第5話「巣穴は多いに越したことはないよ」
陽菜多以外の、友達だと断言できるような相手はいない。
そんな自覚のある私でも、“ここ”は居心地のいい集まりだった。
「森田さん、いらっしゃーい。“特別顧問”が来てくれると、部活が盛り上がるから助かるよー」
「その呼び方やめてったら……私もこの学校の生徒なんだし」
「だけど、モリリンがうちで一番家事全般が上手だからねぇ……頭を垂れて師父と仰がざるを得んのですよ」
「師父って……いくらなんでも持ち上げすぎよ。というか、そのあだ名を認めたつもりはないんだけど?」
放課後の家庭科部は、陽菜多と別行動を取る数少ない理由の一つだった。れっきとした部員ではあるものの、顔を出す頻度はまばらだ。
寂しがりのうさぎが待っている以上、毎日というわけにもいかない。別に私が離れがたいわけではないし、寂しくもない。寂しくないったら寂しくない。
そんなことを考えてにやつきそうになる顔を隠しながら、私は温かく迎えてくれる部員たちに応えるべく、ブレザーを脱いでエプロンに着替えた。
「……そういえば、一緒に作ったクッキーだけど。あれ、すごくおいしいって評判だったわ。あ、ありがとう」
「モリリンの貴重なデレをいただきました! まあでも、あれもモリリンがメインで結構頑張ってた気がするけど」
「そんなことないわよ、私はお菓子はそこまで作らないし。だから、その……今日も、お菓子のレシピを教えてもらえると助かるわ」
「おっ、ちょうどよかった。今日はみんなでマフィンを作ろうかって相談してたから、森田さんもそれでいい? イベントに出すためのメニューの練習をするから、付き合ってくれるとありがたいな〜」
「いいわね、お願いするわ」
「うさぎパイセンのために?」
「……ひ、陽菜多は関係ないわ」
私は陽菜多以外にはそんなに……いや、よくよく考えると陽菜多にも強がってばかりだけど。
愛想の足りない私にも、この部員たちは変わらず親しげに接してくれる。おまけに察しがよいため、私の行動原理など、卵を片手で割るより簡単に見抜いていた。
そもそも、家庭科部へ入った理由からして「陽菜多においしいものを作ってあげたい」なのだから、隠し通せるはずもない。
「そういえば、今日は草野さんと離れてて大丈夫?」
「だから、私だって陽菜多と常に一緒にいるわけじゃないわ。あの子だって、一人の時間は必要だろうし……」
本人がそう言ったわけじゃないけど。なにより、「あんまり一人にしないでね。私はうさぎだからね」なんて言われることはしばしばだけど。
これまた私の顔をにやけさせることを思い出しては、必死に歯を食いしばって情けない表情を封じ込めた。ゲームで魔王を封印する勇者の気持ちは、こういう感じなのかもしれない。
「そういえば、友達からも『うさぎ先輩が空き教室の近くをウロウロしてた』なんて話を聞いたかなー」
「……陽菜多が? 私、先に帰っているように伝えたんだけど」
「そうなん? パイセンが一人で帰ってる姿って見たことない気がするんだけどなぁ」
「……」
嫌な予感がする。いや、それは『陽菜多が私を待っているのが嫌だ』という意味じゃない。
嫌なのは……大切な相手を待たせ、寂しい顔をさせてしまう自分自身のほうだ。
「……気のせいでしょ。ほらほら、早くマフィンを作りましょう。なる早で、急がず、手軽に、丁寧に」
「プロのシェフでも苦言を呈しそうな矛盾っぷりなんだけど……そうだね、草野さんのためにもがんばろっか」
「了解、モリリンとパイセンのため、格好いいところ見せましょう!」
「だから、気を使わなくていいったら!」
大丈夫、陽菜多は今ごろ家に戻って、そして自分の部屋の巣穴で丸くなっているはず。
そうやって気のせいだと言い聞かせても、私の手はいつも以上の速さで動いた。そしてマフィンが焼き上がる頃には、罪悪感までふっくら膨らんでいた。
*
「あっ、奈緒。終わったの?」
マフィンが完成すると同時に家庭科部のメンバーは「うさぎ先輩によろしく」と快く送り出してくれたので、それに礼を伝えてから駆け出す。
そしてうさぎの目撃情報に従ってくだんの空き教室のドアを開くと、そこには。
「……で、何をしているのよ?」
「奈緒がいないあいだの退避先として、学校にも仮の巣穴を作ってみたよ。ここは学校とは思えない程度には静かだし、奈緒を待つにはちょうどいいかなって」
