第4話「ここが私と奈緒の巣穴」
「ただいま……まったく、今日も疲れたわね」
「お邪魔します。本当に、うさぎとして生きるのも楽じゃないよね」
「人間である私にうさぎとしての同意を求められても困るんだけど……」
ホームルームが終わってからも『うさぎとカニの食事会』や『飼育係ならカニの面倒も見るべきじゃないのかという追及』などがあって、本日の学校生活も──主にうさぎとカニのせいで──慌ただしく終わる。
そんな私にとって、自宅というのは学校とは異なるにぎやかさがあるけれど、その発生源が家族だと思うと、どうしてもほっと一息ついてしまう。
そして私の横へ当たり前のようにくっついてきた陽菜多も、いそいそと家へ上がり、「ここも私の巣穴だよ」といわんばかりの落ち着きっぷりを見せていた。
「お姉ちゃん、おかえり〜……あ、陽菜多ちゃんだ!」
「おかえり、姉ちゃん。陽菜多姉ちゃんも来たの?」
「二人とも、お邪魔します。ここにも私の巣穴があるからね、きちんと見回りをしないと」
「人の家にまで勢力を広げないでくれる?」
妹と弟はとたとたと玄関まで迎えに来てくれて、陽菜多の姿を認めると妹はきらきらした目を向けて、弟はそっけない返事をしつつも、「ちょっと待ってて」なんて言いながら自分の部屋へと向かっていく。
そして戻ってきたときには、人間が座り込むにはちょうどいいサイズの、きれいに畳まれた段ボールを持ってきた。
「はい、これ。新しい段ボールが手に入ったから、また陽菜多姉ちゃんが使うかなって」
「おおっ、ありがとう。このサイズ、厚み、新しさ……うん、巣穴として申し分ないよ」
「わたしの部屋にある巣穴もきれいなままだよ! 入っていく?」
「いつもありがとうね。でも、今日は奈緒の部屋で過ごすから……次のお休みにでもお邪魔させてもらうね」
「……自分の弟と妹がうさぎの巣穴を受け入れているとき、人はこんな気持ちになるのかしら……」
陽菜多は段ボールの品質を確かめ、満足そうに妹と弟の頭を撫でる。撫でられた二人も嬉しそうだった。
……でも、自分の弟と妹が、幼なじみの巣穴を当然のように管理している……改めて眺めると、なんなのだろう、この光景は。
こんな気持ちになるのは、日本広しといえど私だけだと思う。というか、ほかにいたらそっちの事実に困惑しそうだ。
「ほら、入りなさい。いまお茶を」
「お邪魔します……よっと」
可愛い妹と弟に見送られ、私は自室に向かう。ちなみに、陽菜多がここに来る深い理由はない。
それくらい、陽菜多が我が家に訪れるというのは、生活の風景として馴染みきっていた。強いて言うのなら、陽菜多は我が家にとっての『地域うさぎ』とでも表現すべきか。
そんなうさぎに振る舞うお茶を取りに行こうとしたら、陽菜多は先ほど受け取った段ボールを即座に展開、部屋の隅っこに設置してすっぽりと収まった。
「……なにをしてるのよ」
「うさぎは穴を掘るのもお手の物だからね。はー、落ち着く」
「段ボールを組み立てただけで巣穴とは斬新な発想ね、今すぐ片付けなさい。でないと、あんたの分のお茶だけセンブリにするわよ」
「やめてよ、味覚は人間に近いって自覚もあるのに……ぷぅぷぅ〜」
「それ、ご機嫌なときに鳴らす音じゃないかしら……」
陽菜多は段ボールの中で縮こまり、唇を尖らせながら抗議してくる。その様子は……正直に言うのなら、ものすごく可愛い。
陽菜多に言ったら怒るかもしれないけれど、私からすると今の彼女は本物のうさぎよりも可愛くて、すでに撤去する意思は消え失せていた。というより、段ボールを持ち込まれた時点で予想はできている。
それでも口だけの抵抗を続けるのは、私まで何もかも「うさぎだから」で納得してしまったら、最後の人類までいなくなる気がするからかもしれない。
……改めて考えると、人間って何なのかしら……。
