第14話「ビシバシいくわよ、あんたたち!」
陽菜多の家で目覚め、エプロンを付けてから朝食を作る。陽菜多のためにご飯を作るのなんて何年も続けてきたことなのに、目覚める場所が違うだけで、私の心は冬を乗り越えたうさぎのように浮かれていた。
(……もしも一緒に暮らし始めたら、毎日がこういう生活になるのよね……)
あ、ダメだ。そう考えた直後には、口元がだらしなくにやけていた。
パンケーキ──材料はもちろん陽菜多のお母さんが用意してくれていた──を焼きつつ、片手で自分の頬をぺしぺしと叩く。陽菜多の家に泊まるのなんて普通、だから同棲することになっても生活ルーティンはほぼ変わらない……それはわかっているのに。
今の私は、まるで陽菜多の恋人になったかのようで。あ、やっぱりダメだ……。
「……な〜お〜……」
「きゃっ……ちょ、ちょっと陽菜多。ご飯を作ってるときは危ないって、いつも言ってるでしょう?」
せめて陽菜多が起きてくるまでに、この顔をうさぎ並みのポーカーフェイスにしておかないと……そんな試みは、間に合わなかった。
パンケーキの焼ける音に紛れるように、陽菜多はいつの間にか私の後ろに立っていた。さらに、ふわっと包み込むように抱きついてくる。
密着した陽菜多からは鼻をすんすんさせる音も聞こえてきて、目の前のフライパンよりも頬が熱くなりそうだった。
「だって……目が覚めたら、奈緒がいなかったから。寂しかったよ」
「……んへっ……ん、んんっ」
スリスリと私の後頭部に頬ずりしながら、陽菜多は静かに甘えてくる。元々私と陽菜多の距離感は近かったはずだけど、昨日、心まで密着しそうになったあとでは、この抱擁にさえ特別な意味が宿りそうで。
陽菜多の感触と言葉に、間抜けな呼吸音がまろび出てしまった。すぐに咳払いをしてみたけれど、うさぎ並みの聴覚──本人の自己申告による──である陽菜多はちゃんと聞いていて、「今の声、なに……?」なんて言われた。
「今日みたいに、私がそばにいるときは……その……今みたいに、甘えてもいいわよ」
「うん、そうする」
「だけど、私がいないときも困らないよう、これからはビシバシいくわよ。日常生活も、同好会も」
そもそも私が陽菜多から離れることができるのか、その情けない前提条件はさておいた。離れるつもりもないのだけど。
それでも、『起きたら隣に奈緒がいなかった』なんて理由で寂しがるなんて嬉しい……じゃなくて、か弱いことを言うなんて、さすがに心配になる。
私は陽菜多に必要とされたいと同時に、陽菜多が悲しむ時間を減らしたいのだ。
「これからもここに来るし、家事だってしてあげる。けど、私が風邪を引いたり、用事で遠くへ出かけたりする場合、陽菜多はどうするつもり?」
「風邪を引いたら私がお見舞いに行くし、遠くへ行くときは私も一緒に行くよ。それじゃあダメ?」
「……んふ……ん、んんんっ! ダメじゃないけど、ダメ!」
「えぇ……どっちウサ……?」
……陽菜多って、実は相当な女たらしだと思う。少なくとも、私に対しては。
実は私のほうが「陽菜多とはずっと一緒にいたい」なんて考えているのを見透かすように、少しだけ抱きしめる力を込めながら、離れるつもりがないことを伝えてくれた。
本当に、恋人みたい。私はまたしても情けない音を漏らして、強めの咳払いをした。だけど、陽菜多はずっと抱きついたままだった。
結局この日は朝からずっと陽菜多と一緒で、それに不満があるわけもなく、ずっと表情筋に力を込める羽目になった。
*
「さて、それじゃあこの前の飼育施設での観察結果をまとめて、文句を言わせないための活動報告書にするわよ!」
「今日の奈緒ちゃん、なーんか気合い入ってない? ま、どうせ陽菜多ちゃん絡みだろうけど!」
「奈緒はうさぎの私を大切にしてくれるからね、特別なことはなにもないウサよ?」
「……まさか、お二人がとうとう……? ううう、その現場に偶然居合わせる段ボールになりたいです……!」
「そこ、聞こえてるわよ! 如月、あんたはせめて無機物じゃなくて小動物を目指しなさい!」
迎えた放課後、私は自ら指揮を取るように人数分の机を合わせ、活動報告書の作成を開始した。
星と如月は報告書よりも私と陽菜多の関係に興味を持っていそうだけど、そこに突っ込むとまた脱線するので堪える。
……いつか私も、陽菜多との関係を惚気るようになれるのかしら。
「今回の観察結果を簡単にまとめてみたけれど、『自分に合う距離や居場所はそれぞれ異なる』っていうのが私の結論ね。陽菜多だけじゃなくて、あんたたちがうさぎと交流している姿を見ていたら、これもまた生物の進化の形じゃないか……なんて思ったのだけど、意見を聞かせて」
「いいねいいね、それっぽいじゃん! 今の奈緒ちゃんを見ていたら、あたしも頑張りたくなった……表紙作りは任せて! この前撮影した写真だけじゃなくて、可愛いイラストも描いちゃうよ♪」
「あっ、私は記録した内容を報告書向けにまとめてみます……うさぎさんたちからためになるお話を伺えた気がしますので……」
「私は……うん、うさぎとしての所感を書くよ。あの子とも話せたけれど、ほかの子の気持ちもうさぎ目線で残しておきたいな」
放っておけばすぐ話が迷子になる同好会だけれど、今日は全員がそれぞれの役割へ向き合っていた。
表紙のラフが妙に派手だったり、報告書の文字が妙に小さかったりするのは気になるけど……そこは最終的に私がチェックして、少しだけ軌道修正すればいい。
ここにいるみんなは、間違いなく個性的。だけどそれはやること為すことがすべて反目するという意味じゃなくて、全員がお互いの違いを理解し、時に寄り添い、時にちょっと離れた場所から見守っている。
(……陽菜多。私、あなたの居場所を守れているかしら?)
