第19話「巣穴にも進化先があるよ!」
「おかえり、二人とも! 昨日に比べて……さ〜て〜は〜? んふふ、ついに飼育係とうさぎさんの関係から卒業しちゃったり?」
「ただいま……その顔やめなさい。言っておくけど、私も陽菜多も遊んでたわけじゃないわよ」
「うん。私、この町にあるいろんな巣穴を巡っていたの。みんながここを守ってくれて、そして待っててくれているって信じていたから」
「そんな、うさぎ先輩……私こそ、森田先輩に生意気なことを言ってしまって……で、でも、なおひながもっと仲良くなってる姿は眼福です……!」
翌日の放課後、私たちは二人で部室に顔を出した。
星は同じクラスなので朝から顔を合わせていたのだけど、わざわざ先に部室へと向かい、こうして迎えてくれる様子には、さすがの私でも素直に応じるしかなかった。これで余計な一言とにやついた顔がなければ、もうちょっと愛想よく返事ができたのに。
だから「如月さん、奈緒とケンカでもしたの?」と陽菜多が首をかしげていたら、私は「如月は背中を押してくれたのよ」と教えることができた。
……相変わらず、小声で変なことを言う癖は直っていないんだけど。如月の中だと、『奈緒と陽菜多が仲良くしている姿こそがなおひな』という認識なのだろう。
「陽菜多、任せていいの?」
「うん、私が気付いたことだから、私が伝えないと。みんな、私、自分の巣穴を見てきて……気付いたことがあるの」
事前に言われていたとおり、私は陽菜多に報告を任せる。
巣穴の数と歩調を合わせるように、陽菜多は少しずつ、守られるだけの子うさぎではなくなっていた。それを誰よりも近くで眺めていると、不安はゆっくり霧散していく。
「たとえば、私と如月さんは同じ小動物だけど、落ち着く場所の形が違うよね?」
「えっ、あっ、私は、うさぎ先輩の巣穴もすごく素敵だと思っています……だけど、うう〜……」
「睦美ちゃん、ファイト! ここはキミの味方しかいないから、思ったことを聞かせて欲しいな? あと、あたしのカニ穴も褒めて☆」
「……私、もっと狭くて、逃げ道もあるほうが落ち着くんです……だからここに来るまでは、ずっと『学校中に自分用の脱出路がたくさんあればいいのに』なんて想像してました……あっ、星先輩のカニ穴はセンスの塊です!」
「うん、ありがとう」
陽菜多に話を振られた如月は眉をハの字にして視線を泳がせたけれど、その先に回り込むようにして励ましてくる星のおかげで、きちんと本音を口にした。ついでにカニ穴まで褒めるあたりが、実に後輩らしい。
陽菜多はそれが自分の巣穴の否定だとはまったく思っていないように、静かに頷いていた。
「本物のうさぎだって、人と引っ付きたい子もいるし、距離を置いて欲しい子だっている。そして私たちも同じ、心地よい距離、場所、関係が違ってて……でも、人間の社会では『普通』が優先されやすくて、自分にとって必要な、普通から少し離れた環境も欲しいんじゃないかなって」
これといった生きづらさを自覚してこなかった私にも、陽菜多の言葉は、寄り添って分けてもらう体温のように、胸の奥へじんわり染み込んだ。
社会における普通は、きっと必要なこと。でもそのひと括りの中で生きていると、誰もが窮屈さを感じてしまう。
その中で“自分にとっての巣穴”があれば、どれだけ心が救われるだろう?
「だから私は、誰かが落ち着ける巣穴を作って、安心してもらいたい……みんなにも、手伝ってほしい」
「私は陽菜多が試したいのなら、どんなことだって支えるわよ。だけど……ちゃんと伝えてくれて、ありがとう」
「……うーん……カニはなんでも食べるんだけど、ここまで甘い空気だと苦いお茶でも欲しくなるね!」
「わかります……頬袋いっぱいにお二人の甘い時間を詰め込んで、あとで一人で噛みしめたいです……」
「そこ、いっつも茶々を入れないの! とにかく、『誰かのための巣穴を作る』という方針で、自分たちの巣穴を見直してみるわよ。みんなの巣穴のいいところを取り入れて、居場所作りを頑張ってみましょう」
あまりにもざっくりした方針だけど、カニとハムスターは本能的に理解してくれたのか、早速全員が自分の巣穴に向かい、それを誰かのための巣穴を作るための手がかりにしようとしていた。
星の横穴は派手だけど、その構造上、腰を落ち着けつつも外の様子が眺められる。
如月の箱は狭いけれど、その狭さが不安をやわらげ、ここに脱出口でもあれば「いつでも逃げ出せる」という安心感につながるかもしれない。
陽菜多の巣穴は……言うまでもない。自分だけでなく、私の居場所も残し続ける、大切な相手と寄り添うための場所でもあった。
「ねえねえ、奈緒ちゃん。この機会に、奈緒ちゃんも自分の巣穴を作ってみるのはどう?」
「え? 私は別に……」
「ですよね、うさぎ先輩のお隣がありますもんね……わかります……でも、いつも私たちのお世話をしてくれる森田先輩には自分専用のスペースがないの、ちょっと申し訳ない気もするんです……」
