいね」
「陽菜多?」
「奈緒、私はこれでいいと思うよ。いや、本当はうさぎの巣穴がいいのだけど。蟹漁船だったら即時抗告ものだけど」
「いいね! 初回の活動報告書には『異なる個性を持つ生徒が、自分に合った環境や過ごし方を、生物の進化になぞらえて研究する』なんて文言を書くといいんじゃないかな?」
「ふうちゃん、ナイス☆」
「ちょ、ちょっと……」
なんやかんやで同好会立ち上げのきっかけとなった陽菜多が了承したことで、会議は驚くほどスムーズに進行し、同好会名や報告書の内容も決まっていく。
無人だったはずの空き教室では、今や三つの巣穴が並んでいた。学校の隅にできた小さな居場所へ、今度はちゃんと名前がついた。
それは陽菜多の名前がようやく学校の中に居場所を持ったような気がして、悪いようには思えないのだけど。
あくまでただの人間でしかない私は、生物進化のうねりの中で生きられるか、自信がなくて。
「……この同好会、どうなるのかしら……」
うさぎとカニが生み出す喧騒の中、私は独りごちるしかなかった。
先生は私たちを満足げに見守りながら、「青春、いいよね……」と何度も頷いていた。
…
……
………
翌日、申請は条件付きで受理された。
こうして、うさぎとカニと一人の人間による「生物進化研究会」が誕生した。