いつも以上に静かで真剣な横顔の陽菜多を見る。それは可愛いだけでなく格好良くもあって、あのお泊まりでの時間を思い出し、つい心臓がジャンプしてしまうけれど。
私の部長という肩書きが陽菜多の巣穴を守る一助となるのなら、その立場に向き合ってみるのも悪くない気がした。
その後、完成した報告書を弥生先生に見せた結果、感動のあまり涙目になってしまい、「先生は、一生みんなの顧問だよ……!」なんて重たい決意をされてしまった。
*
「報告書を読ませてもらったが……ちゃんとまとまっていた。まったく、最初からこの水準の活動をしてくれていたらよかったのに」
「も〜、素直に褒めてよ海ちゃん先輩〜」
「だから、海ちゃんじゃなくて郷田先輩と呼びなさい。はぁ、もう、会長はどこに行ったのか……たまには本人に直接見てもらいたいのに」
「すみません……このカニ女にはちゃんと言って聞かせますから」
私たちは報告書片手に生徒会室に向かうと、本来は会長が座っているであろう場所には、少しだけ疲れている副会長が書類整理をしていた。
……そういえばこの学校、生徒会長よりも副会長のほうが露出が多いような……朝礼とかでも、毎回副会長が前に立っている気がするわ……。
そんな人の気苦労を減らすべく、カニ女を制しておいた。こいつの明るさは美徳だと思えるようになってきたけど、こういう場では陽菜多や如月の物静かさを見習ってもらいたい。如月の場合、怯えているだけと表現すべきだけど。
「とにかく、この報告書は問題がなさそうだし、ちゃんと受理しておく。できれば、もっと同好会の名前と活動内容を一致させてもらいたいが」
「……と言うと?」
「我が校は部活動の自由を尊重しているが、それを悪用する集団もたまにいるんだ。よくわからない名前で我々を煙に巻いて、通常は認可されないような活動をおこなう……まったく、頭が痛いよ。これから監査を強化するつもりだが、あなたたちはそうならないよう、頑張って欲しい」
肝に銘じます、と伝え、生徒会室を出る。
部屋から少し離れてから、私たちは廊下を歩きつつ副会長の言葉について考えていた。
「……副会長はああ言ったけど、私はこの同好会は『自分が安心できる場所や距離を知り、それを社会の中でどう確保するか』について考えていきたいって思ってるわ」
「うん、私も奈緒と同じ気持ち。今は自分以外の巣穴がそばにあるってことが、ちょっと面白いって思えるようになったよ」
「……もう、二人とも、あたしのこと大好きすぎでしょ! あたしもそれに賛成、この楽しい場所は守らないとね☆」
「わ、私もですっ! 私はまだハムスターになれていませんけど、皆さんのおかげで、学校でも落ち着ける場所をもらえましたから……ここだけは、命に代えても守らせていただきます!」
所々重たい決意があった気がするけれど、全員が私に賛同してくれたので、小さな声で「ありがと」とだけ伝えておく。
冷静に考えれば、私にだって何の集まりかわからない。いや、本当に。
それでも、このわからなさと向き合うことが、私たちの活動なのだと思う。うさぎとわかり合えた陽菜多を思い出すと、より一層信じられた。
「あ、そういえば……海ちゃん先輩が言ってた怪しい部活だけど。友達から聞いた話だと、『SNSでよく見るような勧誘をしてた』って聞いたよ!」
「それ、すでに部活とは呼べないんじゃないかしら……気をつけなさいよ、あんたたち。とくに陽菜多と如月」
「あっ、はい……あの、私はともかく、うさぎ先輩は冷静なので騙されないと思います……」
「陽菜多の場合、そういう人間が言い寄ってきた時点で私が何をするかわからないからよ。学校で“事件”が起こるなんて嫌でしょう?」
「奈緒ちゃん、真顔でそういうことを言うのはやめよう? 冷静なのが逆に怖いんだけど……陽菜多ちゃんも止めてよぅ」
「ぷぅぷぅ」
このときの私たちは、まだ知らなかった。
その『怪しい部活』の余波が、私たちの巣穴まで揺らすことを。
それでも今は冗談──陽菜多に危害が加わらなければ──で済ませられるこの時間が、ちょっとだけ楽しかった。