「見ての通り、私の部屋だってそんなに広いわけじゃないでしょ? こうして巣穴を造られても、掃除の時とかに片付けるかもしれないわよ」
「そんな〜……“私と奈緒の”巣穴なのに」
ぐっ。息が詰まる。
陽菜多は……昔からそういうところがある。意識せずに私を喜ばせてくれる言葉を吐き出して、でも次の瞬間には表情筋のないうさぎのごとく真顔になって、ぴたりと寄り添ってくる。
もしもこの子が人間らしい狡猾さをふんだんに備えていたのなら、今のも『効果的な巣穴設営方法』に見えるだろう。
けれど、こちらを見上げる赤い瞳には、夕暮れの光よりも混じり気がなかった。
「……私が戻ってくるまでに片しておくのよ」
「あっ、私はうさぎなので……人の言葉はちょっとわかんないですね……」
言ってなさい、とだけ伝えてから、私は実質的に諦めてお茶の用意に向かった。首をかしげながら素っとぼける陽菜多も可愛いと思ってしまうあたり、私はもう手遅れなのかもしれない。
もちろん、お茶を持ってきたときも段ボールはそのままだった。せめてもの抵抗として盛大なため息をついてみせたら、陽菜多は「人間はいつも疲れているウサねぇ」とこれまたすっとぼけていた。
「お菓子だけど、クッキーでよかった? 家庭科部のみんなと一緒に作ったものの余りだけど」
「もちろん、奈緒の料理にはずれはないからね。せっかくだし、奈緒も巣穴の中で食べようよ」
「それ、どう見ても一人向けに見えるんだけど?」
「大丈夫、奈緒は昔からスリムだし」
「胸を見てから言ったのなら、あとではっ倒すわ」
「私は奈緒くらいのサイズが一番きれいで好きなのに」
お茶と一緒にお菓子を差し出すと、陽菜多はうさぎらしくクッキーをかりかりし始める……かと思いきや、段ボールの隅っこへと身を寄せ、狭いスペースをぽんぽんと叩く。
その仕草に、子どもの頃の陽菜多が一瞬だけ重なった。あの頃の陽菜多は子うさぎを連想させる程度には小柄で、私もその頃であればあの段ボールに難なく収まっただろう。
変わったな、と思う。私も、陽菜多も。
「人間の社会はうさぎの私には騒がしすぎるからね、奈緒がいないと困るし寂しいよ」
「……都合のいい飼育係だからでしょ?」
あの頃に比べて大きく変わったのは、きっと私のほう。
陽菜多にとっては、昔と変わらない遊びなのかもしれない。けれど、あの頃には知らなかった感情を抱えているぶん、同じ狭さでも私にはまるで違って感じられた。
だからなのか、子どもの頃の記憶を忘れたくなくて、憎まれ口を叩きつつもその隣へ足を踏み入れた。
……やっぱり、狭い。私も陽菜多も太っているわけじゃないけれど、高校生として妥当な成長をしているだけあって、定員オーバーの段ボールがみしみしと悲鳴を上げるように少し変形する。
膝も肩も、逃げ場がないほどぴったり触れ合う。子どもの頃は気にも留めなかった近さなのに、今は触れた場所から鼓動を知られそうで落ち着かなかった。
「奈緒は今も昔も、私にとって一番大切な“巣穴”だよ。うさぎが人間社会で生きていくための、落ち着けるところ」
「……人間を巣穴に読み替えるとは、なかなか風流じゃない。その国語力に免じて、今日はこの巣穴の撤去を見逃すわ」
「うさぎ飛ぶ 夕暮れの闇 巣穴掘る」
「うさぎに俳句は早かったみたいね」
「全力の愛情表現だったのに、ひどいウサ」
野性味を感じる俳句に素直な講評をぶつけたら、陽菜多は口ぶりとは裏腹にご機嫌になった。多分、家庭科部渾身のクッキーのおかげなんだろう。
……陽菜多、本当においしそうに食べるわね。今度、自宅でも陽菜多好みにアレンジして、そして差し入れてみましょう。
カーテンから差し込む夕日に縁取られた横顔には、もう子うさぎの面影よりも、一人の少女としての美しさが勝っていた。
それに見惚れていたら「奈緒、顔が赤くない?」なんて言われたので、「夕日のせいでしょ」と自然現象に責任転嫁しておいた。




