第21話「私たちの巣穴はここにある」
「奈緒、早く早く。今の私なら、巣穴を五秒フラットで展開できそうだよ」
「ちょっと待ちなさい、今日の押しの強さは何なのよ……というか、本当に五秒で段ボールを展開できるのなら、うさぎよりも通販サイトのピッキング担当を目指したほうがいいんじゃないかしら……」
「うさぎに長時間の荷物運びはつらいウサよ……」
部活終了後、私は陽菜多のおねだりを受け入れて、自宅へと帰ってきていた。もはや私の家族にとっての陽菜多は『我が家を寝床にした地域うさぎ』くらいの扱いで、お母さんは「今日の夕飯は食べていくの?」と当たり前のように尋ねてきた。
妹と弟は「あとで一緒に遊ぼう」と誘ってきて、陽菜多はそれを快く受け入れるように、二人の頭を撫でていた。その様子だけを見るといいお姉さんだけど、私の前だと変わらない、甘えん坊な子うさぎとしての側面が強い。
普段なら普通に可愛いと思えるのだけど、今日は少しだけ、その甘え方にもやもやする。
「……ねえ、陽菜多。あなた、やっぱり自分の巣穴を人に見せるのは」
「よっこいしょ、巣穴の設置完了」
「って、本当に早いわね!? 一瞬目を離しただけなのに!」
「だって、奈緒も展開しやすいようにきれいに畳んでくれているし。しかも部屋の隅っこをちゃんと空けてくれているから、この巣穴の設置は二人の共同作業みたいなものだよね」
うぐっ。大事なことを尋ねようとしたのに、陽菜多が口にした『共同作業』という単語に息が詰まる。
彼女に恋をしている私が、その言葉から『恋人』や『夫婦』を連想するのなんて、小説に出てくるツンデレヒロインの動作を予測するよりも簡単だった。
……私はツンデレじゃないけれど。カニ女にどれだけ指摘されても、それは認めなかった。
「さあさあ、奈緒も私たちの巣穴に入ってよ」
「私は人間で、自分の巣穴を作った覚えはないんだけど……」
「これまで私が作ってきた巣穴は、ほとんどが二人用だと思っているよ。少なくとも、奈緒が一緒に入ってくれた巣穴は二人で作ったものだって信じてる」
「……ちゃんと入るから、そういうずるい言い方、やめて」
「ウサ……いつも思っていることを口にしただけなのに」
「なおのこと、ずるいわよ」
段ボールの中で待ち続ける陽菜多はいつも常軌を逸した可愛らしさだったけど、今日はとくに……一歩間違えばあざとさすら感じてしまいそうなほど、私を喜ばせることを言ってくれる。
そして陽菜多に意図的なものなんてなくて、野菜を見つけたら駆けつけてくる草食動物のように、実際に考えていることを口にしただけなのだろう。
……私、いつか陽菜多と離れ離れになる期間ができたら、耐えられるのかしら……好きという気持ちは人を強くする以上に、弱くしてしまうような気がした。
「むふー……やっぱりここはいいウサねぇ。学校の巣穴も気に入っているけれど、私と奈緒だけの巣穴は採れたてのレタスみたいな特別感があるよ」
「特別なようでいてそうでもないように聞こえるんだけど……学校の巣穴とは、そんなに違うものなの?」
「学校の巣穴はね、最初は安全な場所で奈緒を待つための、自分が逃げ込むだけのものだったの。だけど、同好会として活動するようになってから、だんだんと変わっていったんだ」
狭い巣穴の中で、陽菜多はいつも以上にぴったりと引っ付いてくる。この狭さがただの窮屈さじゃなくて、好きな人と寄り添える場所だと思うようになったのは、いつからだろう?
