第13話「うさぎ同士ならわかること」
「今日は見学ですね。えっと、目的は」
「はい、『うさぎの生態と、人間が落ち着ける空間づくりの比較研究』です! 本日は貴重な機会、本当にありがとうございます!」
「な、なるほど……?」
「先生、この見学に背負わせるものが重すぎです……」
弥生先生が校外活動の許可を取りつけてくれたので、私たちは保護うさぎ施設“よりみち”を訪れていた。
自治体や動物病院と連携し、行き場を失ったうさぎを新しい里親へつなぐ場所らしい。うさぎカフェよりも、生物進化研究会の最初の活動にはふさわしそうだった。
……先生は学校に申請書を提出した際に「学年主任からも『あなたの熱意は認めます。ですが、その熱意を別の方向に向けられませんか?』って褒められたよ!」なんて教えてくれたけれど。その甲斐はあったんだろう。
「んふふ、撮影係は任せて! カメラもマナーモードに設定して、フラッシュもオフにしてあるよ! 撮影許可ももらったし、睦美ちゃん、記録係は任せるね?」
「も、もちろんです! 私はうさぎさんよりもさらに小さくて目立たない小動物、皆様の邪魔をしないよう、隅っこでひっそり記録させていただきます……! あっ、段ボールも被ったほうがいいかな……」
「心がけとしては正しいんだけど、急に逃げ出すとうさぎをびっくりさせるから、静かにしているだけで十分よ……」
手洗いを済ませ、施設に足を踏み入れる。元は倉庫だった平屋はいくつかの区画へ分けられるほど広くて、ボランティアで訪れた人たちも行き交っていた。
案内してくれるスタッフの説明を聞きながら、先生はまるで部員の一人みたいにメモを取り続けていた。その様子に、この人が単なる教師の一人ではなく、学校の一員として生徒たちに愛される理由がわかる。
「みんな、うさぎについてわからないことがあれば、うさぎとの意思疎通もできる私を頼ってくれていいよ」
「わお! 今日の陽菜多ちゃん、すっごくアグレッシブじゃん! 奈緒ちゃん、陽菜多ちゃんってほんとにうさぎさんとウサトークできるってマジ?」
「初耳なんだけど……」
「ふふふ、幼なじみにも言えないことってあるからね。『言い忘れていただけ』ともいうけれど」
「さすがうさぎ先輩です! 本日はご指導ご鞭撻いただいて、私もハムスター並みの野生を手に入れないと……!」
「あんたら、うさぎの前だとそのテンションは控えなさいよ?」
すでにうさぎの気配を感じ取ったのか、陽菜多はいちだんとボリュームを控えめにした声で、それでも自信満々に宣言する。その言葉に反応する部員たちも声の音量を落とす様子は、見ていて安心できた。
……でも、うさぎ相手にそれぞれの本能、そのノリを見せつけないといいんだけど。
私たちが会わせてもらえるうさぎは人慣れした子が多いらしいけれど、それでもカニやハムスターを自認する人間を見ると面食らうかもしれない。
陽菜多は……まあ、心配ないだろう。私はこの子がうさぎであることを受け入れ、そして尊重すると決めたのだから。
「ここは相性を確認した子たちが使う、運動・交流スペースですね。比較的人慣れした子が遊んだり、人と関わったりする場所です」
施設での主な仕事に関する説明を終えたところで、私たちが案内されたのは、広めのサークルで構成されたうさぎの遊び場だった。
床はジョイントマットを敷き詰めていて、うさぎの足の負担を軽減するように配慮されている。複数のうさぎが楽しそうに跳ねる様子は、幼い頃に夢見た月の表面みたいだった。
さらに、うさぎたちはスタッフ以外の人間が訪れても警戒する様子はなく、それぞれがのびのびと遊んでいる。その様子は、私たちに“ここに来た目的”を一瞬だけ忘れさせた。
「か……可愛い〜〜〜!」
「だよね、うさぎだもんね」
「なんであんたが誇らしげなのよ……気持ちはわかるけど」
「わわっ、近くまで来てくれて……もしかして、私はうさぎさんたちに『同じ小動物だ』と認めてもらえたのでしょうか……!?」
