第25話「奈緒(のそういうところが)、好きだよ」
「陽菜多ちゃん、いらっしゃい。今日は奈緒と探し物をするのよね? それが終わったら、夕飯を食べていってね」
「はい、いつもありがとうございます。これ、うちの両親からです。みんなと一緒に食べてください」
私の家へ着く頃には夕焼けの赤も薄れ、空は青みを深めていた。どこか寂しい色なのに、陽菜多と繋いだ手の温かさが、その寂しさの入り込む隙間を塞いでくれていた。
陽菜多は帰る途中で受け取った食パンをお母さんに渡し、うさぎらしい小さなお辞儀をしてから、私と一緒に物置となった空き部屋に向かう。さすがに手は離していた……名残惜しいけど。
「ここが物置よ、確かこの部屋にあったはずなんだけど……」
「お邪魔します……すごく整理整頓されているね。なんというか、奈緒とおばさんらしいって思う。うーん、ここにも巣穴を作りたくなってきた」
「ダメとは言わないけど、うちに来るときは私の部屋の巣穴を使っていいから、その……な、なんでもないっ」
「ふふ、ありがとう」
空き部屋のドアを開くと、スチールラックや本棚に出迎えられた。さらには押し入れもあるし、普段からお母さんが掃除もしているため、ほこりっぽさはない。
陽菜多も鼻をすぴすぴさせているけれど、くしゃみや咳をしないことが、信頼できる衛生環境の判定となっている。それにものが多い分だけ薄暗いことから、陽菜多は本能的に段ボールを探していた。
……でも、我が家に巣穴を増やすということは、その分だけ私の部屋の巣穴を使う時間も減りそうで、つい「同じ家にいるときは、そばにいてほしい」なんて本音を漏らしそうになった。今日の私は、いつも以上に陽菜多へ甘えたいらしい。
それでも意地を張ってみたら、陽菜多は優しく見透かすように微笑んだ。
「いいから、さっさと探すわよ。多分だけど、押し入れに入れたような気が……」
「あの棚の隙間……うむ、実にいいね。段ボールなしでも落ち着きそう」
「入っちゃダメよ。今は探し物に集中なさい」
「入らないよ、見てるだけ。うさぎの本能をここまで引きつけるなんて、やっぱり奈緒の家族は配置のセンスがいいね」
「入ろうとした前科があるの、忘れていないわよ? ほら、今はその前脚を穴掘りじゃなくて探し物に使いなさい!」
どうやらここは、穴掘りをするうさぎにとっては魅力的なレイアウトらしい。陽菜多に褒められて悪い気はしないけれど。
とはいえ、狭い場所を見つけた陽菜多は理性よりも本能を優先する傾向があるから、さりげなく手を掴んで引き寄せる。注意するふりをして実益も取る私のほうが、むしろ本能に正直かもしれなかった。
「ええと、まずはこれを外に出して……」
「奈緒、押し入れ掘りなら私に任せて」
「あんたに任せるとそのまま押し入れに入りそうだから、棚の整理をしてなさい……あ、見つかったわ」
私は押し入れを開き、そこに顔を突っ込むようにして荷物を取り出す。そして“それ”は、思いのほかあっさりと見つかった。
今となっては頻繁に使うものじゃないのに、取り出しやすい場所に入れていたあたりから、私を含めて家族は犬好きなのだと再確認した。
きれいに洗ってしまったはずなのに、縁の一か所だけは、あの子がいつも顎を乗せていた形にへこんでいた。
「これが……奈緒のワンコが使っていたベッドなんだね」
「……ええ」
陽菜多と一緒に『犬が喜びそうなふかふかのベッドがある巣穴』を作ろうと考えた結果、私たちはこれを探すことにしたのだ。
写真だけでいいなら、ネットにたくさんあると思う。あるいは、ペットショップに向かって別のものを調達してもよかった。
だけど私たちは深く打ち合わせたわけでもなく、自然と『あの子が使っていたベッド』を確認したいと考えていた。いいや、そう考えたのは私で……陽菜多は、無言でそれを察してくれたのだろう。
その優しさとあの子の思い出が、一気に私の頭の中を巡る。どちらもあの子の毛並みみたいに柔らかくて、温かくて、ベッドのへこんでいた部分を撫でた私は、感情を堪え切れなかった。
「……ご、ごめんなさい、少しだけ、待って」
「奈緒」
じんわりと、涙が浮かんできた。あの子が旅立ってから、もう十分すぎるほど時間が経っていて、今の私には家族や陽菜多たちもいてくれるのに。
そうだとしても、決して埋まらない寂しさがあった。それこそがあの子との思い出で、私はこれを手放したくない。手放さないからこそ、忘れずに済むのだから。
そして私にはやらないといけないことがあるから、必死に堪えようとしたけれど。陽菜多は私の名前を呼んで、そっと体を寄せてきた。奇しくもそれは、あの子がしてくれた方法と同じで……同時に、幼い頃から陽菜多がしてくれたことでもあった。
