第26話「期待と不安って表裏一体だよね」
「失礼する、見回りに来たのだが……うむ、ちゃんと企画書通りに取り組んでいるんだな。正直に言うと、今も『巣穴とカフェって何なんだ?』という疑問はあるんだが……」
「うふふ、海さんはこんなふうに言ってますが、ずっと前から『生物進化研究会は大丈夫だろうか』なんて心配してたんですよ〜」
「会長! 個人的な会話内容の漏洩はやめてください! 私は特定の部活動に入れ込むようなことはしてませんからね!?」
文化祭開催も目前となったことから、生徒会の見回りも強化されているらしい。今日は生徒会長と副会長のコンビが直々に見て回っているようで、私の背筋も自然と伸びた。
……といっても、生徒会長は到着早々に「あっ、これが巣穴なんですね……お昼寝スポットとして大変興味深いです」とブースに歩み寄り、試用と称して昼寝しようとした。もちろん、副会長が「まだ見回りが終わってません!」と首根っこを掴んで止めたけど。
陽菜多と星、如月は最後の調整に余念がないのか、生徒会への挨拶はしたものの、全員が巣作りに夢中だった。だからこそ、飼育係の私が丁重に対応しなくてはいけない。
「大丈夫です、ちゃんと問題なく進めています。部長として安全確認も怠っていませんし、みんなもその辺はしっかり配慮していますので」
「まあ、その辺は過剰に心配しているわけじゃない。ただ、食事も提供する以上、衛生管理も今以上に気をつけてもらいたいが……その辺も大丈夫か?」
「そこは心配ご無用ってね! モリリンは家庭科部でも『シンクの研磨職人』なんて言われてるほどぴかぴかにお掃除してくれるんすよ!」
「森田さん、コラボメニューの完成品を持ってきたよ。生徒会長さんたちも、ちょっと試食してもらえますか?」
生徒会がもっともな懸念について聞いてきた直後、家庭科部のメンバーたちが偶然にも試食品を持ってやってきた。生徒会長が真っ先に反応する。
トレーの上に乗っているのは先日のクッキーやパウンドケーキをさらに改良したもので、小麦や野菜の甘く焼き上がった香りが教室に広がっていく。
「わ、これは嬉しい差し入れです……うん、野菜なのにお菓子って感じの、上品でさわやかな甘さ……うふふ、こういう役得があるからこそ、見回りは面白いんですよね」
「役得がなくてもちゃんと見回ってください……とはいえ、これはおいしいな。それにあの家庭科部のお墨付きだ、ひとまず大丈夫だろう……報告書は頼むぞ、森田さん。そして、やるからには真面目に、後悔がないようにしなさい。結果はどうあれ、同好会を解散する必要はないのだから」
「研磨まではした覚えがないんですけど……ありがとうございます。衛生管理についてもまとめておいて、きちんと提出しますので」
やっぱり、おいしい食べ物というのは交渉や説得にも役立つのかもしれない。
副会長までもが差し入れに表情を緩ませて、私は内心で胸をなで下ろす。ふと家庭科部の二人に視線を向けると、二人は私にウィンクしてくれた。
「奈緒、私たちも食べていい? 巣穴の調整もだいたい終わったし、一休みしたい」
「もちろんだよん! 当日は家庭科部も巣穴カフェの宣伝をしまくるから、うさぎパイセンたちも家庭科部のPRをよろしくぅ!」
