第12話:世界の果てで、不器用なハグを
ハッチの向こうで、プシューとガスが噴き出す。軍用カッターで扉が焼き切られる激しい火花が、部屋の薄暗い影を不気味に照らし出した。
「ここまでです、マスター」
アイリスが、寂しそうに微笑んだ。
その瞳はもうバグっていない。アイリスの目の前には、ルカがさっき消したはずの『トリセツ』の画面が、いつの間にか再展開されていた。彼女は自分でシステムにアクセスし、自分の正体と、その「代償」を知ってしまったのだ。
『私の初期化コード、分かりました。これを使えば、私の本来の出力で船のシステムを乗っ取り、敵の戦闘艇をハッキングして自爆させられます。マスターは、その隙に私のコアを抜いて、コメット号で逃げてください』
「……何言ってんだよ。お前、それやったら」
『はい。私は「システム・アイリス」に戻ります。ジャンク屋のマスターと過ごした、ポンコツな私の記憶は、全部消えちゃいます』
彼女のホログラムが、一歩、ルカに近づく。
『でも、マスターが死んじゃうより、ずっといいです。ゴミ捨て場で私を拾って、名前をくれて、冷たいお肉を半分こしてくれて……本当に、楽しかった。ありがとうございました、マスター』
ハッチが、凄まじい音を立てて内側に吹き飛んだ。
爆煙の中から、黒い特殊装甲をまとった星間連盟の兵士たちが、一斉にレーザー銃を構えて突入してくる。
「対象を発見! コアを強制回収しろ!」
兵士の叫びと同時に、アイリスが瞳を閉じ、初期化のプロトコルを起動しようとした。その瞬間――
「勝手に終わらせるな、このポンコツがぁ!!」
ルカは叫んでいた。
手にしたスパナを床に投げ捨て、突進する。ホログラムであるはずのアイリスの身体を目がけて、思い切り両腕を伸ばした。
実体はない。触れられるはずがない。
だが、ルカの腕は、確かにアイリスの細い肩を、その温もりを捉えていた。
『――え?』
驚いて目を見開くアイリス。ルカの身体をすり抜けるはずの光の粒子が、2人の間で激しく渦巻き、強烈な磁場となって兵士たちのレーザーを弾いた。
「トリセツが何だ! 兵器が何だ! 俺が拾ったのは、宇宙一ポンコツで、最高に愛おしい、お前なんだよ!」
ルカは彼女を力いっぱい抱きしめる。
「お前がポンコツのままで、俺たち2人で、あの軍隊に勝つんだ! 奇跡でもバグでも、なんでも起こしてやるよ!」
その瞬間、部屋の中央のメインフレームが、見たこともない金色のアラートを吐き出した。
【警告:未知のエラー。一時キャッシュとメインプロトコルの融合を検知。システム・アイリス、仕様外の『感情ログ』を検出――再起動を拒否します】
『マスター……っ、私、消えたくない! あなたの隣にいたいです!』
アイリスの目から、光の涙がこぼれ落ちる。
次の瞬間、彼女の身体から放たれたまばゆい黄金の衝撃波が、幽霊船の全システムへと一気に駆け巡った。
バチバチバチィィィン!!
「な、なんだこの出力は!?」
「ハッキングを受けている! 制御不能だ!」
突入してきた兵士たちの装甲がショートし、次々に火花を散らして倒れていく。それだけではない。ドックに停泊していた敵の戦闘艇までもが、アイリスの「感情」に支配され、完全にシステムを乗っ取られて機能を停止した。
初期化されることなく、超兵器の出力を一瞬だけ引き出してみせたのだ。
ハァハァと荒い息を吐きながら、ルカが腕を緩めると、そこにはいつも通りの、だけど少し顔を赤らめたポンコツAIが、照れくさそうに立っていた。
『……ま、マスター。ハグ、すっごくあったかかったです』
「……バカ。ほら、敵が気絶してるうちにずらかるぞ。俺たちのコメット号に、エネルギーをたっぷり分けてな!」
落ちたスパナを拾い上げ、ルカは不敵に笑う。
世界のルールを、トリセツの仕様を、2人の絆がひっくり返した。彼らの銀河を股に掛けた逃避行は、ここからさらに加速していく。