全員が口を揃えて、うさぎの愛らしさを賛美した。陽菜多だけは腕組みをしてうんうんと頷いていたけれど。どこ目線なのかしら……。
だけど、私も冷静さを取り繕うのに苦労する程度にはうさぎたちの動きに心を奪われていて、陽菜多の扱いに慣れていなかった場合、ついついうさぎを触りに行こうとしたかもしれない。
スタッフはこういう反応も織り込み済みなのか、「うさぎたちのご飯を持ってくるので、あげてみますか?」と微笑みながら準備をしてくれた。
その間、星は跳ね回るうさぎに翻弄され、撮った写真はぶれてばかり。如月は床へ伏せ、「本日はお日柄も」とうさぎ相手に聞き取りを始めていた。開始早々、撮影係も記録係も奔放なリアルうさぎたちに振り回されていた。
「お待たせしました。これをうさぎたちにあげてみてください」
「ありがとうございます……えっ?」
スタッフの人が牧草を持ってきてくれたので、私たちはそれを受け取って各々がご飯をあげようとした。
全員が同じご飯を持っていた。そして、同じようにみんながこのうさぎたちと初対面だった。
なのに。
「あれー!? なんでうさぎさんたち、奈緒ちゃんにばかり集まっているのぉ!?」
「いや、私にも何が何だか……ちょ、ちょっと、みんな落ち着いて! ご飯、たくさんあるから!」
「あっ、私のところにも来てくださいました……! うへへ、やっぱり、少しだけ小動物に近づけたんでしょうか……」
なぜかうさぎたちは私のところへ殺到して、手に持った牧草を我先にと食べている。ちなみに、次に人気だったのは如月だった。先ほど、床に伏したのが効果的だったんだろうか?
食べ終えたうさぎの中には私の周りをぴょんぴょんしながら喜びを表現してくれる子までいて、状況に混乱はしていても、陽菜多の仲間に認められたような嬉しさがあった。
……今の私、だらしない顔をしているかもしれないわね……。
「……奈緒、うさぎの私よりもうさぎたちに人気がある……こんな敗北感、生まれて初めてだよ……」
「う〜ん、うさぎ社会でも飼育係さんが人気なのカニ?」
「ご飯が欲しいだけだから! こういう偶然もあるわよ!」
うさぎに囲まれる私を眺めながら、陽菜多は静かにむくれる。星はそれを楽しそうに煽った結果、陽菜多は「うさぎ先輩の称号、奈緒に譲渡すべきかな……」なんて言い始めていた。私は人間でいたいんだけど……。
「うーん、あの子、すごいですね……うちのお手伝いをしてもらいたいくらいには」
「うふふ、そうでしょう? うさぎさんたちは、森田さんが『誰よりもうさぎに優しい人』だとわかるんだと思いますっ。先生は鼻が高いよ!」
ついにはスタッフさんや先生にまで微笑ましく見守られて、私は陽菜多のジトッとした視線を受け止めつつ、諦めて給餌係も兼任した。
*
「こちらは静養コーナーです。怖がりな子や治療明けの子がいますので、とくにお静かにお願いします」
交流を終えた私たちは複数のサークルで構成された生活室を案内され、今はその奥、より丁寧に目隠しが施されたエリアに来ていた。
うさぎたちが隠れるための箱も設置されていて、実際に姿を見せない子も多そうだった。
「うさぎは環境の変化に敏感ですから、まだここに慣れていないときは、こうして静かに過ごしてもらうんです。だけど、中には完全に一人きりにするよりも、離れた場所に仲間や人の気配があるほうがいい子もいる……そのための場所ですね」
「……わかります」
スタッフの説明に対して、陽菜多は深く頷いた。普段は夏の海のように騒がしい星も、今ばかりは余計な口を挟むことなく耳を傾けている。
私はこの同好会のこういう側面には、素直に敬意を抱いた。
「……あの子。すみません、ちょっとだけ時間をもらえますか?」
「え? もしかして、あの子が気になるんですか?」
「少し。もちろん、無理には近づきませんから」
陽菜多は隠れ箱の一つを離れた場所から眺めていたかと思ったら、スタッフに許可を得て姿勢を低くし、ただ静かに待ち始めた。
