第27話「巣穴カフェ開店」
ついに迎えた文化祭当日、私たちは準備を終えて、開催時刻を待つだけになっていた。
かつては空き教室だった部室を見渡す。そこに広がっているのは、それぞれの部員たちの巣穴をモチーフとした、巣穴カフェのブースだった。
壁際には四つの巣穴が並び、その前に人が食器を持ってすれ違える程度の通路を空けてある。教室の奥はカーテンで区切り、調理台と食器をまとめた簡易厨房にしていた。
三人の巣穴に交じって、私の二人用ブースも設置されている。それだけで、ようやく私にも……この群れの一員として、帰る場所ができたように思えた。
「みんな、今日まで本当によく頑張ってくれたね……先生はね、すでに感動で前がうまく見えないよ……! あと、準備はほとんど任せきりになってごめんね……!」
「先生、泣くにしては早すぎます……それに、必要な許可の申請とか、車の運転とか、裏側の仕事をたくさんしてくれたの、私たちは知ってますから」
「うんうん! ふうちゃん先生がいなかったら、あたしたちは今ごろ顧問すらいない、学校内の好きなところを寝床にする愚連隊になってたかもだから……先生、これからもよろしくね♪」
開店前、先生は最後の確認と激励のため、激務の合間を縫って私たちのところへ来てくれた。その言葉通り、到着早々に感動の涙を浮かべる様子に、この人がいなければ私たちの同好会は存在していなかっただろう。
星が口にした愚連隊は言い過ぎにしても、私は陽菜多が望むのであれば、学校の敷地内を無許可かつ穏当に使う方法くらいは調べていたかもしれない。そういう意味でも、先生がいてくれてよかった。
「そうだよね、泣いてばかりじゃいられないよね。それじゃあ、役割分担について確認を……まず、料理は主に森田さんが担当」
「はい。作り置きできるものはすでに用意していますし、電子レンジとかの教室でも問題なく使える調理器具も準備済みです」
「うん、ばっちり! 星さんは入口や接客担当だよね?」
「そのとーり! みんなのアイドル遥ちゃんが、客寄せまでばっちりカバーしちゃう☆」
「草野さんと如月さんは、配膳や片付けを担当。雑務が多い分野だから、二人で協力して頑張ってね!」
「お、お任せください! ケージの中を走り回るハムスターみたいに、人の10倍は働かせていただきます!」
「頼りになるけど、無理はしないでね。私も今日ばっかりは、巣穴にこもらずに頑張るよ」
先生の確認に合わせ、頭に詰め込んだ役割をなぞる。巣穴に求めるものが違うように、得意な仕事も違う。だから、この配置が最善のはずだ。
(……今日ばかりは、信じるしかないけれど。陽菜多、本当に……大丈夫?)
全員を見渡すふりをして、私は陽菜多の横顔を観察する。少なくとも今は、いつものような涼しげで愛らしい、うさぎらしい真顔だった。見惚れそうになる。
けれど、陽菜多は本来、こういうお祭りが好きじゃない。実家のパン屋はちょくちょく手伝っているけれど、その際はほとんどキッチンで作業しているように、多くの人がいる空間を好まない。
だからこそ、私は……この日になっても、「最悪の場合、営業中止もやむを得ない」と考えてしまっていた。
「みんな、これだけは言わせて……先生はね、何があってもみんなの顧問だから! どんな場所で巣穴を造ることになっても、先生はいつだってみんなの味方だよ!」
「先生、気持ちは嬉しいんですが……縁起でもないことを言わないでくださいよ。私たちの活動は、これからも続くんですから」
「うん、奈緒の言うとおり……先生や家庭科部のみんな、会長に副会長、みんなの家族に商店街の人たち……私たちを助けてくれたみんなのためにも、誰かのための巣穴になれるよう、頑張ります」
先生のありがたい──もちろん皮肉じゃない──訓辞を聞き終えると同時に、文化祭開催のアナウンスが響く。
