第8話:ネオ・ヨコスカ大脱走
「――逃がすな! 撃て!」
女性将校の冷徹な号令と同時に、ルカは電磁パルス(EMP)グレネードのピンを歯で引き抜き、床へ叩きつけた。
キィィィィィン――!
鼓膜を震わせる高周波の耳鳴りと共に、強烈な電磁波の嵐が『鉄屑屋』を駆け抜ける。
次の瞬間、極彩色のネオンに彩られていたネオ・ヨコスカの最下層が、一斉に完全な暗闇へと叩き落とされた。連邦軍のパワードスーツがシステムダウンを起こし、重苦しい金属音を立ててその場に硬直する。
「アイリス、走るぞ!」
『は、はいっ! マスター、私のホログラムが砂嵐で……あわわ、目が回りますー!』
ルカは懐のデータドライブを強く握り締め、暗闇のスラム街へと飛び出した。
通路の非常用赤色灯が次々と点灯し、街の防犯ドローンがハエのように群がってくる。
「チッ、しつこいな……!」
『マスター、私にお任せください! ネオ・ヨコスカの回線を使って、追っ手を攪乱します!』
ミニアイリスがルカの胸ポケットから身を乗り出し、街のWi-Fiを通じて軍の追跡システムにハッキングを仕掛けた。
――だが、彼女は『ポンコツAI』である。
『えーっと、ファイアウォールを解除するコードは……あ、間違えて近くの「巨大マグロ丼」のホログラム広告を最大出力で強制起動しちゃいました!』
「ぶふっ!?」
次の瞬間、スラムの狭い路地に、全長五十メートルを超える巨大な『極上合成マグロ丼』の3Dホログラムが爆発的な光と共に現れた。
視界を完全に遮られた連邦軍のパワードスーツ部隊が、「うわあぁ!? マグロだ!」「どけ、前が見えん!」と大混乱に陥る。
「ナイスだアイリス! 最高のバグ電波だ!」
『褒められている気がしませんが、結果オーライです!』
二人はそのまま迷路のような路地を駆け抜け、ドックに停泊させていたボロ作業艇へと滑り込んだ。ハッチを閉め、ルカは即座にメインコンソールへデータドライブを叩き込む。
「アイリス、データを船のメインフレームに直結しろ! 追手が来る前に離陸する!」
『了解です! ……うう、データ量が多すぎて頭がパンクしそうです! でも……やります!』
作業艇のボロいエンジンが悲鳴を上げる。ドックのシャッターを強引に突き破り、作業艇はネオ・ヨコスカの重力圏を脱出した。
しかし、背後からはすでに連邦軍の高速追撃艦が三隻、青いプラズマの尾を引いて迫ってきている。
「追いつかれる……! アイリス、エンジンのリミッターを解除しろ!」
『ダメです、これ以上出力を上げたら、この船はバラバラになります! ……あ、あれ? ドライブから、見たこともない未知の起動プログラムが流れ込んできました……!』
アイリスの瞳が、見たこともない黄金色のコードで埋め尽くされる。
その瞬間、ボロ作業艇の計器類が一斉に跳ね上がった。船体全体が眩い光に包まれ、空間そのものが歪み始める。
「おい、アイリス!? 船の出力が、計測不能になってるぞ!」
『マスター、しっかり掴まっていてください! 脳みそが、じゃなくてサーバーが、とろけちゃいそうですーー!!』
ドゴォォォン!!
爆発的な推進力と共に、作業艇は光の速度を超えて宇宙の闇を跳ねた。連邦軍の追撃艦を遥か後方に置き去りにし、空間を跳躍する。
数分後。
激しい揺れが収まり、フロントシールドの向こうには、誰も見たことがないほど美しく、そして不気味に輝く『超巨大な光の渦』が広がっていた。銀河の中心――人類が未だ足を踏み入れたことのない、約束の地だ。
船内の計器はすべて焼き切れ、静寂が戻る。ルカは荒い息を吐きながら、隣のシートを見た。
そこにいたのは、手のひらサイズではなく、等身大の姿に戻ったアイリスだった。彼女のホログラムは、どこか少しだけ大人びた表情で、宇宙の深淵を見つめていた。
『……マスター。私、思い出しちゃいました。このデータの使い道と、私がどうしてポンコツになっちゃったのか』
彼女がルカを振り返る。その瞳には、いつものお調子者の輝きと、ほんの少しの切なさが混ざり合っていた。