「オッケー、任せて☆ SNSでのバズりに慣れている遥ちゃんにかかれば、歴代最高の客入りも狙えるよ!」
「あはは、頼もしいね。森田さん、当日もなにかあったら遠慮なく言ってね。家庭科部は、生物進化研究会の味方だから!」
「ありがとう……私たちはこれからも、家庭科部が力を貸してくれたこと、絶対に忘れないわ」
陽菜多たちも甘い香りに釣られたのか、巣穴から出てきて差し入れを食べる。如月だけはまだ家庭科部の人たちに慣れていないのか、最初だけ遠慮していたけれど、クッキーを一口かじるだけで目を輝かせ、「おいしいれふぅ……」とほっぺたも膨らんだ。
私たちの同好会には、こんなにも優しい人たちが力を貸してくれる。だからこそ、きっとうまくいくと信じなきゃダメなのに。
私は家庭科部や生徒会に笑いかけながらも、その笑顔が不自然に見えないことを祈っていた。
*
「奈緒の巣穴、いい感じだね。たとえるなら……仲良しの犬とうさぎが一緒にお昼寝できるスペースって感じ」
「たとえというより、そのままね……ほとんど陽菜多に作ってもらったけれど、嬉しいわ」
「ぷぅぷぅ。奈緒の設計がよかったんだよ、きっと」
生徒会や家庭科部が帰ったあと、私たちは文化祭の準備もほぼ終わったので、“当日に向けた居心地チェック”をおこなっていた。
……まあ、『自分たちが作った巣穴で休んでみたい』という本音も多分にあるのだけど。星と如月も自分の理想を詰め込んだブースをチェックしつつも、すっかりくつろぎモードになっていた。
ちなみに私たちは、『自分たちで作った巣穴の最初のお客さんになる』という約束を果たすべく、一緒の巣穴で過ごしている。それは私が先日設計した、犬が喜ぶふかふかのベッドをモチーフにしたものだった。
「設計といっても、陽菜多の巣穴がベースだから……それを二人用にして、座り心地を犬用のベッドに近づけただけよ」
「でも、ここは奈緒が望んで生まれた。奈緒がここで一休みしたいって思えたのなら、その心地よさがほかの人に伝わって、そして私たちの巣穴がここに存在し続ける理由になれば嬉しいよ」
陽菜多が巣穴カフェ向けに用意したブースと私が設計したブースは、かなり似通っていた。主な違いは、二人で座ることを前提とした広さと、ゆっくり過ごせるよう改良した床だろうか。
この床には厚みの違うクッション材を重ね、腰を下ろすと体がわずかに内側へ沈む。二人で座れば、意識しなくても肩が触れるくらいの幅だった。
その一方で、二人きりになるための目隠しも、落ち着いて過ごすための薄暗さも、陽菜多の巣穴から受け継いでいる。だからこそ、私は多少の自画自賛を差し引いても、この場所が好きだった。
同時に、ここで陽菜多と過ごすほど、奪われる不安が大きくなっていく。
「……奈緒、怖いの?」
「……ええ。もしも来場者が全然来なかったら、活動実績を示せずに……ここがなくなっちゃうから」
そして……その先は、言葉に出さなかった。
人に来てほしい。けれど、陽菜多を騒がしさの中へ追いやりたくない。どちらかを守ろうとするたび、もう片方から手が離れそうだった。
陽菜多が寄り添ってくれていなければ、今ごろは声を出して泣いていたかもしれない。
(……私は、陽菜多を守りたい。けれど、陽菜多のためだと勝手に中止を決めることもできない……私は、どうすればいいの?)
