第6話「正式な巣穴とするために」
「この曲、いいと思わない? ちょっと聞いてみてよ」
「どれどれ……あの、延々と草木が擦れる音が聞こえてくるんだけど……?」
「いいよね、環境BGM。私のうさぎとしての本能が満たされていくよ」
「これを曲と称していいのかしら……」
あれからの私たちの関係は、ほんの少しだけ変化した。それは今みたいに一つのイヤホンで音楽……音楽?を聞くようになったという意味じゃない。これについては、もっと小さい頃から普通にしていた。
部活などで私が別行動をするとき、陽菜多はこの空き教室に設置した不法巣穴……もとい、緊急避難先の巣穴で待ってくれていた。
私は毎回「先に帰っていいわよ」と伝えているけれど、陽菜多は「いつもの場所にいるよ」と返事をするだけ。それは「終わったら迎えに来てね」という、うさぎらしい静かなおねだりだった。
もちろん私もそれに従い、今日も陽菜多が待つ学校内の巣穴へと到着し、なんとなくすぐには帰らず、同じ段ボールに収まっていた。
「もちろん、奈緒と共同で編集したプレイリストも聞いてるよ。でもこれは、奈緒と一緒に聞くほうが楽しいかも」
「……し、仕方ないわねっ。そんなに言うのなら、ちょっとだけ」
「……しっ、静かに。誰か近づいてくる」
「え?」
二人で陽菜多の携帯の画面を眺め、次は何を聞くかだらだらと会話していたら。
陽菜多は片耳に入れていたイヤホンを外し、私に内緒のポーズをとって、教室の入り口へ視線を動かした。
……とまあ、こうして説明すると、優秀なスパイが敵に気付いて警戒するような姿に思えるだろうけど。
陽菜多は狭い段ボールの中でもぞもぞと動き、ほんの少しだけ私の後ろに隠れるよう、腕をぎゅっと抱きしめてきた。それは頼りになる飼い主の後ろに隠れる、臆病なうさぎにしか見えなかった。
この子、めちゃくちゃ顔が良くて表向きは冷静に見えるんだけど……行動が本当に小動物なのよね……認識がバグりそうだわ。
「お邪魔しまーす……あ、やっぱり草野さんと森田さんだったんだね」
「弥生先生? どうしたんですか?」
コンコンコン、と小さく上品なノックを終えて、来訪者はドアを開く。ひょっこりと見えてきた顔には、こちらを訝しむような険しさはない。むしろそのちょっぴり垂れた目は、私たちを見守るような優しさをたたえているように見えた。
弥生風子。私たちのクラスの副担任で、教職に就いてからまだ日も浅い、新米の国語教師だった。
「えっとね、私のクラスの生徒が放課後に空き教室を使っているって聞いたから。その見回りと、事情を確認しに来たんだけど……二人で段ボールに入って、何をしているの?」
「そうでしたか……ええと、なんて説明していいやら……」
弥生先生は段ボールの前まで来ると、私たちに目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。問いただすというより、怯えさせないよう話を聞こうとしているらしい。
生徒から「ふうちゃん先生」と呼ばれるのも納得できる、少し心配になるほど善良な人だった。
「……ここは陽菜多の、“学校での巣穴”なんです」
「巣穴……? ん? それって、秘密基地みたいなもの?」
「いえ、ここは私と奈緒の巣穴です。私はうさぎなので、本能的に静かで落ち着ける場所が」
「わっ、草野さんが初めて先生に話しかけてくれた!」
「ウサッ……」
秘密基地。なるほど、言い得て妙だった。
けれど、巣穴と秘密基地を同じものにされたくなかったらしく、陽菜多は私任せにせず説明を始めた。その姿が少し格好いいと思ったのも束の間、先生が目を輝かせて身を乗り出すと、すぐに私の肩へ顔を隠してしまう。
まだ私抜きでは難しい。そのことに、私は少しだけほっとしていた。
「ああっ、ごめんね! 先生、生徒のみんなと仲良くなりたいから……つい。大丈夫、なんでも聞かせてね!」
「……あの……私、学校で一人だと、落ち着かなくて。だから、奈緒がいないとき、落ち着いて奈緒を待てる場所が欲しかったんです。それで、奈緒にとってもここが落ち着ける場所になってくれたらな、って」
「ちょ、ちょっと、陽菜多……」
「ばっちこい!」とばかりに先生は喜色満面の聞く姿勢を示して、陽菜多は私の肩越しに先生を見るようにしつつも、ここがどういう場所なのかをたどたどしくも説明していた。
問題は、その内容だった。間違っているわけじゃない。
むしろ、間違っていないからこそ……困る。私だって陽菜多が目の届かない場所で一人だとしたら、散歩中に飼い主を見失った犬のように、ぐるぐると大切な人を探してしまいそうになるから。
ここは陽菜多だけでなく、私が安心するための巣穴でもあった。
その気持ちを再認識すると、顔が熱くなって言葉に窮する。
「そうだったんだね……うん、前々から草野さんはうさぎさんみたいだって聞いていたけれど……」
「あの……陽菜多は本気なんです。学校に迷惑をかけようとか、そういうのは一切なくて」
「大丈夫! 先生はね、むしろとっても感動してる!」
「……はい?」
陽菜多の行動は、事情を知らない人には奇妙に見えるかもしれない。だから私が補足しないと……そう身構えたのに、先生は予想外にも目を輝かせた。
「大切な人のためにも、落ち着ける場所を作りたいんだよね? 先生、とてもいいと思う!」
「た、大切な人って……私と陽菜多は、その」
「奈緒は大切な人だよ? ずっと一緒にいたじゃない」
「ああもう、ややこしくなるでしょ!」
一見するとツッコミどころが満載な、私と陽菜多の巣穴論。
けれどもこの人は、それを全肯定するかのように納得してくれていた。いや、本当になんで……?