そして星が「気合いを入れてこー!」なんて笑顔で円陣を要求してきたので、私は柄にもなく全員で手を合わせて、みんなと同時に鬨の声を上げていた。
*
「ありがとうございました! 巣穴カフェは、いつでも皆様の退路……あっ、間違えました! もう一つの帰る場所であり続けますので、またお越しください!」
如月は客からアンケートを受け取り、最敬礼のようなお辞儀で見送る。それと同時に陽菜多が片付けを始め、私はその様子を調理スペースから確認していた。
「うーん、まだ開店直後だから仕方ないけど……お客さん、ちょっち少ないかも」
「そうね……もともとこの部室は校舎の隅にあるから。入口付近の出店と比べたら、まだ焦るような段階じゃないわよ」
教室の外で客寄せをしていた星も戻ってきて、珍しく眉をハの字にしながらぼやく。事前に用意していたビラも配ってきたのか、いま持っているのは『史上初! 映えまくり! 巣穴カフェはココ☆』なんてでかでかと書かれた看板だった。添えられたイラストのうち、うさぎとハムスターは可愛い系なのに、カニだけは妙にリアルだ。
そんな努力の痕跡を見ていると、普段のようにツッコミを入れる気にはなれない。かといって、私も余裕を感じているわけじゃなかった。
「奈緒、片付け終わったよ。やっぱり、ちょっと不安?」
「……いえ、大丈夫よ」
「ふふ、小さな頃と同じだ。奈緒、心配してるときは髪をいじる癖があるから……そういうときは、素直に教えてよ」
「……幼なじみって、隠し事ができないのね」
陽菜多に言われて、気付く。私は無意識のうちに自分のサイドテールを撫でていて、その先端を指先でもてあそんでいた。
陽菜多はその様子を優しい微笑みで見守ってくれていて、そのまま一緒に片付けを手伝ってくれる。簡易的な調理スペースの奥にある物置用の区画には、みんなが普段使っていた巣穴も折り畳んで収納されていた。
……それを見ていると、私のほうが巣穴が恋しくなってしまうのは、どうしてなのかしら。
「陽菜多こそ、無理をしてないの?」
「まだ人も少ないし、全然。みんなも頑張ってるんだから、私だってちゃんと働かないと」
「……陽菜多は私と違って表に出さないから、こっちが不安なのよ。余計な心配だと思ってる、でも、私は」
「はい、ご新規様二名ー! カワイイカワイイうさぎにハムスターちゃんたち、おもてなしの時間だよー!」
「わ、本当に段ボールの巣穴がある……家庭科部の人たちが言ってたこと、本当なんだ!」
「ていうか、クオリティすごっ。どの巣穴にしようか悩む〜」
その時、妙にテンションの高い星の声が教室に響き、カーテンをめくって確認すると、他校の生徒と思しき二人組が来訪していた。
その口ぶりから、私たちはまたしても家庭科部に助けられたことを悟る。陽菜多もそれをわかっているのか、私と目を合わせてくすぐったそうに笑った。
「席の説明と案内は如月がするから、陽菜多は飲み物の準備を。オーダーは私が取ってくるわ」
「ううん、また別のお客さんが来てくれたみたい。だから、私も案内に出てくるよ」
陽菜多は巣穴からジャンプするように、軽やかな足取りでカーテンの向こうへと飛び出していった。その後ろ姿は、縄張りを守ろうとするうさぎのように頼もしい。
私はやっぱり、過保護すぎるのかもしれない。そう思って自分の仕事に専念しようとしたら、また新しい来客を告げる声が聞こえてきた。
*
「コラボメニュー、めっちゃよかったです! 巣穴も秘密基地みたいで最高でした〜」
「お、恐れ入ります! うへへ、脱出口を気に入ってもらえて光栄です……!」
如月がアンケートを受け取りつつ客を見送る傍ら、陽菜多はぴょこぴょこと飛び跳ねるようなスピードでブースの片付けをおこない、注文の声に反応するようにオーダーを取りに行っている。