今からでも遅くない、巣穴カフェは中止すべきだ……そんな囁きが心の暗がりから聞こえてくる。
きっと陽菜多は、そんな私の醜い感情ですら感じ取ってしまう。だから震えを自分の中に押さえ込もうとして、陽菜多もまた、同じように小さく震えていることが伝わってきた。
陽菜多は私を否定しない。もしも、中止を実行したとしても。
彼女はただ、私の感情を共有し続けてくれていたのだ……今も昔も、変わりなく。それならやっぱり、私は。
「うんうん、わかるよわかるよ〜。期待と不安は表裏一体、うまくいくって期待しちゃうからこそ、そうじゃなかったときのことを考えて不安になる……遥ちゃんにもそういう経験、あるよ!」
「わ、びっくりした」
「ううう、なおひなに挟まるだなんて言語道断なのはわかっているんです……けれど、私たちもここの一員ですから、どうしてもお伝えしたいことがありまして……」
「よ、余計な気は遣わなくてもいいわよ! まもなく本番なんだから、言いたいことがあればはっきり言いなさい!」
私たちだけの薄暗い世界を照らす光が、どこか能天気な声と一緒に降り注ぐ。
でも、陽菜多との時間を邪魔されたとは思わなかった。それは多分、私にも「ここは私と陽菜多だけの場所じゃないから」という、ささやかで、でも大切な、決して失ってはいけない理性があったからだろう。
陽菜多もまた、星と如月を見る目は優しかった。それは、同じ巣穴の仲間を見つめるような双眸だった。
「……私、ここに来るまでは……いつも隅っこにいて、怯えていたんです。そのくせ、誰かに頼ることもできなくて……一生このまま、人間にもハムスターにもなれない、誰にも認識されない存在として生きていくしかないと思っていました」
「……如月」
「でも、ここにいる皆さんは、そんな私を迎えてくれました。それだけじゃなくて、人間としても、小動物としても、ちゃんと見てもらえてるってわかるから……だから私、文化祭からは逃げません。あっ、それが終わったら、またどこかに逃げ出すかもしれませんけど……で、でも! 私の巣穴はここで、どこに逃げたとしても、必ずここに戻ってきますから……だから、ここがなくなってほしくないです」
かつては目を合わせて会話することも難しかったハムスター少女は、自ら巣穴の外へ踏み出すように、まっすぐ私たちを見つめて思いを伝えてくれた。
その小さな体に詰め込まれた思いは、こんなにも大きく、そして温かかった。きっと、その両頬に抱え込んだものが大きかったからだろう。
「うーん、睦美ちゃんにいい感じの言葉を取られちゃった感じもするけど……あたしもここが大好きだよ! そして、ここにいるみんなはもっともっと大好き!」
「星さん……」
「だからさ、仮にこの部室が取り上げられちゃったとしても……あたしたちは生物進化研究会のまま、別の場所へ移動しちゃえばいいんだよ! んで、移動先でまた怒られたら、あたしたちもまた別の場所に巣穴を作って……そうやって、移動式の巣穴で暮らすのも面白そうだよ! だってカニは、いろんな環境で生きていられるからね!」
ただうるさいだけだと思っていたカニ少女は、今や私たちを照らす夏の太陽みたいな存在になっていた。ちなみに私は、暑いのが嫌いだけど。
……それでも、口元は自然と笑っていた。失笑に近いけれど、それでも、ただただ暗いよりは……よっぽど素敵な感情に思えた。
「……それじゃあ部活というよりも、群れの大移動ね。しかも、種族もてんでバラバラ。うさぎ、カニ、ハムスター、人間……ノアの箱船じゃないんだから」
「ふふふ、本当だ……私たちの巣穴、こんなに賑やかになってたんだね。奈緒、どうする?」
本当なら賑やかなのを苦手としていた陽菜多は、星と如月に優しい笑顔を向けていた。これまではそれを独り占めしていた私は、ちょっとだけ悔しくもあるのだけど。
でも、私も笑ってやった。きっとこんな混沌とした船の操舵ができるのは、私だけだろうから。
「決まってるわよ……巣穴カフェを成功させて、ここに居座ってやるわ。そのために、みんなが頑張ってくれたんだから」
「んーふふ、その言葉が聞きたかったっ! 船に揺られるのも楽しそうだけど、今はここを守らなきゃね♪」
「で、ですね! 私は皆さんと違って環境の変化に弱いクソザコ小動物なので、何としても守らなきゃ……!」
「……頑張ろうね、みんな」
不安はある。それは当日も、きっと変わらない。
だとしても、その不安を私と陽菜多だけで抱える必要はない。ここにはうさぎと人間だけじゃなくて、カニにハムスターまでいるのだから。