手を伸ばさず、逃げ道を塞がず。陽菜多は自分の気配だけを、うさぎへと届く場所に置いていた。
隠れ箱の暗がりでは、鼻先だけが小さく動き、伏せられた耳がこちらの物音を追っている。
「あの子はまだ保護から少し日が浅くて、こうして経過観察をしているんです。人と一緒に暮らしていたので、攻撃的になることはないのですが」
「はい、あの子もそう言ってます。だから、こうしていたいんです」
私たちは誰も急かさず、陽菜多と一羽を見守った。
私は隣へ行かず、一歩だけ後ろにいた。泣いていた私にそうしたように、陽菜多は相手の距離を奪わない。ただ、一人ではないと伝わる場所で待っている。
そしてそれは、怯えるうさぎの心を優しく開いた。
「……! まさか……」
スタッフが息を飲む。私たちもまた、呼吸を忘れてその光景を脳裏に刻んだ。
そろりそろりとうさぎは箱から出てきて、小刻みに移動と停止を繰り返しながら、鼻をひくひくさせて陽菜多に近づく。
その様子にも過度に反応しない陽菜多に警戒を緩めたのか、やがてうさぎは陽菜多から少し離れた隣へ腰を下ろし、周囲の様子を確認しつつも落ち着きを取り戻していた。
「……陽菜多。その子と話せた?」
「うん。この子、『今は近づかないで。でも、一人にしないで』って言ってた」
私が確認すると、陽菜多は音を出さないように頷いた。うさぎはそのやりとりにも耳を動かしたけれど、逃げ出すことはない。
スタッフも含めて私たちはしばらくその光景に口を挟めず、見学が終わってから「草野さん、よかったらまたあの子へ会いに来てくださいね」なんて言われる陽菜多が、すごく誇らしかった。
*
「同じうさぎでも、落ち着く距離は違うってわかったよ。私はうさぎとして、もっと仲間のみんなについて知らなきゃいけないかも」
「そうね。今日は本当に、行けてよかったわ」
「如月さんに巣穴を作ったときも、私がいいと思う距離を渡しただけだったのかも。あの子には、あの子が落ち着ける形があるんだよね」
みんなと別れての帰り道、私は陽菜多と一緒に夕日を浴びながら歩いていた。
噛みしめるように口にした陽菜多の声音に、牧草を食むうさぎの姿を思い出す。すると、自然と私も優しい返事ができた。
「星さんと如月さんは同好会を気に入ってくれているみたいだけど、私が巣穴に求めていることと、二人が求めていることは違ってて……そういう違いを理解して、いろんな巣穴が一つの場所にあるのって、すごくいいことかもしれない」
「……全部、陽菜多のおかげよ。陽菜多は誰かの隣へ静かに寄り添える、優しい人だから」
そう、陽菜多は守られるだけの女の子じゃない。一見するとか弱いうさぎも野生でたくましく生きられるように、陽菜多は自分の意思でやりたいことを選び、そして前に進める人だから。
誰かが怖がっていたら、その人の隣で静かに待ち続けられる……やっぱりこの同好会の部長は、陽菜多のほうがいいんじゃないかって思いかけてしまった。
「奈緒」
「……えっ? 陽菜多?」
「今日、泊まっていって」
どくんっ。うさぎがハイジャンプしたように、私の心臓は跳ねていた。
お互いの家へお泊まりするなんて、幼い頃からしばしばあったのに。
いきなり手を握られて、夕焼けが溶け込んだような瞳で見つめられながら、そんなことを言われたら。
……下着、可愛いのにしてくればよかったかしら……。
「私、思ったんだ。私以上にうさぎと意思疎通ができた奈緒を『うさぎ師匠』と仰ぎ、夜通し伝授してもらいたいって」
「……は? あの、もしかして、うさぎにご飯をあげたときのこと?」
「うん。うさぎに愛され、うさぎを理解し、うさぎを統べる存在……師匠、私にもそのコツを教えて?」
「勝手に師匠にしないでよ!? あんたのほうがうさぎとわかり合えていたでしょうが!」
……まあ、そうよね。陽菜多が“そういうこと”を要求してくるはずもなくて。
それでも私の手を離さない陽菜多に胸は弾み続け、足は自然と彼女の家へと向いていた。陽菜多もまた、うさぎじみた小さいジャンプを時折見せてくれた。