陽菜多はまどろみの中で過去を慈しむように、柔らかく目を細めながら、それでも静かに言葉を紡ぎ続けた。声が出せないはずのうさぎが歌うような様子に、私は異世界でも旅をしているような気持ちになった。
「今では星さんや如月さんがいて、先生もいてくれて、みんながいつも見守ってくれる巣穴になった。だから、もしもあそこの巣穴を誰かに貸し出したとしても、それは『私たちのものじゃなくなる』とは心配しなくていいと思う」
「……陽菜多って、私の考えていることにすぐ気付くのね。ほんと、自分の単純さが嫌になるわ」
「奈緒だって、私のことをいつも考えてくれているでしょ? だから私も同じ、ちゃんと奈緒のこと、ずっと考えているから」
自分の中の『陽菜多が好き』という気持ちが、今日はとみに暴れている。もしも私が野生で生きる肉食動物だった場合、本能に任せて陽菜多に飛びかかっていたかもしれなかった。
自分の心臓がうるさい。けれど、静まる気配は少しもなかった。耳がいい陽菜多は、きっとこの暴力的な鼓動を聞き取っているだろう。
それでも陽菜多は、私の肩に頭を預けたまま。目を閉じて語る声は、狭い巣穴の内側へ静かに染み込んでいった。
「でもね、ここの巣穴だけは違う。ここは私と奈緒だけの場所で、ほかの人に見られたり、使われたりしたくないって思う。ううん、巣穴だけじゃなくて……奈緒の部屋自体、奈緒の家族と私以外には見せたくないかも」
「……んふ……んんっ、い、今のは、馬鹿にしたわけじゃないの。その、あれは……」
「ふふっ、わかってる。うさぎはね、大切な人のことはいつも観察してて、何を思っているか感じようとする生き物だから」
うさぎというのは存外、独占欲が強い生き物なのかもしれない。そして私は、陽菜多にそう思われることが……嬉しかった。
人によっては、束縛されていると思うだろう。先ほどの陽菜多の言葉を律義に守ったら、これからの私は、自分の家族と陽菜多以外をここには入れられないのだから。
……それは陽菜多の恋人というよりも、所有物みたいで。彼女の物になった自分を想像すると、ぴりぴりとした熱が全身を駆け抜け、そのこそばゆさに変な声が漏れてしまった。
だけど陽菜多は、微笑んでいた。
「それを確かめるために、今日は奈緒の部屋に行きたかったの」
「この前だって、私の部屋で眠っていたじゃない。あれだけじゃ足りなかったの?」
「うん、足りない。だって今日は、奈緒がとくに不安そうな顔をしてたから。奈緒が安心できるまで、私は何度でもここに来るよ」
「……本当に、気の利くうさぎね。今度お礼に、野菜たっぷりのベジタブルサンドイッチを作ってあげるわよ」
「やったウサよ」
昔、泣いていた私を巣穴に連れていってくれた陽菜多も、同じ気持ちで接してくれていたんだろう。それはわかりきっていたことなのに、口にしてもらえるとどうしようもなく嬉しくって。
私は自分から、陽菜多へと頭を擦り付けた。陽菜多からしてもらうのに比べると、珍しい行動かもしれない。もちろん陽菜多は、同じようにすりすりを返してくれた。真っ白でふわふわの髪は、いつも私を優しく包んでくれる。
「……念のために聞かせて。無理、してないわよね?」
「してないよ……ううん、ちょっと違うかな。これまで自分の巣穴をたくさんの人に披露したことがなくて、それがどんなふうに感じるのか、まだ想像できていないのかも」
「それもそうね……じゃあ、巣穴カフェとして提供することへの不安は?」
「ないとは言わないけど、ここで不安に負けて巣穴に引っ込んじゃうと、私たちだけじゃなくて、みんなの巣穴もなくなっちゃうから。外敵に追いつめられたらうさぎも牙をむくように、ここは踏ん張るつもり」
「頼もしいわね、草食の小動物とは思えないくらいには」
それでも心配性な私は、念入りに聞いておく。こういうところが『過保護』なんて指摘される理由かもしれない。
そして陽菜多の答えは正直で、だからこそ、私は完全に安心したとは言わないけれど。
陽菜多が望んでそうするということがわかっただけでも、前を向けた。今広がる景色は見慣れた自分の部屋だけど、文化祭当日の部室には、どんな光景が広がっているんだろう?
「んっ……くすぐったいよ。あはは、奈緒もちゃんと誰かに甘えられるようになったんだね」
「どこぞのうさぎの世話を焼いていたら、似てきたのかもしれないわ。まったく、あんたと一緒にいると、犬派の私までうさぎになりそうよ」
「むふふ、これもうさぎ仲間を増やすための戦略だから。ぷぅぷぅ♪」
嬉しそうに鼻を鳴らす陽菜多の横顔には、とても無邪気な笑みが浮かんでいた。だからこそ、私はとくに信じていない神様にも祈りたくなる。
どうかこの子が、文化祭の日もこうして笑っていられますように。もっと強欲でも許されるのなら、一生、同じように、私の隣で笑っていられますように。
七夕でもないのに私は願い事を続けながら、ずっと陽菜多に甘えていた。