切り分けた橙色のパウンドケーキは、皿へ載せたそばから運ばれていく。戻ってきたトレーの横には、「小さな頃に作った秘密基地みたい」「料理が本格的でおいしかった」と書かれたアンケートが重なっていた。
かつては入口での呼び込みがメインだった星も、今は教室での仕事をちょくちょく手伝っている。私は人間として調理に専念しているけれど、何もかもがぎりぎりに感じるくらい、お客さんは増えていた。
「奈緒ちゃん、これお願い! うーん、まさか家庭科部とのコラボメニューがこんなにも好評になるだなんて……」
「それだけじゃないわ。このアンケートを見てほしいんだけど……『文化祭は人が多すぎるから、こういう場所で休めるのが嬉しい』みたいな意見が多いのよ。お祭りの中にある巣穴が、ちょうど一息つける場所としてマッチしたのね」
星が持ってきた食器を片付けつつ、私はアンケートの束を確認する。そこに書かれている内容は、通販サイトであればサクラを疑いそうになる程度には好評ばかりだった。
それは口コミを通じてさらに広がっていき、巣穴カフェだけでなく、家庭科部のレストランの集客にもつながるという、驚くほどの好循環を生み出していた。
(……この調子でいけば、教室の継続使用が許されるくらいの評価は得られるかもしれない。だけど)
パウンドケーキを切り分けつつ、私は不安になるほどの盛況に胸をざわつかせていた。天敵に巣穴を狙われる草食動物の気持ちは、これに近いのかもしれない。
カーテンの隙間から、ブースの様子を窺う。どの巣穴にもお客さんが入っていて、普段は巣穴に入る側の私たちは、その外で食べ物と飲み物の運搬に終始していた。
さらには待機列までできていて、自分で片付けている食器の音に混ざり、様々な話し声も聞こえる。それはまさに、あの子が苦手とする騒がしさそのものだった。
「……奈緒。クッキーの紅茶セット、二つ……お願い」
「……陽菜多。あなた、顔色が……」
その時、陽菜多が注文票を片手に調理スペースに入ってくる。その顔は、見るからに憔悴していた。
普段の彼女であれば、こうなる前に巣穴へと入っていた。それは単なる逃避じゃなくて、陽菜多が自分なりに外で生きていくための、食事や睡眠に並ぶほど欠かせないものだったのだ。
気付いたら私は手を止め、如月に調理の応援を頼む。そして物置区画の空いた一角に、小さめの段ボールを組み立てていた。
「陽菜多、ここで休みなさい。今は出入りが多すぎて、疲れるのも仕方ないわ」
「ううん、私は……」
「……言い方を変えるわ。私のためにも、ここで休んでほしいの。お願いだから」
「……奈緒は、ずるいね。うさぎを狙う、狼みたい」
私はふらふらする陽菜多に肩を貸して、彼女が作ったものに比べてお粗末な巣穴へと運ぶ。それでも陽菜多は、すっぽりと収まって長く息を吐いた。
本当なら、ちゃんとした巣穴……自分で作った、自分のための帰るべき場所で休ませてあげたい。でもそれは、今はほかの誰かによって使われていた。
巣穴を守るために、その持ち主を巣穴の外へ追いやるなんて……私には、できなかった。
「……もう十分よ。たくさんの人が来てくれて、アンケートも集まった。営業をやめても、最悪の結果にはならないと思うわ」
だから営業をやめることは、陽菜多のわがままじゃない。誰も悪くないと信じているけれど、強いて言えば……私のエゴだ。
だから私は、自分で責任を持ってそれを提案した。陽菜多はいつも私の気持ちを優先してくれたから、きっと頷いてくれると思ったのに。
「……奈緒は優しいね。狼っていうよりも、やっぱりゴールデン・レトリバーみたい」
陽菜多は首を横にも縦にも振らず、弱々しい笑顔を私に向けるだけだった。
その雪うさぎみたいな儚さに泣きそうになる。でも、昔みたいに泣くだけの私じゃない。
私はただ、この子のそばにいたい。だから幼い頃の陽菜多がしてくれたように、狭い段ボールの中で彼女に寄り添うため、私も巣穴へと入った。




