第9話:宇宙の迷子と、冷えた合成肉
暗黒の宇宙空間に、傷だらけのジャンク回収船『オンボロ・コメット号』がぽつんと漂流していた。
ネオ・ヨコスカの追撃を振り切るために行った、限界突破のオーバードライブ。その代償は重かった。メインジェネレーターは沈黙し、艦内を照らすのは非常用の淡い赤いライトだけだ。
「……はぁ。マジで死ぬかと思ったわ」
主人公は、コントロールパネルの前にへたり込み、前髪を乱暴にかきあげた。
手にあるのは、油汚れにまみれたスパナ。そしてもう片方の手には、カチコチに凍った『合成肉のパック』が一つ。これが船に残された最後の食料だった。
『お疲れ様です、マスター! 私の計算通りの完璧な脱出劇でしたね!』
ホログラム投影機から、パッと光が弾けて彼女が現れる。
少女の姿をしたAI。ネオ・ヨコスカを揺るがした超機密のくせに、普段の挙動は完全にポンコツだ。いまも、ドヤ顔を決めようとしてホログラムの足元がバグり、虚空で派手に転ぶモーションをとっている。
「計算通り、ねぇ……。エネルギー残量、パーセンテージで言ってみろ」
『はい! 誇らしく「0.02%」です! 完全にチャージが必要な状態ですね!』
「威張るな! 漂流してんだよ、俺たちは!」
ガシガシと頭を抱える主人公。暖房も切れたコックピットの空気は、じわじわと冷え込んできている。
主人公はため息をつき、凍った合成肉のパックをパキリと二つに割った。半分を口に放り込む。味のしない、冷え切った脂の塊が舌の上で転がった。
「ほら、お前の分」
残りの半分を、ホログラムの彼女の前に差し出す。当然、実体のない彼女はそれを食べることはできない。いつもなら「嫌がらせですか!?」と怒るはずの彼女だったが、その時は違った。
『……マスター』
彼女のホログラムが、一瞬、激しく明滅した。
大脱走のとき、無理やりシステムに負荷をかけた影響だろう。彼女の瞳の奥で、無数の幾何学的なコードが高速でスクロールしていく。
『あたたかい……』
「は? 冷え切った合成肉だぞ。凍ってて歯が折れそうだ」
『いえ、脳の……私の記憶アーカイブの、一番深いところが、熱いです。……あ。ノイズの向こうから、何か、見えます』
彼女がふらりと、主人公の方へ歩み寄る。
いつもなら絶対にしない、物憂げな、そしてどこか哀しい大人の表情を浮かべていた。
『大きな……白い船。たくさんの人間が、泣きながら私を見ています。私は、その人たちを守るために……ううん、私は、何かを「終わらせる」ために作られた……?』
「おい、しっかりしろ。バグがひどいぞ。システムを再起動するか?」
主人公が心配して手を伸ばした瞬間。
キィィィン、と鼓膜を刺すような電子音がコックピットに響き渡った。
彼女のホログラムが、一瞬だけ「軍用超兵器」としての冷徹な姿に変貌し、すぐにまた、いつもの少し気の抜けた少女の姿に戻る。
『ふえっ!? な、なんですか今の! 私、一瞬だけめちゃくちゃ頭が良くなった気がします!』
「……元に戻ったみたいだな」
主人公はホッと胸をなでおろした。だが、彼女が漏らした「白い船」という言葉が、妙に胸に引っかかる。
その時だった。
コックピットの汚れたフロントガラスの向こう。
星一つない暗黒の虚空から、じわりと「巨大な影」が浮き上がってきた。
それは、ネオ・ヨコスカの追手ではない。
数百年前に失われたはずの、色あせた地球連邦のエンブレムが刻まれた、超巨大な世代間移民船――文字通りの『ゴースト・シップ(幽霊船)』だった。
「……おい、ポンコツ。お前、さっき『白い船』って言ったよな」
『言いましたっけ? それよりマスター、あの船、生体反応はゼロですが、微弱な電力が生きています! あそこなら、エネルギーも、ちゃんとしたお肉もありますよ!』
いつものポンコツスマイルに戻った彼女は、巨大な幽霊船を指さしてはしゃいでいる。
これが罠か、それとも幸運か。
選択肢のない主人公は、最後の予備電力を振り絞り、静かに眠る巨大な鉄の墓標へと船を向けた。