そして私は先生の言葉にまた顔の温度を上げていたら、ぴたりと引っ付く陽菜多は首をかしげ、当たり前のように私を見上げていた。くそう、本当に可愛いわね……!
「草野さん、この場所を残したい?」
「……はい。できるなら」
「よし、先生に任せて! ほかの先生たちからは『自分勝手に空き教室を使っていたら退去させるように』なんて言われたけれど……二人のお互いを思いやる気持ち、決して無駄にはさせないから! ちょっとだけ待っててね!」
「あっ、先生!?」
「行っちゃった。そういえば、前に星さんが『ふうちゃん先生はめっちゃいい人だけど、騙されやすそうで心配になるカニねぇ……』なんて言ってた気がする……大丈夫かな?」
私と陽菜多を置き去りにするような勢いで立ち上がり、先生は赤錆色のフィッシュボーンに結った髪を揺らしながら教室を出ていった。
後にとり残された私たちはぽかんとそれを見送って、ひとまず私は「先生も大人だし、大丈夫でしょ……」と根拠もなく返事をするしかなかった。
*
「ぜぇ、はぁ……お、お待たせっ!」
「先生、そんなに急がなくても……私のお茶で良かったら飲んでください」
「奈緒の麦茶、季節によって濃さが違うんだよね。濃いめだと夏だなぁってなるよ」
「その情報、今はいらないでしょ……」
それから少しして、先生は小走りに教室へと戻ってきた。息を切らす様子はまるで一戦交えてきたような消耗っぷりにも見えて、改めてこの人のことが心配になりそうだった。いろんな意味で。
水筒の蓋へ麦茶を注いで差し出すと、先生は礼を言って一気に飲み干した。
「ありがとう……んぐっ、んぐっ……ぷはぁ。ふふふ、これを見て! 教頭先生と生徒指導の先生には何度も頭を下げてきたよ! 最後は『条件を守れるなら申請までは認める』って!」
先生が誇らしげに差し出した紙には、『同好会及び部活動設立申請書』と書かれていた。
……なぜ?
「少なくとも三人集めれば同好会が設立できて、申請が認められれば、この教室を仮使用できるよ! 毎月、活動内容をまとめた報告書を提出しないといけないし、『教室は仮使用であり、活動実態がないと判断されれば返還すること』って念押しされたけど……」
「あの、先生……私たち、同好会や部活動と言われても……」
「あ、顧問は心配しないでね! 先生、二人のために顧問としても頑張るから! とりあえず、報告書の指導にも責任を持たないと……!」
すっかり顧問としての責任を背負い込んでくれた先生を目の前にして、私は「先生はこういう人だったのね……」と理解するしかなかった。
優しいのは間違いない。私たちのために全力を出してくれたのもわかる。つまり、今どきの教師としては珍しいほどの生徒思いだ。
だけど……善意だけで部活動の立ち上げまで一気通貫で進めてくれたことについては、空回りを感じずにはいられない。
「……部活かぁ」
「陽菜多、どうするのよ? たしかに巣穴はいいけれど、ここまで大事に」
「奈緒。一緒に頑張ろうね」
「……え? あの、私、もしかして……すでに部員としてカウントされているの……?」
「先生も『すでに入部希望者は二人います!』って伝えておいたよ!」
「先生!?」
この状況には陽菜多も困惑しているだろう……そう思って隣を見ると、陽菜多は私の袖をくいくいと引いて、静かながらも覚悟を決めたように告げた。
陽菜多の中だと、この部活動の名目を掲げた巣穴のメンバーとして、すでに私はカウントされていたらしい。
「……いや、なんでよ!?」
「奈緒、入ってくれないの……?」
「そんな目で見るのやめて!? とりあえず入るから!」
「やったね」
「うう、もう支え合っているなんて……やっぱりここは素晴らしい部活動になるよ……!」
思わずツッコミを口に出してしまったら、陽菜多は一瞬で顔を曇らせ、私も同じく一瞬で屈した。私たちの学校での巣穴は、部活動──まずは同好会──の立ち上げを目指すことになる。
こうして私と陽菜多は、学校での居場所を正式なものにするため、まず三人目の部員を探すことになった。
……私の意思確認だけ、最後まで置き去りにしたまま。