「……ほ、本当に大丈夫だから。今日は、いろいろあったから……私、おかしくなったんだと思うの」
「奈緒、好きだよ」
「………………え?」
陽菜多が隣にいてくれるだけで、私は寂しさを抱えたまま前を向ける。陽菜多はどんなときだって、私をありのままでいさせてくれた。
だから、大丈夫。私はずっと、あなたのことを忘れない……あの子のベッドに心の中で語りかけていたら。
陽菜多は私に対して頭を擦り付けながら、「私は葉物野菜が好き」とでも語るような自然体で、私が待ちわびていたであろう言葉をつぶやいた。
そのまま少しのあいだ、物置の中は静止していた。陽菜多は完全に固まった私なんて意に介さないように、すりすりと頭を引っ付けてくる。その度に、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。
「そういう、思い出をずっと大切にできるところ。だから、おかしくなんてないよ」
「………………そ、そうよね! わかってたけど!? 別に? 好きとか? 言われても? 悪い気はしないけど?」
「ぷぅぷぅ。奈緒はいつも可愛いね」
……そうだった。陽菜多は、こういう子なのだ。
陽菜多はきっと、私のことが好き。でもそれは私のようにこじらせた愛情とは異なる、草原を一直線に駆け抜けるような、うさぎらしく素直な好意なのだ。
それが嬉しいと思う。いつも通り鼻を鳴らして微笑む様子もきれいだと思う。そう、全部当たり前のことで、特別なはずがないのは分かり切っていたのに。
それでも片付けの手が鈍ってしまう程度には、私はがっかりしていた。というよりも、なんでここに来たのかしら……それすら見失ってしまいそうだった。あの子も天国で苦笑していることだろう。
「ったく、紛らわしい言い方しないでよ……てっきり、私は……って、何を言わせようとしてるのよ!?」
「私、まだ何も言ってないよ?」
「あんたはもっと自分の見た目と性格の良さを自覚しなさい! 下手なことを言うと、すぐに周囲を勘違いさせるんだから……」
「……私、こういうことは奈緒にしか言わないんだけど……まあ、奈緒ならそう言うよね。そういうところも『好き』なんだけど」
「……も、もう騙されないからっ」
「人聞きが悪いウサ……」
……陽菜多って、私がいなかったら……今ごろ、何人の女の子をたらし込んでいたのかしら……。
陽菜多はやっぱりぷっぷっと笑いながら、もう一度意味深なことを口にして、ようやく片付けを再開した。
もしも私が臆病でなかったら、今すぐその言葉の真意を尋ねられたけれど。それができる人間ならば、きっと私から告白していた。
だからうやむやにされたことにちょっとだけ感謝して、私たちは夕飯に間に合うよう、黙々と片付けを続けた。その様子を、あの子のベッドが優しく見守ってくれていた。
*
「やっぱり、奈緒の巣穴も作ろうよ。こうしているとさ、もっと強くそう思えるんだ」
「……そうね。陽菜多だけじゃなくて、あの子も感じられる場所……大切な人と一緒にいられる巣穴なら、作ってみてもいいかもね。あ、大切って、そういう意味じゃ……!」
「大丈夫大丈夫、うさぎにはすべてお見通しだから」
夕食後、陽菜多が我が家に泊まることも決まってから、私の部屋で二人過ごしていた。
あの子のベッドを枕にして、二人並んで寝転がる。その寝心地は「あの子もこんな気持ちだったのかしら」と思えるほど、柔らかな感触だった。
「私の巣穴は……多分、“こういう感じ”だと思う。二人で過ごせる場所だけど、星の巣穴とは少し違って……本当に大切な人とだけ過ごせる、帰ることができる場所。だから……巣穴カフェにも、そういう二人用の席を作ってみたいの」
「いいね。それなら、最初のお客さんは私と奈緒で決まりだね」
「ふふ、職権乱用ね。予約枠を真っ先に押さえるなんて」
「うさぎは身勝手なところもあるからね。大切な人のことは、独占したくなっちゃうから」
先ほどのように、過剰に照れたりしない。むしろ、軽口の応酬もできるようになっていた……顔は破裂しそうなほど熱いけど。
陽菜多の言葉に、私は考える。誰かと一緒に過ごせる席であれば、まずは星の巣穴と差別化しなくてはいけない。となると、陽菜多の巣穴みたいに目隠しを作って、あの子のベッドみたいにふかふかな座り心地にして……。
ああ、いいな。無性にそう思える。それこそが、『私にとっての巣穴』なんだろう。
それからも私たちは夢物語みたいな会話を続け、眠くなってから一緒にベッドへ向かった。
そして私は本当の夢を見る。そこでは陽菜多だけじゃなくて、あの子もいて──