「如月まで……だから、私は」
私だけ机に向かって話し合いの要点をまとめていたら、星と如月が巣穴からそんな提案をしてくる。
正直に言うと、二人の気遣いは嬉しいと思う。でも、自分専用の巣穴が欲しいと思ったことは、これまで一度もなかった。
だって私は、陽菜多の隣にいることが許されているのだから。それは同時に、『自分の巣穴を作ったら、陽菜多の気遣いを無下にするのではないか』という悩みに直結する。
だからちらりと陽菜多を見たら、彼女は無言でこちらを見てくる。うさぎらしい真顔の中に、どのような感情があるのか、私はちょっとだけ判断しかねて。
答えを訊けないまま立ち上がり、逃げる口実のように「差し入れを作ってくるわ」と告げた。『陽菜多のことならなんでもわかる』というのは、少しだけ傲慢だったかもしれなかった。
*
「これも新メニュー? 本当にすごいわね……レストランが開けると思うわ」
「モリリンのお墨付きキタ! これで勝つる!」
「やっぱり、森田さんが手伝ってくれるとはかどるよねー。差し入れ、どんどん持っていってね!」
差し入れを作るために訪れた家庭科室では、今日も変わらぬ盛り上がりを見せていた。
それが少しばかり羨ましくなりつつも、「差し入れを作りたい」と伝えたら快くスペースを貸してくれて、そのお礼に料理を手伝ったらこんなにも喜んでもらえた。
……もしかすると、この家庭科室こそが私の巣穴かもしれない。そんなふうに思うくらい、ここにいる人たちは温かかった。
「森田さんのところは大丈夫そう? もしもお手伝いが必要なら、気にせず声をかけて欲しいけど」
「ありがたいけれど、まだ具体的な企画案が固まっていないから……」
「うさぎパイセンたち、みんなユニークだからなぁ……面白いアイデアが多すぎて迷っちゃう感じ?」
「……かもしれないわ。差し入れも完成したし、そろそろ戻らないと本当に企画が迷子になってそうね……」
「うーん、料理ならすぐにでも手伝えるんだけどなぁ……」
差し入れを包み、家庭科室をあとにする。やっぱり、動物の集まりには飼育係もいるのだろうと感じてしまった。足早に歩いていると、家庭科部の「料理ならすぐにでも手伝える」という言葉だけが、部室まで私についてくる。
そしてドアを開けると、またしても杞憂だったと肩の力が抜けた。動物動画を見て和む人の気持ちに似ている。
「わお! 睦美ちゃん、さらに技術力上がってない? アクション映画だと、この脱出口に向かってスライディングを決めちゃうところだよ〜」
「そ、そうですか? えへへ……星先輩の言う通り、みんなで撮影した写真を貼り付けるのも、私みたいな陰キャにとっては夢みたいな光景で嬉しいです……!」
「自分の巣穴が一番だけど……この試作品も落ち着くね」
星の横穴に如月の小さな脱出口が増え、入口には陽菜多の巣穴から借りた毛布が垂らされていた。
どうやら、私がいないあいだも有意義な話し合いができていたらしい。
三人は全員のアイデアを反映した巣作りを試していたり、そんな自分の巣穴とは異なる環境を楽しんでいたり、そんな光景が画面の向こうではなく現実に起こっていることが、ただただ嬉しかった。
とくに陽菜多は自分の落ち着ける場所に対するこだわりが強いので、そんな彼女が寛いでいるというだけでも価値を感じられる。
……私が守らないと。より一層、強くそう思えた。
「あっ、それって差し入れ? 奈緒ちゃんありがとー!」
「目ざといわね、カニって嗅覚があるのかしら? まあ、家庭科部に感謝してゆっくり食べなさい」
「ありがとうございます……こ、これは! まるで店売りのようなクオリティ、おいしいれふぅ……」
「おお、如月さんのほっぺがいつもより膨らんでる……奈緒、短期間でさらに腕を上げたね。いつでもお嫁さんになれるよ」
「私みたいな女、もらい手がいるかしらね」
まあ、陽菜多がもらってくれるならそれでいいんだけど。
両手で持ってかりかりと食べる陽菜多を見ながら、心の中でつぶやいておいた。いつか口に出せるその日まで、うさぎの巣穴の最奥に隠しておこう。
(……それにしても、みんな、本当においしそうに食べるわね。家庭科部みたいに、私の料理がここでも役立てばいいのに)
どんどん減っていく差し入れを見ながら、私はかすかな満足感と無力感の板挟みになっていた。
私は家事が得意だけど、それは生物進化研究会において、あまり役立つものじゃない。人間はこの地球でもっとも繁栄した種族らしいけれど、この場においてはうさぎやカニ、ハムスターに太刀打ちできなかった。野生を忘れた人間という種族は、こういうときに弱いらしい。
それでも、立ち止まることはしない。だから「ほら、食べ終わったらまた考えるわよ」とみんなに伝えたけれど、陽菜多だけは私と差し入れを交互に見続けている。
その視線は差し入れの向こうに、まだ名前のない進化先を探しているようだった。