空き教室の隅、カーテンの影には段ボールの巣穴ができあがっていた。
本人によると仮住まいらしいけれど、近づいて確認すると、段ボールの中にはブランケットやイヤホンなどが収納されていて、簡易的とはいえ自認うさぎの巣穴としては結構整っている。
それこそ、『誰かを待つ時間が長引いても大丈夫』とでも言いたげに。寂しがりのうさぎが取った行動としてはあまりの愛らしさに、目元を押さえそうになってしまった。
「……つまり、不法に巣穴を設置したってわけね」
「人聞きが悪すぎる……新天地を開拓したと言ってほしい。学校という人間の坩堝でうさぎが生き残るには、こうしたサバイブの技術も必要なんだよ?」
「環境の変化に弱いうさぎらしからぬたくましさね……何があんたをそうさせるのよ?」
「奈緒がいなくても過ごせる場所が必要だと思って。奈緒、家庭科部が好きでしょ? 私が待ってるせいで、行かなくなるのは嫌だから」
その言葉は、きっと私を気遣ってのものだった。「私と家庭科部、どっちが好きなの?」なんて意図は、一切存在していない。
陽菜多は、私が家庭科部で過ごす時間を邪魔しないために自分の巣穴を作り、私がいなくても過ごせる場所を見つけた。その成長は、確かに胸を温かくした。
それなのに、私の中には……自室の巣穴を勝手に撤去されたような、寂寞とした空白が残った。
「ほら、奈緒もこっちに来てよ。即席だけど、結構いい感じの仕上がりだと思ってる。そう、私は穴掘り名人のうさぎ、シオマネキにはまだまだ負けないよ」
「あいつに言われたこと、意識してるのね……」
「カニに負けてはうさぎの名折れだからね。カニパスタはおいしかったけど」
だから、だろうか。それとも空き教室に差し込む夕日が、私に感傷を抱かせたのか。
本当ならもう下校すればいいのに、私は陽菜多の手招きに応じるように、その巣穴の隣に腰を下ろした。
……やっぱり、狭い。陽菜多とぴったり身を寄せ合わないと、段ボールが限界を迎えてしまい、無茶なダイエットを決意しそうになるくらいには。
肩から伝わる体温も、鼻先をくすぐる髪の匂いも、昨日までの巣穴と何も変わらなかった。新しい場所が増えても、私の居場所が消えたわけではない。そのことが、ようやく体へ染み込んでくる。
「うむ、やはりこの巣穴も二人で入るほうがいいね。私はうさぎだけれど、一級建築士としても食べていけるかもしれない」
「……かもね。もう私がそばにいなくても、大丈夫じゃないの?」
前代未聞の『一級建築士の肩書きを持つうさぎ』が誕生しそうになって、私はそれを想像してみる。
建築士とやらがどれくらいの高給取りなのかは知らないけれど、そんな立場になればお手伝いさんだって雇えそうだし、広い家に引っ越して巣穴も造り放題だろう。
そういう満ち足りた陽菜多の生活に、私の居場所なんてあるのだろうか?
「……」
「……陽菜多? 怒ってるの?」
「うさぎはおとなしくて温厚、だから怒ってない。ぷぅぷぅですよ、ぷぅ」
口にして、後悔した。今の言葉って、私のほうが構ってちゃんみたいじゃないの……。
私のいじけるような言葉に、陽菜多は急に黙り込む。顔をぷいっとそらして、けれども体はぴったりと引っ付けてきて。
『寂しかったよ。なのに、なんでそんなことを言うの?』
本来は言葉を発せないうさぎの、とても静かで、そして甘く、何より優しい抗議だった。
その静かな抗議は、意地で固く絡まった私の心を、毛糸玉のようにするするとほどいていった。
そして私はすねているうさぎをなだめるように、陽菜多の長くて白い髪を撫でていた。私もしばしば手入れをしているその髪は、アンゴラのようにふわふわだった。
「……ごめんなさい……いや、違うわね。ええと」
「?」
「……待っててくれて、ありがとう。マフィン、一緒に食べましょうか」
「……ありがとウサギ!」
その人見知りで寂しがり屋、すぐにすねてしまう私だけの可愛いうさぎは、意外と食いしん坊で。
包んでおいたマフィンを差し出すと、鼻をひくひくさせてから機嫌を直した。その様子を見ていると、私も自然と笑えていた。
(いつまでも、こんな陽菜多でいてほしい。でも、私がいなくても人とうまくやってほしい……とんだ強欲ね、私は)
マフィンを小さくちぎって口元へ運ぶと、陽菜多は嬉しそうに頬張った。
私はその矛盾ごと、手元のマフィンと一緒に飲み込んだ。




